― 闇が隠してくれるから ―
(2)









 アキラの家を出たのは、二人一緒だった。
 二人きりになると、アキラは早速ヒカルにどういうつもりだと詰め寄る。ヒカルはというと、悪びれる様子も無く言うのだった。

「べっつにいいじゃん!?俺も門下の飲み会に混ぜてくれたってさ〜。」
「だから、そのことはいいとしても・・・・えっとぉ・・・・その、じゃあ、今夜は、君・・・・。」
「あ、塔矢、もしかしたら今夜も例のマッサージして欲しいの?そっかぁ〜、昨日なんかさ、いつの間にか寝ちゃうくらい気持ち良かったんだもんな〜、へっへっへ!俺も腕が上がったかな?」
「・・・腕がって・・・・今まで、僕以外に試したことでもあるのかっ!?」

 突っ込みどころはソコじゃなくてとわかっているのだが、アキラもついついヒカルの不用意な発言が引っかかって問い詰めたくなる。

「・・・んあ?・・・・そうだな〜、伊角さんに教えて貰った時にさ、そこに何だか指導役みたいに和谷がいるもんだから和谷をモデルにちょいと練習したっけ?アイツ、伊角さんにいつもやって貰ってるらしくって、俺のやり方にはホント手厳しいんだよな〜。」
「和谷君か・・・・ふーん・・・・それだけ?」
「・・・ふふん!塔矢、妬いてるの?俺があんな風に別のオトコの体を触ると思うと、妬ける?」
「単なるマッサージじゃないか!何で僕が嫉妬したりしなきゃならないんだ?」
「んー、じゃあさ、俺がああいうマッサージをしてあげたらさ、お前のお袋さん、喜ぶかな?」
「え?・・・母に?それは、進藤・・・・。」
「言ってたじゃん?マッサージが上手いって、その中国の何とかって先生のお嬢さん?・・・ってーの・・・・。」
「そうか。それも聞こえていた訳か。・・・でもっ!!・・・君が母にマッサージしてあげて、だからどうだと言うんだ!?ご機嫌取り、という訳か?」
「お前、そんな露骨な言い方しなくてもいいじゃん!?俺はお前が・・・・そんなに俺のやること気に入ってくれたんならさ、お袋さんにもって単に思っただけだよ。・・・いいよ、そんなヒデーことまで言われて、俺もする気なんてないさ・・・・。」

 ヒカルがスタスタと、前を歩いて行ってしまう。
 アキラは会話が思っていたのと違う方向に流れて行ってしまったことに慌てて、ヒカルの後を追うが、間もなく駅に着いてしまった。ここから二人は今日の仕事の関係で、反対方向の電車に乗らなくてはならない。
 肝心の今夜の話は有耶無耶のまま、ヒカルは改札をくぐりながらアキラに向かって手を挙げた。

「じゃあな、塔矢!今夜もお前んちに戻って来るからさっ!お前も仕事、頑張れよっ!!」

 明るく颯爽と階段を駆け上がって行くヒカルに取り残されて、アキラは溜息を付くしかなかった・・・・。











 速攻で仕事を終え帰宅したアキラを出迎えたのは、携帯電話でも捕まらなくてアキラのことを散々苛付かせた張本人のヒカルと、既に料理の手伝いに馳せ参じていた芦原だった。

「よっ!塔矢、お帰り〜、ねね、芦原さんてさ、お前の言う通り料理上手いんだな〜、おばさんの指示通りにさ、テキパキ用意するんだぜ!俺横で見てて、感心しちゃったーっ!」
「し、進藤・・・・その格好は・・・・。」

 絶句するアキラの視線の先には、母から借りたのであろう白いエプロン姿のヒカルが・・・・。

「あ?これ〜?へへ・・・・いいだろ?最初はちょっと恥ずかしかったんだけどさ、芦原さんが何でも形から入るとその気になり易いもんだとか何とか言って無理矢理。でもこれすると、本当に料理してるんだって気分が盛り上がって来て、何だかいいカンジに動けるっつーの?張り切り過ぎて、もう汚しちゃったけど・・・・。」

 言いながら、ヒカルは染みの付いた辺りをアキラに見せるようにエプロンをひらひらさせた。その仕草が・・・・何だか・・・・男とは言え、初々しさに満ち溢れていて、アキラはそわそわしてしまう。
 エプロン姿のごつい男に迎えられたって気色が悪いだけなのに、確かに世間一般にはそうである筈なのに―――意外と可愛いかもと思ってしまう自分に呆れる。
 アキラの母の性癖を表しているのだが、エプロンはいつもきっちりと漂白され、白さが眩しいくらいなのだ。白というのは、どこか男心をくすぐるものがあるのかもしれない。
 アキラはヒカルが白いシンプルなTシャツを素肌に着ているのが一番似合うと日頃から思っているだけに、ヒカルの白いエプロン姿にも気持ちが乱されてしまう。



「君はそんな格好をして喜んで・・・・男としての照れとかないのか?」

 本心を見透かされたくないが為に、自動的に反対のことが口から出てしまうのは、ヒカルと居るようになってからアキラが身に付けた妙な自己防衛であった。

「あっ!その言い方は失礼だな〜、アキラ!そんなこと言うなら、お前も着てみろ!」

 台所から手を拭き拭き顔を覗かせた芦原に聞かれてしまった。

「よし、今日は俺が教えてやるから、アキラも手伝えよ!勿論、エプロンもするんだぞ!」
「ええ〜っ!?何で僕までが!?」
「ごちゃごちゃ言うなよ、塔矢!!」
「奥さん!アキラも手伝うそうですから、もう一枚エプロンお願いしまーすっ!!」
「あ、あーっ!?芦原さん〜??」
「アキラさんも手伝ってくれるの?そう、最近は一人でも不自由ないみたいだから、どのくらい腕が上がったか、見せてもらいましょうか?」

 結局、最後は笑顔で言う母親に逆らえないということを、アキラ本人だけでなく、ヒカルまでも判ってきた。



 ・・・塔矢って、こんなにお母さんに弱かったんだ・・・・
 塔矢先生のことは凄く尊敬していて、父親というよりも目標とする碁打ちとして、特別に思っているのは知ってたけど・・・・
 お母さんと居る時の塔矢がどんな風かってこと、あんまり知らなかったなあ・・・・



 ヒカルはちょっと意外な感じがして、あらためてアキラを見る。
 彼は渋々エプロンを付けて、台所に入って来たところだった。今度は黒い、少し若い人向けのデザインのもので、胸当て部分はなく、腰から下だけのロングタイプだ。

「塔矢・・・そのエプロン・・・・。」
「あ?これ、僕のだよ。見たことなかった?」
「初めて見た・・・・。」
「そうだっけ?この家で一緒に料理したこと、なかったからな。」
「お?アキラもマイエプロンという訳だな?うんうん、気合が入っていて、いいぞ〜。」

 ヒカルはポカンと口を開けて、アキラの姿に見入る。
 黒い布地にピタッと包まれたアキラの細い腰と、そこから真っ直ぐなラインで続く下半身、そして、くるぶし近くになって覗くズボンの裾とそこから見える素足の色に、ヒカルは釘付けになる。
 何てことはないシンプルなエプロン姿が、アキラの上半身や、品のいい顔立ちまでも引き立てているようで、初めての感動がヒカルを襲う。

 ・・・そう、たったこれだけのアキラの変化にも、ヒカルは胸を打たれるのだ―――さっき、アキラがヒカルに見惚れたように、ヒカルもまた、恋人のいつもと違う姿を鮮烈に受け止める。



 知っているようで、知らない。
 いつも見ているようで、見ていないところもある。
 一緒にいるのが当たり前のようになってきたこの頃。
 でも、棋院や碁会所や、ヒカルの部屋が定番で、それ以外の背景の中にお互いを見ることは少ない。
 一緒にいる人物が変わっただけで、いつもと違う面が見えて来たりもする。



 ―――ヒカルもアキラも、二人きりでいるのが一番好きだ。

 二人きりだと、何の気兼ねもなくお互いの体を引き寄せ合って、触れ合って、温もりを交換し合うことが出来るから・・・・。

 どこまでも深く探り合って、快感を貪り合って、たくさん声を出して、お互いの名前を濡れた音で呼んで、昇り詰めても許されるのは―――本当に幸せだ。



 だけど。

 こうして、家族や友人に囲まれて屈託なく過ごす時間も、まだ少年と言ってもいい自分達には、とても自然で楽しくもある。

 特にアキラは、ヒカルと居る時でもどこか自分を崩せないでいた。それは秘密を抱えていることへの罪悪感が、常に心のどこかにあるからかもしれない。
 誰かにどこかで、自分達の真実を知られたら・・・・という恐れから、第三者の前では殊更ヒカルに対してさっきのようにつっけんどんで、容赦がなかった。



