― 許されない恋 ―
「お前、さっきあの人と何話してたの?」
「あの人って……」
進藤の指し示す人が誰であるかわかっていたけれど、僕は敢えて問い返した。
「ほら。あの目が不自由だっていう、年とった白髪の長い髪の……」
「んー……何か聞こえたの?君」
「いや、そうじゃねーけど。でも、お前嬉しそうに話してた。あんな初対面のじーさんと話して何が楽しいのかなって」
ちょっと不思議になって、さ。
最後は消え入るような呟きだった。
僕らは同じパーティに出席しての帰り道だった。
二十歳になって晴れて解禁になったものだから、今夜は二人とも散々飲んで飲まされて、心配した棋院の人にここまでタクシーで送られた。
進藤は今、僕の実家の近くに一人暮らしをしている。だから一緒に彼のマンションの前で降りて、送ってくれた人と別れた。
ちょっと二人で三次会、いや、四次会だっけ?飲んでかない?と誘う彼に従って、一緒にエレベーターに乗った。
しかし、上昇を始めた途端ぐっと吐き気に近い感覚が襲ってきて、僕はしゃがみこみそうになったのだ。
僕の異変に気が付いた進藤が、慌てて肩を支えてくれた。荒く呼吸をする僕を、彼が心配そうに覗き込む。
やっと入った進藤の部屋で、僕は早速ソファに掛けさせられた。
水を持って来てくれた進藤は、自分は早速酒の準備をしている。俺、ビールだったら水代わりなんだ。いくら飲んでも大丈夫、なんて言い訳して。
そして、くだんの問いをしてきたのだった。
進藤はその人と僕が話している様子から、何かを感じ取ったのだろうか?まさか……と思いながら、僕は今夜の出来事を振り返っていた。
パーティで会ったその人はコンサルティング会社を経営する傍ら、自らの不思議な力をもって人の心を読んだり、未来を見たりするそうだ。
驚異的に当たるというが、誰にでも、どこでも……ということではないらしい。有名無名、たくさんの人が彼に相談を持ちかけるが、期待に添えないことの方が断然多いという。
その人が偶然にも僕と二人きりで話す時間が出来た時、僕にこう言ったのだ。
「許されない恋をしているのかね?」
心臓に、杭のようなものを打ち込まれた気がした。ズシン……と、重くその言葉が圧し掛かる。
――― 許されない 恋 ―――
流石だと思った。噂されるだけあって、何でもお見通しなんだろう。では、隠しても誤魔化しても意味はない。
僕は静かに頷くしかなかった。
「……そうか。君のような青年は初めてだな。君が近寄ってくると何やら清々しい気持ちになった。君はとても、綺麗な青年なんだろう。それは姿形のことだけではないよ」
穏やかな口調は、その人の言葉がお世辞ではないと十分に感じさせる自然さだった。面映い気持ちになりながらも、僕はありがとうございますと頭を下げた。
その人はとても不思議な人だった。
オーラとでもいうのだろうか。身辺からは言葉に表し難い威圧感のようなものが漂ってきて、それが決して不快ではない。むしろ、何か大きなものに包まれ癒されているかのような……
肯定してしまうと、それまで誰にも言えなかっただけに急に僕の心は軽くなった。この人には何を話しても大丈夫だと、本能が告げていた。
「わかるのですか?僕の心が」
「そうだね。誰の心でも見える訳ではないが。私が選んでいる訳でもない。ただ、見える瞬間をいただく……そんな感じだね」
畏怖を感じながらも、僕は問うことを抑えられなかった。
「では、僕の恋が本当に誰にも許されない……実りのないものだということも?未来が……見えますか」
「本当に君の恋が禁断のものであるのか……私にはわからないよ。そういうことではない。私が感じたのは、君自身が自分の恋を許されないものだと思っている……そういうことです」
「僕自身が……」
言われたことを、噛み締めるように胸の内で反芻した。
「そしてもう一つ。面白いことも感じる」
「え?」
