― BEFORE DAWN ―
( 3 )
進藤と喧嘩をした。勿論、初めてのことではないと思う。
小さないさかいは会う度にあるといって良かったし、喧嘩ごしの口調で会話が進んで周りにいた市川さんとかに、「その辺でお互い止めておいたら?」と、溜息混じりに言われることもしばしばだ。
だから、今回もそれとどこが違うと言われれば、僕にも上手く説明出来ない。
喧嘩の原因が碁やその周辺事情と全く関係のないことだったとか、進藤の様子がちょっと変だったとか・・・挙げられない訳ではないが・・・何だか釈然としないまま、喧嘩別れして三日が経とうとしていた。
図書館に行こうかどうか、僕は迷っていた。返す本がない訳じゃない。でも、今この時期に行ってもし進藤に会いでもしたら、僕が彼に会いたくてそこに行ったと思われるんじゃないかと気に掛かった。そんな風に誤解されたら、癪に障るじゃないか!
しかも喧嘩の原因の大元は、この図書館に関係がある。
全く、何で僕がこんなことで頭を悩ませなくてはならないんだ・・・。
進藤に会いたくなかった。それは疑いようがない本音だ。
僕の親友になりたいなどと言っておきながら、肝心の僕の気持ちは差し置いて自分の要求ばかり通そうとしている様に思えて、彼はどうしようもない子供だと思った。碁はあんなに強くて時に老成した感じさえ受けるのに、プライベートで一緒にいるとあの幼さはどうだろう?
いや、今まで僕が大人ばかりの中で育って来た為に同年代の友人と付き合ったことがなかったから、それでかえって彼のことが気に障るのかもしれない。
その辺は、少しは大目にみてやろう。彼は同世代の中では、ごく普通なのかもしれないな。
でも。だから今回のことを僕の方から水に流してやるとか、そういうこととは別だ。これからも僕らがいい関係で付き合っていく為には、進藤にだって考えて欲しい。
喧嘩をして四日目。僕が手合いを終えて棋院を出ようとしたら、進藤がいた。
今日は彼の名前がなかったので、安心して手合いにも臨めた。さっさと勝ちも決め、機嫌良く帰途につこうとしていた時だけに・・・正直面食らった。
「よう!・・・その様子だと勝った?」
「君には関係ないだろう。そこ、どいてくれ。」
「冷てー・・・お前って、時々ドキッとするくらいクールだよな。」
「だって僕らは喧嘩中だろう?違うか?」
「喧嘩って・・・あれって喧嘩のうちに入んのかよぉ?お前が俺の頼みをきいてくれないのは何でだって尋ねただけじゃん。そしたらお前の方がキレちゃって、もう帰るとか言ってさ。」
「け、喧嘩は喧嘩だ!その証拠に君からの連絡はなかった、この四日間!四日も連絡がないのは、君も怒ってるのだろうと解釈していた。」
「ええっ!お前、俺からの連絡待ってたの?四日って・・・そんなに経つかー?俺、地方の仕事入ってたし、夜も用事入ってたからさ。」
のほほんと言うのが憎たらしい。まるで、喧嘩していたと思っていたのは僕の方だけみたいじゃないか!
