― BEFORE DAWN ―
( 7 )







 その日は、気持ちのいい秋晴れだった。
 イワシ雲が空の半分くらいを覆っている。でも青い部分はどこまでも青く、そしてどこまでも遠い。
秋の空を語る時に「空が高い」という表現は、マジでぴったりだよなぁ・・・。
 冷たくも暑くもなくサラッ・・・としていて、つい体を動かしたくなる軽やかな空気感。
 こんな日はバイク日和だけれど、残念ながら今日は電車でお出掛け―――それも、塔矢アキラと一緒に。
 午前中、棋院に用事があるという塔矢と市ヶ谷駅で待ち合わせ、JRを乗り継ぎ私鉄に乗り換えた。
 これは俺の好きな路線。車両は五両くらい。電車自体も殆ど道路と同じ高さを走るので、JRに比べると如何にも町の中を走っているという感覚が楽しいんだ。

「いい天気になったな!俺って晴れ男かな〜?お前と出掛ける時って、大抵晴れてない?」
「そう言えば・・・そうかもしれないな。図書館で会う時も傘を持っていた覚えがないし。でも、それを言うなら僕の方が晴れ男かもしれないじゃないか?」
「あのね〜、俺は今振り返ってみても・・・遠足とか運動会とか雨で中止になったことないぜー!」
「はいはい・・・そういうことにしておいてあげるよ。大体晴れ男なんて非科学的じゃないのか?君は案外迷信とか信じるだろう。遠足の前の晩、テルテル坊主を下げていたクチじゃないのか?ふふ・・・。」

 電車の中だから、忍び笑いみたいにして塔矢が囁く。
 お前・・・どうして俺が昨日の晩本当にテルテル坊主作ろうかと悩んだこと・・・知ってるんだよ?
 へへへ・・・だって俺の誕生日以来、初めて二人で出掛ける約束を取り付けたんだぜ?二人で出掛けるにはさ、爽やかな天気の方が絶対にいいに決ってるから・・・。
 俺は窓の外を見る振りをして、そっと塔矢を盗み見る。
 黒髪が電車の揺れと一拍遅れで動くのを見ていると、催眠術にかけられたみたいにだんだん朦朧としてくるから・・・んー、危ない危ない。
 コイツの髪は、本当に侮れないアイテムなんだ。
 最初に会った時から何つー変な頭してんだろう?・・・って思ってはいたさ。それなのに。一度コイツを好きになってしまうと、こんなにも俺の心をくすぐるものはない。
 悔しいけど、いつかコイツの髪に触ってみたいというのは、俺の心の中の「塔矢にしてみたいこと」リスト―――勿論、叶う筈のないことも含めて―――にしっかりと載っている。
 盗み見るとしても長い時間はマズイということを、俺は学習していた。下手に見詰め続けているとさ、その気配に気付いた塔矢に振り返られちゃって・・・目が合ってドギマギしたことが、何度もあるからさ。
 それで俺は、時々視線を外しておくことを忘れないようになった。
 ―――気付かれちゃいけない。気付かれたら・・・多分、終わりだ。
 気味悪がられたり、避けられたりしそうで・・・それが恐い。
 佐為を失った時の俺とは違う。失うことの信じ難い程の絶望を、俺は嫌というほど知ってる。
 塔矢に対してはどこまでも慎重に、臆病になってしまう自分を、歯痒いながらもどうしようも出来ない。
 そろそろ視線を外すタイミングだろうと、俺は窓の外を見る。
 つり革を握った左腕を通して、十センチ分の距離越し。アイツの体温を感じようとすることまでは、俺には止められない―――
 その時、電車が或る駅に停まった。
 ふと見ると、ホームのベンチには、お祖父さんと孫娘といった雰囲気の二人連れが座っている。手を繋いだまま、仲良さそうに喋っていた。
 お祖父さんはチェックのシャツにループタイ。ぱりっとした感じだ。五歳くらいの女の子も、可愛いピンクのワンピースにポシェットを下げてる。
 二人でどこかに出掛けるところなんだろう・・・目一杯おしゃれして、祖父ちゃんと孫のデート・・・って感じかな?
 女の子の方が一生懸命口を開けて喋るのを、お祖父さんは大きく頷きながら聞いている。二人とも幸せそうで、見ているこっちまでほのぼのとしてくるなあと思っていたら・・・。
 微かな息が吐き出される気配を、すぐ横で感じた。
 ―――塔矢が窓の外の二人連れを見ながら微笑んで、その瞬間鼻から息が抜けるような音を立てたのだ。
 塔矢が、笑ってる・・・。
 窓の外に広がる光景は、どこか懐かしさのする一枚の絵の様だった。確かに俺も微笑ましいなとは思ったけど、塔矢も同じこと思ってるなんて・・・んー、ちょっと嬉しい・・・。
 それに俺はこの頃、あることに気付いていた。
 塔矢アキラは実は結構子供が嫌いじゃない。いやむしろ、割と好きかも知れない・・・ということに。
 イベントでも、子供相手の指導碁だからと手を抜かずに向き合っている姿を何度も見たし、碁を打っていない時でも、話し掛けて来る子供達にニコニコと応えているところを目撃したことがある。
 碁石の持ち方とか、挨拶が大事だとか、そういうことも丁寧に判り易く教えている。
 お前、意外と子供の扱いが上手いじゃん?・・・と一度言ったらフンッ・・・と無視された。ああ、これは照れ臭いのか、触れちゃいけないんだなとそれ以来自粛している訳だけど、今日は思わず言いたくなっちまった。