「君はそれでいいと思っているでしょう?許されない恋のままでいいと」
自分の顔を、生まれて初めて鏡に映して見せられたかのように―――
最初、僕は驚き戸惑い、それからゆっくりゆっくりと、そうだ、そうなんだと全てを納得し、目の前の人に静かに頷いた。
見えない筈のその人は気配で感じるのだろうか、今度も僕の肯定をしっかりと受け止めてくれた。
許されない恋は、許されないだけの理由があるのです。
僕のこの想いは叶ってはいけないもの。一生秘めて生きてゆく。
愛しい彼の、幸せの為に―――
今、目の前にその愛しい人がいる。
ネクタイを緩め、四肢を投げ出しくつろぐ僕を、進藤が酔っ払いの顔で見ている。
僕自身も相当酔っていると、急に気が付いた。ここまで飲んだのは初めてだったから、最初はどれくらい酔っているのかすら自覚がなかったのだ。
だって。
酷く酔っているのでなければ、僕はこんな中途半端な告白話を始めなかっただろう―――
「……許されない恋をしているだろうと、言われた」
「え?お前のこと?」
「うん。僕が。許されない……恋を……」
進藤が酔った頭でも理解出来るようにと、はっきりと発音した。
すると彼の顔が怒っているかのように歪んだ。むくんだ紅ら顔は、醜いくらいだと思った。
「そうなの?お前、本当に好きな人が……」
「いるよ。好きで好きでたまらない。その人を思うと頭がおかしくなりそうだ。でも許されない、決して」
「塔矢。知らなかった……俺、まさかお前にそんな女が……」
「知る筈ないだろうっ!君がっ!ははは……君は、僕のことを何も知らない。知る必要もないさ。……僕がこんなに苦しんでるなんて……死ぬほど好きな人がいるなんてっ!」
吐き棄てるように言いながら、僕はどこかでカタルシスを感じていた。その相手は進藤、君だよとは、口が裂けても言えないけれど、ただそんな強い恋情が僕にだってあるんだということを伝えるだけでも、心の澱が流れ出ていくような気がした。
しかし叫んだことで頭に血が昇ったのか、僕は不意に眩暈に襲われた。それを鎮めようと、目の前に置かれたグラスを一気に飲み干す。
その様子を、進藤がじーっと睨み付けるように見ていたのを肌で感じていた。
音を立ててグラスを机に置く。ふーっと大きく息を吐きながら、思いっきり咽喉を仰け反らせた。
そこへ、低い声が聞こえた。
「塔矢、お前、酔ってるよな?俺もスゲー酔ってる。だから明日になったら全部なかったことにして。お願い」
「進藤?お願いって……」
一体進藤は何を言い出すのだろうと訝しがりながら、彼の方を見た。
荒い呼吸に上下する肩。わななくように震える唇。爛々と光りを放つ瞳。
一瞬にして、これだけのものが僕の目に飛び込んできた。
そこには、切羽詰った空気を全身から漂わせた進藤ヒカルがいたのだった。
「お前の好きな人のこと、邪魔するつもりはないよ。お前の性格はよく知ってるから。でも、今だけは……忘れて。お願いだ。酒のせいにして。今だけは俺を見て。塔矢、俺のものになってっ!」
「しんっ!―――っ!!」
後は声にならなかった。
凄い力で抱き締められ、噛み付くように口付けられた。強く吸われて思わず開いた口の中に、あっという間に熱い舌が入り込んで来たかと思うと、激しく貪られる……
その晩―――進藤は僕を思い通りにしたのだった。
進藤の愛し方は決して慣れているわけでも、思いやりがある訳でもなかった。
むしろ稚拙で、彼が本当に必死なのがありありと伝わってくる。舌は乱暴に口内のあちこちをさすらい、息遣いも飢えた動物のように生々しく、荒い。
でも……
本能剥き出しで僕に挑んで来る進藤が、気が遠くなるほどいい。嬉しい。もうそれだけで、凄く感じる……
あっという間に二人の間で堅く大きく育った部分を布越しに擦り付け合った途端、心臓が跳ねて息が止まりそうになった。
進藤は、引き攣れたような呼吸の僕のことを、嫌がっているからだと思ってはいやしないだろか?
