−誰かの望みを−









 始まりは、俺が塔矢の喫煙を目撃したことだった。



 それは、碁会所で遅くまで打っていた時。
 なかなか決着が着かない白熱した碁になって、お客さんが帰っても、市河さんが帰っても、俺ら二人は残っていた。

 ようやく終局。
 いつにないくらい、興奮する対局だったと思った。俺が……というよりも、塔矢の方が気迫に溢れてて、静かな炎が燃えさかっているといった感じだった。

 興奮が冷めやらないまま、俺らは片付け始める。
 俺が自分の荷物をとって、さあ、後はここを出て戸締りだという段になって。



 振り返ると、塔矢が煙草を吸っていた。



 びっくりした。マジで驚いた。
 別に俺らが未成年だからとか、塔矢は品行方正だからとか、そういう戸惑いから驚いたんじゃなくって。
 そこで誰か客の残していった煙草を手馴れた様子でふかす塔矢には、いつもの塔矢とは全然違う奇妙な空気が張り付いていたから。

「塔矢っ!お前……。」

 俺の声に、ゆっくりと視線をこちらに向ける塔矢。
 でもその目は虚ろで、顔は真っ白だった。

 違う。これは、塔矢じゃない。
 誰か違う人が塔矢の姿を借りて、そこに立っているような。俺が幻を見ているような。

 ゾクリと。首の裏があわ立った。



「……この銘柄が、吸いたかったらしい……しばらく見逃してくれ。進藤…………。」



 塔矢が俺に向かって発した言葉は、ますます訳がわからなかった―――。









 その夜。
 俺は塔矢からとんでもない話を聞かされた。



 ……ここ半年くらいだろうか。
 僕の身に、不思議なことが起こるようになったんだ。

 ある朝目覚めたら、それまで食べたことのない料理が無性に食べたくなって、いてもたってもいられなくなって、名前しか知らなかったその料理を求めて東京中の知っているレストランに電話を掛けた。
 他のものは、一切口にしたくなかった。しようとしても吐き出しそうだった。
 やっとありついたその料理は、矢張り僕には馴染みがなさ過ぎて、ちっとも美味しいとは思えなかった。
 しかし。
 一度それを食べ終えたら、それまでの狂おしいまでの焦燥感、空腹感は満たされ、どこかに消えていったんだ。

 あれは何だったんだろうと、不思議に思いながらも調べる術もなくて。



 すると又、数週間後にその不思議は起こったんだよ……。



 今度は場所だった。
 僕はテレビに映ったある観光名所が頭から離れなくなって、どうしてもそこに行きたくてたまらない。
 すぐにでも行きたかったけれど手合いがあったので、それを済ませてから上野駅に直行して新幹線に飛び乗っていた。
 そこは東北のある湖で、僕はその場所に行ってしばらく過ごしてその夜は野宿してしまった。湖のほとりで知らないうちに寝ちゃったんだよ。……笑うだろう?

 でも朝起きてみると僕は妙に気持ちがすっきりして、さっさと東京に戻った。



 その次は、本だった。
 不意に頭にある本の題名が浮かんで、僕は図書館や本屋でそのタイトルの本を探し続けた。
 今度は、料理や場所のように簡単にはいかなくて、随分てこずったよ。
 最終的にはネットでその本を探し出し、それから手に入れるまで数日かかった。
 僕はその間、落ち着かなくて自分が自分でないような心許ない気持ちを抱えて過ごしたんだ。

 その時に、これは可笑しい。絶対に何かある。僕に、何か理屈を超えた不可解なことが起こっているんだと、自覚していた。
 それでいて、どうすることも出来ないんだ。
 僕自身のことなのに、その理由もわからない。真相もわからない。
 ただ、焦がれるようにその本が読みたい。もうそれだけしか考えられなかった。

 手に入れて読んでみたその本は確かに面白かったけれど。
 でも不気味なのは、僕がその本のタイトルも作者も、一切それまで聞いたことがなかったということだ。
 そんなものを求めるなんて絶対に可笑しい。
 これは、僕がしたいことではないんだ。
 僕以外の誰かがしたいことを、僕が代わりに遂行して、その人を満足させてるんだと。

 僕はそういう結論に達したんだ―――。



「……今日はね、君とここで打ち合う約束だったから頑張っていたけど、実は朝からずっと煙草が吸いたくて吸いたくて、苛立っていたんだ。それでいっそ吸おうかとお客さんの忘れ物の煙草が置いてあるところに行って、こっそり見たんだけど……吸いたいのに吸えそうにない……手が出ない……僕の体が煙草の味を知らないからではなくて、どうも吸いたい銘柄がなかったらしいんだ。」

 塔矢の、まるで公式戦もかくやという鬼気迫る様子は、必至で碁の方に意識を繋ぎ止めようとしていたせいだったのかと、俺は納得した。

「そういうのも関係あるんだ?」

「うん、望みはいつも具体的なんだよ。あの料理……その本……言葉が聞える訳でもないし、映像が浮かぶというのとも違って、ある瞬間に意識する、既に知ってる……って感覚かな?」

「……聞いていい?それって、幽霊ってこと?お前……誰かに憑依されてるの?」

 俺がまだ半信半疑のまま尋ねると、塔矢はいたって冷静に返す。

「そういうことになるんだろうか?でも見えたり聞えたりするんじゃないんだよ。気配すら感じない。そういうのでも……憑依されたというんだろうか?」

「見えないし、聞えない……そうなんだ、お前は……。」

「進藤?」

「ああ、いやそのぉ……じゃあ、その人がどんな人かわからないんだ?例えば……男なのか女なのか、若いのか歳とってんのか……。」

「うん、そうだ。……あ、でもこれだけは確かな気がするんだけど。多分、誰か一人じゃないんだよ。誰かの望みが叶えたら、今度は違う人の望みを叶えているような気がする。だってソレが起こるのは定期的ではないし、願望のパターンも色々だし、一人の人間の統一されたパーソナリティは感じられないから。」

「うへ〜、お前淡々と言うけどな、それってもっと怖くねえ?一人ならまだしも……とっかえひっかえ大勢に、なんてっ!!」

「別にこういうことに特定の人も、大勢の人もどっちだって一緒じゃないか?元々が怪奇的な現象なんだから。」

「んー、まあ……。」

 こういう話題になると、どうしたって佐為と結び付けるクセが抜けない。塔矢に怪しまれないようにと、俺は用心深く気のない返事をする。

「んで、どうよ?その銘柄の煙草を吸ってみて……お前初めてだろ?普通はむせるよなぁ。大丈夫だった?」

「そうだね、吸い方は大体知っていたけど……ほら、この世界は喫煙とは切っても切れないからね。最初からちゃんと肺に上手く入って、それから吐き出してたな。でも、決してうまいと思った訳ではないなぁ……一本吸ったら気が済んだ、って感じだ。」

「割とお手軽みたいだな?そのくらいでバイバイしてくれるなら……。」

「うん、でもちょっと困ってるのはソレが僕の身に起っている時は、どうも僕は僕らしくないみたいで……当然だと思うけど、母にも何度か不審に思われたりして困ってるんだ。……さっき、君は何か感じなかった?」

「う〜ん、実を言うと……ちょっと、いや、かなりお前の雰囲気変だった。やばかった……別人、入っていたよ、やっぱ。」

 俺は正直に告げた。その方がいいような気がしたら。

「そうか……そんなに頻繁でもないんだが、でも人格まで変わったように見られるのは困るな。自分ではフォロー出来る時と出来ない時があって……。」

 塔矢の、まだ血の気の戻り切っていない青白い顔が、かすかに歪む。
 それを見たら、俺は黙ってなんかいられなかった。

「あのさ……俺で良かったら、お前からSOSのサインもらったら何か手伝うよ。だって野宿しちゃったりとか、よく考えたら危ないこともしてんじゃん?今までは大丈夫でも、これから先、もっと危険なこととか無茶なこととかさせられそうになったら……。」

