― BEFORE DAWN ―
( 4 )







 進藤が家の前までバイクで送ってくれた。
 いつも別れ際にはそうしようと心掛けてる訳ではないが、決して名残惜しそうな顔をしたり、次をはっきり約束することは避けていたように思う。
 出来るだけ素っ気無く、ちょっと頷くくらいでじゃあ・・・と、目も合わせないで身を翻す。
 今夜もそうしようと、いや、今夜みたいな時こそそうした方がいいと、本能が告げていた。にもかかわらず・・・心は正直だ。
 普通の仲のいい友達と楽しい時間を過ごして別れる時も、こんな風に人は思うものなんだろうか?君ともう少し一緒にいたい・・・今度はいつ会えるのだろう・・・と。
 相手は同じ男の子なんだから、友達以上の何ものでもあり得ないのに。

「遅くなって悪かったな。お袋さんとか怒んねーかな?」
「今、両親は中国だから。」
「え?お前・・・また、この家に一人なの?大丈夫か?」
「皆、同じことを言うね。もう二年以上こういう状態だよ。二人とも日本と中国を行ったり来たりだから、とっくに慣れてる。君だって知ってるだろう。」

 別に寂しそうな様子を見せたつもりはなかったけれど、進藤の顔が心配そうに歪んだのを見て、いたたまれなくなる。そんなに僕のことを気遣うのは止めてくれ。今夜はもう十分過ぎる程、君からたくさんのものを貰った気がするから・・・。

「じゃあ、おやすみ。」
「ん?ああ・・・おやすみ・・・。」

 進藤の視線を痛いほど背中に感じながら、僕は木戸をくぐると後ろ手で閉める。

「又な、塔矢!・・・戸締りしっかりしろよ!元気でな!」

 板一枚隔てた向こうから、進藤の明るい声が響いた。まるで、まだ何か話し足りない、もう少し傍にいたいという僕の本心が彼にはすっかり見抜かれているみたいで、胸苦しかった。しばらくその場で、深呼吸を繰り返さなければならなかったほどに。

「・・・・・?」

 何か変だ。もう、とっくにバイクの発進音がしてもいい頃なのに、物音がしない。
 僕は、木戸の向こうに意識を集中した。
 進藤の気配はする。僕が最後の言葉に返事をしなかったから、変に思ったのだろうか。
 ・・・そうか!もしかしたら、僕が家に入って鍵を掛けるまでは、外にいて様子を見ていようということなのかもしれない。
 そう思ったら、途端に体が動いた。僕は足音高く響かせて玄関に向かい、鍵を開けて勢い良く戸を引いた。そして今度はわざとらしいくらいピシャリと閉めると、鍵を掛けた。
 玄関扉に全身を預ける。大きく溜息が出た。
 ・・・進藤はどうするだろう?
 程なくバイクのエンジンをかける音が聞こえて、辺りの静けさを切り裂くかの様な爆音が、尾を引いて遠ざかって行く。
 その音が全く聞こえなくなるまで、金縛りにあったみたいに僕は玄関に佇んでいた。