僕が大きく喘いで酸素を求め、頭を打ち振るたびに、彼は僕に人工呼吸で酸素を吹き込もうとするかのように唇を乱暴に塞ぐ。
離れては吸い付き、舐め尽くしてはまた離れ。二つの唇の僅かな隙間に垂れる唾液もそのままに、僕の名前を呼ぶ。
塔矢、とうや、とうや、とー、や……いい?……痛くない?……大丈夫、息、苦しいの?
湿り気のある声は、彼も泣き出しそうになっていることを僕に知らしめる。
君は今、泣きたいくらい、同性の友達を犯そうとしている自分を恥じてるの?
それとも―――
泣きたいくらい、乱れた僕とこんなことすることのが嬉しいの?
……もうどうでもいい。
今、この瞬間の彼の欲望と僕の欲望をシンクロさせて共に昇って行けるのなら、何をどう受け取られてもいい。
好きでもない(と、進藤は誤解している)相手との、一夜の快楽に流されてしまういい加減な男だと思われたって構わない。
僕は、自ら積極的に彼の体を、彼との濃密で隠微な時間を求めていることを、隠さそうとはしなかった。
―――今夜出会った、不思議な老紳士の顔がよぎる。
僕は、決して綺麗な人間なんかじゃない。
汚い。欲望にまみれている。そしてそれを、仮面の下にひた隠しにしている。
この前、進藤と一緒に泊まりの仕事があった時も如実だった。風呂場で見た彼の裸身にどうしようもなく感じて、苦しくて苦しくて。
洗い場でも浴槽でも、不自然でない程度に離れていたのに、進藤は無邪気な様子で背中流してくれよ〜などと近寄って来る。
いつの間にか広くなった肩や、逞しく焼けた背中を見せられて、どうして僕が君の背中を流さなきゃいけないんだと、つんけんとその場を立ち去るのが精一杯だった。
その夜。
僕はこっそりと自分で自分の欲望を宥めるしかなかった。
誰にも見られない場所なんて一つしかない。
でも、そこでそうするしかなくて、自らの手をたくさん汚す僕。
……君が近寄って来ると、清々しい気持ちに……
周りに大勢の知っている人間がいるというのに、隠れてそうしなければならなかった自分が酷く浅ましく、惨めだった。
しかし、同時にその僅かな時間、僕は真っ直ぐに進藤へと向かう欲望で隅々まで満たされ、今まで経験したこともないような突き抜けた快感に、暫く震えを止められないほどだった。
秘密ゆえに。
許されざるゆえに。
僕の悦びは、底知れなかった。
……君はとても、綺麗な青年なんだろう……
いいえ。そうではありません。
僕は綺麗な人間などではありません。
許されざる恋に身を焦がし、いつもその人のことばかり目で追ってしまい、その映像を密かに持ち帰っては彼と抱き合う淫らな妄想に身を委ね、欲望を飼いならしているのです。
ましてや。本物の彼の肉体に触れなどしようものなら、理性など消し飛んでしまうかもしれません。
何度も何度も、進藤の肌と自分のそれがじかに触れ合う瞬間を夢想しては、自分を慰める僕のどこが綺麗だというのでしょう?