「・・・進藤。何をボケーッとしている?さっさと大根おろしの続きをしろっ!」
「進藤君ってば、アキラのエプロン姿に見とれてんの?はっはっは〜、そんなことはないか?むしろ、ちょっと不気味だよな〜、アキラがこんな格好で料理するの?」
「あ、ああ・・・・そのぉ、塔矢のこの格好ってさ・・・ほら、よくカフェとかにいる男の人・・・・何て言ったっけ?そういう腰から下の長いの付けた・・・・。」
「ギャルソン?」
「そうそうっ!!それに似てるっ!!カフェのギャルソンだ!!」
「進藤!!そんなことはどうでもいいだろっ!?」
「だってスゲー似合ってる!!ほれ、そこのお盆を持ってだな、いらっしゃいませ〜、ご注文は〜って、やってみ?」

 ヒカルは手近にあったお盆を片手に持つと、顔の位置まで掲げもっておどけてみせた。そのままクルッと回転して、妙な決めポーズまでとる。
 それを見て、アキラはかっとなった。

「ふざけるのも大概にしろ、進藤!」
「ええ?いいよいいよ〜、ギャルソンアキラ!確かに言われるまで思い付かなかったけど・・・・。」
「芦原さん!!」

 アキラの一睨みにあって、ヒカルも芦原もそこでたじろいでしまった。

「あなた達、お喋りもいいけど手がお留守よ。アキラさん、このお野菜洗ってちょうだい。」
「うん。この籠の中のだね?」
「ちぇ〜、声が全然、違うんだもんなぁ・・・・俺を怒鳴る時とさぁ・・・・本当に似合ってんのに、ギャルソン・・・・でもあんな無愛想なギャルソンもいねーか。」
「まだ何かブツブツ言ってるのか?進藤。大根が乾くぞ?大体君、そのくらいしか手伝えないんだから、しっかりとやれっ!」
「そうそう、進藤君は一人暮らし初めてもう一年くらいだろ?その割には手付き良くないよね?料理しないんだ、自分では・・・・。」
「うーん、ご飯くらいは炊けるけど、殆ど外食か弁当かな。ファストフードも好きだし、インスタントも上手いし。」
「君はジャンクが大好きだからね。せめて味噌汁くらい自分で作れば、野菜をたくさん入れてだな、栄養価も高くなるんだけど・・・・。」
「あ、そういや、お前がこの前作ってくれた粕汁風っての?あれ上手かった〜、味噌だけじゃなくって、酒粕を少し入れて作るんだな〜、俺、あん時初めて酒粕って売ってるモンだって知ったよ。」
「そういうのって、体があったまっていいよね?・・・でもアキラって、進藤君ちで料理したりするんだ。よく行き来してるんだな?」
「芦原さん!お母さんが大変そうだから、あの鍋持ってあげてよ?」

 話を逸らすように、アキラは大声を出す。
 ヒカルにはわかっていた。こうして自分達の仲の良さを指摘されるのが、彼を落ち着かなくさせることを。

 いつもはそういうアキラの気持ちを理解しようと思っていたし、仕方ないとも思っていた。でも、自分達の仲の良さを必死で隠そうとするアキラの態度が、今夜のヒカルには淋しい。



 ・・・昨日の晩だって風呂場でさ、俺にしがみ付いて俺の手でイかされて・・・・
 それからキスした時だって最初は駄目駄目言ってたって・・・・
 ベロ吸ったら全身が震えるくらい、歓んでた・・・・
 最後だって俺にマッサージされて気持ち良くなって、寝ちゃったくせに・・・・

 どうして―――そんなこと、まるでなかったみたいに、平気な顔して、俺のことをただの友達以上の何者でもないみたいに、冷たい態度でいられるんだよ・・・・



 ヒカルの心に芽生えた小さな哀しみの芽を、アキラは知らない―――



 それでも二人は、アキラの母と芦原がいるから何事もなかったように手伝いを続ける。
 やいのやいのと言いながらアキラの母の指図に従って準備は進み、今夜の招待客も揃い、賑やかな宴の時間がやって来る。













 この日の集まりは、塔矢門下だけでなく他門下の棋士や後援会の人も呼ばれており、総勢20人くらい。かなりの規模の宴会になり、ヒカルもアキラも大勢の大人達に囲まれ、もみくちゃにされながらの時間を過ごした。
 ヒカルが皆に呑まされるのを、アキラは横目でチラチラと気にはしているのだが、だからと言って大勢の中でヒカルだけを構うことも出来ない。
 一緒に居ようとすると、芦原や緒方にからかわれるのが目に見えている。

 夜も更けて、大人達の酔いも回って来た頃。
 すっかり自分のことなど忘れて陽気に振舞っているヒカルに気を取られる自分が厭になって―――アキラはとうとう中座した。



 台所に空いた酒瓶を持って入ると、母が洗い物をしているのを知り、アキラはそのまま手伝うことにした。
 宴会の混沌とした空気から離れると、気持ちもなだらかになっていき、無心で洗い物に向かう。

「アキラさん、適当でいいのに。そんなにガシガシお皿やグラスを洗わなくても・・・・。」
「え?そんなに力入ってた?」
「ふふふ・・・・何でも丁寧なのはいいことですけどね。丁寧と言えば・・・・意外と進藤君、大雑把そうに見えて、お料理のカンがいいように思ったわ。確かに手付きは最初ね、おぼつかないわねーと思って見てたんだけど・・・・コツをちょっと教えると飲み込みが良くて、かつら剥きとか千切りとか上手になって・・・・ああいう男の子って、教え甲斐があるわ。」
「・・・そう?・・・かなぁ・・・・。」
「今度ね、昨日の餃子を教える約束をしたのよ。皮で包むところなんて、きっと器用だから上手なんじゃないかしら?そうよ、進藤君はあなたより手先が器用ですよ、きっと!」
「・・・・・・。」



 ―――手先・・・・進藤の、手・・・・進藤の、指・・・・

 節くれだった男性的な形状からは想像も出来ないほど、しなやかで、細やかな動きが出来ることを、僕は知っているんです・・・・お母さん・・・・

 その手が、その指が・・・・僕に一体どんなことをして、どんな種類の歓びとおののきをもたらすのか―――

 もしあなたが知ってしまったら、それでもあなたは進藤ヒカルを、息子同様に可愛いと思えるでしょうか・・・・お母さん・・・・



 ―――アキラがそっと唇を噛み締めたその時。

 ヒカルが突然、台所に現れた。
「おばさん!先生達が呼んでますよ〜、一緒に呑みましょうって。」
「あら?進藤君、大丈夫?ちょっと呑み過ぎてない?」
「ああ、そうかも。俺、酔いを醒ましたいから、ここに避難しててもいいですか?おばさん、あっちで呑んでてくださいね、誰もここには来ないようにしてもらえると、助かる・・・・だって緒方先生とか俺にどんどん呑ませようとするからさ〜、な?塔矢?」

 赤らんだ頬を膨らませるように微笑み掛けてくるヒカルに、アキラの心は危険信号を点滅させ始める。
 だが、アキラが何かしようとする間もなく、母はヒカルの言葉通りにじゃあ、ちょっとだけねと言い置きながら台所を出て行く。
 二人だけで残されて、アキラはヒカルの視線から逃れるように再び流しに向かうが、既にヒカルはアキラの背後にいた。

「さっきのエプロン・・・してないんだ?濡れるじゃん?」
「ん?ああ・・・・そうか、するの忘れてたよ。」
「ここにあるから、俺が付けてやるよ・・・・。」

 ヒカルが椅子に掛けてあったアキラのエプロンを手にし、アキラの腰に後ろから手を回す。

 あっという間もなく回された腕に、アキラは抵抗を封じられ、固まった。

「ああ、これって、一度後ろに回って来て交差させて、それからまた前に戻って・・・・こうやって前で結ぶんだ、道理でこの紐、長いと思ったぜ・・・・。」

 ヒカルが低い声で呟くように言うのを、アキラは身をすくめながら聞いていた。



 ・・・わざと、耳元で、アノ時みたいに、囁いたんだ・・・・僕が、君の、その喋り方に感じることを知っていて、わざと―――



「自分で結ぶよ、前なんだから!」

 アキラが吐き捨てるように言うと、ヒカルは今度は明らかに意図を持って、アキラの体を流しの淵に押し付けるように自分の腰を動かした。アキラの手が浮いてしまう。

「じっとしてろ・・・・俺が器用なの知ってるだろ?ちゃんと結んでやるから・・・・。」

 ・・・じっとしてろ・・・・器用なの・・・・知ってるだろ・・・・

 アキラは、力だけでなく、ヒカルの言葉にも封印されて―――

 そこからは、もうヒカルの思い通りだった。



 アキラのエプロンの紐を結び終えた手は、そのまま端からその下に潜り込んで来て、服の上からアキラの体にイタズラし始めた。
 アキラは流しの淵に両腕を立て、体を支える。

「あ、進藤!こら、やめ・・・・ふ・・・・っ・・・・。」
「塔矢・・・・。」
「誰か来たら、どうす・・・・うっ・・・・。」
「大丈夫・・・・エプロンの紐、結んでるだけだよ?お前の手、まだ濡れてるだろ・・・・。」



 ・・・誰か来たら、そう言い訳してやるからさ?・・・ちょっとだけ、触らせろよ・・・・



 左手はエプロンの下で、アキラの太腿や股間をさすらい、右手はシャツの合わせ目から侵入を開始した。
 ヒカルの長い指先が苦もなくアキラの胸を先端を捉えて、クルリと撫で回すと、アキラは息をのんでしまう。
 思わず首がカクンと折れて、エプロンの前が盛り上がって、その黒い布地が生き物でも隠しているかのように蠢いているのが目に入った。ヒカルの手が、自分の一番敏感なところを揉んでいるのが、感覚だけでなく視覚でも捉えることが出来てしまい、全身が熱くなる。