「・・・かわいいな。アレ・・・。」
「え?」
「お前、今、窓の外の祖父ちゃんと女の子見て・・・笑ったろ?」
「・・・あ・・・そうだっけ?そんな人たち、いたかな?」

 途端に顔が強張って、口ごもる。・・・全くコイツときたら・・・。

「すぐ誤魔化す・・・まあ、そんならそれでもいいけどさ・・・。」
「別に・・・確かにそういう二人連れがホームにいたな・・・でも、笑ってないよ。」
「ふーん、じゃあさっきのは顔の筋肉が勝手に体操でもしたんかな?」
「・・・・・。」

 黙った塔矢の横顔に、ほんのりと赤味が差した気がした。俺はしてやったりと嬉しくなる。
 俺としては塔矢が子供嫌いじゃないという確信があるので、今日も楽しめるだろうと思って誘ってみた。
 「塔矢と一緒にしてみたいこと」リスト―――というのも俺の中にはあって、その一つである「塔矢とスポーツをする」―――に、今日は挑戦するのだ。
 ・・・つーか、正確には塔矢と二人で何かをするんじゃないんだけど。

「あ、着いた。行くぜ!」
「ああ・・・。」

 電車を降りて五分くらい歩くと、緑に囲まれた大きな運動公園に着く。ここの体育館で、今日は小学生のドッチボール大会があるんだ。

「体育館の前で練習してる時間だけどなぁ・・・えっと、どこにいるかな〜?」

 塔矢は俺の後について、きょろきょろしている。公園の中は、親子連れや、今日の大会に出るお揃いのユニフォーム姿の小学生達で溢れていた。

「ああ!いたいた!悠輔!おお〜い!」
「わあっ!ヒカルだ!本当に来たんだ?」
「おう!約束したじゃん?ほら、塔矢アキラも一緒だぜ。」

 俺は、去年の冬に亡くなった棋士の鈴木先生の一人息子、悠輔と先生が闘病中から仲良くなり、今でもたまにだけど碁を教えたり遊んだりしていた。
 その話は塔矢にもよくしていたし、悠輔もプロ棋士を目指しているからには当然塔矢に興味がある。いつか二人を会わせてみたいと思っていた。
 悠輔から、今日この大会に出るので応援に来て欲しいと言われた時、塔矢を連れていこうと思いついた。
 嬉しいことに、スケジュールまでが俺に味方をしてくれて―――二人とも、今日は午後から一日中オフだった。

「こんにちは、悠輔君。塔矢です。今日は大会、頑張ってください。」
「・・・・・。」

 悠輔は塔矢に丁寧に挨拶されて、どうしていいかわからないんだろう。
 塔矢のヤツも全く・・・。子供相手なんだからさ〜、もっと砕けた感じで言えばいいのに!
 まあ、そこが塔矢らしいと言えばらしいんだけど・・・。

「ほら!悠輔、お前もちゃんと挨拶しろよ。憧れの塔矢プロだぜ?」
「・・・あ、こんにちは。どうも・・。」

 照れ臭そうにボソボソ呟く悠輔を、塔矢は静かに見ていた。そして俺は、そんな塔矢を見ていた・・・。

「よし!今日は即席コーチだ。お前らのチームの練習見てやる!仲間はこいつらか?」

 いつの間にか、悠輔のチームメイトらしき同じユニフォームの子供達が周りに集まっていた。コーチは父兄の誰かがやっているらしいが、練習相手には俺らみたいな若いヤツがいてもいい筈だよな。