―――言わないでください。
そんな、羞恥に消え入りそうなことを、どうか言わないで―――
叫び出したい衝動を抑えられたのは、そこがパーティ会場だったから。もしもその人と二人きりだったら、何もかもを吐露して泣き出していたかもしれない。
そんな切羽詰った夜だったから、酔いも早かったのだろう。一生秘めると誓った筈の気持ちを中途半端に告白をしたばかりか、進藤の理由のわからない情熱に巻き込まれて。
……酔ったせいにして……明日は忘れて、全部……お願い……だから今は、今だけは…………
壊れた機械のように繰り返す進藤の体を、深く胸に抱き寄せた。
いつの間にか衣服から引き出された彼自身と僕自身を絡めて、腰を揺らす。押し倒された場所であるソファが、音もなく軋む。
絶頂の瞬間は、股間のものが潰れるのではないかと思うくらいに互いの腰を強く強く押し付け合った。自分のもので相手のものを悦ばせているのだと思うだけで、至福のあまり脳内が真っ白に塗り潰される。
僕らは、いつまでも腰で腰を撫で合うというはしたない行為に溺れ、ドロドロした証を出し続け混じり合わせる自分たちを、淫らで恥ずかしいと感じつつも止められなかった……
それから進藤は脱力した僕を抱きかかえ、ベッドまで連れて行った。
その間も、まだ酔ってる?…もっと飲みたい?飲んで何も考えたくない?…明日になったら忘れて、だから、まだしてもいい?…先をしても、いい?と、訊ね続ける。
しかしそれは僕の気持ちを確かめるというよりも、自分の決心を固める為の作業のようにも感じられた。
僕が抵抗さえしたら、夜はここで終わる。明日の朝には酒に酔って何も覚えていないことにすれば、それはそれで済むに違いない。
でも。
僕は抵抗しなかった。
する気も起きなかった。
本当は、抵抗すべきだったのに。
そのことも、痛いほどにわかっていたというのに―――
ベッドで抱き合い始めると、進藤は箍が外れだのだろう。感極まったように僕を抱き締め、耳元で囁いてきた。
……好き。塔矢、好き。凄く、好き……お前に好きな女がいても。
お前がどんな苦しい恋、してたって。俺、お前が死ぬほど好き……好きでたまらない……
俺も、許されない恋、してたんだ………
まるで夢だ。
こんな夢を何度だって見てきたから、現実との区別がつかない。
酒になのか進藤になのかわからないが、僕は何かに酷く酔っ払った状態のまま、ただ狂ったように彼の名前を呼び続けた。
目が覚めたのは、僕の方が先だった。頭に鈍い痛みが走り、二日酔いだと自覚する。
しかし、昨日起きたことは哀しいことに全部が全部鮮明に思い出され、僕はそっと隣で眠る進藤を見た。
……何て幸せそうな寝顔なんだ。朝日がカーテンの隙間から差込み、子供っぽくすらある彼の寝顔を照らす。
それを見詰め、僕は何てことをしてしまったんだろうと愕然となった。自分の愚かさと、未熟さを前に、彼の幸せを願って昨日まで耐え忍んできた努力全てを無にしてしまったのだと、思い知る。
確かに進藤も僕に興味があるということはわかったものの、それは僕と同じ重さ、真剣さかどうかまではわからない。一種の熱病のようなものかもしれない。僕が昨晩、煽るようなことを言ってしまったせいかもしれない。
愛する彼の幸せの為に、叶わずともそれこそが望みだと思い決めていた、許されない僕の恋―――
今だったら、引き返せる。彼を、許されない世界へと連れて行くことはない。
僕は僕で気持ちを隠して、進藤の言うように、泥酔のあまりの有りうべからず過ちとして封印すれば、また普通の友達同士にだって戻れる。
……迷っていた。
僕がまだどうしようかと迷っているうちに、となりの進藤が身じろぎして不意に目を開けた。
開けたと同時に幸せそうな表情はかき消え、彼が僕の方を見た。
ゆっくりと……その顔は歪み、腫れぼったいまぶたに半分覆い隠された瞳はみるみる内に濡れていく……
ああぁっ、彼は待っている!怯えながら、僕の審判を待っているのだ。
昨夜のことを、酒のせいで忘れてくれていいからと何度も訴えながら。
本心はそうではない。僕の決断を待って、心を震わせているのだ。
もう、この瞳に抗う術はなかった。
僕は自分でも予期していなかった一言が口から滑り出るのを、どこか他人事のように聞いていた。
「……愛してる……ヒカル……」
それは、最後の最後まで悩んで、でも自分では口にすることは一生ないだろうと思っていた真実の想い。
やがて進藤の瞳からポロリ……と、宝石のような雫が一つだけ零れた瞬間。
許されない恋の成就により、今度は新たな許されない道へと二人して踏み出したことを、僕は知ったのだ―――
Qさま、おめでとうございます!!(伏せ字になっていなくてすみませ^^;)
この話の再アップという形で、私の喜びを表してみましたーvv