 今日は晴れていたとはいえ、梅雨時の湿度の高い空気が家中にこもっていた。
 明日の朝は両親が帰って来るから、本当だったらさっさと帰宅して掃除をしておくべき一日だった。いつの頃からか、二人が帰って来る前日には完璧なくらいに片付け、気持ち良く出迎え、同時に僕が一人でも何の心配もないと安心させてあげるのが僕のこだわりになっていた。
 でも今日は、進藤に誘われた瞬間に自分のこだわりなんか吹き飛んでしまい、彼と出掛けることを優先させた。
 僕は、この四日間の混乱ぶりが残る家の中を眺めては結局何もする気にならなかった。
 基本的に自炊をしているからどうしても台所は汚れるし、整頓すべき新聞や郵便物も半端な量ではない。庭木の手入れだってある。それが、進藤と喧嘩している間はどれも中途半端になっていた。
 明日早起きして片付けようと、物事を先送りすることの嫌いな僕にしては珍しい決断を下し、さっさと風呂に向かう。
 湯を溜めるのも面倒だから、シャワーにしよう。とにかく、さっさと体の汗と、気持ちのざらつきを流してしまいたい。
 シャワーを浴びて自室に戻ると、髪の毛を拭いながら今日来ていた郵便をチェックしていく。
その中に棋院から送られて来た月刊誌があった。封を切ってパラパラめくってみると、先々月の若獅子戦の様子が載っている。
 ・・・そういえば、この時はまだ良かったなと思う。
 僕は、ほんの一月ちょっと前の出来事が、うんと遠い昔の様に思えて・・・心が、追憶にズブズブと沈みこんでいく・・・。
 進藤と個人的接触が増えたのはこの前の冬。
 鈴木先生のお通夜以来で、棋院や碁会所に加えて図書館でも会うようになった。一緒に出掛ける場所が一つ増えただけで、人はそれまでは見せることのなかった別の顔を見せるようになるものなんだと、基本的に碁と関係のない友達付き合いが全くない僕には、戸惑いの元でもあり、同時に新鮮でもあった。
 僕らにとっては最後になる北斗杯に再び一緒に出場し、それぞれ熱戦を繰り広げた。
勝ち負け以上に収穫の多い時を過ごした後は、もう僕自身も進藤との関係に、ライバルや棋士仲間という以外の名前が・・・友達という名前がついてもおかしくないと、自然に思い始めていた。
 だから若獅子戦でお互いが勝ち進み、最終日に決勝戦であいまみえることが決まった瞬間は、それが久しぶりの公式戦での進藤と僕の対局でもあったから、余計に沸き立つような興奮が僕を包んだ。
 決勝戦開始前の休憩時間に、進藤とたまたま廊下ですれ違った。
 僕は、いつも通りに声を掛けようかと歩調を緩めたが・・・進藤は目も合わせず横をすり抜けたのだ。あっという間の出来事で、僕は何が起きたのか把握しかね・・・やがて、気が付いた。
 そう言えば、組み合わせからして僕らが決勝戦で当たると予想がついた頃から、進藤からの連絡や誘いもなかったかもしれない、と。
 たまたま忙しい時期なんだろうと余り気に留めてもいなかったが、今の態度で腑に落ちた。今日会場に入ってからも、対局は覗いてくれてたが、僕の傍に近寄って来なかったじゃないか。
 ―――そういうことか。君は、もう十分に臨戦態勢だったという訳か!
 僕は大事な対局前に、お友達気分の延長線上で声を掛けようとした自分を戒めた。
 この一戦。決して負けはしない―――
 席に着くと、進藤と真正面から向き合う。その時の彼は、いつも口角をきゅっ・・・と窪ませ、僕に微笑み掛けて来る人間とは別人だった。
 僕を、力強い瞳の輝きで射抜く。睨み付けて来る。他人との対局では見せていたかもしれないが、僕相手では久しぶりだった。
 この一局にかける進藤の気迫が、津波のように押し寄せてくる・・・。そのしぶきが、僕の心を喜びでたっぷりと濡らした。
 この瞳だ・・・この瞳が、僕の欲しかった進藤だ。
こんな風に真剣勝負の場で、愛想笑いも世間話もない、ただただ彼に睨み付けられるような緊張感のある関係こそが、僕の真の望みだった。
 フワフワしたお友達ごっこの中で、いつの間にか僕が忘れかけていたことを、今、進藤の方が思い出させてくれたのだ。
 僕の体を、戦慄が駆け抜けた。指先に微かな痺れを感じ、震え始める。
 武者震いを感じたのは、初めてだったろうか?
 ・・・いや、ずっと、ずっと以前に待ち侘びた対局があって、僕はその時にも手が震えて碁笥の蓋を取り落としたことがある。あれも、進藤が相手だった。
 あの日から、およそ五年・・・十代半ばの五年は人をすっかり変える。僕らはそれぞれの運命に従い、こうしてプロになり精進を重ね、今日も真剣勝負の舞台に立っている。
 進藤にこの喜びが伝わるようにと、僕も彼を厳しく見据えた―――



