― Boy Meets Girl ―






この話は『アキラが生まれながらにして女の子』ですので
お好きでない方はスルーでお願いいたします。

アキラは何故か、小さい頃から男の子の格好をしています。
言葉遣いも完全に男の子です。
海王はリベラルな学校で、女子でもズボンOKだったということで(汗)

ヒカルは最初、アキラが女の子だと知らずにいましたが、泊りがけの仕事の夜
「塔矢〜、風呂に入ろうぜ!」と声をかけ、周囲の人を凍りつかせます。

そして当然アキラからは「この、どスケベ!」と睨みつけられ
初めて真実に気付いたのでしたー(笑)←おそっ。






アキラが碁会所を出たところで、ヒカルが待っていた。
待ち伏せしていたとも言う。

「…進藤?」

木枯らしが吹く中。
革ジャンを着込んだヒカルは、風を除けるように俯き加減だ。
少しだけ上目使いの視線が、アキラをグッと捉える。

「ちょっと付き合ってくれよ。どうせこの後、用事がある訳でもないんだろ?」
「君こそっ!そんなところで突っ立ってるところを見ると、暇なんだな。こんな日に気の毒に!」
「キャンキャン言うなよ。付き合ってくれるんだろ?」
「悪いが僕は疲れてる。」
「うん、わかる。お前、こういう日は苦手だよな。頑張って愛想振りまいて来たんだろ?」
「…言い方ってものがあるだろう。」
「別にいいじゃん。ホントのことなんだし。今日はさ、お前を疲れさせないように車借りて来た。いつものバイクじゃ寒過ぎるし。」

そこまで周到に準備されてはもう逃げられないと思ったのか、アキラも黙ってヒカルについて来た。



「進藤…この店は…。」
「予約取るの、結構大変だったんだぜ?」

それはそうだろうと、アキラは思う。
だってここは、如何にも男性が気合を入れて女性を誘う店だ。

それぞれのボックス席は窓に向かうように配置され、眼前には海岸沿いに煌く遊園地が広がっている。
夜景を引き立てるかのような暗さ。ロマンチックな内装。

「運転するから酒は飲めないけど、どうせお前も飲まないだろ?食事は美味いってさ。」

ヒカルにつられて一旦は席に着いたものの、アキラは居心地が悪かった。

周りのカップルはすっかり出来上がっている雰囲気で、ここを出たらすぐにでも、窓の外に見えるおしゃれな港のシティホテルに吸い込まれていくのだろう。

「進藤。一体どういうつもりで…。」
「どういうって…そうだな。意地悪したかったのかも…。」
「やっぱり!そうか…そうだったんだな、僕にあてつけるつもりでこんな店に!」
「だってお前さ、俺がここに誘ったその意味、わかんないんだろ?」
「意味って…意地悪の意味はひとつだろう!そんなに僕が嫌いかっ?」

アキラの大声に、周りの空気が固まった。
さしものアキラもマズイ…と気付き、心持ち背を丸める。

しかしヒカルは大して動じてもいない様子で、窓の外を見ていた。
ため息混じりの横顔が妙に大人っぽく見えて、アキラの胸はますますざわめく…

「なあ、塔矢…ここってどんな店に思える?」
「それは…バレンタインに男女が来るような店だろう。」
「ほら!そこまでわかってて俺の気持ちはわかんないの?だから意地悪したくなるんだよ。」
「進藤?」
「バレンタインに好きな子を連れて来る店だよ。決まってるじゃんか…。」
「好き…。」
「もうずっと前からわかってるんだろ?俺の気持ち―――」

どんだけサインを送ってたと思うんだよ、バレンタインの前だって…と。

ヒカルがそこまで言ったところで、急にアキラが遮った。低く、凄みのある声だ。

「ああっ、サインねぇ…受け取ったとも。君の言葉は忘れない。」
「…は?」
「忘れないよ、君がこの前、碁会所で僕に言ったこと。」
「ちょ、ちょっと待て…塔矢?」
「それを君が忘れて、そのくせイケシャアシャアとこんなところに僕を連れて来たんだったら、思い出させてやろう。」