「いいの?ヒカル、ドッチボール上手いの?」
「病院の中庭でキャッチボールとかしたろ?俺は小学生の時はドッチボールキングと呼ばれてたんだぜ!おい、塔矢、お前も一緒にやろうぜ。」
「ちょ、ちょっと、進藤・・・君、応援だけって言ってなかった?」

 ふふふ・・・慌ててるぜ、塔矢のヤツ・・・でも、これは最初から俺の作戦の内だ。
 面食らっている塔矢の腕を引いて、ガキんちょ共と一緒に練習用のグランドへと向かった。ちょっと強引ではあるけど、こうでもしないとまさか―――塔矢アキラとドッチボールは出来ないだろう?

「いくぜっ!塔矢!」
「進藤!僕に投げてどうするんだ?」

 悠輔の学校からは二組が参加しているらしく、その二組で練習の為に模擬試合をすることになった。お前はA組ね、俺はB組だから容赦しねーぜと言うと、アイツを内野にドスンと突き飛ばすように押し込んだ。さ〜て、試合開始だ。
 俺の投げたボールに塔矢はちゃんと反応して、体の正面で受け止めた。
 ・・・おおぉ・・・コイツ、やるじゃん!塔矢って運動オンチじゃないかと踏んでいた俺は、意外な反応の良さに驚いた。

「ほらほら!折角取ったんだから、外野の味方にさっさと回せ!」
「ん、ああ・・・そうか。」

 塔矢が自分のチームの外野にボールを投げる。その感じもなかなか悪くない。決して運動が苦手というわけじゃないんだ。
 新しい塔矢・・・俺が今まで知らなかった塔矢・・・それを一つ一つ集めて胸の大事な場所に仕舞い込んでいくのが、何よりも楽しい。

「おらおらっ!お前ら外野はボールをどんどん回して、相手を混乱させるんだよ!もっと素早くやれっ!」

 俺は、指導しながらボールもどんどん取っては味方に回してやる。塔矢の方も負けじとボールをとっては味方に渡す。お互いに意地になって、どんどんエキサイトしていった。
 子供らも、俺たちに煽られたせいか動きが良くなって来た。それこそ跳ねるようにボールから逃げたり、ボールに食らい付いたり。
 俺もエンジン全開だっ!

「これでトドメだーっ!塔矢!」
「うわ・・・あっ・・・!」

 塔矢がちょっと態勢を崩した隙を狙って、俺はアイツの足元(ここが一番逃げにくくて、取りにくい)を目掛けてマジボールを投げた。見事命中!やった!塔矢はズルッ・・・と滑って倒れ込んだ。
 あ、大丈夫かな?・・・と思って塔矢を見ると、立ち上がりながら俺の方を睨み付けて来る。
 うへぇ・・・こんな恐ろしい形相、久しぶりに見た気がする。コイツを本気にさせちまったかな?
 ゲームはまだ続いている。塔矢は外野に出て、俺は内野に移動する。
 どんどん俺のチームの内野が減って、いよいよ俺一人になった。
その途端、子供らにボールを渡して自分は投げなかった塔矢が、いきなり俺を目掛けて剛速球を投げた。
 矢の様に、真っ直ぐに飛んでくるボール。それを体を少し引いて、しっかりと腹と両腕で受け止めた。ズシリ・・・と、その質量以上の重さを乗せた丸いものは、俺のみぞおちに痛みと共におさまった。
 体だけでなく、心にも響く痛みだった―――
 塔矢が、くそ、とられたか・・・と胸の内で悪態をついているのがわかる。そんな表情で俺を見ていた。
 勝負事になると、本当にお前って容赦がないよなあ・・・。
 俺も絶対に塔矢のボールに当たるもんか!いや、アイツが投げたボールからは決して逃げない、一つ残らず受け止めてやる!
 そう心に決めて、塔矢を強く見返した。
 俺と塔矢の息詰まる攻防に、子供らもはやしたてる。ボールはグルグルと外野を回って塔矢に行き着く。ヤツはすかさず投げて来る。俺はそれを上手くキャッチすると、味方に投げる。
 とうとうそのボールをインターセプトされて、しまったと思った時には、ボールは俺目掛けて飛んで来た。よろけつつも何とか逃げたが、俺はバランスを崩して転ぶ。その瞬間、塔矢がボールを拾うのが見えた。
 万事休す・・・とうとう当たっちまう・・・と、覚悟を決めた。
 だけど。塔矢は自分では投げずに、横にいた男の子にサッとボールを渡した。
 へ?・・・と思っていると、俺が体を起こす前にその子は塔矢に促されて、俺の方に向き直った。
 勢いはないけれど、ボーッと倒れたままの俺の足にボールは当たって・・・俺らのチームは生き残りゼロで負けた―――
 その後、悠輔達のチームはすぐに試合になった。塔矢と俺は体育館のスタンドの一番前に陣取って、夢中で応援した。
 子供のドッチボールなんて馬鹿には出来ない。観戦してると結構興奮して、大声が出る。