 対局は僕の反目勝ち。最後の最後まで、どちらが勝ってもおかしくない接近戦だった。
 終局後、進藤は普段通りの彼に戻って僕にも普通に接して来たが、僕の方がかえって興奮から冷めずにつっけんどんに応対していたかもしれない。
 進藤が帰り際、記者達や棋院の関係者から解放された後に話し掛けて来た。

「まーた、負けちゃったよ。お前やっぱスゲー!今日こそは勝つと決めてたんだけどなあ・・・。」
「決めて勝てるもんなのか?」
「決めてるよ。いつか必ずお前に勝つ。そしたら・・・。」
「そしたら?」
「そしたら・・・。」

 スローモーションがかかった映像を見ている様だった。
 進藤の唇が、音を消したまま形を作った。一つ目・・・二つ目・・・・・・ああ・・・もう何を言ってるのかわからない。・・・何文字だったのかもわからない!
 僕はポカンと口を開けて、さぞ間抜け面で彼を見詰めていたのだろう。進藤が弾けるように笑い出した。

「塔矢!お前、真面目過ぎ!そんなに俺のこと気にしてんのぉ?」
「し、進藤!茶化すな!僕はただ、君が何を言いたいのかと・・・。」
「今、顎が前に突き出て、こーんな感じで俺の口元見てたぜ!」

 進藤が、亀が首をニュウッ・・・と突き出すみたいな仕草で、しかも寄り目で僕の方に近寄って来るから、思わず怒るより先に吹き出してしまった。

「ふ、ふ、ふざけるのもいい加減にして、くれ・・・くくく・・・僕はそんな顔して、ない・・・はははっ!」

 お互い声を上げて、笑い転げた。
 進藤が、文字通りお腹を抱えて体を前に倒した僕の肩に、片手を掛けて持たれ掛かって来た。仲の良い者同志がふざけ合いながら笑っている場面に、その行動は何の違和感もない。
 僕は笑いをわざと長引かせながら、進藤の手の重みを自分の肩に受け止めて幸せだった。
 君が僕を最大のライバルと認め、同じくらい大切な友達だと思ってくれていることを、その手の温度が教えてくれたから―――
 あの日の幸福感には、一つも欠けたところがなかった。
 こういう関係こそが、いい。この数ヶ月の、近付いたかと思うと鬱陶しい、遠くなったかと思うと物足りない、そんなもどかしい関係なんかではなくて。
 それなのに。四日前の喧嘩から今夜に続く一連の流れは、僕を再び混乱させるに足る出来事だった。
 どうして進藤は、あの若獅子戦の日の様な完全な関係を保とうとしないのだろうか?僕の方が、何かとんでもない取り違えでもしているのだろうか?
 彼は、僕と親友になりたいと言ってくれた。正確には、それを人づてに聞いた。
 果たして、ライバルであり親友であるという二つの相反する関係が、僕らの間に成り立つものなのだろうか?
 今夜みたいに、プライベートなことを告白して、弱みや苦しみや何もかもを曝け出した上で構ってもらえることが嬉しいなんて・・・。
 親友というのは相手に依存して、尚且つそれが気持ちのいいものなのかどうか、親友を持ったことのない僕には経験不足でわからない。
 進藤以外の碁と関係ない同年代の友達を、僕もちゃんと作るべきだということ?そうしたら、彼との関係にも自然に臨めるのかな?
 でも、思い浮かびもしない。この人となら友達になれるかもしれない、なりたい・・・そう思える同い年なんて!
 頭の中は次々と疑問符が飛び交うばかりで、混乱は深まっていくだけだった・・・。






