― 百夜通い ―
( 第二章 )
( 十 )
アキラは旅館に戻り、風呂に入って体を十分に温めてから床に着いた。雨風に打たれた疲労は、アキラを深い眠りに誘ってくれた。
次の日は午前中まで仕事をこなし、アキラが他の棋院関係者とともに東京に戻ったのは、既に夕方近かった。
今夜こそ、ヒカルの訪問はないだろうと思っていたアキラは、このまま家に帰りたくない気がしていた。家にいるとヒカルの来訪を待ってしまいそうで、それが嫌だった。
碁会所にでも顔を出そうかと思い、駅で皆に別れを告げようとしたその時、声が聞こえた。
「ええーっ、進藤君?その声、風邪?ひどいなぁ・・・ガラガラじゃない。」
アキラは声のした方に振り向く。古瀬村が携帯電話で話をしているところだった。
「古瀬村さん、進藤ですか?」
「ああ、うん。そう。明日の仕事の確認でかけたんだけど、進藤君、凄い声だったよ。風邪でもひいたのって訊ねても大したことないって。そんな感じじゃなかったけどねー。」
古瀬村が電話を切るなり、アキラは食い付くように訊ねた。
進藤が風邪・・・矢張り、昨日のことが原因で・・・
ヒカルの様子が気になって仕方ないアキラは携帯にかけてみるが、相手は一向に出ない。アキラからの着信を無視しているのは明らかだった。
「古瀬村さん!すみませんが、お願いしたいことが。」
「はい。」
「進藤か?」
「・・・塔矢?え、ええ、どして?これ、古瀬村さんの・・・。」
「君が僕を無視するから携帯を借りたんだ。やっぱりひどい声だな。」
「お前・・・騙しやがって。」
「君が電話に出ないからだ。熱はあるのか?大丈夫か?」
「昨日フラれたばっかの相手と話したいヤツなんて、いるのかよ。」
「それは・・・。」
アキラが口ごもっていると、電話の向こうで笑い声がした。投げやりな雰囲気はあるが、棘は感じられない。
「悪かった。意地悪言うつもりじゃねえよ。聞き苦しい声でご免な。」
「いや、僕こそ強引だった。」
「あのさ、塔矢。俺、夜中から熱出ちゃって、かなり朦朧としてたんだ。」
「進藤、いいよ。具合が悪いなら・・・。」
アキラはヒカルを制しようとした。
けれどヒカルは意外なことを言い出して、アキラを戸惑わせたのだ。
「ずっと、棋譜をなぞってた。」
「棋譜?」
「っそ。お前と俺が出会ってから、二人で打ったたくさんの、な。俺が打ったように見えて、そうでないのも含めて。」
「?」
「まあな、全部覚えている訳じゃねえけど。でも昔さ、碁会所で北島さんとかにやいのやいの言われながら打ってた頃の、まだ未熟だった棋譜も・・・何か想い出深いっつーか、ははは・・・。」
「そんなことを考えている暇があったら、ちゃんと薬を飲んで寝るんだ。」
「わかってるよ、んなこたー。でも、次から次へと浮かんで来るんだもん。しかもさぁ、それ打った時、お前がどんなキッツイことを言ったとか、どういう喧嘩したとか、そんなことまで付録みたいに思い出すから・・・ゴホ、ゲホッ!」
「進藤!いいから、もうわかったから。やっぱり僕が悪かった。しっかり休んで。」
「何か幸せだった。体はシンドイけど、お前と俺の歩いて来た道って、こういうんだなぁって思った。うまく言えねえけど・・・。」
「切るよ、進藤。」
・・・これで、いいんだよな。今までも、そしてこれから
も。
それがお前の望みなら、俺はそれだけで満足すべきなんだ
な―――
通話を切る寸前に聞こえた声は、弱々しかった。
しかし、アキラの心をくすぐったのは病で弱ったヒカルの様子ではなく、その言葉の奥に潜むヒカルの想いの深さだった。
否定されても否定されても、アキラを真っ直ぐに見詰めるヒカル。
進藤・・・君ってヤツは・・・
アキラは携帯を握り締め、そっと唇を噛んだ。
「塔矢君?進藤君はどうだって?」