 たまらなくなってアキラが身を捩った途端、ガチャンと音を立てて、流しの中の食器類の山が崩れた。
 二人ともビクッと体を震わせて、一瞬凍りつく。
 アキラはその隙をついて、ヒカルに肘鉄を食わせた。ヒカルは体を折って呻くと、後ずさる。

「いって〜っ!おま・・・・マジで腹に入ったぞ?・・・うう・・・・。」
「君が悪いんだ。一体、僕は昨日から何回言わなくちゃならない?そんなことするのは止めろって!」
「俺だって、何度もお前にそんなこた、言われたかねーよ・・・でも、しょうがないだろ?お前、他の人がいると俺に冷たいし・・・・親に知られたくないのも・・・・誰に知られるのも厭だって気持ち、俺だってわかるし・・・・お前のそういう気持ち、大事にしなきゃって、ずっと・・・・でも、時々お前はやっぱり人に知られるくらいだったら・・・・俺から離れて行くんだろうなって想像すると・・・・スゲー辛い・・・・きっと、俺よりも、もっと大事なものを・・・・守ろうとするんだろう・・・・塔矢は・・・・。」



 最後の方は、アキラに向かってというよりも、独り言のようでさえあった。

 その全てを、ヒカルは恋人の目を見ることもなく、うな垂れたまま―――

 明るい前髪の向こうにに、湿り気を帯びて来たその瞳を隠したまま―――

 力なく、告げたのだ・・・・。



「進藤・・・・。」
「ごめ・・・・俺、今夜はもう帰るわ!」
「えっ!?帰るって・・・・今から?」
「だって、もう自信ないや。このまま、お前に触らないでここに泊まるの。俺、明後日から地方で暫く逢えないし、こっち戻ってからもお前とは逢わないよ。・・・ここで、両親のこと、大切にしろ。そういうお前も俺は好きなんだし、それも嘘じゃない。」

 そう言って顔を上げたヒカルは、もう笑顔だった。でもそれは、どことなく淋しい感じのする笑顔だった。
 目元がほんのり赤いままなのは、酒のせいか、それとも・・・・。



 アキラはここで踏み止まらなければいけないことを、十分承知していた。

 ヒカルを送り出しても、今すぐ二人の仲がどうこうなる訳ではない。

 きっと、こんな小さな亀裂は簡単に修復出来る。

 今度逢った時に、抱き合えいさえすれば。

 これまでだって、似たようないさかいはあったし、いつも仲直りは簡単だった。

 だって、誰よりもお互いが大事だと、かけがえの無い相手だと思っているから。



―――そう理性は告げているのに。



 アキラのとった行動は、それを見事に裏切って、彼を自己嫌悪に叩き落してもなお余りあった。

 でも、アキラはそうしてしまう自分を、もう止めることが出来ない。

 今まで必死でしがみ付いてきた理性や良識や、両親への引け目や、そんなものを一気に押し流してしまうほど、ヒカルを欲しいという気持ちが津波のように自分を飲み込んでいく―――



 その場を去ろうとするヒカルの後姿を追う。
 その時、座敷の方からひときわ高い笑い声が起こったのが耳に入った。
 皆が盛り上がっているそのすぐ傍の空間で、こんな危ないやりとりを続けていたことに今更ながら気が付かされるが、アキラはもう足を止めなかった。

 台所の入り口でヒカルの服の裾を掴んで、グイと引いた。

「・・・塔矢?」
「進藤。帰るな。帰ったら・・・・怒るぞ。」
「塔矢・・・・お前、もう既に目が怒ってるよ?それってさ、俺がしたことに対して、もう怒ってるってことだろ?」
「違う・・・・怒ってるのは・・・・頭に来ているのは、君に対してじゃないんだ・・・そのことをわかっていて、でも君のせいにしていた。僕は・・・・いや、僕の方こそ、君が、欲しくてたまらないのに・・・・言えなくて、でも君が行動を起こしてくれたら、拒みながらも嬉しくて・・・・。」
「塔矢?」
「あああっ!馬鹿だ、僕は・・・・こんな、どうして、こんないい子のフリをして、でもそれがフリだと見抜かれたくなくて・・・・もう自分が何を言ってるのかも、わからない・・・・。」

 そこでアキラは、もう息が上手く吸えなくなるほど自分が興奮していることに、やっと気が付いた。

「はあぁ・・・・情けないんだ・・・・自分、がぁ・・・・・。」

 語尾が、切なげに震えて、消えていった。
 ヒカルは、恥じらいに伏せたアキラの顔を、下から覗き込むようにしてしっかりと捉える。

「塔矢・・・・いいの?俺、今夜はきっと、触るだけじゃ、我慢出来ないよ?」

 目と目を合わせてしまうと、お互いが限界まで来ていることを、その揺らめく四つの瞳が教え合っていた。

「うん・・・・僕の部屋は・・・というか、この家が見て判る通りどこもカギが無くて、今夜みたいな日は二人きりで邪魔されない保障はないんだけど・・・・。」
「じゃあ、どっか二人で外に逃げ出す?」
「でも今夜は芦原さんとか泊まるかもしれないし、僕らを捜されたら困る。それにまだ宴会は続きそうだし、もっと夜、遅くなってから・・・・。」
「遅くなってから?・・・それまで待つからさ・・・どうすればいいんだよぉ!?」

 ヒカルが焦れたように、口を尖らせる。それを宥めるように、アキラは照れ臭そうな笑顔を見せた。

「あのね、えっと・・・・進藤。」

 また、座敷の方からどっと声が上がる。今度は誰かがこちらに来そうな気配があって、アキラは慌てて囁いた。



「この家には、一箇所だけカギがかかる部屋があるんだ。そこに今夜・・・・。」
「うん・・・・。」

 ヒカルとアキラの視線がもう一度、共犯者のように絡まり合って―――



 次の瞬間、座敷の方から二人を呼ぶ大声がして、そのまま二人とも台所を後にした。










○●○●○










 夜も更けて宴会はようやくお開きになり、アキラと塔矢家の人は見送りに追われた。
 ヒカルはその間黙々と片付けを手伝い、アキラの母のヒカル評は上がるばかりだ。

 最後に残ったのは、アキラの予想通り緒方と芦原だった。
 緒方は縁側で一服しており、芦原は酔い潰れて早々に仏間にひかれた布団の上に転がっている。

「進藤・・・お前がこんなに働き者だったとはな?」

 縁側から、不意に声を掛けられた。ヒカルは、テーブルを片付けていた手を止めて、緒方の方を見る。

「緒方先生さ、飲むとちょっと鼻声になるね?もしかしたら耳鼻科系、弱いんじゃないの?」

 唐突に言われて、緒方も面食らう。
 確かに自分の声は元々渋い、味のあるテノールだと自負していたが、酒を過ごすと何故だか鼻にかかった声になる。ヒカルがそういう微妙な変化を、自分もアレだけ飲まされていながらも気が付いていたとは・・・・。

「進藤。お前は侮れないヤツだな?初めて逢った時はどうしようもないクソガキだったのに、今や若手ではアキラ君と双璧とまで言われて・・・・酒も強いし、目端もきくし・・・・人を煙に巻くのも上手い・・・・。」
「ははは・・・・緒方先生にそう言われると、誉められてるんだか、けなされてるんだか、よくわかんね〜!」

 屈託ない笑顔は、いくつになってもこの青年の武器だなと、緒方も認めざるを得ない。

「おい、進藤。片付けは明日の朝、芦原にやらせればいいから・・・・ちょっとこっちへ来て付き合え。」
「ええ〜?まだ飲むの?俺、もうヘロヘロだよ〜、勘弁してよっ!」
「碁聖さまの言うことはきくもんだぞ?大体お前、後半はどっかに逃げてたろ?座敷に殆どいなかったのはわかってるんだぞ?さあ、そこに残った酒とグラスを持ってこっちへ来い。雲が出て来て、月が隠れそうだからな・・・・今のうちに縁側で飲むぞ。」
「はいはい・・・・酔っ払いには逆らえね〜なあ・・・・。」

 ヒカルは、ここは緒方に付き合って完璧に彼を酔い潰しておく方が得策だと思い、従うことにする。
 縁側から眺める庭は、群雲から見え隠れする月に照らされて、絵画のように静かにそこに存在していた。

 二人は、ヒカルが運んで来た日本酒を飲み始める。

「俺さ、緒方先生はワインとかブランデーとかそういうイメージだったけど、実は日本酒も好きなんだね?何でもイケルんだ。」
「そう言えば、お前と一緒に呑んだことは、そんなにないか?パーティとかで一緒になるくらいだからな。今夜、門下の宴会にお前がいたんで驚いたが・・・・最近のお前とアキラ君の仲の良さを見ると、不思議はないか・・・・。」
「え?そう?・・・俺達、そんなに仲良く見えるかなぁ〜。」