 心配だよとまでは言わなくても、塔矢にはちゃんと伝わったらしい。

「ありがとう……まさか君にそんな風に言ってもらえるとは思ってなかった。気味が悪いとか言われるんじゃないかって、ちょっと心配だった……。」

 弱々しく微笑んだ塔矢が急にいじらしく思えて、俺は胸が苦しくなる。

「だってお前が大変なの、俺も何となくだけどわかる気がするから……。それに、普段の塔矢まで変わっちゃう訳じゃないしなっ!碁だって打てるんだし、今だって俺に勝っちまうしさ〜。」

 俺は目イッパイ明るく言うと、これまた目イッパイ笑った。

 塔矢は本当に安心したように、もう一度俺に笑い返して来た。今度はさっきよりももっとはっきりとした笑顔を作っていたけれど、でもどこか淋しそうな目の色だった…………。









 塔矢と俺の、秘密を共有する日々が始まった。

 考えてみると、どうして俺らがそんなに不思議な状況をスンナリと受け入れられたのか、第三者が知ったら奇妙に思うかもしれない。
 確かに、可笑しいよなぁ……。
 まずどうしてそんなことが起こるのか。しかも、塔矢の身に起るのか。
 どうしたらソレから逃れられるのか。

 普通だったら、そういう方向に考えが向くかもしれない。いや、それが当然だろう。

 でも、俺らはそういうこともありだろうといった感じで、自然に受け入れていた。

 俺は知っている。
 不思議なことが起こった時に、理由を求めたりそれから逃げる方法を求めたりしてパニックになるよりも、まずはその状況を素直に受け入れてみることが、前へ進む為の、そして結果的にはその因果を知る為の、一番の道だって。

 だから俺は、塔矢の特殊なソレを騒ぎ立てるでもなく、でも全くからかわない訳でもなく、ごく自然な感じで接していたんだ。



 塔矢の身にソレが起きると、アイツは俺に電話をしてくるようになった。
 あるいは、俺が目の前にいる場合は目でサインを送ってくる。

 塔矢の言うように、そんなにしょっ中起る訳でもなくて、数週間に一度の割合だったろうか。
 その度に俺らは―――コンサートに行ってみたり、ダンスを踊ってみたり(社交ダンスだった!)、浴びるように酒を飲んでみたり、知らない町に出掛けてみたり、時には全然知らない実在の誰かに手紙を書いてみたり。

 色んな人の―――生きている人かどうかはわからない、多分そうじゃないから塔矢に頼みに来るんだろう、身代わりになってやってもらうんだろう―――望みを叶える為に、塔矢と俺は二人きりでたくさんの時間を過ごした。
 それは、碁と全然関係のない時間だった―――。

 塔矢のものではない、他人の望みを二人で遂行しているだけなのに、俺らは本当にそれを楽しんでいた。
 俺らだったら思い付きもしないような世界に飛び込んでみる……一人だったら心細くても、二人一緒だから安心出来た。
 不思議な現象が与えてくれる、不思議な想い出が、塔矢と俺の間に降り積もっていった―――。



 ある時、塔矢がふと語り出した。

 ねえ、進藤……今はまだ、僕らの力で叶えられる範囲のことしか起こらないけれど、もし先々、僕らではどうしようもないことが望まれたら……例えばもっと遠い外国へ行くとか、怪我をしそうな危険なこととか、誰かを傷付けるようなひどいこととか……

 そしたら、僕はどうしようか?……君、僕を止めてくれるか?僕が絶対に自分では望んでないことを無理強いされそうになったら、止めてくれるか?進藤……

 俺は、頷いた。

 わかったって……大丈夫!……お前はいつだって意識はあるし、ちょっと変な感じにはなるけどさ、俺のことはわかってるみたいだし、お前が厭なことをしそうになったら、表情や仕草できっと俺にもわかるって!

 うん、そしたら止めてくれるんだな?力づくでも何でも……

 オッケーオッケー、安心してナ、俺はいつだってお前の傍にいてやるから……守ってやるから……塔矢アキラの意思ってもんをさ……

 頼んだぞ、進藤。君だけが頼りだ。
 僕は、自分は決してしてはいけないと思っていることを強要されたら、いくらソノ人たちの望みでもきく訳にはいかない。

 ……僕は、僕には、自分に禁じていることがあるから…………

 うん……



 塔矢の目は真剣だった。怖いくらいに真剣だった。
 それまで、こんなにも不可解でへんてこりんな出来事に遭ってもネガティブな感覚は湧いたことなかったのに、塔矢の決意の方が俺の心をびびらせる妙な圧力があった。



 塔矢には予感があったのかもしれない。

 ヤツが怯えていたその日は、間もなくやって来た―――。









 9月20日は、俺の18歳の誕生日だった。

 塔矢と秘密を共有するようになって、やっぱり半年くらいが経とうとしていた。
 これまでのお礼にお祝いするよと申し出てくれた塔矢の気持ちが嬉しくて、俺ってば何日も前からウキウキしていた。
 碁に関係のない二人の時間はどんどん増えたけれど、それは塔矢と俺の意思に基づいたもんじゃなかったから、こんな風に俺の誕生日をお祝いするなんて自分らで決めたことを実行するのは、本当に嬉しかったんだと思う。

 観たかった映画を観て、最近出来た最新のゲーセンで遊んで、俺の好きなものを食べて、それから俺の家で好きなだけ打とう、夜通し打とうという約束だった。
 家では俺の両親がケーキを用意して、塔矢と俺の帰りを待っていてくれる。



 待ち合わせは、渋谷だった。でも、塔矢はいつまで経っても来ない。俺が心配になって携帯を取り出した時、着信した。

「塔矢?お前、どした……。」
「進藤、ご免……今日は行けなくなった……お家の人にも、申し訳ないけどよろしくと伝えて……。」
 暗い声が、携帯を通して俺の耳に流れ込んで来た。
「塔矢っ!?おい、待てっ!!どういうことだよ?行けなくなったって……今日が何の日かわかってるんだろ?俺、楽しみにしてたのに……。」
「本当に、ご免……でも、今日は駄目、だ……っ……しんど……ごめ……。」

 俺は閃いた。ソレが塔矢に起きたんだと―――塔矢に、誰かが何かを望んでいるのだと。

「お前、誰か……来たんだな?今、来てるんだ……お前に望んでいるんだ……そうだろっ!?」

「進藤……。」

 それは縋るような声で、ひどく苦しそうに掠れていた。いつもの強気で凛々しい塔矢の声とは、とても思えなかった。

「待ってろっ!!今すぐ行くからっ!!お前、家にいるのか?」
「駄目だっ!来ちゃ……駄目だ、しん……絶対に来るな……。」
「厭だっ!!今日は誕生日なんだ、お前と一緒にお祝いするって、ずっといるって決めてたのに……俺、スゲー楽しみにしてたのに……指折り数えてたんだぞぉ……それを今になってさ…………それに、お前をほっとけないよ……。」



 ―――沈黙があった。
 それは短かったけど、無言の叫びを、助けを求める叫びを、耳にではなく頭に直接聞いたような気がして。

 俺が言葉を発しようと口を開けたのと同時に、塔矢が言った。

「進藤……誕生日、おめでとう……。」

 そこで。

 電話は切れた―――。









 もう何度コールしても、塔矢は出なかった。家にも、携帯にもかけたけど駄目だった。徹底的に、無視するつもりなのか。もしかしたら、ソノ人の望みを叶える為に既に出かけちゃったのかもしれない。

 俺は焦った。焦って焦って、電車の中でも走り出したいくらいだった。
 走れるところは、どこでも全速力で走った。少しでも一秒でも塔矢に近付きたくて。

 塔矢の最後の声は、ちゃんと塔矢アキラ自身の声だった。
 小さくて、切ないくらい震えていた声が、俺の耳から離れない。

 ……進藤……誕生日、おめでとう……と。

 その声が、俺を激しく前へと前へと駆り立てた―――。



 塔矢の家に着くと、予想通り玄関は閉まっていた。
 でも俺は構わず呼び鈴を押し、戸をガンガン叩いて塔矢の名前を呼ぶ。

「塔矢っ!!いるんだろっ!?出て来いよ、ここを開けてくれっ!そうでなかったら大声出すぞっ!!警察呼ぶぞっ!!」

 しばらくそうしていたら、とうとう玄関に人影が映った。間違いなく、塔矢だ。

「塔矢ぁ……頼むよ……ここを開けてくれ……顔、見せて……。」

 鍵を開ける音がして、それからゆっくりと玄関の戸が開いた。

 塔矢の顔はやっぱりソレが起っている時の、漂白したみたいに白いものだった。
 目も虚ろで、それは俺を映しているようで、映していない。黒々と塗り潰された瞳は、空洞を思わせた。