「あっ、そうですね、矢張り酷い風邪みたいです。携帯、ありがとうございました。僕の、調子悪くて。助かりました。」
アキラは古瀬村に携帯を返し、丁寧に頭を下げた。
そこでようやく皆と別れ、一人で歩き出した。碁会所へ向かうには電車を乗り換えなければならない。
切符を買う。改札をくぐる。階段を昇る。ホームへ着く。
その間も、アキラの頭の中ではヒカルの言葉がきっかけとなり、いくつもの棋譜が浮かんでは消えた。
全部、ヒカルと打った碁だ。ヒカルと、アキラの碁だ。
・・・お前と俺の、歩いて来た道って・・・
そうだな、進藤。出会いから今日まで色々なことがあったけれど、こうして僕らは忘れがたい、何ものにも代えられない日々を積み重ねて来た。君の言う通りだ。
何だかおかしいなぁ・・・
昨日まではあんなにくっきりと自分の気持ちが見えていたのに、今日は一体どうしちゃったんだろう・・・
頭ではわかっているのだ―――アキラも。
ヒカルがセンチメンタルになっているのは、具合が悪いせい。自分もそれに引き摺られているだけだと。
明日とはいわないが、数日すれば、いや、数ヶ月も経てば、ヒカルも自分も、今抱えている痛みが薄らぐのを知っている。それはわかっているのに。
それでも今、じっとしていられない。理屈ではない何かが、アキラを動かそうとしていた。
それがヒカルと接する時に生まれる作用であり、アキラにとってヒカルの傍で彼を感じながら生きていく、意味なのだ―――
アキラは自分がゆっくりと、内部から変性していくような不思議な感覚に満たされながら、目の前に滑り込んで来た電車を見送った。乗る筈だった電車だ。
今度はホームから走り出した電車の風に煽られ、アキラの髪が再び乱れる。目が閉じられる。
それがおさまったとみるやアキラは踵を返し、走り出した。
この電車じゃない。僕が乗るのは、進藤の家がある駅に向かう、あの電車だ。
変わっていくことを恐れない力を、誰でもない―――進藤ヒカルが僕にくれる。
アキラの心はヒカルの元へと駆け出していた。
「塔矢君!まあ、本当に来てくれたの。」
「すみません、進藤が具合が悪いのは十分承知しているんですが、どうしても・・・。」
「ご免なさい、塔矢君。ヒカルがあなただけは部屋にあげないでくれって。大事な対局前に風邪をうつしたくないんですって。」
ヒカルが自分の訪問を予期し、そこまで予防線を張っていたことにアキラは驚いた。
とは言え、ここで引き下がるアキラであるものか。
自分が逃げようとした時は頑なだったのに、逃げられる側になれば途端に追い掛けたくなる。どうしようもない、これは性分だ。
大人受けのいい極上の笑みを浮かべると、アキラは言った。
「お母さん、大丈夫です。僕は絶対に風邪をもらったりしませんから。進藤を昂奮させたりもしません。ちょっと顔を見て、お見舞いを言ったら、すぐに帰ります。」
「お前・・・来る訳ねえと思ってたのに、ゲホッ・・・。」
「喋るな。そのまま寝ていてくれ。」
部屋に入って来たアキラの顔を、ヒカルは布団の中から見上げていた。
その目は潤み、ボーッとした表情がひどく幼く見えた。
「たるんでるって、叱らねえの?」
「たるんでいたのか?」
「そりゃあ、おんなじように雨に打たれたお前が元気なのに、風邪ひいたの俺だけじゃんか。」
情けねえよ、と。呟きはまたすぐ、咳にかき消された。
「君の方が、精神的ショックが大きかっただけだろう。」
アキラの口調は優しかった。目も笑っている。
「どしたの、お前。俺、まさか夢、見てるの?これって、高熱にうなされて見る夢?」
確かに、ヒカルは高熱なのだろう。
紅い唇がもごもごと動く。咳をしそうになると、アキラに向けないようにさっと逸らした。