ヒカルが呆気にとられているうちに、アキラは大きく息を吸った。
形勢逆転だ。

「君は僕に言った。僕からのバレンタインのチョコレートなんて要らない、と。」
「えっ…い、つっ…。」
「この前、最後に中野の碁会所で打った時。北島さんやみんなが、僕から期待している…みたいな話になった時だ。君は僕の方を見もしないで…ボソッと…でも―――はっきりと!」

キッ!
アキラの黒い瞳が、ヒカルを鋭く睨みつける。
ヒカルは縮み上がった。完全に飲まれている。

だが事態の深刻さに気付くと、慌てて立て直そうと試みた。

「ちちち違ーーーうっ!!そうじゃないっ!お前、誤解してるっ…ああぁ…。」
「誤解?は〜ん、言い訳したって無駄だ。僕はこの耳で聞いたんだから。」

今やアキラは、腕組みをしてヒカルを見下ろさんばかりの勢いだ。

そしてヒカルは、その時のことを思い出していた―――



…あの時。
碁会所では常連さんが勢ぞろい。
バレンタイン話で盛り上がっていて、碁盤を挟んでいるだけでも声が遠かった。

ヒカルはそこで思わず言ってしまったのだ…

―――義理だったら、お前からはいらねえよ…

そうだ!言った!確かに俺はそう言った!
義理チョコなんて…北島さんや広瀬さんと同じチョコなんて要らない、だって俺が塔矢から欲しいのは本命チョコなんだから!

そう伝えたかったけど、最後まではとても言えなくて―――



「…な、んだって…義理だったら、要らない?」
「そうっ!お前、その頭んとこ聞き逃したんだって!お前からのチョコが要らないんじゃない!義理チョコだったら要らないって…。」

誰がオッサン達と同じ、スーパーに山積みされているような500円のチョコ貰って嬉しいんだよ―――本命の女の子からさ!

ヒカルの説明を聞いているうちに、アキラはヒュルヒュルと体の力が抜けていくのを感じていた…

「じゃあ僕は聞き間違えて…それを信じて…。」
「あん時さ、確かにワイワイガヤガヤ煩かったよな?だからお前が、その『義理』ってトコ、聞き逃したのは無理もねえけど…。」

でも、ちゃんと考えたら俺がお前からのチョコ要らないなんて、言う訳ないだろ?

再び、形勢逆転。
ヒカルは膝をアキラの方へと向けた。

コの字型に配置された椅子は、明らかに二人掛けだ。決して広くはない。
少し体勢を変えるだけで、こんなにも二人の距離は近くなる…

「わかったろ?俺さ、もう義理チョコすら辛いんだ。お前からは本命しか欲しくない。お前の本気しか…塔矢―――」

思わずアキラは仰け反った。

こんなムーディな店でヒカルと対峙したことはない。
こんなに顔が近付いたこともない。

カーッと燃え上がるように、アキラの頬は熱くなった。

「…こっ…ここは奢りだろうな。君が紛らわしいのが一番いけないんだ。」
「あ、ああ、勿論!今日のデート代は俺持ちってことで!」
「デッ!?…変な言い方するな!」
「ええ〜、だってこの後、あそこの遊園地で遊ぼうってチケットも買ってあるんだぜ?オールナイトだってさ。いいだろ?」

ヒカルがポケットからチケットを取り出して見せると、アキラはその一枚を素早くひったくった。

「別に行くとは決めていない。」
「じゃあどうしてそれ、貰うの?」
「僕の意思とは関係なく、僕の足が勝手に遊園地に向かうかもしれない。そ、その時のために…念のため…。」
「へーっ、お前の足がね!意思とは関係なく、ね!」

ヒカルがニヤニヤ笑いを堪えている様子が、憎らしい。
ほんっとーーーに憎ったらしい!

アキラがテーブルの下でヒカルの足を小突けば、ヒカルは痛そうに顔をしかめた。

…そう、それでいい。
余裕たっぷりの進藤ヒカルなんて、こっちが困る!