「来るなと言った筈だ、帰れ……進藤。」

 声は平坦だったけれど、断固とした力があった。
 でも、俺だって帰る気なんか勿論なかった。

「帰らない、お前といる。約束したじゃんか?俺の誕生日は一日中ずーっと一緒だって。お前、俺の言うこと何でもきくって。―――ソイツの望みは叶えて、俺の望みは叶えてくんないのかよぉっ!!」


 情けない声を出してるなーと思ったけど、もうどうだって良かった。馬鹿にされたって拒絶されたって、どうしたって塔矢から離れる気はなかった。
 大体、こんな不安定そうな塔矢を一人にして、俺がここを離れられる訳ないだろうが。

「進藤……言ったことがあったよね?僕は、自分が絶対にやらないと決めていることをさせられそうになったら、止めて欲しいって。覚えてるか?」

 俺はコクコクと頷いた。

「今がその時だ……君こそ僕との約束を守る気があるなら、今すぐ帰れ……そうでないと……。」
「そうでない、と……どうなるんだよ?塔矢、俺が帰ることが、お前を止めることになるのか?どういうことなんだよぉ……塔矢、俺、ぜーっんぜんわかんねーっ!!」

 俯いて、俺と目を合わせるのを拒んでいた塔矢が、まるで誰かの手に顔を掴まれて無理矢理上を向かされたみたいに、ゆるゆると顔を上げた。同時に、伏せがちだった目もカッと見開かれる。

 綺麗だな、と思った。
 綺麗な顔だった。
 
 白い顔の表面はツルツルと滑らかそうで、17歳だってのにニキビの一つもない。陶磁器とかの人形みたいだ。

 虚ろなのには変わりないけど、でも切れ長の目の真ん中に嵌め込まれている黒い瞳は、潤んでいた。塔矢が人形じゃなくて、生きていることの証みたいに潤んで、揺れていた。

 唇は、いつもよりも赤いと俺でもわかった。
 化粧している訳でもないのに、どうしてこんなに赤いのかわからない。薄くて両端が少し窪んだ唇が、血の色そのまんまに赤かった。

 俺はその色に心を奪われて、もっと近くで見たいと思った。
 一歩前に出て、玄関の中に完全に入り込んでしまうと、そっと戸を閉める。

「進藤……もう、遅いみたいだ……我慢出来そうにも、止められそうにも……ない。」

 整った顔とは裏腹に、体のどこかが痛んでいるみたいな呻くような声だった。

「塔矢?」





「……僕を、抱いてくれ……進藤…………。」





 その言葉を聞いて。

 俺の中のどこかが、ブツッと断ち切られた。何かが、途端に溢れ出す。

 塔矢の右手首を俺の左手で、塔矢の左手首を俺の右手で。

 両腕を掴んでずるずると玄関脇の壁に引き摺って行く。一メートルだってない距離だけど、乱暴にすることで一気に煽られた。

「…ったっ!!……っー……。」

 塔矢の短い悲鳴が上がる。おかっぱ髪の裾が、勢いよく跳ねた。

 頭上に掲げたヤツの腕を左右に広げて、俺は標本を作るみたいに両手で壁に押し付ける。
 初めて握った塔矢の手首は見た目よりも細くて、凄く簡単に壁に縫いとめられた。
 うわ……もっと力を込めたら、グシャッ……と握りつぶして粉々にしてしまえそうなくらい、男にしては華奢な手首だ。

 下半身も、強引に俺の膝を割り込ませる形で、壁にはりつけにした。
 このところ背丈ばかり伸びやがって、腰も太腿も密着すると頼りない。服よりもひと回り細い体が、その中に隠されているのを感じて興奮する。

 僅かに隙間のある上半身は、顔が離れている分だけどうしても距離が出来る。
 それを埋める為に、俺は塔矢の唇を、自分のそれで乱暴に塞いだ。
 優しくなんか出来なかった。だってキスするのすら、生まれて初めてだ。
 どうやったら優しく上手に出来るかなんて、誰にもおそわったことねーもん……。

 でもこれですっかり全身が重なり合って、塔矢は壁と俺の間に捕えられて逃げられなくなった。
 逃がすつもりもなかった。

 お仕置きするみたいに乱暴な、それでいてガキ丸出しの未熟なキス。
 ただ舌を突っ込んで、塔矢の初めて触れる粘膜を嘗め回すだけの、キス。

 塔矢がそれをおとなしく受けて、苦しげにしていたのは少しの間だけ。

 アイツの舌がやがて、俺の舌をなだめるように優しく絡めて吸い上げて。

 官能とは何かを、18歳になりたての俺に教え始めた…………。









 口付ける直前に覗き込んだ塔矢の瞳を思い出す。

 ブラックホールってこんな感じだろうかと思うくらい、何もかも飲み込んでしまいそうに、深く暗く、口を開けて―――



 ―――『何か』を、『何か』が落ちてくるのを、待っていた。






















 玄関でのキスは、そのまま深くなっていく。

 生き物が口の中を探っているかのように、じっとりとくねくねと動く塔矢の舌が、俺の内部を刺激する。
 う、ぁ……こんなに生々しいなんて。
 こんなに本物のキスがスゲーなんて……想像していたのと全然違う。

 しかも。
 塔矢アキラの。
 今迄、一緒にモノ食ってる時だって全然見たことないような、舌が。その全部が。
 はっきりと俺を感じさせようとしている。その為だけに動いてる。

 塔矢を逃がしまいと思って始めた行為なのに、俺の方が捕まえられちまったみたいに。
 何が何だか訳わかんない興奮が体のあっちこっちで膨らむ。
 全身の毛が逆立っていく。

 ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ……これ以上膨張しちまったら、この快感は抑えられないまんまどこに走っていくのか、俺にもわかんない。

 俺は焦るあまりに、塔矢を壁にぐいぐいと押し付けた。

 俺の両手も塔矢の手首を掴んだまま、少しづつ上へ上へとずり上がっていく。
 塔矢の腕もどんどん頭よりも高い位置に縫い止められる格好になって、とうとうアイツが抗議した。

「くる、し……。」
「ああぁ、ごめ……でも、お前押さえとかないと、逃げ出しそうで怖くて……。」

 違う。そうじゃない。逃げ出しそうになるのを押しとどめたかったのは、俺の方だ。俺自身だ。
 そうしたら、塔矢が息を切らせながら囁いた。

「……もう、遅いって言ったよ……逃げたかったのに、君から……でも、駄目だ……こんな風にキスしてしまったら、最後までしなきゃおさまらない……。」

 最後まで―――という言葉が俺の体をもっと熱くした。
 塔矢と最後までするって、それって、男同士でするって…………。

 考えただけで刺激が強過ぎて、ジーパンの中で俺自身にずうん……と血が集まるのを感じた。
 わあわあわあ〜、俺の馬鹿馬鹿っ!!塔矢相手にこれ以上興奮してどうするんだっ!?
 お、お、落ち付け―――落ち着くんだ、俺!!