「どっちにしても、気にしてたんだったらご免な!これで仲直りっつーことで・・・いい?」
「え、ええっ?今のでもう、仲直りなのか?・・・そんな簡単な一言で?」
「簡単って・・・ご免って言うのだって、普通は勇気いるもんだぜ?それにご免以外に何て言やあいいんだよ?・・・そもそも、俺の方が謝ることか?」
進藤の様子が少しずつ投げやりになって来たのがわかって、僕は身の置き所のない気分になってしまう。
わかっている。進藤だけが悪いんじゃない。普通に話せばいいのに、つい、きつい口調になってしまう僕の方にも落ち度はあるのだ。
でも・・・今回のことに関してはどうしても譲れなくて・・・喧嘩ということにしてしまえば、もう二度とこの話題を蒸し返されることもないんじゃないかと、いつも以上にムキになって喰ってかかった。自分でも、実はそのことに気付いていた。
気付いていただけに・・・この四日間は、苛立ちを抑えられなかった。
この四日間。僕はたくさんの失敗をしでかした。いつもは決してしない様な失敗だ。
両親が中国に行くことが増えてから、僕は大抵の家事は出来る様になった。
それなのに。お風呂に入ろうとして手桶でまずは体にお湯をと一かぶりしたら・・・それはお湯じゃなくて水だった。一拍遅れでひーっ!・・・と、自分でも情けない声を上げてしまい、両親が不在で心底良かったと思った。
洗濯物を干そうと洗濯機の中から取り出したら、無数の小さな白いものが洗濯物にはり付いていたので驚いてよくよく見たら・・・母から聞いたことはあったが、それはティッシュペーパーを一緒に洗ったあとの惨状だった。取り去るのにどれだけの労力を要したか、思い出したくもない。
まあ、ざっとこんな調子だった。
進藤と喧嘩していたせいだとは認めたくなかったが・・・全く無関係だとも言えないだろう。
「じゃあ、ホントに俺らのあれが喧嘩だとして・・・お前は全く悪くない訳?」
進藤が、決して強い調子じゃないが真面目な顔で尋ねて来たので、僕も考え込んでしまう。
「・・・言い過ぎたかもしれない。でも・・・気持ちは変わらない。何と言われても、君とあそこに行く気にはなれない。」
やっと言えたのは、それだけだった。
「ふーん、やっぱそう来る訳ね。じゃあさ、俺ももうしつこく言うの止めるわ。お前があーんま嫌がるんで、俺も意地になって誘ってたかもしんない。別にどうでもいいことなのにさ。」
進藤の口元が自嘲気味に歪んだのを見て、胸が痛んだ。
僕こそ、ご免・・・と、そう言いたいのに。喉まで出かかった言葉が、どうしてもつかえる。
黙り込んだ僕を見て、進藤が明るく言った。
「まあ、いいやっ!そいで今日はもうこの後、何もないの?」
「ああ。別にないけど・・・。」
「よし!じゃあ、仲直りの記念に今日は付き合えよ。な?」
「うん・・・。」
顎をしゃくって僕を招いた進藤の顔は、もう何の屈託もないように見えてほっとした。
「え?バイクに乗るのか?僕が?」
棋院から出てしばらく歩いたが、進藤がいつもバイクを止めているらしい所に連れて行かれ、ヘルメットを渡された。バイクの後ろに乗るなんて、生まれて初めてだ。
「それ被って。乗って。今日はいい天気だから、どしても行きたいとこあるんだ。別にお前が嫌がる様な所じゃねーよ。」
さっき仲直りしたばかりだということもあったし、進藤が有無をも言わさぬ様子だったこともあって、僕はとうとう彼のバイクの後ろに乗ることになってしまった。
初めての二人乗り。最初はハラハラさせられたが、段々慣れて来た。
ふーん・・・進藤はいつもこんなふうに風を切って、街を駆け抜け、そして自由を感じているのかなと思った。
男の背中にしがみ付くという格好が、照れ臭くもある。でも、進藤の数センチ後ろで同じ景色を見ているというのは、嬉しくない訳じゃなかった。
それにしても・・・随分長いこと乗っている。
どんどん郊外の方へ向かっているのが、普段は電車しか使わない僕にもわかって不安が募る。これはどう見ても山道だと思われる辺りに差し掛かった時、腹を括っていた僕もとうとう我慢出来なくなって訊ねた。
なのに・・・。
「ええーっ?何て言ってんのか聞こえねー!」
バイクにしたのは僕が簡単に引き返せなくする為だったのかと、進藤の真意を測りかね・・・もしかしたらまだ相当怒っていて、仕返しのつもりで僕を不安がらせて楽しんでいるのではないか?