「大体、こんな店なら最初から言え。スカートじゃない女性はきっと僕だけだ。」
「いや、あのぉ、塔矢さん…スカート以前の問題で、その言葉遣いに態度がもう他の女性とは違うんですけど?」
「ふんっ!―――こんな僕がいいくせに。き・み・は。」
「参りました…。」
「まったく君ってヤツは、大切なこともドサクサに紛れて言おうとするし…。」

ヒカルがあっ…と、大切なことを思い出したような表情になり、それから真面目な顔になった。

「塔矢。ちゃんと言う。言わせて。…俺、お前が好き。俺と付き合ってください!」
「考えとく。」
「…っは?」
「考えておくと言ったんだ。返事は保留だ。」
「えーっ!?何だよ、それ…。」

慌てふためくヒカルの顔がおかしくて、してやったりとアキラは笑った。

出会ってからは随分と長いのに、男女のお付き合いは始まったばかりだ。
形勢が簡単に傾く。碁とはまた違う危うさ。

「観覧車…綺麗だな。この店を出て、僕の足が最初に向かうのはあの観覧車、かも…。」
「えっ…そうなの?お前、あれに乗りたい………って、お前の足が、ですね、はい。」
「あの観覧車の中で何か言う…かもしれない。」
「あのさ〜、それって焦らし?」
「告白というのは、二人っきりの時にするものじゃないか?」
「塔矢…。」

なにやら勝手に目を潤ませているヒカルを見ていると、アキラの胸にも甘ったるい気分がヒタヒタと満ちて来るのだった…













バレンタインの数日後には、ヒカルとアキラのことはすっかり棋院中に広まっていた。

「やーっとくっついたのかよ〜、アイツら!」
「っつかさ、まだデキてなかったって方が不思議じゃね?あんだけ毎日一緒にいてさ〜。」

若手が集まれば、この話題で持ち切りだ。

「さっさと結婚でもしちゃえばいいのさ。塔矢も進藤も無駄に周りを振り回して傍迷惑だよ。」

厳しい一言は越智。
どうやら越智はアキラが男みたいに振舞っていることが気に食わないらしく、アキラの話題になると一層辛らつになるのだった。

「ここだけ情報。内緒な。進藤のヤツ、バレンタインデートにこぎつけたはいいけど、まだ手も握らせてもらえないらしいぜ。」

哀れだよな…と、少し酒の過ぎた和谷が天井を仰ぎ見た。

「それってどんなデートだよ?並んで歩いてただけーってか?」
「一応、夜の観覧車には乗ったことは乗ったらしいんだ。でもそこで…。」
「観覧車!密室!美味しいシチュじゃんかー。」
「それが全然美味しくなかったらしい…。」
「はあ?どういうことさ。逃げようにも逃げられないし、夜景も見れて雰囲気バッチリだろ?」
「だから相手は塔矢アキラだぞ…。」
「えっ…なに?」
「それがさ…塔矢、観覧車の個室の中で何て言ったと思う?」

そこで皆は固唾を呑んで、和谷の次の言葉を待った…

「ここに碁盤があったらいいのにって言いやがったんだぜ!!」



―――それは本当だった。

ヒカルがそっちへ行っていいかと隣に座ろうとすれば「わーっ傾く傾くっ!あっち行けっ!」と、顔を真っ赤にしてパニクる。

高いところが苦手なのかと心配すれば、苦手ならこんなとこ来るかとうそぶき、口を尖らせる横顔が無性に可愛く見えて迂闊に手も出せやしない。

じゃあ、俺、ちょっぴり怖いから手繋いで?と、今度は甘え作戦に切り替えてみても、手をビシリと叩かれただけだった…「男なら怖くても顔に出すもんじゃない!」

ムードもへったくれもない観覧車デートの見本みたいなものであった。

だがしかし、アキラにしてみれば無理もない。
その数日前にはヒカルから「お前のチョコは要らない」と言われたのだと思い込み、実はかなり落ち込んでいたのだ。泣いてもいたのだ。
人知れず「進藤なんかにあんなことを言われるなんて!」と悔し涙にくれたが、真実は悔しいのではなく、悲しいのだということからも目を逸らしていたアキラだった。