 次の日、いつも通り六時前には起きて家の掃除を始めた。
 寝不足ではあったけれど、体を無心に動かしていると段々心も軽くなっていく。家が整然となっていくのと同じように、僕も今日何をしたいかが少しずつ見えて来た。
 午前、午後とも仕事が入っていたので、僕は両親が帰宅する時間には居られないのだが、すっかり母が住んでいるのと変わりないくらい、いつもの塔矢の家の雰囲気を取り戻せたと思う。
 僕は自分の仕事にすっかり満足し、家を後にした。きっと両親だって、今回もアキラは不自由もなく普段通りの日常を送ったものと、安堵してくれるだろう。
 陽が暮れる頃、僕は今夜の目的地に向かった。
 果たしてその人に、いやその人達に会えるかどうかは行ってみなければわからないのだが、そこに出向くしか会う術はないのだから仕方ない。
 駅で降りて改札を抜けると、僕の求めていた音が聴こえて来てほっとした。ここまで来たことは、無駄にならなかったようだ。
 僕は、お琴と笛が奏でる美しく、どこか懐かしいハーモニーの方へ歩を進めた。
 ハルトさんとカイさん。この二人の学生演奏家に会うのは、今夜が三度目だった。
 一度目は、勿論進藤と一緒になったあのお通夜の夜。
 二度目は、偶然同じ駅を通りかかった十日程前のことだった。
 進藤と過ごしたあの時間が思い出されて、ついつい最後まで演奏を聴いた。お金を渡したその時に、相手の方から声を掛けて来てくれたのだ。
 たった一度会っただけの僕をよく覚えていてくれたものだと驚いたが、その後二人と話してわかったのだ。
 進藤が、あの夜以来ちょくちょくここへ訪れてはお喋りしていく様になったこと。そして、僕のことを碁のライバルでありながら、親友になりたいと思うほど大事に考えていること。
 進藤が僕との出来事を色々と話すので、二人はすっかり僕のこともうんと以前から知っているような気がするとまで言ってくれた。
 お琴を弾いている小柄な人がハルトさんで、笛を吹く背の高い人がカイさんという。二人ともまだ音楽大学に通う大学院生で、ユニットを組んでからは路上演奏や自主制作CDを作るなどの活動をしているらしかった。
 今夜の演奏も、梅雨の鬱陶しさを吹き払うような清涼感に満ちていた。聴いている内に、心がクリアになっていく気がする・・・。
 演奏が終わると、楽器を触らせたり話をしたり、二人は周りの人達と交流を持つ。馴染みの薄い邦楽をもっと色々な人に知ってもらいたいから、と言っていた。そういう二人の姿勢にも、僕は好感を覚えたのだ。
 ハルトさんがこちらを向いた時、僕は離れた所から遠慮がちに会釈した。でもすぐに微笑んで、手招きしてくれる。

「やあ!塔矢君・・・だったね?ヒカル君の友達の。もう片付けが終わるから待ってて。」

 二人は近くに停めてある車に楽器を運び終えると、僕の為に時間を作ってくれた。
 正直なところ、何かを相談したいとか、聞いて欲しいことがまとまっているという訳ではなかった。ただ何となく・・・僕らの周り、つまり碁関係で僕ら二人をよく知る人には、僕が進藤との関係に悩んでいることを悟られたくなかった。
 かと言って、ハルトさんとカイさんの二人にも、答えを求めて会いに来たのじゃない気がする。この二人に会うと、進藤もきっと感じているのだろう・・・一人っ子の僕らにとって、何でも話せる兄貴が出来たようで心強い。
 音楽を愛している演奏家というものは、演奏がその人柄を現し、こんなにも人をくつろがせてしまうものかな・・・。
 進藤は、この二人の所に時々行ってることを僕に話さなかった。
 最初の晩、進藤が二人をゲイのカップルだと邪推したと、僕が彼に激怒したということがあったせいなのか。二人には僕に言えないことも何でも話したいから、逆に僕から遠ざけたかったせいなのか。
 何も言ってくれないことにがっかりした。それも、この前の喧嘩を誘発する僕の頑なさに繋がったかもしれない。