そこまで邪推し始めた頃・・・バイクは止まった。
深い溜め息が漏れて、それを進藤に気付かれた。
「なに・・・お前そんなに緊張してたん?初めてじゃ無理ねーか。これでも優しく運転してやったんだぜ。」
「・・・ここはどこだ?」
「まだ目的地じゃねーよ。これから少し林みたいなとこを抜けてくけど・・・懐中電灯とか用意してあるから大丈夫。来いよ。」
ここまで来てしまったら、もう仕方ない。僕も素直に進藤の後に続いた。
歩いている内に日が暮れ始めた。梅雨の晴れ間の爽やかに乾いた空気の中、それぞれ懐中電灯を手にしばらく無言で歩いた。
「そろそろかな・・・。あ、この向こうだ!」
茂みを掻き分け獣道みたいな所を通って・・・急に開けた場所に出た。
息が上がり始めていた僕はほっとして・・・辺りの景色にようやく目をやる余裕が生まれた。
そこは池の淵だった。湖というには狭いし、でも水路というには広い。それまで頭上を覆っていた木々が切れ、頭上も開放的になった。
「塔矢、大丈夫?疲れてない?この辺に腰を下ろして一息つこうぜ。そろそろ星が見え始めたし・・・。」
進藤は何と、レジャーシートまで持って来ていた。サカサカいう音が奇妙な感じだったが、カジュアルとは言い難い格好の僕としては有難い。
二人並んで腰を下ろすと、膝を抱える格好で空を仰いだ。
さっき辿り着いた時は、まだ宵闇だったのに・・・もうすっかり闇が深くなった空に、いつ、誰が散りばめたのかと思うほどの無数の星が瞬いていた。
一瞬にして舞台背景が入れ替わったのではないかと思うほどの、変わり身の早さだった。
「な?綺麗だろ?俺も初めて見た時は、満点の星ってこういうのを言うんだなって思って・・・。都会で生まれ育つとさ、こういうのマジで驚くよな?」
お前もそうだろ?と笑い掛けられて・・・急に息が苦しくなる。
そうか・・・進藤は僕に「本物の星」を見せたかったのか・・・「偽物の星」を見ることを頑なに拒否した僕への、彼なりの答えなのだろうか―――
「お前がどうしても俺とプラネタリウムに行きたくねーって言うのはさ・・・どういう訳があんのか知らないけど。じゃあ本当の星空だったら一緒に見てくれるんかなーと・・・この四日間、そういうことを俺なりに考えていた訳よ。」
泣きたい・・・と思った。いや、正確には子供の時泣きたくなると感じていた、あの甘苦しい感情の昂ぶりに襲われた。実際には涙は出ないのに、泣いてるみたいな声だけが出てしまう感じだ。
「進藤・・・僕、は・・・。」
搾り出そうとするけれど、何を言おうとしているのか自分でもわからない。でも、何か喋らなければ余計に息が苦しい。
「進藤・・・ご免・・・本当にご免・・・。」
幸いなことに、一番言いたくて、でも一番言えなかった言葉が出てくれた。
進藤と喧嘩したのは、下らない僕のこだわりからだった。
いつも二人が会う図書館にプラネタリウムがあって、最初から彼は行こう行こうと無邪気に誘って来た。でも、僕はのらりくらりと避け続け、四日前にその理由を問い詰めて来た進藤に切れてしまった。
僕は、あんな暗い空間に二人で並ぶことが嫌だったのだ。
全く知らない人の隣になるのはいい。でも、進藤の様によく知る人物とは嫌だった。
話し掛けられたら、振り向かなくてはならない。そうしたら、暗闇の中で顔を合わせることになる。
その瞬間を想像すると、いたたまれなくてたまらない・・・。
「塔矢?気分でも悪い?」
「ううん。そうじゃない。ご免って、本当に言いたかっただけ・・・。」
「そう?でも、もういいよ。文句も言わずにここまで一緒に来てくれたしさ!」
―――君は、何て真っ直ぐなんだ。
君を見ていると、時々自分がいかに屈折しているか、いかに人との距離の測り方が下手か、思い知らされる。
そして妬ましい。羨ましいをとっくに通り越して、憎らしいほどだ・・・。
「僕があそこを苦手なのは、小学生の時の出来事が原因なんだと思う。」
諦めからじゃない。心底、今進藤に話したいと、いや、彼に聞いて欲しいと思ったから僕は話し始めた。
「大したことじゃないんだろう。人によっては、いい思い出なのかもしれない。でも僕は・・・その・・・校外学習でどこかのプラネタリウムに行って・・・僕らは皆はしゃいでいた・・・だから、その場のノリみたいなものかもしれないけど・・・。」
進藤が息を詰めて聞いているのが、痛いほど伝わって来る。
「隣の席に座ってた同じクラスの女の子に・・・キスされたんだ・・・。」
最後の方は、消え入るくらい小さい声になった。
「キ、キス〜ッ!・・・それって・・・唇に?」
「くちび・・・い、いや違うっ!ほっぺにだよ!何を言ってるんだ、進藤!」
「ほ、ほっぺ〜!?おま・・・それキスって言えるのかよーっ!」
途端に進藤の大爆笑が始まった。僕がなけなしの勇気を出して告白したというのに・・・何だ、その反応はっ!