 ヒカルはドキッとしたことを悟られないように、さり気ない口調で訊ねる。

「そりゃそうだ。今、俺も昔ほどはアキラ君がどういう生活を送っているのか把握してはいないが、どう見ても最近はお前と一緒にいる時間が多そうなのはわかるぞ?あのアキラ君に初めて出来た親友が、お前だろう?」
「・・・うん、塔矢がどう思ってるのかはわかんないけど、俺は親友だと思ってるよ。碁を介さなくたって、最近は普通の友達同士みたいな時間も結構、アイツ、楽しんでると思うし。」



 ・・・親友・・・・でも、俺たちはそれだけでは満足出来なくなったんです・・・・

 進んではいけない道だったのかもしれないけど・・・・

 俺たちは、もう、引き返せないんだ、緒方先生・・・・

 悪いけど、塔矢を手放すことは生きてる限り、絶対に出来ないからね―――



 ヒカルの心の呟きは、勿論緒方には届かない。
 しかし緒方は、まるでそれが聞こえでもしたかのように、ゆっくりと目を合わせて来た。
 色素の薄い瞳は、酒のせいか濡れたように見える。瞼が半分かぶさっていて、結構酔っているのだろうとヒカルは思っていた。
 ところが次に緒方が言った言葉は、ヒカルの予想を裏切って彼もまた見ていないようで見ていることを示した。

「アキラ君のことを大切にしろよ。・・・どんなに泣かせても、苦しめてもいいが・・・・。」
 そこで緒方は、更に目を細めてヒカルを睨むように見る。
「結果的に彼を潰すな。二人とも幸せになる努力だけは―――止めるな。」

 流石のヒカルも、言葉が出なかった。
 まさか全てを緒方が見抜いているとまでは思えない。もしかしたら、カマをかけられているのかもしれない。
 用心深くあらねば、という気持ちもあったが、この人には正直でありたというヒカルらしい真っ直ぐな気性の方が勝った。

「塔矢と俺は幸せになるよ?今だってさ、スゲー楽しいし・・・・だって俺らはね、思いっきり碁が打てて、お互いが傍にいればね、それだけでもう満足だモン!」

 ウソは言ってない。ヒカルにとっては単純にそうだった。
 その天真爛漫な言い方が、緒方の毒気を抜いてしまったのだろう。
 彼はグイッと手元にあるものを飲み干して、明るく言い放った。

「進藤。お前はそれでいいだろうな。だけど・・・・アキラ君はどうかな?お前みたいな強さがあるだろうか。碁を打ってる時はまあいいさ。それに関しては小さい時から鍛えられてる、半端じゃないくらいにな。」
「緒方先生?」
「でも俺はアキラ君がそれ以外の部分で、どんな風に物事を受け止めるタイプか考えた時・・・・凄くストイックな気がするなぁ・・・・お前は一番近くで見ていてどう思う?」

 ヒカルは一瞬、答えに迷った。
 緒方は、そんなヒカルの顔をまだじっと見据えている。
 でも意地悪な探るような感じではなかった。どちらかというと、何でも言いたいことがあれば聞いてやるという、兄貴分が弟を促すような雰囲気があった。

「わからない・・・・でも、緒方先生の言うことは結構当たってるのかもしんないね・・・・碁が絡むと果てしなく熱いけど・・・・それ以外ではオトナっつーか、さめてるっつーか・・・・そういう部分はあるかもなァ・・・・塔矢って。」
「僕が何だって?」

 不意に、アキラの声がヒカルの語尾を引き取った。
 いつの間にか背後にアキラが来ていたことに、ヒカルも緒方も気が付いていなかった。

「うわあっ!!・・・おま・・・・心臓に悪いじゃんか!?急に話しかけんなよぉ・・・・。はああぁ・・・・。」
「そっちが気配に気が付かなかっただけじゃないか。・・・僕は自分が噂されるの、好きではないのですが、緒方さん?」

 いきなりアキラは、緒方の方に話題をふった。
 こういうところがアキラは堂々としていて凄いと、ヒカルは思う。相手が兄弟子でタイトルホルダーだろうとも臆することなく、自分と同い年とは思えない大人びた目付きで緒方を見下ろしていた。

「ふふふ・・・・悪かったな。君らが仲がいいんで、ちょっと年寄りは淋しくなったのかもしれないな?」
「緒方さんの口から淋しいなんて言われても、ちっとも真実味を感じませんけど。もし本当に淋しいんなら、さっさと沢山いる女友達の中から誰かを選んで結婚したらどうですか?」
「ええ〜、緒方先生、やっぱ沢山いるんだ〜、女友達!!」
「君が嬉しそうに言うことかっ!?」
「だって後学の為にさ、こういう機会に女性とのお付き合いについてお勉強するのもいいじゃんか?」
「進藤!!・・・き、君は女の子と付き合うつもりでもあるのかっ!?」
「おいおい、アキラ君・・・・俺の前で見せ付けるのは止めてくれよ。」

 緒方が割って入った。面白そうに口元を歪めて、にやにやしている。

「・・・見せ付けるって・・・・何を言ってるんだか!?」
「君らがあんまり仲良しだからさ、喧嘩するほど仲がいいって昔から言うだろ?俺はそろそろ芦原の横で休ませて貰うよ。これじゃあ運転は無理だしな。さめたところで適当に帰らせて貰うから、君らもアキラ君の部屋で仲良く寝るんだな?」
「はいは〜い!じゃあ、この最後のお盆を引いたらもう行くね。子供は寝る時間〜っと。」

 まだ何か言いたげなアキラをこずいて、ヒカルは一緒に片づけを終えて台所へ向かう。アキラも渋々後に続いた。
 丁度アキラの母も台所での片づけを終え、もう後は明日の朝でいいからと二人は部屋へ行って休むようにと言われるままに、アキラの部屋へと引き取った。










 部屋へ入るなり、ヒカルはアキラを抱き寄せる。
 鍵のかからない、ふすま一枚隔てた向こうは廊下があって、向かって左はすぐに突き当たって部屋がある。向かって右に行くと、曲がりくねって廊下が続いていて、その一方の先には両親の部屋や、仏間や、台所があり、庭を取り囲んでL字型に分かれたもう一方の先には、緒方、芦原他数人が転がっている筈の三間続きの座敷があった。
 いつ、誰が、酔って寝呆けたまま、アキラの部屋の方へと間違って足を踏み入れないとも限らない。
 本当に危険だとわかっていつつも、ヒカルの腕の中でその鼓動を感じると、あっという間に体が熱くなっていくのを感じる。
 散々イタズラされて、アキラは今や怒りに近い想いを抱いていた。その高まるエネルギーは、ヒカルを乱暴に抱き返すことに変換されてしまった。

「ここじゃ駄目って・・・・言ってるのにっ・・・・馬鹿な進藤!」

 でも、抱き締め返す僕はもっと大馬鹿者だと、自嘲する。

「だから早く連れてって・・・・二人きりになれる秘密の部屋・・・・俺がお前を愛しても許される、この家で唯一の部屋にさ・・・・。」
「進藤。緒方さんと何を話した?」
「別に・・・・お前がカリカリすると、余計マズイよ。あの人、カマかけるの上手いと思うし。」
「あの人もまだこの家にいると思うと・・・・何だか落ち着かない。」
「そんなの気にしてどうすんの?」

 言いながらふとヒカルは、緒方の言葉を思い出す。



―――アキラ君のことを大切にしろよ・・・・どんなに泣かせても、苦しめてもいいが・・・・
 
結果的に彼を潰すな。二人とも幸せになる努力だけは―――止めるな―――



 いけないのだろうか。こうしてアキラを本能のままに抱きたいと思うことは、止めるべきなのだろうか。
 昨日から何度も行きつ戻りつするアキラの迷いを、自分が押し流してしまっている。それほどまでに自分はアキラを愛していて、その愛を自分の中に押し留めることが出来ない。
 いつもいつも、アキラへ向かって真っ直ぐに流れていく―――



 アキラの顔を覗き込み、その瞳に揺れるためらいを、ヒカルは必死で探る。

「進藤?」
「・・・我慢出来ないのは、悪いことなんかな?今夜も帰った方がお前が安心して寝られるんなら・・・・帰ろっか?俺・・・・。」
「やっぱり何か緒方さんに言われたんだな?進藤、話す気はないのか?」
「いいんだよ、そんなことはどうでも・・・・お前が俺にどうして欲しいかってこと、訊いてるんだ。」

 アキラはヒカルの腕に巻かれたまま、彼の顔に落ちかかる前髪を指で梳いた。
 薄茶色の大きな瞳の中に、自分が映っていた。きっと情けない顔を自分はしているんだろうと思う。
 ヒカルに押されれば及び腰で引いてしまい、ヒカルにそっぽを向かれると、今度は力ずくでも自分の方を向かせたいと熱望する。
 止めた方が賢い選択とわかっていても、求める心を隠せなくて―――アキラはさっきと同じことを繰り返すしかなかった。