こんな時にまで・・・と、その思いやりにアキラも打たれずにはおられない。
アキラは、近くにあったタオルでヒカルの首筋の汗を拭った。
するとヒカルはビクリ・・・と体を揺らしたものの、抵抗はしなかった。
「どんな棋譜だ?何が、君の中に残っている?」
「塔矢。」
「さっき言ったよね、君は。僕との棋譜を思い出してたって。僕もだよ。あれからここに来るまでの一時間足らずの間に、どれだけ思い出したか。君と喧嘩ごしで検討したことも。そうそう、白八十八手目で絶対に譲らなくって、僕らは一週間口をきかなかったこともあったな。」
「あ、あれ・・・お前と俺のおととしの名人戦予選のヤツだろう?」
「ははは・・・そうだ。すぐにわかった?」
「わかるよ。俺もそれ、思い出してたもん。白八十八手目。今でもあれは悪手だと思ってる。」
「そうか。僕はそうは思わないけどね。」
「だ〜から、俺らは平行線なんだって。いつまで経っても。いやっちゅーほど。はは、は・・・。」
アキラの手が、柔らかくヒカルの髪に触れた。
前髪をかき上げ、昨日もこんな風にしてあげたな、と過ぎる。
他の誰にもこんなことをしたいと思わない。ここまで自然に体が動いてしまうのを、誰あろう、自分自身が一番信じられない気持ちで見ている。
ヒカルは気持ち良さそうに息を吐いて、ゆっくりと目を閉じた。
穏やかな顔は、もうこれからアキラが言い出す言葉を予感していたのかもしれない。
そうでなければ、昨日あんなにも激しくぶつかり合い、百夜通いを断念しようとしたヒカルが、こんなにも安らかにいられる筈はなかった。
「進藤、今夜は特別だ。二十夜目は僕が通って来たけれど、それでもいいことにしようか。だってこれは君だけの道じゃない・・・僕も共に通う道なんだって、話した―――」
まるで、アキラの声が子守唄でもあるかのように、ヒカルは目を閉じたまま頷いてから、眠りへと落ちていった。
こういうのをほだされたっていうんだろうか・・・と、アキラは自嘲の笑みを浮かべ、そして込み上げるものが静かに自分の目尻を濡らすのを、満たされた想いで感じていた。
( 十一 )
ヒカルが風邪に倒れ、アキラが見舞った次の日は、それまで通りヒカルの方が塔矢家にやって来た。口には大きなマスク、手袋にマフラーといういでたちで。
「昨日は見舞い、ありがとな。」
「そう言われると面映いな。見舞い客としては、何にもしていない。」
アキラは正直に言う。
ひどい風邪で仕事も休まねばならなかったヒカルの元へ、その前日、大雨の中で反故にした筈の百夜通いの約束を復活させてまでやって来たのは、アキラだった。
「いいんだよ、それで。お前が通ったことにしようと言ってくれた時、夢かと思った・・・嬉しかった。」
マスクで覆われたヒカルの顔は少ししか表に出ていないが、その目が柔らかく細められたのは、アキラにもちゃんと見えた。
昨夜、寝入ったヒカルの横で胸に押し寄せた感情を、アキラは思い出す。
誰よりも大切な人だと、自覚はある。相手に、それを伝えてもいる。
それでも目を瞑る訳にはいかない数々の厳しい現実は、アキラが未知へと進む意志を固めることを、よしとしない。
だが、昨日は闇の中に一条の光を見出した。
決して自分の性格、自分の環境では有り得ないと幾度も否定したことが、進藤ヒカルの横にいることで変わっていくのかもしれないという、それは希望と呼んでもいい光だった。
目の前の男は、碁のことだけではない、何かとてつもない力を秘めて、自分の前に現われたのだろうか。
そしてそれが、運命というものなのだろうか。
思いも寄らぬ力が働いて、さっきまでは想像もしていなかったことが起きている。
今、ここに、病で床に臥せっている進藤ヒカルの傍に、今日はもう会うこともないと思っていた彼の傍に、自分は座っている。
