― 夕陽と桜 ―









まどろみの底からゆっくりと、意識が浮上する。眩しいと感じた次の瞬間には、広い背中がアキラの目に飛び込んで来た。

「目、覚めた?」
「ご免…寝てしまったのか、僕は…」
「ヤリ過ぎた?俺…」

声音は柔らかいが、そこには濃い交わりの余韻が隠しようもなく滲んでいる。
振り向いた恋人は、何も身につけていなかった。肩の曲線が光を弾いて輝く。そこには、胸が詰まるような十代の終わりの危うい若さがあった。

「いや、僕もちょっと…夢中になり過ぎた…」

正直に言えば、ヒカルが驚いた顔をした。

「嬉しいかも…お前がそんなこと…」
「そう?」

アキラはベッドから降りようとしたが、腰のだるさはハンパではない。つけられたばかりの赤い痕が胸や腰にも点々と散っているのが目に入ると、甘い疼きがアキラの体を揺さぶった。

大丈夫?と言いながらヒカルはアキラの肩を抱いて立ち上がらせ、春の暖かさに少しだけ汗ばんだ肌を重ねる。
啄ばむようなキス。髪に差し込まれた指。鼻に抜ける息遣い。
足首から角度をつけて折ったヒカルは、その足先でアキラのすねを往復するように撫で擦り、項垂れた二つの塊は当然のように二人の間で捏ね合わされた。

体に火が灯るその直前に、アキラが顔を離した。

「…えっ…もう、夕方?」

すっかり傾いた春の陽光は、トロリとしたオレンジ色に部屋を染めあげていた。

「だぜ。…なあ、外、見てみる?川沿いの桜並木がスゲエ綺麗」

体を無理に絡ませ合ったまま、窓辺に移動する。一時も相手の熱を手放したくない。歩き辛くても、そんなことは一向にかまわない。

窓のカーテンを少しだけ開け、下半身をそのカーテンで隠すようにすると、二人は裸のままで眼下を見下ろした。人に見られたらとんでもないが、一瞬の冒険だと割り切れば恥ずかしさも背徳感も消えた。

「綺麗だろ?」
「そうだね」
「?…なぁんだ、あんまり感動してねえの?桜並木をこーーーんな高いところから見下ろせるんだぜ?このホテルのこの部屋空いてたの、絶対にラッキーだぜ?」

アキラは無言で窓外を見下ろし、それからヒカルの手を軽く振り払った。ベッドへと戻ろうとするアキラの背中を、ヒカルが引き止める。

言葉はなく、うなじに吸い付いたヒカルは粘った音を立てながら愛撫を繰り返し、前に回した手でアキラの乳首を摘んだ。指先で捻りあげるようにすると、アキラの腰がゆらめく。
胸への愛撫に弱いアキラは、服の上からヒカルに撫でられるだけでも腰砕けを起こしそうになるのだから、ダイレクトに弄られれば感度が振り切れるのも無理はなかった。

「どうし、て…」
「ん?」
「どうして桜は毎年咲くんだろう…どうして…」
「………なに?」

ヒカルは鼓動が早まるのを感じつつ、訊ねる。

「桜の下で君に拒絶された…あの、春…中学生になったばかりの…」
「あっ…まさか、お前………葉瀬中の………理科室………」

―――あれから幾度も巡って来た桜の季節。
どうしても思い出さずにはいられなかった、初めて他人によって与えられた傷であり、胸の痛みであり。

そしてその傷をつけた張本人に惹かれ、反発し、また魅せられ、その繰り返しの中で次第に覚悟を固めて―――今は二人、ともにある。

「忘れられなかった…あの日の怒り、悔しさ、焦り…混乱…桜の季節が来るたびに、僕を言葉に出来ない息苦しさに、突き落とした…」
「アキラ…」

ヒカルの愛撫が止む。その代わり、もっと強く抱き締められた。

「桜が嫌い?俺が、お前を『桜嫌い』にしたの?」

アキラの肩に乗った金色の前髪の頭が、甘えるようにグリグリと肌を押す。その痛みよりも羽毛のような前髪のくすぐったさの方が勝り、アキラは身震いした。

「…っ…昔のこと、だ…今日はこうして、真っ裸で桜を見下ろすことが、快感でもある…」
「そう?じゃあ…俺もちょっと言わせてもらうぜ?」
「えっ…」
「桜くらいでナンだよ…」