「さっきも言ったろう?僕は一度言ったことを違えないよ、進藤・・・・帰るな、今夜は。いや、帰さないよ、絶対に・・・・。」

 ヒカルの答えは、アキラの瞼にそっと落とされた、優しい口付けだった。










 月もすっかり傾き、座敷からは大小取り混ぜた鼾の合唱が聞こえてくる。

 アキラは母がいつも鍵を置いている所を知ってた。台所の食器棚の引き出しの中だ。
 いざという時は俺の方が誤魔化すの上手いからと、どうしても付いて来るというヒカルと一緒にこそこそとしていると、アキラは自分の家で一体何をコソ泥のようなことをしているんだろうと、苦笑が漏れる。
 目当てのものを手にしてほっと溜息を付くと、アキラはヒカルに目配せする。
 共犯者の色をありありと湛えた視線がぶつかって、鍵だけでなく毛布やタオルも手にして、二人は向かった―――この家の二階へと。



 二階は、丁度座敷の真上に当たる。
 アキラの母の部屋と、そこに続く畳の部屋。
 この二間だけが後から二階として増築されたのだが、今や母の衣裳部屋になっていて鍵がかかるのを知っていた。
 別にやましいものや、恐ろしいものが置いてある訳でもないらしいが、ひとつくらいは防犯上鍵のかかる部屋があった方がいいとの配慮からか、ここには最初から襖ではなく木製のドアがつけられ、鍵も取り付けられた。
 普通の家だったら内側からだけかけられるタイプだろうが、ここのは古めかしくて、真ちゅう製の鍵を鍵穴に差し込んで、両側から閉められるタイプだ。
 俺、こんな鍵、ドラマとかでしか見たことね〜、とヒカルがもの珍しそうにアキラの手元を凝視した。
 アキラは緊張で手元が震えそうになるのを抑えつつ、何とか開ける。



 中は当然真っ暗だ。
 アキラは手探りで電気のスイッチを見つけ出し灯りをつけようと試みたが、その動作には手応えが無かった。

「あれっ!?・・・あれあれ・・・・困った・・・・電気が何故だか切れてる。」
「へ?どいうこと?」
「多分電球が切れたんだ。ここ、本当に使わない部屋だから、母も取り替えるの忘れてたのかもしれない。・・・どうしよう、これじゃあ暗過ぎるな。」

 アキラの逡巡も無理無い。
 この部屋に唯一ある窓は小さく、それも実は殆どタンスによって塞がれている。僅か5センチ程の幅しか見えていない窓から入ってくる外の光はほんの少し。それももし月が隠れてしまったら、どんな明るさも得られないだろうと察せられる位の、心許なさだ。

「下に行って懐中電灯でも取って来るしかないな。」
「・・・待って、塔矢。このままでもいいじゃん?」
「え?このままって・・・・暗くて手元もはっきり見えないのに?」
「もう少ししたらさ、目が慣れて意外とわかるようになるって。それに、もしここから灯りが漏れてたら怪しまれるじゃん?」

 二階には絶対に誰も上がって来ないとの確信はあるものの、もし見咎められたらと思うと確かにヒカルの言うことも一理ある。
 アキラがそれにしても暗い、せめてロウソクでもあればと壁沿いに歩き始めた時、ヒカルが小声で言う。

「ねえ、早くここ内側から鍵かけないと・・・・。」
「ああ、そうだったな。」

 アキラはまた壁沿いにドアへと引き返し、鍵を掛ける。

「塔矢、さっきは手が震えてた・・・・二人で昨日からさ、こんな悪いことばっかりして、緊張してる?」

 ドアノブにかかっていたアキラの手を、鍵のかかる音がした途端、ヒカルの手が握る。
 その手の温度は、彼が如何にこの瞬間を待ち侘びていたのかを、アキラにダイレクトに伝えた。

「もう何だか、悪いことばっかりし過ぎて、麻痺して来ちゃったのかな?・・・ねえ、君の手って、いつも少し汗ばんでいて・・・・子供みたいだ。」

 小さく忍び笑いのように言うと、ヒカルはもう片方の手まで探し出して、しっかりと繋いでくる。

「お前の手はね、いつもさらっとしている・・・・俺の汗を吸い取る感じ。」

 二つの違う手は、その湿度も感触も違うから、だからお互いに上手く馴染むのかもしれないとアキラは思う。暗闇の中なのに、二人で指を絡ませ合って両手を繋ぎヒソヒソと囁き合っていると、全然怖くなんかない。
 きっともうすぐキスされるんだと、期待に心臓が駆け出すのを感じつつ、アキラも手に力をこめようとしたその時―――片手をスルリと解かれてしまった。

「ね?ちょっとこの部屋の中、探検しよう?」

 アキラの片方の手を引いて、ヒカルも壁沿いに歩き出した。アキラと違って昼間のこの部屋を知らないので、ヒカルはソロリソロリと忍び足だ。

「別に面白いものはないよ。タンスの中には多分、母の着物とその道具が入ってるんだ。他には頂き物で飾り切れなかった置物とか・・・・普段は使わない、特別の時の食器類とか・・・・。」
「このタンス、中に何が入ってるか見てもいい?」

 アキラが返事をする間もなく、ヒカルは引き出しを引っ張り出してゴソゴソし始める。

「進藤!あんまりグチャグチャにすると、母に見つけられた時に困るよ。泥棒が入ったんじゃないかって疑われる。」
「ああ、これ、着物?ねね、塔矢ちょっと着てみたら?」
「はあぁ〜!?何を言い出すんだ、君は!?女物の着物だろ?」

 アキラの答えを聞く前に、体が動いてしまうのがヒカルだ。
 タンスの中から白い紙に大事にしまわれた平べったい包みを床の上に広げて、開けようとし出した。ところが、暗いだけでなく包みは紐で縛られているので、なかなか開かない。

「いい加減にしろっ!もうそれは諦めて片付けろ。」
「ちぇ〜、なんか面白いもの無いかなぁ・・・・。」

 また凝りもせずに引き出しを開けては掻き回しているヒカルの後を追って、出されたものをアキラは片付けようとする。しかし何分暗過ぎて、どこにどう仕舞えば正しいのかわからない。仕方ない、明るいうちに明日こっそり片付けにくればいいやとアキラも諦めて、ヒカルが散らかすままにさせる。
 一度始めたことは、気が済むまで立ち止まったりしないのがヒカルだ。

「ね、このフワフワした紐みたいの、何?」

 ヒカルが箱の中から取り出したのは、夜目に慣れてきたアキラでも良く見えなくて、試しに触ってみる。

「ああ、これは帯揚げというやつじゃないかな?ほら、帯の上のところから少しだけはみ出して見えるだろ?・・・この手触り、ちりめんだ。」
「ちりめんじゃこぉ?」
「ち、違うっ!ちりめんだよ。ほら!、触ったらわかるだろう?表面がブツブツザラザラしてる。これでも絹なんだよ。」
「へえ〜、何だか不思議な手触りだな〜、気持ちいいんだか・・・・あ、何かいい匂いする。」
「多分このタンスは着物専用で、母が匂い袋でも入れてるんじゃないかな?」
「ほら、塔矢も嗅いでみろよ?」



 そう言って、ヒカルがアキラの鼻先に、帯揚げの端を突きつける。
 そうされるとつい鼻をクンと動かしそうになったアキラの、その頬全体を撫でるように、ちりめんのざらついた感触が掠めていった。

 ・・・さらさらさら・・・・するするする・・・・ふわり・・・・

 優しくアキラの肌の表面を這ってから、去ってしまった絹は、またヒカルの手の中だ。

 アキラの全身が、ビクリと跳ねた。次いで、スウッと息を吸い込んでしまう。

 その気配を、例え暗闇の中だろうと、ヒカルが見逃す筈も無い。



「塔矢、気持ち良かったの?ねぇ・・・・これ・・・・好き?」

 ヒカルが、アキラの頬や、耳や、首筋に、絹を這わせると、アキラの口からは止せ、くすぐったいからと抵抗の言葉が出るが、それは弱々しくてとてもヒカルを制止など出来ない。
 立ったまま壁に押し付けられて、ヒカルの悪戯にまたどこまでも付き合わされる破目になるのだ。
 やがて両手で絹ごしにアキラの頭を包み込んで、ヒカルはその震えに終止符を打ってあげた。
 ・・・深く、熱く、口付ける。
 そしてすぐに夢中になって、目を一杯に開いても視界を得にくい世界の中で―――お互いの荒い息と衣擦れの音だけが重なるように響いて、辺りの空気がどんどん濃くなっていくのを感じる。

「・・・ふ・・・・んあぁ・・・・んん・・・・くるし・・・・しんどー・・・・はな・・・・。」
「だぁめ・・・・ずっとお預けだったから、飢えてんの!」

 ヒカルは壁にアキラを押し付けたまま、そして二人は貪り合いながらズルズルと崩れ落ちて床にへたり込む。もつれ合いながら、ヒカルがアキラのパジャマを脱がせて行く手付きは、おぼつかない。

「ああぁ・・・・やっぱ暗いな、本当に手探りって感じ?ん〜、もういっそ引き千切っちゃいてーくらいだ、このボタン!」
「こ、こらっ!そんなことしたら、この暗がりで飛んだボタンを探すのが大変だから止せ・・・・。」

 ああ、やっと外れた・・・・と、溜息混じりにヒカルが言うと、アキラも力が抜けていく。
 そのまま二人は床の上に敷いた毛布の上に移動して、すっかり慣れて来た無明の空間で、自分の体に触れる相手の感触や温もり―――それだけを頼りに探り合う。