そんな顛末の末に降って湧いたデートなのだから、当然、心の準備というものが出来ていない。

ところが覚悟を溜め込んでアキラを誘ったヒカルの方は、喜びを隠しもせずにアキラを熱く見詰めて来る。
しかも余裕がないものだから、どうやってアキラをリラックスさせたらいいかもわからぬまま、ただひたすら見詰めて来るだけなのだ。

―――ここには碁盤がないから落ち着かない―――

などと、観覧車には気の毒なことまでアキラに言わせ、結局、ちぐはぐなまま二人の初デートは終わったのだった。



「…ところで進藤は?」

散々腹を抱えて笑った後、誰かが尋ねる。

「ああ、明日塔矢んちに呼ばれてるらしい。前日は禁酒するってさ。いっぱしに気、遣ってんのかねー。」
「明日?何かあんの?」
「ほら、あれ、女の子の…ひな祭りってーの?家族でお祝いするらしい。」
「おとこおんなでも、桃の節句を祝うとはね。」
「越智〜、そこまで言うか?」

ヒカルとアキラの二人を酒の肴にしながらも、ちょっぴり羨ましい面々だ。
長年、口には出さずに牽制し合って来たものの、実は美しく成長したアキラのことを、誰もが気になる異性として見ていたのだから―――



「進藤さん、そんなに硬くならないで?ほほほ…。」
「あっ、や、そうかな…俺、変かな…。」
「主人は生憎仕事で遅れますけど、先にお食事しちゃいましょうね?アキラさんも手伝ってくれたのよー。」
「塔矢がっ…料理…っ…。」

アキラのエプロン姿を想像し、ヘニャリと腰砕けを起こしそうになったヒカルである。

「そうそう、今、お吸い物をあっためてるところじゃないかしら。進藤さん、ちょっとお台所を手伝ってあげて?」
「はっはははいっ!」

アキラと付き合い始めて最初のお呼ばれだ。緊張しない筈はない。
右足と右手をいっぺんに出すようなぎくしゃくした足取りで、ヒカルは台所に向かった。

「…アツッ!」
「っ!?」

まさに、ヒカルが台所を覗こうとした時だった。
アキラの叫び声が聞こえたので慌てて入ろうとしたら、アキラが着ていたセーターを脱ぎ出した。
びっくりし過ぎて固まる。口が閉まらない。

「僕ときたら…慣れないことするからかな。馬鹿だ…。」

小さく呟く声まで、妙に色っぽく聞こえる。

どうやらアキラは熱い汁を二の腕辺りにかぶってしまい、着ていたセーターごと脱いで冷やし始めたらしい。
すなわち、上半身はスリップとブラジャー姿なのである。

塔矢でもちゃんと女ものの下着、つけてるんだ…

ヒカルはその後姿に呆然と見入る。
無駄な肉のない、滑らかそうな肩から背中のラインが見え、真っ白い下着に覆われた胸元はささやかだが、ちゃんと女性らしい膨らみもうかがえる。

いきなり見せられたアキラの素肌に、ヒカルの心臓は口から飛び出さんばかりに打ち鳴り始めた。

一方のアキラは、ヒカルに見られていることにも気付かずに、身をかがめ、水を流しっぱなしにしながら腕を冷やすことに集中している…



「…進藤さぁん?どうなさったの?」
「えっ―――進藤っ!?」
「わわっ、ごめんっ!見るつもりじゃなかったんだけどっ、俺っ、あのっ…。」
「あっち行けっ!スケベッ!」
「ご免ご免、塔矢!―――っ…ぁ…。」

アキラから投げつけられたお玉をスッコーン!と見事におでこで受け止めて、ヒカルがダメージを食らったのは言うまでもなかった。



その数分後、座敷でのことだ。
責任を取ってくださるんでしょうね?進藤さん…と軽い調子で言う明子に向かって、アキラが吼えた。

「馬鹿なこと言わないでくださいっ、お母さん!」
「あっら〜、進藤さんは喜んで責任取ってくださりそうよ?」
「お、俺なら勿論…。」
「進藤は黙る!…お母さん、肌を見られたくらいで変なことを言うなら、もう二度と進藤をここへは呼びませんから。」
「ほほほ…ちょ〜っとからかっただけじゃないの〜怖い子!第一、アナタは緒方さんや芦原くんとも小学生まで一緒にお風呂に入っていたんだものね。そんなこと言ったら、あの二人もおムコさん候補だわ。」
「お母さん!!??」
「えっ…そうなの…。」
「そう言えば、今日はお二人も来るって。よっぽどあなた達のことを祝福したいのねえ…ほっほっほ…。」