「最近はどう?二人とも、碁の調子はいいの?」
「はい。悪くはないと思います。」

 駅前ロータリーの大きな木の下、最近設置されたばかりの綺麗なベンチがあって、近くのデリから調達して来た飲み物を手に三人並んで腰掛けていた。

「今夜は・・・いや、今夜も二人一緒じゃないんだ?君らは面白いね!」

 進藤も僕に、僕も進藤にこの二人と会ったことを告げない。暗黙の了解のようだ。

「彼と一緒に行動することは、難しいです。何を悩んでいるのか、僕自身も上手く説明出来ませんが・・・そもそも悩むことなのか、人にはわかってもらえそうもないし・・・。」
「喧嘩でもした?」

 大体話し掛けてくるのは人懐こい感じのハルトさんの方で、カイさんは黙って頷いてる役目のようだった。

「はい。したんです、喧嘩・・・らしきものを。そして僕が悶々としている間に進藤は解決策を考え、あっさりと仲直りを申し出て来ました。」
「したんだ、仲直り?じゃあ、どうやって仲直りしたらいいんだろうという相談ではないんだ?」
「むしろ反対・・・かもしれません。どうやったらライバルでもありながら、友人としての丁度いい距離を保てるか・・・。」
「うーん・・・それって、君らの世界では大変なことなんだ?」
「進藤と親しくなればなるほど彼に対して、人として寄り掛かるというか、甘えてしまうというか・・・そうなりがちで、自分でも変なんです。今までにないことで・・・。」
「そうなると、競争心が薄れて碁を打つのにマズイということかな?」
「いえ、そういう影響はないと・・・まだ二人とも、公式戦での直接対局がそうあるわけではないし、プライベートで打っても負けたくないという気持ちは、他の誰に感じるよりも強いと思います。」
「うーん。そうか・・・。」
「すみません。こんな話をされても困るだけですよね。自分でも情けないんですが・・・。」
「いやいや、僕らも君達よりも少し年上なだけだし、碁の世界のことはわからないし。その若さでプロというのも特殊な世界だと驚くことばかりだし。何のアドバイスも出来なくて・・・。」

 美しい音色に励まされ、少しは吹っ切れるかと思っていたのに、話せば話すほど本質からズレていくようで虚しかった。
 言葉を失った僕に、やがてハルトさんが語り始めた。

「塔矢君、僕とカイも、最初はライバルだったんだよ。」
「・・・え?」
「筝曲なんて小さい男の子がやるの、珍しいだろ?カイも最初はお琴弾きだったの。お互い小学校の時から、演奏会とかコンクールとかで顔は知ってた。でも、コイツのお師匠さんはカチカチの古典派のばーさまで、僕の流派は前衛音楽を得意とするカリスマ演奏家が興したもんでさ、お師匠さんも金髪だし!二人とも、反発心を植え付けられて育ったというか・・・。」

 囲碁界でいうところの、「門下」と似たところがあるのだろうか。へえ・・・と、ハルトさんの話に引き込まれつつ聞いていた。

「ライバルと言っても、音楽の世界と勝ち負けのはっきりした碁の世界じゃ全然意味が違うかもしれないけど・・・。」
「ハル、お前何をベラベラと・・・。」

 初めてカイさんが、たしなめる様に口を挟んだ。

「僕は聞きたいです。」
「そう?聞きたいってさ、塔矢君!ふふ・・・えっと高校生になった頃、たまたまカイの尺八を聴いて、僕、鳥肌立っちゃうくらい感動してね!お前絶対こっちの方が合ってるって力説したよ。そしたら、そのせいだけじゃないんだけど、コイツ音大は笛で入学して来て、それから僕達はセッションするようになったんだ。」

 そこでハルトさんは、カイさんの方を窺うように見てから続けた。

「初めてオリジナル曲を二人で作って、何度も練習して・・・そらー、お互い音には妥協しないから喧嘩ばっかでさ。ふふ・・・でも、路上で納得いく演奏が出来て拍手を貰った時の興奮は、今でも忘れられない・・・。」