「とーや、背中、痛くねぇ?」
「ん・・・・大丈夫だけど・・・・ああぁっ・・・・君の顔が殆ど見えなくて、ヘンな感じだ・・・・。」
「見えねーけど・・・・感じるよ?お前がどんなに俺のこと、欲しいか・・・・触るだけで、ね?」

 ヒカルがアキラの上半身をまさぐるだけでは足りなくなって、とうとうそのズボンの中にも侵入を開始すると、アキラの息がどんどん荒くなって、それがヒカルの興奮を誘う。
 もっともっとその甘い吐息を受け止めたくて、ヒカルはアキラのものを、優しくすりあげたり、先端や括れの部分を指先で刺激したりする。
 アキラの口から零れ出す喘ぎを、自分の舌で掬い取るようにトロトロと、アキラの開かれた薄い唇やその周辺、それから綺麗に並んだ歯や震えている舌先を舐めていく。



 ―――もう散々愛してきたアキラの体だから、どこをどう触ればどんな反応が返って来るのか、厭と言うほど心にも体にも記憶されていて、手順を考えたりしなくてもヒカルは自然に動いてしまう。

 自分が、同じ形の、同じ器官しか持たないオトコの体を、こんなにも抵抗無く扱うのが、不思議でならない。

 しかも・・・・触るたびに愛しさが増していくなんて、本当に自分はアキラに夢中なんだと思い知るばかりだ―――



「僕ばっかり・・・・こんなにし、て・・・・ずるい・・・・君も、脱いで?」

 それまで、ヒカルに腕を回して取り縋っているだけで精一杯だったアキラが、本当に悔しそうに途切れ途切れ言う。

「じゃあ、とーや脱がせて?・・・いや、待って、今俺、全部脱いだらもう我慢出来ない。今夜は約束通り、まずお前がもう限界だって降参するまで気持ち良くしてあげたい・・・・。」
「そんなのどうでもいいのにっ!しんどー、僕はもう待てない・・・・。」
「いいから・・・・お前はおとなしくしてろって・・・・ほら、あんまり大声でやり合ってると、メガネかけた白猫が来ちゃうかもよ?」

 ヒカルは自分の言ったことに妙にウケてしまって、笑いながらアキラの下半身も剥き出しにしてしまった。あっという間の、慣れた手付きだ。
 厭だ、自分だけなんてと身を捩って抗議するアキラを黙らせたくて、ヒカルは傍に落ちていたさっきの帯揚げを手に取る。
 さっとそれをアキラの頬になすり付けて、自分が今手にしているものが何かをアキラに認識させようとした。

「おとなしくしないと、これで手を縛っちゃうよ?・・・ああ、ついでに目隠しとかもいいかな、それともこれ、口に突っ込んじゃおうかな〜?」

 ヒカルの声にこめられた意地悪で隠微な響きが、アキラの身をブルッと震わせすくめさせた。
 狭い部屋の中は相変わらず闇一色で塗り込められ、アキラは恋人の目が何を映しているのかも見えない不安の中で、掠れた声を搾り出した。

「しんどー・・・・何をするつもりだ?」










○●○●○










「ね・・・いつもしないこと、してみよっか?」
「進藤?」
「折角二人きりになれたんだもん、お前の親が帰って来てから、ずっと出来なかった・・・・その間さ、今度逢ったらお前にこういうことして驚かせようとか、あんなことして気持ち良くしようとか・・・・いっぱい考えてちょこっと勉強もしてさ・・・・ふふふ・・・・。」

 その声は、何だかいつもと違う色を帯びている。暗いからこそ研ぎ澄まされてきたアキラの感覚が、それを捉える。

 ヒカルは手にしていたちりめんをアキラの目元にフワリと乗せて。
 そよがせるように顔中を、首筋を、滑らせた。

 同時に、耳元に唇を付けたまま、耳たぶを舐めるようにして囁き続ける。
 粘着質な音が、ヒカルのちょっと厚みのある男らしい唇と、柔軟な舌がどんな風に動いているのかをアキラに想像させて―――

 肩が、くすぐったさと快感がセットなった波に乗せられて、揺すぶられた。

 ・・・あああぁ・・・・僕が耳、弱いこと知ってるから、進藤はここから始めることが多いんだ・・・・

 アキラの全身が小刻みに震えるのを確認して、ヒカルは先に進む自信を得た。

「ねぇ・・・・これで、目隠ししちゃっても、いい?」
「はぁ?目隠しって、もう十分暗いよ、何にも見えないよ、今更・・・・。」
「でも、ほら、このくらい顔近付けるとまだ、お互いの目が覗き込めるだろ?」

 言葉どおりに、ヒカルの顔がアキラの目の前に差し出される。

 息がかかる。
 興奮しているのが十分伝わる、少し早くて荒い息だ。
 さっきヒカルが使った、歯磨き粉のミントの香りが混じっている。
 生々しい・・・・でも、もっと生々しいものが目の前で僕を欲している、とアキラは思う。




 ヒカルの目はどんなに光の少ない空間でも、アキラに向かって何らかの光線を放っていて、自分の心を射抜くのだと知っている。

 それは、五感を超えたところで生まれる、不思議な力だ。

 愛しい人にしか見えない、オーラのようなものだ。

 きっと世の中の、心が繋がり合った二人だけにしか、生み出せないものだ・・・・




 アキラが戸惑っていると、大抵ヒカルはそれを了解と解釈して進んでいく。

 ほぼ全裸のアキラの体が冷えないようにと、敷いた毛布でくるむようにしていたが、その隙間に滑り込んで、ヒカルはアキラの細い体の上に被さると、口付けた。
 最初から奥まで探り合う口付けは、それでも優しくて、涙が出そうになるくらい嬉しい・・・・。

「・・・ふ・・・ん・・・っ・・・。」
「あ、ん・・・ん、ん、んー・・・!・・・」




 ―――まるで、お互いの唇でより合わせる織物を作っているかのように舌を絡め・・・・

 幾度も角度を変えて唇を合わせ直し・・・・強弱をつけて吸い合って・・・・

 時間の感覚すら飛んでしまうような激しさで、貪る―――




 そうしながら、ヒカルはアキラが夢中になっている間に、さっきの帯揚げでアキラの目元を覆い、そっと頭の後ろに回して結んだ。
 でも、アキラの髪はスルスルと滑りが良過ぎて、すぐに外れそうになる。

「とーや・・・・暴れたら外れちゃうから、じっとしてて?お前の髪の毛、ひっかかりがなさ過ぎるんだもん・・・・。」
「・・・ホントに見えなくなった・・・・もう、何も見えないよ、君の目も見れない・・・・。」
「淋しい?俺のこと、見えないの?」
「淋しいか、な?・・・僕をいやらしい目で見る、君のボンヤリした顔、結構好きだからっ!」

 最後は忍び笑いになるのを、ヒカルが再び乱暴に塞ぐ。その激しさに感じて、アキラの咽喉が大きく仰け反った。




 もう何度目、いや、トータル何分くらいキスしているんだろう?

 良過ぎて、止められない。

 きっと明日の朝は唇が腫れて痛いかも・・・・以前も夢中になり過ぎて、そんなことがあったっけ、とアキラは思う。




 そんな想像をしていたら、もう我慢が出来なくなった。

 アキラは、ヒカルの服をどうしても脱がせたくて、自分と同じように素肌を晒して欲しくて、ヒカルの上半身を覆っているパジャマのボタンをはずそうとし出した。いつものジャージじゃなくて、昨日下ろしたての借り物だ。
 視界を塞がれていても、手探りでこのくらいのことは出来る。

「こら〜、だからまだだってば、俺の方は・・・・えーい、もう辛抱出来ないお前なんかこうしちゃえ・・・・。」
「ああ、あぁっ!?・・・しんどー、手まで縛る気かっ!?」
「いい子にしてなっ!ちょっと痛いかもだけど、こうしたらされるがままで、自分の快感に集中出来るだろ?」

 俺のことはほっといて、自分の悦びだけ追っかければいいんだよ・・・・と言いながら、ヒカルはさっき自分が散らかしたものの中から、ひも状の何かを掴み取って、アキラの両手を束ねる。
 帯揚げよりももっと細くて、硬くて、しっかりした感触のその紐は、何だろう・・・・。
 縛られながら、アキラは呻いた。

「イタっ・・・・この紐、硬くて、擦れると痛いじゃないかっ!?」
「ゴメン、ゴメン、じゃあ、余計におとなしくしてなよ?だってお前のこと、俺流のやり方で愛したいだけなんだもん、ね?」
「もう、十分過ぎる程、愛されてると思う・・・・苦しいくらいだ・・・・はぁ・・・・。」
「俺は足りねーの・・・もっともっと、とーやがめちゃくちゃに乱れるとこ、見たい・・・・。」

 そういう君の方が、もっと乱れている―――その吐息の混じった声も、僕の体をさすらう手も、どこか可笑しいくらい理性を失っているよ。でなければ、こんな風に僕を縛ったりなんか出来やしない。

 そして僕も、そんな君にされるがままになってるなんて。



 君も、僕も、とうとう今夜はどこか、はずれてしまったんだな―――








 アキラは縛られた両手首を、素直に、ばんざいする形で頭上に投げ出した。
 すると、自然にヒカルに向かって胸を反らせて突き出すような格好になる。ヒカルはすかさず、胸の頂にも悪戯を始める。手のひらで、指の先で、熱い舌で・・・・。

 いいようになぶられて敏感になった先端を中心に、二つの快感の塊が生まれた。それはザワザワザワと、波紋のように体を伝って広がっていく・・・・。

 視界も、腕の自由も奪われて、散々ヒカルからの愛撫を注がれて、もう一杯一杯だ。
 自分の快感が臨界点を超えて、溢れ出しそうになっているのを、感じて喘ぐ。

「しんどー、もう・・・・も、ぅ・・・・んー・・・・っ・・・・。」

 アキラが、軽く立てていた膝を左右に小さくバタバタさせて、訴える。
 小動物が捕らわれた罠の中でもがいているみたいだと、アキラのそんな動作にすらヒカルはひどく感じてしまう。




 ・・・もうイきたい・・・・イかせて欲しい・・・・焦らすな・・・・苦しいんだ・・・・早く!!