明子婦人の問題発言に、その晩もまた、雲行きが怪しくなって来た。

少なくとも二人の前には、甘い雰囲気になるまでに越えなければならない高い山がいくつもいくつも待ち構えているのは、間違いなかった。













春の夕闇が、独特の色で二人を取り巻いていた。
夕飯の支度だろうか、食べ物の匂いと花の匂いも入り混じって空気がまったりと濃い。

今日は世間で言うところのホワイトデーだ。

アキラからちゃんとチョコレートを貰った訳でもないのに、ヒカルはバレンタインの時と同じように気合を入れて外デートを敢行した。
くれぐれも言うが、自分はもらっていないのに―――だ。そこが泣かせる。

というのも、ひな祭りの夜はヒカルにアキラを掻っ攫われた塔矢門下の怒り?の血祭りにあげられて飲まされるわ、恥ずかしい告白は(何だ?)させられるわ、散々弄られたのである。
楽しくなかったとは言わないが、ホワイトデーまでこれでは懲り懲りだというのも、ヒカルの偽らざる本音であった。

とは言え、今回も碁会所で打っていつもよりは少しばかり小じゃれた店で食事をしたくらいだ。
二人とも次の日に大切な仕事がある為、前回のような夜更かしは出来ないし、相手がヒカルだとわかっている以上、これまた紳士的に早めに家に送って行くしかない。

こうして二人は帰途についたのだった。



そして塔矢家までアキラを送って行く際、ヒカルは普段使うのとは別の駅で降りた。
アキラも、特に文句も言わずについて来る。

ヒカルがそうしたのは、そちらの駅の方が遠くて人通りも少ないのを知っているからだ。
遠回りする分だけ、一緒に歩ける時間が長くなる。人気がない分だけ、二人きりになり易い。
ヨコシマな考えは見抜かれているかもしれないが、ここまで来たら押すだけだ。

ヒカルの予想に違わず、人通りはすぐに途絶えた。

「春だよなぁ…あっちこっち梅でいっぱい。綺麗なの…。」
「そうだね。」
「今度は桜が楽しみだな。…な?」
「うん…あのさ、この道の両側も全部桜なんだよ。」

柔らかく笑うアキラ。
こんな時のアキラは本当に可愛らしいなぁ…と、ヒカルはドキドキする。

どうしようどうしよう…
こ、これはいい雰囲気、じゃねえ?
今なら塔矢も手を繋がせてくれるかもしれない…
そうだ、今…なら…

辺りを高速でチェックしたヒカルは、えいっ…と手を伸ばす。
ところが緊張の余りか薄暗いせいか、その手は狙いを微妙に外してアキラの腰から尻の付近を撫で撫でっとしてしまったのだ。

「ひゃっ!…っなんだ!?」
「ちっ、ちがっ、とーやっ………ゴフッ…。」

アキラのエルボーがヒカルのみぞおちに見事に決まり、ヒカルの手は虚しく空を切っただけに終わった。

「僕が空手有段者だってこと、忘れるな!変な近付き方をすると痛い目にあうぞ?」

雄雄しく言い放つアキラに向かって、ヘニャヘニャの笑みを向けるのがヒカルの精一杯のプライドだった。

手を繋ぎたかっただけなのに、とブツブツ言えば、アキラは聞こえないふりをしているらしかった。
そっと窺い見ると…耳が赤い。

なるほど。
アキラなりにヒカルの意図は理解しているのだ。
それでも簡単にヒカルの流れに乗りたくないだけなのだ。

そんなアキラの複雑な心境をわからないでもないヒカルは、今は素直に手を引っ込めた。
代わりに両手を組んで空へと掲げる。
大きく伸びをしたヒカルは突かれた胸に痛みを感じて、うっ…と呻いた。