 ―――とか思っていると、塔矢が見透かしたみたいに笑った。

 艶っぽい笑いって、きっとこういう感じを言うんだろう……。
 ちょっとお芝居の役者さんを見ているような不思議さで、塔矢の細い首が少しだけ伸びた気がした。
 それは、塔矢がすっと背筋を伸ばし、顎を俺の方に突き出したからだった。同時に肩から力が抜けて、落ちた感じになる。
 ますます、首がすんなりと伸びて見えて。

 その仕草が流れるように優雅で、俺は息を飲んだ。

 塔矢って。
 塔矢ってこんなに綺麗だったっけ?
 男……には違いなかったよな?……いやいや、髪型以外はおそろしく男だ、男らしい男だ。
 うん、それは間違いねえ……誰よりも、俺が知っている。

 今の塔矢は他の誰かの望みを叶える為に、そこにいるんだ。だから、塔矢の体であって、塔矢の仕草じゃない。こんな動きや表情、塔矢だったら絶対にしない。

 それを絶対に忘れちゃ駄目だ―――駄目だ、駄目だ―――。

 俺が必至で自分に言いきかせていたら。

「行こう?……僕の部屋へ……。」

 声も、塔矢の声なのに、塔矢の声じゃなかった―――初めて聞くような、甘く切ない響きに掠れていた。










 俺は、歩くのも前かがみでないと辛いほどの状態だった。
 塔矢はまるでそんな俺の気持ちと体の変化をわかっているみたいに、そろそろと手を引いてゆっくりと部屋へ入る。

 そして俺の手を解くと、スラリと押入れの襖を開けた。布団が収められてる押入れだ。

 中からまるで何でもないことのように淡々と布団を敷き始めた塔矢に、俺は声も出せずにしばらく見入っていた。

「ん?……手伝ってくれないのか?……それとも畳の上の方が、荒々しくて好みだった?」
「塔矢っ!!お、お前っ!!そんな、恥ずかしいこと……。」
「抱いてくれるんだろう?だから、君は今、ここにいるんだろう……。」

 ―――僕にキスしてくれたんだろう…………

 そう言って微笑んだ塔矢の顔には、最初に話を聞いた衝撃の夜にコイツが見せたあの哀しそうな色が浮かんでいた。

 俺も、急に、凄く、切なくなって。

 ―――無我夢中で塔矢を押し倒した。



 着地点はちゃんと布団の上だったけど、まだ完全には敷かれてなくてごつごつしている。多分俺よりも下になっている塔矢の方が痛いだろう。
 でも相手を思いやる余裕なんか、その時の俺にある訳ないじゃん?

「とーや、とーやぁ……お前、塔矢だよな?塔矢、アキラなんだよな?」

 馬鹿なことを言ってると思った。
 さっきも自分に言いきかせていたのに……これは塔矢であって、塔矢じゃないって。

 それなのに。
 それなのにどうしても止められなくて。
 塔矢の名前を呼びながら、アイツの服を脱がせにかかった。

 残暑の9月。
 塔矢は半袖の白いポロシャツを着ていたから、ズボンから引っ張り出した裾をめくり上げて、右手を侵入させた。
 スベスベの肌が俺の手を迎えてくれた。

「ああぁっ!……しんど……っ……しんどーっ……。」

 甘い悲鳴が上がる。我慢が出来ない。
 塔矢がちゃんと俺の名前を呼んでくれたことに、とても安心した―――。



 俺は膝立ちになって、塔矢のシャツの裾を両手で一気に首近くまでめくった。
 顕わになる白い胸。僅かな赤味は、小さくて控え目な二つの突起だけ。
 そこに吸い寄せられて、俺はキスを落とす。舌を使って乳首を刺激すると、細い声が尾を引いた。
 ああ……どうして俺の口は一つしかないんだろう?もう片方も、舌で攻めたいのに。塔矢にもっともっと声をあげさせたいのに!
 代わりに指先で摘んだり、こねたり、舌とは違う種類の刺激をあげる。

 女の子みたいな胸の膨らみはないけど、ここは男だって敏感なんだなって刺激を与えてみて初めてわかった。
 やったことなくても、目の前の塔矢の反応を見れば、ああ、ここがいいのか、こんな風なんが感じるのかって。
 色々なことを教えてくれる。塔矢の体が教えてくれる。

 でも。
 これも塔矢の本来の反応じゃないんだろうか……。

 頭の片隅ではそのことを気にしながらも、俺は塔矢の上半身のあちこちを手と唇で愛撫するのに夢中だった。
 だから。
 気が付くのがすっかり遅れちまって。

「……いつまでそうしてるの?これじゃあ、君も僕も達けないよ?」

 声が、静かに聞こえてきた。
 俺はのろのろと顔を上げて声のした方を見る。

 塔矢のツヤツヤした黒髪が、シーツも敷かれてないぐちゃぐちゃな布団の上に散らばっていた。
 これも俺が殆ど見たことのない塔矢のおでこが、前髪の隙間からのぞいていたけれど。
 汗なんか、これっぽっちもかいてないみたいだ。あんなに感じて喘いでいたのに……。
 まだ全然足りないんだろうかと、その乾いたおでこに不安が募る。

「塔矢……。」

 隙をついた形で、下になったままの塔矢が俺のジーパンのベルトをはずし、ジッパーを下ろしていく。
 その音が、凄くいやらしくて。言葉や息よりも、もっといやらしくて。
 息を詰めてされるがままになっていたら、塔矢は俺の下着の上から張り詰めたそこを撫で上げた。

 その動きが!……まるで電流が流れたみたいで!
 爪先からゾクゾクと、全身を伝って這い上がってくる快感……。それが指先まで達した時に、俺は震えを止めたくて目の前の塔矢の首筋に顔を埋めて、細い肩にしがみ付いた。

 途端に、塔矢が俺をぐいと押して。
 一瞬何が起こったんだろうと思っていたら、反転させられる。
 あっ……と声を上げた時には、もう体勢は変わっていた。

 下になった俺を、塔矢がうっすらと微笑みながら、君もよく頑張ってるけど、初めてだったら上手くいかないのは仕方ないから、ね……と、言う。
 塔矢アキラの声で、でも内容は絶対にアイツが俺に言いそうなことじゃない。

 俺の前の前で。
 塔矢はゆっくりと服を脱ぎ始めた。
 俺の太腿辺りに乗り上げている塔矢は、シャツを引き抜いた後に、ぶるり……と頭を左右に振る。
 おかっぱの髪が回転するように揺れて、そして、元の位置におさまる。一本たりとも乱れのない、正しい位置に。

「綺麗だ……お前って、マジ、綺麗……。」

 恥ずかしいとか思う前に、口を突いて出た言葉。
 そんなこと、聞かなくてもわかってるとでも言いたげに。
 塔矢は口の端を歪めて、笑いに近い表情を作った。
 
 それから、やっぱり俺の上に乗ったまま思いっきり俯いた。つむじが見えるほど。
 髪をリズミカルに揺らしながら、下半身の衣服を脱いでいく様子も、俺は何も出来ないまま呆然と見ていた。

 俺に見せる為に、脱いだんだ。
 その脱ぐ仕草の一つ一つですら、俺に見せる為にそうしている。

 そして塔矢の思惑通り、俺はアイツの動きの全てにめちゃくちゃ感じていた。
 
 やがて晒された全身は、レースのカーテンしか引かれていない明るめの部屋の中で、白く輝いて見えた。

「今度は君の番……腰上げて?」

 呪文をかけられたみたいに、俺は塔矢の言葉に従った―――。









 ―――初めて見る塔矢の裸の体に、どこまでものぼせ上がっていた俺。

 でも、塔矢の方は俺とこんなことしてどうなんだろう?
 ただその人の望みを叶える為だけに、こうしてるんだろうか?

 散々溺れておきながら、どうしたって拭えない違和感がひたひたと忍び寄ってくる。

 そんな俺の迷いが、きっとわかっちまったんだ。
 塔矢が抱き締めてくる。唇を重ねてくる。……さっきと同じ生々しい舌が、入り込んでくる。

 ああ、だからっ!!
 そんなことされると、駄目なんだって!理性が吹き飛んじゃうんだってばっ!!