「そうだよな〜、もういい加減お前もイきたいよなぁ?」

 意地悪そうに語尾を上げながら言うと、アキラの膨らみ切った中心を、サーッと撫でる。触れるか触れないか・・・・凄く、微妙な加減だ。

 アキラの全身は、電気が走ったかのようにビクリと跳ねた。

 先端から根元へとツツーッと流れて、それから逆に、膨らみの部分を揉むような仕草をしてから、また先端へと戻ってくる。
 一回・・・・二回・・・・三回・・・・と繰り返されると、快感に苛まれながらも、それがヒカルの体の部分でなされていることではないと、やっとアキラも気が付いた。

「気持ちいい?俺の指がしてると思ってた?・・・これ、何だろ・・・お前のお母さんの・・・襟巻きか何か?着物の時に、首に巻くヤツかな〜、スゲー気持ちいいよなぁ・・・何かの動物の毛皮かそのフェイク?」
「しんどーっ!そ、それは流石にまずいんじゃ・・・。」
「これでお前のここをさ、大事にくるんでやったら、どんな感じ?あったかい?くすぐったい?ねえ、とーや・・・・言って。」

 ヒカルは手にしたもので、アキラの中心や、太腿の付け根辺りの最も感じやすい部分に優しい、でもアキラにしてみればじれったくてしょうがない刺激を与える。

 羽毛にも似た密やかな感触は、快感を無駄に引き延ばす。

 断固とした刺激で、はっきりと到達したいオトコの性がここまで高まっているという段階で、これはないんじゃないかとアキラは切なくなる・・・・。




 ―――ヒカルは、とことんまでアキラを虐める気なのだ。

 アキラの母の持ち物を使って、アキラの体を拘束したり悦ばせたりすることに、どこか加虐的なものを感じて、煽られているらしい―――




「しんどーっ!!それを汚すのはまずいってばっ!!・・・そのまま触られてると、出、ちゃう・・・っ・・・!!」

 耐え切れずにアキラが叫んだと同時に、サッと刺激を引っ込めた。そのままヒカルは片手でそれをアキラの脇腹や、胸に這わせながら、器用にもう片方の手でアキラの中心を掴んでやった。

「うん、ゴメンな、とーや・・・・もうイかせてあげるね。」

 手がいつもと同じ慣れた動作を始めた。
 やっと慣れ親しんだヒカルの手の感触で刷り上げられて、アキラは長い息を吐き出しながら、昇り始める体を意識で追っていこうとする。

「ぅわ・・・お前もうトロトロ〜に溢れてる・・・どうしちゃったの?こんなん、初めてだ・・・あ〜あ、こりゃあさっきので、この襟巻きにもお前のが付いちゃったよ。」

 ちゃんと綺麗に元通りに出来るのかな、どうしよう、なんて言葉では言いつつも、全然悪いことをしているという反省の声音ではなかった。

 ほら・・・と、指ですくった自分の粘液を鼻先に持って来られて、アキラは見えないままに匂いを嗅がされて、うっとなる。
 一瞬後にチュパという何かをねぶるような音がして、ヒカルがその指を舐めたのだと知った。
 例え見ることは叶わずとも、音だけでも、感触だけでも―――こんなに相手のしている事がわかるものなんだ。




 ―――それからアキラは自分がどんなことをしたのか、もう思い出したくもない。

 ヒカルを、この馬鹿馬鹿、スケベ野郎と言葉では罵りながら、その一方で体は自ら動いて貪欲に求めた。
 今までにない矛盾した感覚に翻弄されながら、ヒカルの愛撫によって達するまではあっという間だった・・・・。








「良かった?昨日出したばっかりなのに、お前一杯出すんだもん、どっちがやらしいんだか?」

 クスクス笑いながら、ヒカルは階下から持って来たタオルやティッシュを使って自分の手やアキラの体を拭く。
 アキラはもう言い返すのも億劫で、息を弾ませていた。手も縛られたままだし、もう何もしたくない気分だ。
 ヒカルがあれ〜、どこにいったっけ〜、とか呟きながら、暗闇の中を這い回っている音がする。見えないから、その格好を想像して可笑しくなった。

「お?・・・あったあった、これだ・・・さてと・・・・塔矢が一回イッたから、これからが本番ね。」




・・・ああ、そうか、まだする気なんだ・・・・
 そうだよね、昨日から僕ばっかり気持ち良くさせて、進藤はイッてないんだものな・・・・

 アキラは、ヒカルの我慢強さが不思議なくらいだ。体はとっくに猛り狂っているだろうに、よく、ことを急かさないものだと感心する。




 そんなことを考えていたら、体をひっくり返された。うつ伏せにさせられたのだ。
 汗ばんだ胸や腹が毛布に擦り付けられて、風呂上りに濡れた体をタオルで包まれた瞬間みたいな心地良さに、ほっとする・・・・。

 ただ縛られているので、うつ伏せでも両腕を万歳させたままなのが、ちょっと辛い。肘と膝で支えて、若干腰を浮かせて、自然とお尻を突き出した格好になってしまう。

 後ろからするんだろうかと身構えていたら、何か冷たいものが背中に落ちてゾクリと震えた。
 それが、ヒカルの大きな手のひらで広げられていくのを感じる・・・・。

「しんどー、今度は何だ?・・・変なものじゃないだろうな?」
「全然!いつものローション用意する暇がなかったから、代用品、さっき台所で目を付けておいたの。」
「な、何?」
「ワセリンが置いてあったから・・・うちのお袋も使ってるんだ、湿疹が酷いと皮膚科で貰うらしくて・・・・あれ〜、これお袋が使っているのよりも、凄く柔らかくて伸びがいい!どうしてだろ?」

 ヒカルは昨日披露してくれたマッサージの手付きで、体の中心から外側に向かってゆっくりと肌を温めるようにそれを延ばしていく。

「ああ、ワセリンね・・・・ハンドクリーム代わりに使ってるヤツ・・・・母が言ってたけど、それ精製度が高くて、普通のよりも透明で伸びるんだって・・・・だからそんなに滑らかなんだ・・・・はぁ・・・・。」

 言いながら、溜息が出る。ヒカルの手付きの気持ち良さは昨日で証明済みだから、安心して任せられる。
 昨日寝てしまった時のように全てを委ねてしまうと、たまらない快感だけがアキラの手元に残った。

 ヒカルの手のひらと、アキラの素肌に挟まれて、油状のものはどんどんゆるくなっていく。温度が上がると、ドロドロと溶け出していくのだ。

「ああ、お前の背中ってさ、見えなくても白いのが想像出来て、クルなぁ・・・・この背骨の綺麗なライン・・・・触ってるだけでゾクゾクしちまう・・・・肩も、首も、そんなにごっつくなくて・・・・背中全体も痩せているようで、ちゃんと筋肉乗ってるし・・・・でも腰は絶対俺より細い・・・・。」




 ―――言葉と手の道筋は、シンクロしていた

 背骨を尻尾骨の辺りから辿って、昇る。

 それから、肩と首の後ろをクルクルと何度か円を描くようにしてから、背中全体を軽く押しながら降りてくる。

 最後は脇腹を撫でてから、腰の括れを確かめるように、ギュッと掴まれた。




 アキラがうっと小さく呻く。でもヒカルは手を止めない。

 もう一度ワセリンを落とすが、今度はお尻の上だ。引き締まった二つの丘を、掴むように、揉むようにして、ワセリンを塗りこめて行く。

 アキラは緊張して、もう一段腰の位置を高くしてしまう。

「あのさ、やっぱりここ、挿れる時痛いだろ?でもこうして、お尻をマッサージして周りの筋肉をほぐしてあげると、入って来る時の違和感が絶対的に減るんだって。だから、今夜はこうしてたくさん触ってから・・・このまま後ろから・・・ね?・・・いい?」

 上から背中に被さるようにして、囁かれた。アキラはうんうんと頭を振るしか、出来ない。背中とお尻への愛撫で、再び感じ始めている。

 ヒカルがアキラの腰を掴んで、更に高く持ち上げた。
 背中がうんと反り返って、体勢的には楽ではない。いっそ腕の戒めを解いてもらえばと思うが、もう声を出すのも面倒だ。