そう思うと、自然に涙が滲んだ。成人してからの男子たるもの、親の死に目以外に泣いたりはしないだろうと思っていたのに。
その上、驚いたことにアキラはそんな自分がちっとも嫌ではなかった。誰かに変えられるかもしれないという予感が、嫌ではなかったのだ。
それまで経験したことのある、恥ずかしいとか、悔しいとか、こんな筈では・・・という苛立ちだとか、一切の負の感情は、そこにない。
それは、気持ちよく流れる涙だった。
アキラにとって初めて経験する、涙だった。
「さあ、上がったら。冷えたらぶり返すぞ。もう、すっかりいいのか?」
「いや、実はまだ微熱がある。だから、打ってる最中に咳でもしてお前にうつしたらヤだから。」
「ええっ、まだ熱があるのか?だったらどうして家で寝ていないんだっ!」
「や、だからもう大したことはねーんだって。お前が見舞ってくれたら、俄然元気になっちゃったし。大袈裟なリアクション、すんなって。」
「大袈裟も何も。体が大事じゃないか、こんなことよりも。」
「あーっ、だから寄るなって言ってるじゃんか!」
ヒカルが後ずさるのを見て、アキラはむっとした顔になる。
「じゃあどうやって打つんだ、さっさと帰って寝ろ!タクシー呼ぶから。」
「んー、だからさ、いつもと違って早く終わらせる為に、九路で早碁ってどう?」
「呆れた。そこまでして打ちたいか?」
「だって本音を言うとお前に会いたいし、会ったら石の音を聞きたい。」
「僕と石の音はセットか。」
「じゃあ、お前はどうなの?俺に会ったら顔見るだけでいいの?打ちたくねえのかよ。」
アキラは、ぐっと詰まる。
ここで顔を見ただけでも満足だと言うのは簡単だが、では、病をおしてまで通って来たヒカルはそれで納得するのか。
昨日、条件の一部を満たせなかった。通って碁を打つ。後の方が出来ていない。
例外とはしたものの、ヒカル自身が納得していないことは想像に難くない。
数時間前まで高熱でうなされ、真っ赤な顔をしていたのを間近で見ただけに、アキラには今のヒカルを追い返すことは出来なかった。
「わかった。すぐに終わらせよう。そして君を布団に突っ込む。」
白いマスクがはっきりとうごめいて、その向こうに笑顔が広がったのがわかった。
「え、ええっ・・・ホントに俺、布団に突っ込まれんの!」
「おうちには電話しておく。仕事も明日の朝、ここから行けばいい。準備しておくから。」
「ちょっと塔矢!そこまでしてくんなくても・・・。」
「えー?なーんだー?君、マスクしてるからー、モゴモゴしか聞こえなーい。」
「そっ、その棒読み喋りはナンだよっ!」
ははは・・・と、声をたてて笑うアキラは明るい。上機嫌にも見えた。
「ナンだよ〜、それならそうと心の準備が・・・。」
「そんなものいらないよ。君は黙って寝なさい。葛湯、飲んだな?汗をかいたらこれに着替えて。水も置いたから。」
「は?お前の下着なんて、どうやってはけるんだよ。」
アキラはヒカルの腕を引いて、めくった布団の奥に押し込むべく背中を叩いた。
「心配するな。うちにはお弟子さんも寝泊りするから、母が新品の下着だの歯ブラシだの、何でも揃えているんだ。君だって泊まったのは初めてじゃないだろう。」
「そうだった、残念。」
くだらないことを言うなと肩を軽く叩かれたヒカルは、そのままアキラの手を掴んだ。素早い動きだった。
「進藤?心細いのか?やっぱり自分のうちが・・・。」
「そうじゃねえよ、子ども扱いしやがって。」
「じゃあ、放せ。この手を。」
「ん、ちょっと・・・も、ちょっとだけ・・・。」
甘えるように腕に頬を寄せられた。春という季節柄、アキラは薄手のシャツ一枚だ。ヒカルの頬の熱が、すぐに伝わる。
あ・・・これはまだ、普段よりもかなり熱いんじゃないだろうか?