「何で笑うんだ!彼女は・・・そんなことを突然するような子じゃなかったのに・・・僕の気持ちもお構いなしにそんなことされて・・・。」
「そんなことって・・・ほっぺにキスだろ?俺だったら嬉しくてお返しにチューしてたかもしんないな、もち唇にだぜ!やり〜、ラッキーってさ!」
「君にはわからないよ。そんな風に他人をいともたやすく受け入れてしまえる君には・・・。」
進藤だったら彼の言葉通り、僕みたいにパニックになったりしないだろう。
僕はキスされたこと自体ではなく、無遠慮に僕の領域に踏み込んで来る人間の神経が、何よりも信じられなかったのだ。
そのことを進藤に伝えたいのに、上手く伝えられない。
僕の胸の内の混乱がわかったのか、進藤は笑うのを止めて見詰めて来た。
「ああ、えーっと・・・お前にとって嫌な思い出だったら茶化したのは悪かったよ。でもそれがトラウマだったとは正直びっくりだぜ。まあ、他人にはまさかと思えることがトラウマになるってこともあるわな。人間はそれぞれ感じ方が違うんだし・・・。」
進藤がそんなことを言ってくれるとは・・・。
そこまで期待していなかっただけに、彼の深い言葉に救われた気がした。
「たださ、本物の星を見るのまで嫌とは言わねーんだろ?」
「うん、それはそうだよ。そこまで思い詰めてる訳じゃないんだ。いつか、プラネタリウムだって平気で行けると思うよ。子供じゃないんだし・・・。」
・・・でも、きっと君と一緒にじゃないよ・・・今は言わないけどね・・・喧嘩になるのはもうご免だから・・・。
不意に進藤が僕に近寄って来た。視線を僕の右肩の辺りにすーっと乗せたかと思うと・・・両手を静かに伸ばし、何かを包み込む仕草をした。
僕は反射的にその手と逆方向によける。
「ほら・・・見える?塔矢・・・俺の手の中にいる・・・。」
声をひそめて話し掛けてくる進藤は、両手で作った丸い膨らみの中に光る何かを捕らえていた。
「・・・蛍?」
「うん・・・俺も手に捕まえたのは初めて・・・。」
「綺麗だ・・・光がゆっくり瞬いているね。」
「マジ、綺麗だ・・・。」
「・・・進藤!見て!凄い!」
僕らはその時初めて気付いた。この池の周りには、蛍が集っていたことに!
それも半端な数ではない。よく見ると、池の上にもたくさん光っている。それが、月明かりに照らされた水面を鏡にするかの様に映り込んで、実際よりたくさん飛んでいるみたいに見えているんだ。
空には、降って来そうにひしめき合ってる星々・・・
地上には、儚くも幻想的な光の乱舞・・・
天と地が呼応し合う美しい光景を、初めて見た。
「まるで空から星が降って来て、それが蛍の命になって光っているみたいだ。」
「塔矢、いいこと言うなあ・・・でも、俺も思った・・・ここの蛍達って、本当に空から落ちて来たみたいに突然現れたよな。」
「うん・・・僕らが話に夢中で最初は目に入ってなかっただけかもしれないけど・・・空から落ちて来た星屑だ・・・。」
僕らは、その世にも美しい夜の景色に見とれていた。
「俺がむか〜し来た時は時期がズレてたせいか、こんなにたくさんいなかった気がするなぁ?」
「昔って、いつ?」
「六年生の移動教室。夜中に何人かで抜け出してウロウロしてたら偶然この池を見つけてさ、その時は空の星ばかりに気を取られてたけど・・・。」
「抜け出してって・・・大丈夫だったのか?」
「いやー、俺らが知らない内に捜索隊が出て大事になっちゃってさ、見つかってひどく叱られた。俺らだけ皆と別に遅れて学校に戻ったのよ。しばらくは、学校の話題の主だったな。」
「はぁ・・・全く君らしい!無事だったから良かったものの・・・とんでもなく迷惑な子供だな。」
「でも、お陰でこの場所を発見したんだぜ!足場が悪いんで、今は観光地化されたもうちょっと高台の方に見物客は行くみたい。俺、昨日の昼間ここを探しに来たんだ。何たって六年ぶりだからさ、いきなりお前を連れて来て、迷ったりしたらマズイだろと思ってさ。」
僕の為に彼なりに色々と悩んで、下見にまで来てくれたんだ。シートだって、僕の服装を考えた上で用意してくれたんだ。こんな、僕の為に・・・。
その間、僕がしていたことは一体何だ?