 そうだ・・・・今の僕は、猫がノビをする時のポーズに、似ているんじゃないだろうか・・・・

 虚ろな思考でアキラが思っているうちに、ヒカルの手は浮いた隙間から回り込んで、アキラの表側の肌にもドロドロしたものをなすり付けていく。
 ついでみたいに胸の突起をかすっていく指先が、憎らしい。こういう、あるかなしかの接触が一番感じてしまう・・・・。

 足の付け根を経由して、またお尻へと戻ったヒカルの手は、いよいよその周辺に辿り着いた。
 冷たい筈のお尻なのに、丁寧にマッサージされて温まっていることは、触っているヒカルだけでなくアキラ自身も感じていた。

「お前の尻ってさ、ホントいい形してるよなぁ・・・引き締まって、この窪みのラインが綺麗で・・・触ってもスゲースベスベしてて・・・ああぁ・・・俺、大好きっ!ここ・・・・。」

 そこに頬刷りするのではと思われるほど、昂ぶった言い方だ。




 今、自分の体のどこが熱を持っていて、どこが感じやすいのか、アキラには全てわかる。

 何も見えない・・・・音だって、自分たちの息しか聞こえない世界で・・・・ここにある体だけに意識を集中出来るというのは、こういうことかと思う。

 ものを考える力はないのに、感覚を追うことは出来る。

 いや、むしろ思考を放棄してしまうと、感覚だけが走り出す。

 ヒカルの指の行く先々はことごとく熱を孕み、アキラは恋人の愛情の深さを、欲望の浅ましさを感じる。

 そして昂ぶりと共に、快感を伝える甘い声を漏らす。吐く息と一緒に、こもった熱を発散させるようにだ―――




 その様子を僅かな視界に捉えて、ヒカルは満足だった。ここまでアキラが快感に溺れているのは、初めてじゃないか。そして、それは自分が与えたものだと思うだけで、一気に限界が来た。

「ちょっと待って・・・少しだけ、手を離すね。俺ももう、駄目だぁ・・・・。」

 最後の方は、掠れて殆ど息だけ・・・・。
 ヒカルが急いで裸になろうとしているのだと、如何にも慌てた様子の衣擦れの音で、アキラにはわかる。
 ヒカルの中心も準備が整っているのだろうと、その裸身を想像するだけで・・・・また激しく感じた。




 でも、ヒカルはすぐには入って来なかった。

 入り口付近で、円を描いたり強く押したりしながら、辺りの皮膚を柔らかくしていく。
 執拗に、且つ丁寧に扱われて、いつもは後ろに対する抵抗のあるアキラも、どうでも良くなっていた。
 早く欲しいと、口に出して懇願してしまいそうになるほどに・・・・。

 多分、アキラのその気持ちが、触れている指先からヒカルに伝わったのだろう。
 言葉なんかなくても、アキラの要求がヒカルにははっきりと感じられた。僅かな震えや、肌温度の上がり具合で、全てが伝わる・・・・。




 とうとうその場所に指が挿入された。ワセリンをたっぷりと含んで、クルリと回すように捻じ込まれて―――痛みとは違う何かが目覚める・・・・。

「ああぁぁーっ・・・何か、ヘン、だ・・・いつもと、ちが・・・あっ・・・!!。」
「うわぁ・・・熱い、お前ん中・・・吸い込まれていきそう!」

 今アキラには、いつもの異物感や不快感はなくて、ただただそこにあるものを締め付けたい。
 感じたい。
 その欲求だけ・・・・。

 ヒカルの的確な指によって与えられる快楽を、アキラは研ぎ澄まされた感覚全部で味わう。絶頂感が何度も押し寄せてくるけれど、前を触られないと達することが出来ないアキラは、もどかしさに首を打ち振る。

 ―――自分で触りたくても、縛られているからどうにも出来ないのだ。

「手を・・・・手を解けっ!!・・・しんどーっ・・・・。」
「待って。・・・っ・・・今・・・挿れるか、ら・・・・。」

 ヒカルは指を引き抜くと、アキラの腰を抱えて、侵入をしようとした。




 その時。




 ミシッ・・・と、僅かだが、音がした―――部屋の中からではない、おそらくドアの外からだ。




「しんどー、今・・・何か聞こえた?」

 アキラが、理性を手繰り寄せながら言う。

 沈黙が落ちた。

 ヒカルもアキラも息をひそめて、次に起こるかもしれない何かを待つ・・・・。








「大丈夫だよ。たまたま、建物のどこかが軋んだだけだよ。」
「でも誰かが階段を上がって来てるのかも・・・うっ・・・しんどー?・・・あ、待って!」
「待てない。大丈夫だってば。」

 ヒカルは堅くなったものを、アキラにあてがって先へ進もうとした。
 見えない不安が突然蘇ってきて、アキラはパニックになりそうになる。ヒカルから逃れようと前へいざろうとするが、腰を掴まれ・・・・そのまま侵入されてしまう。

「いやっ!!いや、だっ!!・・・誰か来たらっ・・・う・・・・。」
「こらっ!暴れんなよ・・・大声出すとヤバイ・・・どうせ鍵が掛かって、んだから、静かにしておけば・・・大丈夫だっ、て・・・・。」
「やっ・・・あっ・・・・。」
「黙って、とーやっ!・・・静かに・・・・。」
「で、もっ・・・っ・・・・・。」
「止まんないよ、とーや・・・・・・・・も、止まんない・・・・・・・・・。」

 ヒカルの喘ぎ声が、止める気がないことを伝えた。

 同時に、アキラの口の中に柔らかい何かが押し込まれて、話せなくなる。
 さっきの帯揚げのような、布の塊で口内が満たされ、くぐもった呻き声しか発することが出来なくなった。

 ―――息が苦しい・・・・。
 でもそれは、口に何かを押し込まれたからではなくて、グングン深く這入り込んで来るヒカルに圧倒されたから・・・・。

 ヒカルの体は、最奥まで侵入した段階で、ぴったりとアキラの背に張り付いた。
 アキラの肌に浸透しつつあった油分によって、二人の体はまるで一つになったかのように、しっかりと重なり合って、その一体感を全身全霊で感じて、二人は恍惚となる。




 ・・・も、離れらんない・・・お前と俺・・・・

 お前の背中から離れらんないよ・・・ああぁ・・・気持ちいい・・・・

 お前の中も、この肌も、全部、いい・・・・




 背中に頬ずりされ、息を吹きかけられ、顎でツンと突付かれ、その激しさにアキラもどうしようもなく感じて、中にいるヒカルを締め付ける。
 それに呼応して、今度はアキラの中でヒカルが暴れる。
 アキラは悦びの声を上げるのだが、塞がれた口からはこもったような音が漏れるだけだ。

「・・・もう大丈夫みたい・・・誰も来ないよ・・・でも、最後までこのまんまでいいかな?苦しくないよな、とーやぁ・・・・。」

 どうやら誰も上がってくる気配はないと安堵して、ヒカルが甘えるようにアキラの全身にまとわり付く。
 そして、アキラの中心をやっと握ると、刷り上げる速度と腰の動きを少しづつ速めていった・・・・。




 やっと、やっと、この時を迎えられるんだ・・・・

 気持ちの昂ぶりは、そのまま体に跳ね返る。
 アキラは目尻から溢れたもので、目を覆っている布地がジンワリと湿っていくのを感じながら。
 口元の布地も同じように、自分の唾液で濡れていくのを感じながら。




 ヒカルと共に、解放に向かって昇り詰めていく―――








 ・・・塔矢、俺、誰に何て言われたって、もう駄目だ、絶対に離れられない・・・・

 例え、お前の大事な両親が相手でも、もうお前のこと、返せないよ・・・・

 お前の心も、体も、こんな風に抱き合う時間も、みんなみんな俺のもんだ―――




 ヒカルの胸の叫びが、皮膚を通して流れ込んで来たかのように。

 アキラにも、その眩しくて、痛い、鋭い刃のような愛が胸に刺さり。

 苦しさに限りなく近い悦びで、全身をしなやかにバウンドさせて、大きく喘ぐ。

 背後から重なり合っているヒカルにも、勿論それは弾ける程の悦びを与え、切ない叫び声をアキラの背中で必死に押し殺しながら、ヒカルは恋人の体をきつくきつく、締め付けた・・・・。








 きっと階下では、何も知らない人々が安らかな眠りについている。

 それなのに僕らは二人は、誰にも言えない秘密を抱えて、真っ暗な闇の中だけで愛を交し合うんだ。
 これから僕らが歩いていく道も、こんな風に真っ暗闇の中、繋ぎ合った心だけを頼りに手探りで進んでいくものなんだろう・・・・。




 でも、それでも、いい。

 それでも、本当に、いいんだ・・・・こんなに愛し、愛されているんだから。

 今はそれでもいいからと、闇がいつまでも深くあって、自分たちの恋を隠してくれるようにと。

 その闇の中で、道に迷ったり互いを見失ったりしないようにと。




 ただそれだけをアキラは願った―――












NOVEL