 ハルトさんが、今度ははっきりとカイさんに同意を求めるように向き直って、演奏の最後に見せるのと同じ眩しい笑顔を投げ掛けた。
 カイさんも、その無骨な印象の顔立ちからは想像出来ないくらい、柔らかい笑みで応える。
 人間関係に疎い僕でも、ちゃんとわかった。
 二人が、お互いをどんなに大切に思っているのか・・・その関係は、親友なのか、音楽上のパートナーなのか、或いは初めて二人に会った夜に進藤が言った通り恋人なのか・・・もうどうでもいいじゃないかと思えてくる。
 もし二人が男同士で愛し合っているとしても、不思議なくらい嫌悪感は沸いて来ない。
 あれだけ人の心に沁みる音楽を奏で、幸せを与えることの出来る二つの才能が出会い愛し合うようになったとしても、そんな関係も世の中にあるかもしれないと思う。
 そう、進藤もあの夜、言っていた。
 ―――二人でいっぱい練習して・・・気持ち高め合って・・・それが上手くいった時には、エクスタシーを感じるのかな・・・。
 彼の言葉を変な方向に取った自分を悟られたくなかったけれど、進藤は性的な意味合いではなく、本当に音楽上のパートナーとしての二人のことを言ったのだ。
 進藤と僕の二人になぞらえてみても、そういう関係が存在すること―――この前の若獅子戦における、進藤の闘志を湛えた瞳や、僕の手の震えが象徴している。
 あの日、あの瞬間・・・僕が感じたものは、心と体を切り離せないまま全身全霊で受け止め味わい尽くす種類の、快感だった。
 この相手にしか、感じ得ない。二人でしか、創造出来ない。
 奇跡のような、快感だ―――

「塔矢君、大丈夫?少しは気が晴れた?」
「あっ・・・はい、大丈夫です。ありがとうございました。あの、今夜はこれで失礼します。」
「こんなこと言うのも何だけど・・・しっかり者の君が、あのヒカル君と友達だというのもねぇ・・・面白いもんだ。」
「よく言われます。あの、今夜お二人を訪ねたことは・・・。」
「わかってるって。ヒカル君には言わないよ。」
「塔矢君・・・。」

 別れの挨拶を・・・と思った時に、カイさんがその晩初めて長々と話し掛けて来た。

「俺達も音作りの時なんか凄く苦しんで悩むんだけど・・・それはもっといいものが作りたい、もっと高い所へ行きたいと願うからなんだ。君が今、訳もわからず壁の前で頭を抱えていたとしても・・・それは君がその壁を乗り越えて先へ進みたいと強く思っている証拠だよ。君はその向こうの景色が見たいから、壁を意識してるんだ。・・・そのことから、目を逸らさない方がいい。いつか越えられるんだから大丈夫だ。・・・これは俺の経験なんだけどな。」

 カイさんの言葉が、僕の胸を熱くした。
 僕はまだ、混乱の海でもがいていたけれど・・・これだけは決心した。
 僕は、進藤ヒカルから逃げない。彼と僕の未来に何があるのかを、しっかりと見極めながら、この海を泳ぎ切ってみせると。






 翌日は、進藤も僕も手合いだった。
 少し先に終局した僕は、進藤が出て来るのを待って声を掛けた。昨晩から何度もシミュレーションしていた通りに・・・。

「進藤!」
「おう、塔矢。」
「あの、おとといはありがとう。」
「んあ?ああ、こっちこそ付き合ってくれてサンキュ。」
「えと・・・もしこの後良ければ、食事でも行かないか?」
「この後?んー折角だけど・・・今日は帰るわ。俺、これからデートなんで。じゃあ、またな!」

 サラリと言うと、シャツの裾を翻して彼は僕の前を通り過ぎた。いつもの様に振り返って手をあげることもなく、残り香すらも置いていかずに。

 ・・・俺、お前とは打たないぜ・・・
 ・・・俺はもう打たない・・・

 君からはそんな言葉で何度も切り付けられ、僕の心は血を流したけれど。

 ・・・俺、これから、デートなんで・・・

 まさか、こんな言葉までが、僕を傷つけるなんて。そこまで、僕は君のことを・・・・・。
 ―――まただと思った。また君は、僕を磁力のような力で引き寄せたかと思うと、何の前触れもなく突き放してくれた。














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