急に不安になったアキラは、努めて優しい声を出そうとした。
「碁盤を挟んだ距離以上に近付くなと言ったのは、君の方だぞ?」
「細かいこと言うなよ。風邪も治ったって。さっきの早碁で汗かいたら、スッキリしたもん。」
「ああ、確かに頭が朦朧としている人間に早碁はキツイな。君、冷汗をかいているみたいだったし。」
「でも、楽しかったろ。やっぱ打てて良かったろ?」
腕を掴んだまま、ヒカルが言う。しかし、その目は伏せられたままだ。アキラを見ていない。
アキラは何と返したらいいか戸惑い―――沈黙した。
そしてその沈黙が、それまでとは違う流れを作り出したのかもしれない。
「塔矢。」
「・・・。」
「お前、優しい。優し過ぎるよ。どうしたんだよ―――」
それを聞いたアキラの胸に、何か言いようのないものが満ち始める。
「困っているのか?君が本当に嫌だったら、引き止めない。」
満ちて来るものに押し流されまいと、アキラは声を振り絞った。
「そうじゃない。ただ、お前ってわかんないんだよ。難しいんだってば。だって俺、おとといはあの嵐の海辺で完全に拒絶されたと思った。でも、昨日は百夜通いの約束を、お前の方から繋いでくれた。」
何がどう転んだんだか、っははは・・・
アキラは矢張り、黙って聞いていた。
ヒカルの声は確かに鼻声だったが、それは風邪のせいなのか、泣きそうになっているせいなのか、わからない。
「おととい、俺がどんなに絶望したか。お前はわかってねえだろ?確かにお前にフラれたってさ、俺はお前を好きでい続ける。忘れようと思ったって、どうせ出来やしねえ。だから、結局お前に相手にされなくたって、傍にいるしかない。傍でお前の幸せを見守るしかない。そういう人生もありだろうって―――」
そこでヒカルは一息ついた。咳き込みそうになったのを、必死で堪えた気配がした。
その緊張感が伝わったのか、ヒカルには見えないところでアキラも思わず拳を握り締める。
「でも、嫌なんだ。理屈じゃねえ。そういう諦めとか妥協で得た安定じゃなくて、ちゃんと考えたい。本当の本当に俺が求めるものを、手にしたい。そのためにならどんなにみっともなくたって・・・俺は足掻きたい。納得いくまで足掻きたいんだ。足掻かせてくれ。」
だって。だって俺は生きている。
ただ、呼吸しているだけ。決まりきった毎日を、機械みたいにこなしているだけ。
そんな人生じゃない。俺はどこで何をしていても、やっぱり一秒一秒、命を燃やして生きている。
だから誤魔化せないんだ。生きている自分を、この世で体を持てる自分を、何が何でも大切にする―――
「その最後のチャンスがこの百夜通いだとしたら、お前が繋いでくれたこと、凄ーく意味がある。お前は意識していなかったんだろうし、ただの同情かもしれないけど・・・今は。」
言葉がうまくないなんて、嘘だ。進藤は、自分の内面を伝える術を持っているじゃないか。
年齢や経験に関わらず、真剣な生き様はどんなに単純な言葉に置き換えようとも、人の心を動かす。その力がある。
口を真一文字に引き結んだアキラは、ヒカルの一言一句を文字通り噛み締めながら聞いていた。
「きっと、スゲエ細い糸なんだな。繋がってはいても、今にも切れそうで危ない。だから今日は必死だった。数時間もあればさ、お前はまたコロッと考えを変えちゃうかもしれないじゃん?この前だってそうだったし、だから・・・っ!」
ゲホゲホと、ヒカルが咳き込む。
アキラは態勢を変え、その背中を擦った。これもまた、自然な行為だった。
「無理をするなと言ってるだろう。」
「だから、今夜は絶対に俺が・・・か、通いたかった・・・ケホッ・・・。」
「進藤!」
「ご免、もう行って!俺に構うな、うつ、る・・・。」
「だからそんなことどうでもいいって、昨日から言ってる。僕は滅多なことでは風邪なんかひかない。信じろ!」
「だけど・・・うっ・・・。」
焦れたアキラは今度こそ強引にヒカルを布団に入れ、掛け布団の上からぎゅうぎゅうと押さえ込むような仕草をした。このまま寝ろ、二度と起き上がるなという、アキラなりのパフォーマンスだったのだろう。
立ち上がって、電気を消す。枕元には電気スタンドと、水差し。
それを確認してから部屋を出ようとした時、こんもりとした布団の中から声がした。くぐもって更に聞き辛い、ヒカルの声が。
「俺、どうしてこんなにお前が好きなんだろ・・・メチャクチャ好きみたいだ。」
―――今!ここで!言うことか!
ずるい。こんな時に言うなんて、ずるいよ、君は・・・
弱っているのは、実はヒカルだけではなかったのかもしれない。
急に訪れた、人生の分岐点。永遠に見ないで済むことではないと予感はあったものの、いざ、百夜通いが始まって既に二十一日。アキラの中でも、ギリギリの精神状態が訪れつつあったのだ。
アキラは、その唇を一層強く噛み締めると、背を向けた。
ヒカルから、そしてヒカルの想いからも。取り合えず、今夜は。
アキラが去った後の部屋では、ヒカルがすぐに寝息を立て始めた。
二十一夜目の夜は更け、桜は既に散り去り、新緑の季節。すなわち二人には忘れ難い、北斗杯の時期が近付いていた。