 ―――そうか。
 だから、体を絡めてくるのか。
 俺の理性を吹き飛ばしたくて、何も考えられなくする為に。
 そして。
 その間に俺と最後までしてしまおうと、企んで……。

 そこまで考えて、俺は名残惜しかったけれど塔矢の唇から逃れて、その頬を両手でそっと包み込んだ。
 二人の混じり合った唾液がちょっとだけ、半開きになった口の端から垂れている。
 息もあがっている。甘い匂いのする息だ。
 全てが、壮絶に色っぽい。

 それでも相変わらず、塔矢の顔には色がなかった。



 俺は、塔矢をじっと見詰めた。こんなに近くでコイツの目を見たことなんて、なかった……。

「……ねえ、お願いだ……塔矢アキラに聞きたい……その人って……女の人?だから男の俺と……なの?それとも……。」

 俺は思い切って訊ねてみた。
 ちゃんと答えてくれるだろうか、自信はなかったけど、今迄だって塔矢の意思はあったし、完全に意識が乗っ取られてしまったことはない。
 それにさっき感じた時には、俺の名前を呼んでくれたから……何度もしんどーって……呼んでくれたから……。

 目を逸らさないで、塔矢の答えを待つ。
 やがて、変わらぬ塔矢の低い、落ち着いた声が聞えた。

「わからない……いつも言ってるだろう?希望は具体的だけど、その人の声が聞えるのでも、姿が見えるのでもないって……ただ、感じる……流れ込んでくる……その人の希望が……意思が……。」
「じゃあ、今はどういうことなの?俺で……いいのか?その人は男とエッチしたいって?……その人が本当に好きな人と……こういうことしねーと駄目なんじゃねーの?」

 俺の質問に、塔矢の目が見開かれて。
 その大きな黒々とした瞳は、さっきのブラックホールを思い出させた。
 吸い込まれる。飲み込まれる。
 何も考えさせてもらえない世界へ、引きずり込まれそうになる…………。

 俺は必死でその場に留まろうと、塔矢の頬を包んでいた両手を滑らせて、首筋に、肩に、鎖骨にと、触っていった。
 塔矢アキラの体を、自分の手で、感覚で、確かめたかった。
 手の平に、俺の気持ちをありったけ込めて、優しく丁寧に触っていった……。



 されるがままだった塔矢が、その内反応を見せた。

 塔矢の瞳に、水分が溢れて零れそうになっている。
 もう、今にも、泣き出しそう……ただ、顔の表情を変えないから、筋肉の一つも動かさないから、目元から押し出されて来ないだけで。

 ―――塔矢は既に泣いていたのかもしれない。



 俺はそっと人差し指を伸ばして。
 塔矢の目の下、涙袋って言うんだっけ?……その辺りをくくっと押してやる。
 塔矢の左目から、ポロリと跳ねるようにして零れたそれは、俺の指先を濡らした。



 塔矢の唇が、音を消して、形だけで、俺に伝えてくる。





         く      る      し      い    





 ―――それだけで。
 俺の方も、まるで首でも絞められたかのように息が上手く出来なくなった。

 塔矢を解放してあげるには、理屈はわかんねーけどどうしても今、俺が、ここで、コイツを抱かなくちゃいけないらしい。
 言葉では冷静に言えたけど、でももし塔矢が他の誰かに抱かれるなんてことをチラとでも想像したら、絶対にそれだけイヤだった。
 こんなに綺麗で切羽詰った塔矢アキラを、他の誰にも触らせたくなかった―――。



 諦めにも似た気持ちで、どうせ苦しいならお互いもっと苦しくなろう、いっそ息が止まってしまうくらい激しくしようと。

 俺はもう一度塔矢を引き寄せて、乱暴に唇を奪った。

 後は縺れ合うように上になったり下になったりして、部屋中を転がって。
 動物になっちゃったみたいに腰の間の堅くなったものを、ひたすら押し付け合っていた。

 塔矢がさり気なく絶頂を迎える直前に、二つの熱の塊を手の中に重ねた。
 最後の一押しは、塔矢の手。慣れた様子の、手付き。
 はっきりと意図を持った動きは、塔矢と俺の欲望を同時に放つ手助けをしてくれた。

 我慢に我慢を重ねた後の解放は、それまで俺がしてきた自慰とは比べ物にならないくらいの快感だった。
 全身が痙攣して、またしても俺は無我夢中で縋りつく―――俺よりも華奢な塔矢の体に。

「とーやっ!!……っ、っ、っ……。」

 俺はどうにか名前を叫んだけれど。
 相手は俺の名前を呼んではくれなかった…………。



 お互いのものも、腹も、足の間も、汚した白い粘液。それを、息を整えた塔矢が拭いてくれる。

 無言だ。アイツも俺も。

 俺は、ちゃんとこの状況に付いて行ってるつもりだった。
 半年の間に塔矢の身に起る不思議な現象のことも、理解しているつもりだった。

 だけど、俺がここまで直接的に関わったことは、さすがに一度もなかった。
 人に渡したくないから、俺がしていいことなんだろうかと思う。

 だって、それじゃあ塔矢の意思は?
 これって塔矢が以前に俺に話してくれた、これだけはどんな人の望みでも叶えてあげられないと言っていた種類のことじゃねーの?



 一度射精して段々クリアになって来た頭で思い巡らしていると、塔矢がもう一度俺の上に乗ってきた。
 手には何かの瓶を持っていて、そこから垂らした液体を手の平でまず受けて、それをさらに瓶を置いた方の手ですくう。
 そういう知識の薄い俺は、何事かとポカンとしてたら。

 塔矢が、手を後に廻して胸を反り返らせた。腕は、はっきりとある場所へと伸ばされていた。

「塔矢っ!お、お前……何してんの……まさ、か……。」

 もう塔矢は、俺のことを見ていない。さっきまでは独り言のように呟いていたのに、言葉も発さなくなった。
 ただ、細い腰をくねらせるようにして、片手は自分の後に、片手は俺の太腿を撫ぜてからしなだれていた俺自身を掴んでいた。
 手に落とした液体は、塔矢のその部分と、俺のものの両方をヌルヌルにして行く。
 多分、受け入れる部分と、突き入れるそのものと―――両方を。

 小刻みに揺れる塔矢の体は、自分で自分の体を開かせようとしている苦しみと戸惑いを感じさせた。
 いくら誰か他の人の望みでも、塔矢の体は初めて男を受け入れるんだ。

 そうか。
 やっぱり俺が男でも、最後までする気なんだ。
 それが、今塔矢に憑依している人の望みでもあるんだ……。



 下から見上げる塔矢。
 腕が後と前とに伸ばされて、捩れた腰と胸が、しっとりと汗で光っていた。
 突き出される格好になる胸元の赤い部分が、プクンと立っている。
 鎖骨が、深い窪みを作っていた。

 塔矢の意思でなくても、俺は今からコイツを抱けるんだと思うと……男同士とか友達同士とかそんなことはどうだって良くなってしまいそうだ。

 あっという間に再び上向いた俺自身に、塔矢がいよいよ腰を沈めようと、少しだけ前のめりになった時。
 サラリと髪が揺れて、俺の上に何かが降ってきた。

 ……ポタリ。

 それは、塔矢の目から零れた涙。さっき俺が押し出してやった時に、一度だけ零れて、それから乾いた筈の涙が、また目にたくさん溜まっていたんだ。



 それが。
 俺の理性を。
 風が吹き付けるような勢いで。
 俺に、俺の胸に運んでくれた―――。



「待ってっ!塔矢、お願いだ、ちょっと待てっ!……聞いてくれ……俺、塔矢が好きだ。塔矢アキラが好きだから、お前本人の意思じゃなきゃ、抱けない。……こんなこと……誰かの望みを叶えてあげる為になんか、したくねえっ!!」

 必至で叫んだ。
 自分をしっかりさせたくて、頭を狂ったようにぶんぶん振りながら。

 でも、まだ塔矢は声を出さない。黙ったままで、ただ俺を見下ろしている。
 その間にも。
 俺を励ますように、ポタポタと塔矢の涙の雫が降ってきた。

 ふうーっと息を長く吐き出して、俺はもう一度叫んだ。

「お願いだっ!今、塔矢に憑りついてる人っ!アンタッ!……塔矢から離れて……俺は、コイツ本人を抱きたいんだっ!だからっ……お願い……塔矢から出て行って……。」

 今度は、塔矢の両腕を掴んで揺さぶった。

 その力の強さに、塔矢が小さくうっ……と眉をしかめた。
 俺は、自分の頬も熱い何かに濡れていることを感じながら、言った。





「……お願い……塔矢から離れて……。」





「塔矢を、塔矢の本当の気持ちを、コイツに返して……。」





「―――お願いです……。」




















「お願いです……塔矢を……返して、俺に……。」

 俺ってば、何を言ってるんだろう。
 俺は塔矢がこんなに好きだったんだ―――知らなかった。知ろうとしてなかった。
 段々力が抜けてきて、頭が発熱したみたいにぼんやりしてくる……。