この四日間の僕は問題の本質から目を背け、自分の本当の気持ちを誤魔化そうとしていた。そのことを、進藤の僕に対する真摯な姿勢によって気付かされた。
彼のことを子供だ・・・なんて片付けることで、真実に蓋をしようとしていた浅はかなつまらない人間が僕。・・・僕の方こそ、子供だ。
今だったら、素直に認められる。
例えば。プラネタリウムに行こうと誘ってきたのが母や芦原さんや、そういう人たちだったら、僕は小学時代のあの想い出があったとしても、多分こだわりなく同行しただろう。
よく知る人物と、暗闇の中で並んで座ることが気恥ずかしいのではない。
進藤と・・・進藤ヒカルと・・・が、嫌なのだ。
進藤がこのところ、あの時僕にキスしてくることで気持ちを伝えて来たあの女の子と同じ、何かを秘めた雰囲気を漂わせていることを―――
そして、それを無視出来ないところまで、僕らの関係が追い詰められていることを―――
今夜僕は、この神聖なまでに美しい空間の中に二人で閉じ込められてわかったのだ。
・・・でも。だからと言って、今はどうしようもない。
ただ言えることは、これまでの人生で一番美しいと思えるものを見たことは、生涯心のアルバムから消すことは出来ないだろう。
明るくなったり暗くなったり・・・まるで光の輪唱のようにあちこちで繰り返す蛍の群れを、僕は目で追うともなく追った。
「塔矢。その女の子のこと、聞いてもいい?」
進藤が、静かに尋ねて来た。
「いいよ。何?」
「その子・・・と、その後は何かあったのか?いや、答えなくなかったらいいんだけど・・・。」
「別に何もないよ。その時もそれだけ。特に言葉を掛けられた訳じゃなかった。六年生の秋で受験も迫ってたし・・・。」
そうか・・・と言う進藤の横顔を見て、不意に思い出した。そうだ。その後間もなく、僕は君に出会ったんだ。あの父の碁会所で。
十二歳になりたての、冬の始まりの頃だった。
そして二度の対局を経て、僕は狂った様に君を追い始めた。
人の領域に踏み込むのが何のかんのと言いながら、あの頃の僕はそれどころじゃない勢いで君に・・・君の碁に引き寄せられ、なりふり構わなかったじゃないか?
これ以上落ち込んだら、立ち上がるのすら嫌になりそうだ。
すると進藤がタイミングを計ったかのように、弾けた声を上げた。
「さ!もう帰ろうか?お前も疲れたろうし、腹も減ってきたし・・・何か食って帰ろうぜ!」
「うん。」
「ああ、何を食おうかな?綺麗なもん見たのに、俺ってやっぱ食い気の方が勝っちゃうんだよなぁ。」
わざとらしいくらい元気に振舞っているのが、よくわかる。きっと、僕の心の中の小さな嵐を感じ取ってくれたのだ。
シートを畳んでバッグに入れ、進藤と僕は歩き出した。
僕らの間を、蛍が不規則な線を描きながら横切ったかと思うと、フワッ・・・と、空へ浮き上がる。その先には満点の星。さっきより闇が濃くなって、星空の明るさも増していた。
その瞬間・・・一つの星が尾を引いて流れた。
「あっ!流れ星!」
「ええっ?ど、どこどこ?」
「あぁー・・・あっという間だったよ。」
「ええー残念!俺、まだ一度も見たことない。」
「僕も、初めてかもしれない・・・。」
本当に悔しそうな顔で、また歩き出した進藤の背中を見ていた。
きっと、星が勇気をくれたんだろう。僕は、進藤のジャケットの裾を引いた。
「ん?塔矢・・・どしたん?」
進藤が驚いた様子で振り向いた。
僕は一語一語に心を込めて、声に出そうと務めた。
「今夜はここに連れて来てくれて・・・本物の星と蛍を見せてくれて・・・ありがとう。今夜ここで君と一緒に見たこと全部、いつまでも忘れられないと思うよ。」
進藤が大きな目を更に見開いて、息を飲んだのがわかった。それから、ゆっくりと目を細め、口元を歪めた。
微笑の一歩手前。危ういくらい、綺麗な表情だった―――
この回は読み返せば読み返すほど、こっぱずかしいです………
あの頃はどうしてこんな話が書けたのだろう?
2009年の自分のためだろうか?
元々は連載の途中に挟んだ「16のお題」からでした。
その時のお題のタイトルは「落ちた星屑」というもの。
NOVEL
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