言うが早いか、ヒカルはアキラを半ば強引に窓辺へと、もう一度向き直らせる。そして背後から両肩を掴む、「見てみろ、この夕陽」と、強い口調で言った。

「夕陽?」

部屋の中にまで長く伸びた光は、外の風景もオレンジ色の海の底に沈めていた。

「お前に今から打とうかと挑発されてさ、だけど俺はそうしようって答えられなかった…あの時、悔しくて情けなくて…俺がどんだけ打ちのめされたか…」
「あの時…」
「夕陽が世界を真赤に染めて、お前の後姿に圧倒された。その光景がずっと…ずっと胸に焼き付いて…思い出すたんびに、体が震えたっ…」

それはヒカルの逆襲だった。

「いいか。春は一年に一回だ。桜もすぐ散る。だけど夕暮れ時は毎日毎日、やって来る。…俺は毎日毎日、お前に答えられなかった自分自身の影に…谷底まで突き落とされて―――そして毎日毎日、這い上がるしかなかった」
「毎日………」

アキラはヒカルに真正面から向き合った。二人の目と目がしっかりと合う。

「僕らはどうして今、こうしているんだろう―――今の話みたいに、子どもの時から何度もぶつかったし、すれ違った。互いを憎いのではと思うくらい反発し合っていた…もう、二度と会わないかもしれないと思ったことだって、あった筈だ」
「そうだな。お前は俺にとって、出会った日から絶対に忘れられない相手になった。負けたくない…お前だけには負けたくない…頭がおかしくなるんじゃないかって思うくらい意識するのは、今でもお前だけだ…」
「それなのに、こんなことをする仲になった…」

視線を外さないまま、アキラの指先がツーッとヒカルの滑らかな胸をはいた。切なげな溜息が、ヒカルの口からアキラの手元へと零れ落ちる。

「…不思議だ」
「不思議でいいんだよ。人の心なんて不思議の塊じゃんか。俺はお前とこうなってみて、やっとわかった。昨日は睨み付けたいくらい憎ったらしい相手が、今日は愛しくて愛しくてたまんない…そんなことが起こってもいいじゃんか…」

ヒカルの胸の上で悪戯を繰り返していたアキラの指はやがてヒカルに絡め取られ、温かい口に含まれた。ねぶるようにされれば、その指先から毒を塗りこまれたみたいに痺れが広がってゆく…

「どうして…」
「うん、どうしてだろ…」
「どうしてこんなに君なんかを愛してしまったんだろう―――」
「っふ………お前さ、さっき俺の下で腰、使ってたぜ?声もデッカイの…隣に聞えたんじゃないかってくらい…」
「君だって今日は早かったよ?馬鹿みたいに、イイ、気持ちイイ、お前最高って、いつもと同じ言葉を繰り返してた…」
「だーっ、すぐに張り合う!」
「君こそ」
「俺ら、いくつになってもこうだな」
「きっと死ぬまで変わらない」
「じゃあ死ぬまで言いたい放題でいこうぜ。そんで、セックスもイッパイしような?」

指の代わりに今度はこれを吸ってくれと強請るように、舌を差し出すアキラ。すぐに応えるヒカル。

命を散らしゆく、壮絶に美しい桜吹雪―――
夏の終わりの、胸を甘酸っぱく満たす夕陽―――

互いの胸に過去の傷跡を探りながらする抱擁と口付けには、痛みに変わる寸前の刹那的甘さがあった。

「…なあ、今夜、泊まっていける?」
「いや、帰るよ。母が夕飯を用意してくれている」
「中坊か、お前は」
「君も来ればいい」
「いや…おふくろさんが望んでいるのは、息子と夫と、家族水入らずの時間だろ」
「じゃあ、帰してくれるのか?」
「帰れるうちは帰るって、お前は言った」
「ん…僕はいくつになってもあの人たちの子どもだ」
「それでいいさ」

そしてヒカルは少しだけ逡巡した様子を見せた後、低い声で言った。
「…だけどさ、帰る前にもう一回だけしよう?」と、寂しげな微笑みがアキラを包み込み、腰の奥がズン…と重たくなる。

「それから」
「…それから?」
「帰るのはすっかり日が暮れてからにしてくれ。また、夕陽の中にお前の背中を見送るのは―――今日は嫌だ」
「わかった。僕も桜並木は通りたくないかな」

ほーら、また張り合う!やっぱお前はガキだ!と、ヒカルが明るく言えば、アキラも「同じく君も」と笑った。

















十九歳くらい、付き合い始めたばかりの二人のイメージで。
やっと色々なことが本音で語り合えるようになった頃。


NOVEL