 夢中で掴んだ腕を揺さぶると、俺に馬乗りになったまんまの塔矢の髪が揺れた。
 その目から、とめどなく溢れてくる涙がどんどん俺の腹や胸を濡らしていく。ヒンヤリとした液体が、俺の体の熱を奪っていくようだ。

 そして俺自身も、みっともないくらいに泣いていた。

「塔矢、塔矢、とうやぁ……俺、誰か知らない人の為にいる塔矢アキラじゃ、いやだっ!お願いだから、本当の塔矢アキラに戻って……こ、こんなことすんの……塔矢じゃねえだろ?……塔矢は、俺にこんなやらしいことして、体を投げ出したりなんか―――絶対に、しねえよぉ……。」

 必至だった。必至で、訴えていた。
 塔矢に憑りついているらしい誰かに。塔矢アキラ本人に。
 俺の、正直な混じりけのない気持ちをわかって欲しくて、必至になって言葉を探した。塔矢みたいに上手く喋るなんて出来ないだろうけど、それでも何とかしたかった。

 ―――だって、本当に厭なんだっ!!
 こんな風に体を差し出されたって、そこに塔矢アキラ本人の心が入っていなかったら絶対に厭だって。
 もうそれは理屈なんかじゃなくて、本能だったし、俺の真実だった―――。



 ふと、それまで言葉を失っていた塔矢が、口を開こうとしたのが見えた。
 赤い唇が、震えながら動いて、何かを俺に告げようとしている。

「塔矢?」
「……っ……――……。」

 でもそれは、意味のある言葉を生み出すことのない虚しい作業で終わって。
 苦しそうに喘いだ後、ガクリと操り人形の糸が切れたみたいに、アイツは前のめりに倒れ込んでしまった……。



 塔矢の体を下で受け止めた俺は、その重みを感じてかえって安心した。
 これは、本当に塔矢アキラの体。今その胸に、どんな人の望みが潜んでいるのかわからないけど、この肉体は絶対的に塔矢アキラ本人のものだと実感出来た。
 俺は最初はそっと……それから次第に力をこめて、廻した腕を塔矢に絡み付かせた。

 まだ固くなった下腹のものが痛くて、圧し掛かった塔矢の腹に刺激されてちょっと辛いけど。
 俺は頑張って。
 凄い頑張って、塔矢の体を抱き締めた。
 出来るだけ優しく。目いっぱい気持ちを込めて。

 いつもと違う塔矢に煽られたんじゃなくて、俺が心からそうしたかったから―――。



「塔矢……。」

 俺の胸元に頭を乗っけてる塔矢の髪が、裸の肌に散らばっている。俺の方からは塔矢の顔が見えないから、髪の毛をそっと指先で掻き分けて、覗いた。

 ―――塔矢は目を閉じていた。そしてピクリとも動かない。

 合わさった裸の胸が上下しているから息をしていることはわかったけど、どうやら意識は完全になくなっているみたいだった…………。












 塔矢を布団の上に下ろして仰向けに寝かせた後、俺はその体に薄手の綿毛布を掛けてやる。体が汚れたままだから毛布も汚しちまうな〜と思ったけど、まあ、仕方ない。
 あ、でも俺も気持ち悪いからシャワーを借りようか。

 塔矢に完全な眠りが訪れてくれて、本当にほっとした。気が抜けた……。

 それまでの緊張感ビンビンの部屋の空気がガラリと入れ替わっちゃったみたいに、ここはいつもの塔矢アキラの部屋になった。
 畳の匂い。整った本棚には、棋譜や碁関係の本。机の上にはパソコンがある。
 殺風景なくらいの部屋は、とても俺と同じ若いヤツのものとは思えねえ。



 そんな風に辺りを見回して、ほっと息を付いてから塔矢をもう一度見る。

 ……コイツ、大丈夫かな?目が醒めた時には、もうソノ人は塔矢から去っているんだろうか?
 まさか。
 まだ納得出来なくて、もう一度、今度は俺以外のヤツで試そうとしたりして。

 そう思うと、また息が苦しくなった。眉根が自然と寄る。
 その胸の痛みが、俺にはっきりと自覚させた―――俺は、塔矢アキラを好きなんだと。

 友達としてじゃない。初めてキスして、一緒にイったからじゃない。
 もっと、その前だ。
 体の接触の、もっと前。

 塔矢が俺の誕生日に逢えないって約束を断わってきた時の焦り、寂しさ、悔しさ、縋るような気持ち。
 その混乱した想いの全部が、俺がどんだけ塔矢アキラを求めていたか、好きでたまらないかを教えてくれたんだ―――。



 一体いつからだったんだろうと考え出すと、答えは簡単にみつかった。
 最初からだ。
 多分、出逢った最初の瞬間から、俺の心の中の大事な場所は塔矢アキラ専用になった。
 コイツはずっとそこに住んでいた。俺がどんどん碁の世界にのめり込んでいった間も、佐為が消えた絶望の時も、それを越えた後も。
 俺の中に住む塔矢は、他のヤツらとは比べられない。
 他の誰も塔矢よりも高い位置、大きなスペースを俺の中に占めることは今までもなかったし、そしてこれからもないだろうと確信出来た。

 ただ、塔矢が同じ男だというだけで、まさかそっち方面でもお互いの一番になれるとは全く思い付きもしなかった。
 ……ホント、全然考えられなかったんだってっ!

 普通に女の子の裸やエロ話に反応するし、そういう年齢になってからは一人エッチだってしてきたし。思春期になってからは碁一筋で、好きになった女の子がいなくてもそれは環境のせいで、自分が異常だとは思わなかった。
 何よりも、俺だけでなく塔矢の方がそんな気になる筈ないし。
 誰の目から見たって塔矢はめちゃくちゃ男っぽい性格だろうし、外見だってなよなよしたところは一つもない。
 よく見れば、確かに男にしてはその辺の厚化粧だったり不潔そうだったりする女の子よりはうんと綺麗な顔をしているけどさ。

 ……でも、だからといって即、塔矢を好きだ、付き合いたい、抱きたいとは結び付かなかったんだ。



 塔矢の寝顔を見下ろしながら、つらつらとそんなことを考えていると、さっきまでの別人塔矢が思い出された。

 マジで別人だった……スゲー色っぽくて、仕草、表情、動き全部がしっとりと濡れた感じだった。
 俺を誘っていた。俺を興奮させて、男同志でもしたいと思わせたがっていた……。



 塔矢に自分の望みを叶えて欲しいと思ってやって来たソノ人は、一体どういう人なんだろう?
 男の人で、もしかしたら同性が好きだったけど、相手にその気がなかったから我慢していたのかな?それが辛くて、悔いが残って、こうして望みを叶えてもらって、つまりは成仏したいんだろうか……。

 今までは呑気に構えていた。いや、むしろ塔矢と秘密を共有して楽しんですらいた。
 でもこんなことが起こるなんて。もっとちゃんと考えよう。コイツが起きたら、二人で一緒に考えようと思った。

 塔矢を誰にも渡したくない。塔矢を傷付けたくない。

 ……塔矢を、失いたくない。



 コイツが俺を好きだとは思えないから、最後までしなくて本当に良かった―――。

 コイツ、やたらとプライド高いからな〜、いくら心を乗っ取られていたとはいえ、ライバルで親友の俺にヤラれちゃったなんてことになったら……うわうわ〜、絶対にもう仲良くなんて出来ないっ!……してもらえないよっ!!