アキラもさすがに申し訳ないと思ったのか、大丈夫かと声を掛ける。
平気だと答えるヒカルに向かって、アキラは複雑そうな表情を見せた。

「この道だから…。」
「え?なに?」
「君がここで手を繋ごうとする、から…。」

ヒカルはますます怪訝そうな顔で、アキラに寄る。
肩が触れるくらい近くになっても、アキラは逃げなかった。

「この道…よく、父が手を繋いでくれたんだ…。」
「えっ…あ、塔矢先生が?」
「ん…。」

アキラはスイッ…と顔を上げると、遠い目をした。

「忙しい人だったから一緒に出掛けることも少なかったし、そうであっても子ども心にも遠慮しちゃうというか…繋いで欲しいと自分からは手を伸ばせなかった。」
「そっか…。」
「よっぽど緒方さんの方が手を引いたり、肩車してくれたり…あったかもしれない。っはは…。」

―――触れたい。

塔矢に触れたいと、ヒカルは強烈に思った。
初めて見るアキラのどこか切ない表情に、ヒカルの心は大きく突き動かされたのだ。

しかし、ヒカルは何とか思い留まった。
アキラがまだ何か話したそうにしていると、空気で感じたからだ。

「…でもね、父とこの道を通る時は必ず握ってくれた。だから僕はここを歩くのが好きだった。父との想い出のひとつ、かなぁ…。」

今、ヒカルは隣にいるアキラの思い出を、自分も一緒に感じてみたいと思った。

…小さな小さなアキラ。
多分、その頃から既に男の子の格好だ。アルバムで見たことがある。

おかっぱ頭を揺らしながら元気に歩くアキラのその手を、「ほら、アキラ、そんなに跳ねて歩いては危ない」などと言いながら、手を握ってくれたのかもしれない…

「いつだったか…この道を歩いている時だったというのははっきりと覚えているんだが…お父さんに訊いたことがある。僕、囲碁の才能があるかなって。」
「へえ…塔矢先生、何て?」
「―――内緒。君も棋士なら想像してみるんだな!」

そう言って、アキラは明るい笑い声をたてた。おかっぱが揺れた。

きっとこの髪は、その頃から全く変わっていない。
塔矢先生も愛した、艶のある美しい黒髪。
何度も何度もこの頭を撫で、健やかな髪の感触に愛しさを募らせたに違いない。

ヒカルは眩しさに目を細め、アキラを見詰めた。

そんなヒカルと目を合わせたアキラは、何かを思い出したみたいにハッ…となった。
それから顔を逸らして、再び歩き出す。
ヒカルも慌てて追い掛けた。



それはヒカルがアキラの横に並びかけた時に起こった。塔矢家まで三分もない距離だ。

「…ここはきっと、誰かと手を繋ぎたくなる…そんな不思議な道なんだな。」
「塔矢…。」

アキラの手が、ヒカルのそれを握ったのだ―――

そっぽを向いているように見えても、アキラの方は狙いをたがえなかった。
急なことに驚きながらもヒカルとてその手を離すつもりは全くなく、しっかりと握り返した。

「今は俺でいいの?」

…何て声だろう。
静かに問うヒカルの声には、アキラに対する愛情が溢れている。
こんな声を出されたら、どんなに鈍い人間にだってヒカルの気持ちは丸判りだろう。

「君だから…。」

出来るだけぶっきらぼうに言おうとしたのに、アキラの声にもまた隠しようのない愛情が滲んでいた。

―――君だから、許す。
この手は僕とずっとずっと打ち続けていく、それも僕を失望させない碁を打ち続けていく、そんな誇りに満ちた手だろう?

アキラらしいと言えば、アキラらしい…

やっぱり最後は愛情よりも碁なのかもしれないが、碁と愛情を切り離せないアキラの生き様すらも愛しくてならないヒカルは、何の不満もないのだった。






※※※


繋ぐと決めたら堂々と自分から手を繋ぐ、あっぱれアキラ子さん(笑)
三話書いてもなかなか甘くならなくて、でも、男女のカプだからこそこういのがいいかも〜…と思っていましたね(^^)
ノーマルカプのラブシーンは、案外難しい!



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