「悠輔!もたもたすんな!いけいけえ〜っ!」
「頑張れっ!そこだ!」

 塔矢も自然に声を出している。
 顔だって真剣そのものだ。ゲームの流れに一喜一憂して顔をしかめたり、或いは満面の笑みを見せたり・・・その目まぐるしい様子は、めちゃくちゃイキイキとしていた。
 塔矢も俺も、力の限り応援し続けた。





 秋の一日は、思ったよりも早く過ぎていく。
 着いた時には抜けるように青かった空に、少しだけくすみが混じるようになる頃。
塔矢と俺は、グランドの芝生の上にいた。
 離れたところで、ランニングしている人やストレッチしている人がパラパラといるだけで、俺らは枯れかけた芝生の上に体を投げ出していた。
 試合は惜しくも、悠輔たちの僅差による負けだった。午前中に一度勝っているので、まあ一応二回戦負けというやつだ。

「惜しかったな〜、もうちょっとだったのに!でも相手は体の大きいヤツが多くて上手かったし・・・。」
「善戦だったと思うよ。あの相手に対してよく頑張っていた。」
「まあ、そうだな!ああ、でも、もっと以前から鍛えてやってればさあ・・・もっと何とかなったのかも・・・やっぱ、負けるのって悔しいぜ!」
「君が別にそこまで責任感じなくても・・・今日応援に来ただけでも、あの子、凄く喜んでいたじゃないか?」
「うん。それはわかってるけど。こういうの、熱くなっちゃうんだよ。勝負は勝たなきゃ・・・。」
「そうかな?負けても何か残るよ。だってあの子達、泣きながら来年は絶対優勝するって誓い合っていたじゃないか?」

 塔矢の言う通りだった。悔し涙に濡れたほっぺで、悠輔は塔矢と俺に礼を言うと、来年は優勝を目指すと宣言した。アイツの目には、強くて逞しい輝きがあった。
 負けても、何かは残る・・・。
 そうかもしれない。勝負の世界で小さい時から生き抜いてきた塔矢にとっては、ごく自然な言葉なんだろう・・・。

「来年は、もっと頑張るだろうな。そうやって、成長していくんだろうよ。」

 両腕を頭上高く伸ばし、そのままゴロンと寝転んだ。座ったままの塔矢が、俺をチラと見下ろして言った。

「試合前の練習の時。君のチームに勝てて楽しかったな。」
「あ、あれね。くっそーと思ったけど。お前、最後は自分で投げなかったな。優しいとこあるじゃん?」
「優しい?・・・僕は君に優しかった訳じゃないよ!」
「判ってるって。そういう意味じゃねーよ。最後に俺に当てた子・・・殆どボールに触れてなかったもんな。だからお前、あの子に回してやったんだろ?」
「でも別に・・・優しさとかじゃない。」

 つっけんどんに言い放つと、プイ・・・と俺から顔を背ける。
 これも、いつものパターンだよな。俺が塔矢を持ち上げるような言葉を吐くと、どうにも居心地が悪いらしい。
 ・・・じゃあ今日はいっそのこと、もっと持ち上げてやるか。

「お前、結構運動出来るじゃん?俺、てっきり運動オンチでボールに自分から当たって自滅するんじゃねーかと思ってたからさ!正直驚いた。」
「僕が運動オンチだって?どこからそんなことを推理していたんだ。何か根拠でもあったのか?」

 塔矢の声が、少しだけ低くなった気がした。
 思いっきり体を動かして闘った後だけに、すっきりしたもかな。
 心の中に秘密を抱えて接しているから生まれる鬱屈が、今は湧いて来ない。汗や大声と一緒に、どこかに吹っ飛んじゃったのかな?
 俺は、昔に・・・塔矢と思い切り言いたい放題。喧嘩してるんだかしてないんだかわからないくらい、やり合っているのが当たり前だった数年前に戻った気がした。
 だから・・・ちょっとコイツに絡んでみたくなったのかもしれない―――












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