 きっと避けられて、俺から離れて行っちゃう…………。

 さっきのまでだったら、キスしてお互い触りっこしてそれでお仕舞い、このくらいのおフザケは酔っ払った上での事故……なんかでもありそうだ。

 仕方ねえ……一度あんな塔矢を知っちゃったから、もう二度とない、それ以上ないと覚悟を決めることは死ぬほど痛いけど。
 でも、友達でライバルの塔矢すらも完全に失ったら、俺、もうどうしていいかわからない。頭がおかしくなる。佐為の時みたいにちゃんと越えられるか、自信ねえよ…………。



 あ。
 そんなこと考えてたら。

 止んでいた俺の目から、またポツリ、ポツリと。
 溢れた心が雨の雫みたいに、落ちてきた。

 落ちてきて。
 それは、不思議な感覚へと俺を誘った。



 ――― 好き  塔矢が好き  凄く  好き ―――



 もう二度と、こんなにも好きな塔矢の体に触ったり、キスしたり、感じている姿を見ることはないんだと思うと。
 切なさが込み上げてきて、嗚咽になって、全身が震え出す。
 やがて気持ちの昂ぶりが体にまで作用してしまって、俺は興奮してしまった。下半身が充血して、後戻り出来ないところまで一気に昇ってしまいそうだ。

 目の前に無防備に横たわる塔矢には、決して触れちゃいけない。
 でも、興奮してしまった体の方だって、どうにかしなくちゃマズイ……。

 俺は眠る塔矢に背中を向けて、傍にあったティッシュの箱を引き寄せてから、そっと自分のものに手を這わせた。
 ……反射的に目を閉じる。背を丸める。
 頭ん中には、思ってはいけない塔矢が浮かんできた……。

 でもそれはさっきまでの、やらしさ満点の塔矢じゃなかったんだよ?……本当だよ。
 言い訳してんじゃねーよ……本当に、俺の頭に浮かんで俺を悦ばせる塔矢アキラは、いつものアイツ。
 碁を打つ時の真剣な眼差し。俺をたしなめる時の厳しい口調。時々だけど見せてくれる、柔らかい笑顔。大人びた言動の影に見え隠れする、不思議な子供っぽさ。

 そんな普段の塔矢アキラを描くだけで、俺は馬鹿みたいに泣きながら手を腰を揺らしていた―――。



 不意に、背中に熱を感じた。
 背後に、誰かの気配を感じる。
 誰かって……誰かって……塔矢しか、いないじゃん―――有り得ないじゃん!?

 俺は手を止めて、背中に神経を集中させる。

「……こら……勝手に何してる……僕をほっといて……。」
「と、や?」

 今度は背中から、はっきりと抱き付かれた。
 俺の肩に塔矢のおでこが乗って、背中全部を塔矢の素肌が覆っている―――らしい。

 まだ降り向く勇気はなくて、感覚だけで想像している俺を、もっとしっかりとした力で塔矢が抱き締めてくれた。
 何が起こったんだ?どうしちゃったんだ―――塔矢?
 
 混乱のあまり固まっていると、やがて溜息みたいな声で囁かれた。

「ありがと……進藤……。」
「あ、ありがとって……お前、さっきまで俺達が何をしていたのか、覚えてるの?全部?」
「だからっ!……だから、こっちを向くなっ!僕を見るな。……恥ずかしいじゃないか……。」
「……もう、ソノ人はいねーの?お前から出て行っちゃった……の?」

 おずおずと訊ねると、塔矢は俺に廻した腕を擦るように上下させた。その動きはとっても優しくて気持ちがこもっていて、素直に嬉しい。

「うん、今は―――感じない。もう、苦しくはないみたいだ。僕も狂おしい感じはないよ。きっと……君の言葉のお陰なんだ。」
「俺の?どして、俺のなの?」
「だって、さっき言ったろう?君……そのぉ……僕から出て行ってくれって……本当の僕と、そういうことを……えっと……したいからって。」
「ああ、そっかぁ……じゃあ自分の願いよりもさ、俺の気持ちをわかって優先させてくれたんかな?もしかして実はソノ人、スッゲーいい人だった……のかなぁ?」
「そうでもあるけど……それだけじゃないよ。」
「……塔矢?」
「ソノ人は多分男の人だけど、本当に自分の好きな人とは結ばれなかったんだろうな。きっと……相手の人はストレートで男同士は……可能性がなかったんだろう。それで想いを残したまま亡くなったソノ人は、自分の求めてる人と結ばれる幸せとか充足感とか……そういうものを味わいたかった……んじゃないかって、思う……。」
「だったら……ソノ人が好きで告れなかった相手とそうして欲しいって……塔矢にお願いしたかったんじゃないの?」
「それは―――不可能だったみたいだ。気の毒だけど。」
「え?」

 俺達は背中越しに会話していたから、お互いの目を見ることは出来ない。
 塔矢の頭が、俺の頭を押さえつけて振り向けないようにしているし、俺も振り解くほどの気力もなくて、そのまま塔矢の次の言葉を待った。

「多分……相手の人も、もうこの世にはいないんだよ……最初から、相手を探して欲しいという欲求はなかったみたいだ……ただ、満たされたかった……誰かと深く愛し合った記憶を持ちたかった……そういう種類の未練だった……。」

 ―――僕自身もソノ人の気持ちにシンクロしてしまって。
 とても哀しくて、切なくて……体がじっとしていられないようなどうしようもなさに飲まれてしまった。……ソノ人の気持ちを、何とか癒してあげられたらと、思った。
 だって。
 僕と一緒だから。叶わない気持ちを抱えては、それに心を切り刻まれるような毎日を送ったんだろうなって……。



 塔矢の声は段々掠れていき、最後は消えてしまいそうに小さな呟きだった。



「……もう、本当に大丈夫そう?だって、最後までしてないし、俺はお前のこと好きだって喚いたけど、それだけでソノ人は十分、だったの?」
「うん……いいんだ、それで……多分……最後まで抱き合いたかったという願いもあったんだろうけど、心が通じ合った幸せだけで結局は満たされちゃったみたいだ。」
「通じ合ったって……あのさ、俺が一方的にお前のこと好きだから抱けないなんて、変な我儘言っただけだろ?」
「一方的にって……進藤、ここまで話してまだわからないのか?」

 塔矢が俺から身を離した。
 背中が一気に冷えて、思わず肩をすくめてしまう。

「僕が君とだけはこういうことをしたくなかったのは、何でだ?いや、勿論こんな明らさまな性的な接触なんて、気持ちのない相手誰ともしたくないけど、特に君だけとはしたくなかった。」
「え……それって、俺が友達で後から気まずくなりたくないから、だろ?」

 それ以外の、もっと秘めた複雑な想いでもあるんだろうかと、探るような問いかけをしてみた。

「さっき……君と抱き合いながら、僕は最高に気持ちが良かった……肉体的な快感は勿論だけど、相手が君だからだよ?―――でも同時に、辛くもあった。君が僕を抱こうとしているのは、僕が好きなんじゃなくて、僕を救いたいから、ただそれだけの理由で友達思いの君は男である僕とそうなろうとしてくれてるんだって―――そう思っていたから。」
「ま、待って……俺、途中で止めたのは、お前こそ俺のこと、好きじゃないのに、こんなに無理して慣れないことして、同性の俺に体まで……開こうとしてるのが―――駄目だったんだ。―――好きだから、絶対に身代わりの塔矢を……なんて出来ねえって!」



 そんなことしたら、もう一生苦しむ。

 お前をなくして、それでも俺はお前を諦められなくて、お前のことだけを思って生きて、でも二度とお前と一緒にいられなくなって、そう想像したら……ああぁっ!

 俺、一体何が言いたいんだろ?訳わかんねえ……こんなんじゃ、お前だってわかんねーよなあ…………



 そうだね、僕は思ったよりも上手く気持ちを隠し過ぎていたんだなって。



 塔矢の言葉には少し笑いも滲んでいたみたいだ。
 言うと同時に、俺を抱き締めていた腕が解けて、すっかり萎えていた俺の中心を掴んだ。思わず小さく呻く。腰も引ける。
 それには構わず、背中に再び塔矢が貼りついて、それからふーっと深い溜息を俺の首筋に吹きかけてきた。
 脇腹から回り込んできた塔矢の腕が俺の腰を抱え込むようにして、その手の先はさっきヌルヌルにしてくれてまだ乾き切っていない先端をいじる。
 さっきの手馴れた様子とは違って、ぎこちなく震える手がそうしてくれるのを目の当たりにして……ああぁっ……一気にスパークしそうだっ!!

「はぁ……っ……塔矢!駄目だっ!それ以上したら、出るよっ!!」
「いいよ、出して……自分でこっそりしようとしてたくせに……どうして?僕に感じてくれたんじゃないのか?僕を―――真面目に好きなんだろう?」
「好きだよっ!お、俺、何度も言ったじゃん?好きだって自覚したから、だから、抱くの我慢したんだって……んんー……こんなことして、お前本当に塔矢アキラに戻ったの?」
「まだわからないのか?進藤……。僕も全く同じ気持ちだって、たった今告白したばかりじゃないか?君の本心が愛情じゃなければ厭だったって―――それはこういうことだろう?」

 首の下辺りを、きゅうと吸われた。声が出て体が跳ねる。
 続けざまに俺の背骨のラインに沿って舌を這わせる塔矢。手は休みなく俺自身をすき始めた。

 後から、される。後から、愛撫される。
 塔矢アキラが―――誰の望みでもなく、本人の意思で―――俺を愛してくれる。
 そう体に訴えかけられたことで、頭が真っ白になる。悲鳴を上げて達してしまいそうになる!

「待てってばっ!塔矢!お願いだから、勝手にしないでっ!わかった、わかったって……お前も、俺のこと、真面目、なんだな?俺らどっちも男だよ、友達だよ……、こ、これからも、相手を憎いくらいに思って、闘っていくんだぞ?」

 それでも、いいんだな?……と。
 途切れ途切れに必至の思いで搾り出すと、塔矢が背中に歯を立てて吸い付いたのがわかった。力加減なんか出来ないんだろう、さっきまでのこなれた塔矢じゃないんだから。
 マジに痛かった。ジンジンした。
 でもその痛みは、塔矢が俺を欲しいと思っている証でもあるから―――。

 俺自身を慰めていた塔矢の手を乱暴にはぐと、勢いをつけて振り向く。
 驚いて目を見張る塔矢を押し倒して、上になった。

 ―――ああっ!塔矢だ。塔矢アキラだっ!!
 俺の愛する、普段見慣れている塔矢の顔が、そこにあった。 
 さっきまでとは全然違うよ。どこがどうと聞かれても、はっきりと言えるのは顔がほんのりと上気していることくらいだ。
 でも、わかる。
 これは、いつもの塔矢アキラだ。

 もう、ソノ人はいない。きっと、戻っても来ないだろう―――。



 俺は何の疑いもなく、心置きなく塔矢の唇を貪る。
 応えて俺の舌をぎこちなく吸い返してくる塔矢の下半身も、小刻みに跳ねていた。
 溢れた唾液が端から零れて伝うのにも、いやらしい音が響くのにも、激しく感じていた。
 乱暴で性急な口付けがお互いに苦しくなって、やっと離れる……。

「塔矢……一緒がいい。俺だけ先には、厭。上手く出来ないかもしれない。いや、多分へたくそだよ、初めてだし……どうするのか、ほとんどわかってない、手探りだ……お前も、今は初めてだろ?」

 頷く塔矢の赤らんだ顔を見ていたら、また泣き出したいような感情の波が襲ってきたけど、俺は唇を噛んで乗り越えて、それから言った。

「でも、しよう?初めてでへたっぴぃで、痛いかもしんないけど、でも、やっぱり最後までしてこそ……だと思う。それで失敗して嫌気がさして……しばらくこんなこと厭んなってしたくなくなっても、それでもいい……今、お前と、気持ちを見せ合えたこの幸せいっぱいな気持ちのまんまで、抱き合いたい―――。」

 言葉の上手くない俺にしては、なかなか上出来だったかもしれないと満足して溜息をついたら、下の塔矢が薄く笑った。

「それで、君的には僕が下だって決まっているのか?」
「ああ〜?あっと……そっか……ええ、お前、俺に―――したいの?」

 うん、したいと返されたらどうしようと内心ビクつきながら、それでもこれはルールみたいな礼儀みたいなもんだろうと、一応訊いてみる。
 塔矢は少しだけ間をおいてから、俺を引き寄せて口付けると、足を開いてもっと深く俺を間に入れてくれた。

「下手とか痛いとか……そういうのはどうでもいい。ただ、君が僕を好きな気持ちが伝わればいいよ。それだけをちゃんと感じさせてくれ。……僕も、君を長いこと諦めて、こうすることを我慢してきた気持ちの全部を……今から、残さず見せるから…………。」

 言葉の最後は、初めて聞く甘さに満ちていて。
 後は本当に予想通りというか、当たり前というか、がむしゃらに塔矢のからだに向かっていくしか俺には出来なかった。



 ただ―――
 抱き合っている間中、俺達は確かめるかのように何度も何度も、互いの名前を呼んだ。
 そこにいるのが決して、誰かの望みを叶えようとしている別人ではないと、確かめるように、だ。

 二人とも、繰り返し泣いてしまって髪の毛の貼り付いたベタベタの頬や、汗とローションで気持ちの悪い肌を重ねながら、それでも絶対にどちらも止めようとは言い出さなかった。
 絡み合う荒い息と、もどかしい手と、引き伸ばされた快感にぐちゃぐちゃになりながらも、試行錯誤の末に何とか最後まで到達した時には、すっかり日も暮れようとしていた……。



 誕生日ケーキもプレゼントもパーティも、何にもない誕生日になっちゃったけど。



 好きな人と一緒にいることが出来た―――格好悪いところも、情けないところも、全部を曝け出して見せ合えて、それすらも愛しいと感じられて―――それまでで一番の誕生日になったことだけは、間違いなかった。












 ―――不思議な18歳の誕生日だったなあと、今でも思う。

 あの後、ポツポツと話してくれた塔矢によると、俺のことを好きだと自覚した途端に例の怪奇が始まったらしい。時期的にはピタリと合うという。
 どんなに俺のことを愛しても、決して返ってこないのだと思うと、いっそ離れようかと何度か決意しかけたそうだ。その頃の俺は、まだなーんもわかってなかった。
 でも、決まってそういう不安定さに陥ると、ソノ人たちからの望みが降りてきて、塔矢は俺に助けを求めることになったのだと。

 僕の弱さがソノ人たちを呼んだのかもしれないなと、自嘲気味に微笑む塔矢は、一段と綺麗になった。
 俺が目を背けていただけなのか、俺との関係に悩んでいる年月がそうしたのか、塔矢は綺麗な人になっていた。



 俺が幽霊だったら、やっぱお前みたいに綺麗で、純粋で、強い人間に助けを求めたいって思うよ、きっと。
 そう言うと塔矢は、男に向かって綺麗なんて言うな、なんて照れて拗ねた。



 僕こそ、もし僕が幽霊だったら、君のようにしなやかでタフで、それでいて意外と繊細で深くて、何よりも無限の可能性を感じさせる君に大事なことを託すかもしれないと言われた時には、慌てるというよりも、胸が熱く熱くなって言葉を失った―――。

 勿論、塔矢本人には何の計算も、探りもないのはよくわかったけど。

 塔矢を好きになって良かったと、いや、好きになるのは当然の運命だったなぁ……と―――自然と佐為に、胸のうちで話し掛けていた…………。



 そして言うまでもないだろうけど、俺の18歳の誕生日の夜から、塔矢にはもう誰も、望みを叶えて欲しいとやって来ることはなかった。



 ほっとした?それとも……少しは淋しい?

 俺の問いに、腕の中の塔矢は静かに微笑んでこう言った。

 今は知らない誰かの望みを叶えるよりも、君の希望をきくだけで僕は手一杯だよ……。

 それはやっぱり綺麗でどことなく淋しげな微笑だったから、俺は塔矢をずっと離さないで、その夜も甘く激しく、抱いて抱かれた―――












NOVEL