― いつか死が二人を ―

ある棋士の独白









もう何十年も前のことだ。
それは先輩棋士の結婚式の夜…



三次会と称して仲間内で飲んだ。
相当賑やかに、陽気に騒いでいたと思う。
新婦が予想以上の美人でコンチクショーだったとか
新郎がデレデレしてみっともなかったとか。

僕は丁度奥まった席にいた。
隣には進藤、そのまた隣には塔矢が坐っていて
そこが一番奥の壁際だった。

だから
二人が俯き加減になり小さな声で話していると
他の皆には聞こえない。
隣にいた僕にだけは、切れ切れに聞き取れるだけだった。



「ああっ!俺もあ〜んな可愛くてナイスバディの嫁さん欲しいっ!」

叫んだものは本田さんだったか。和谷だったか。
皆がどよめきながらも口々に賛同の意を表していた。
誰もがそういう年頃に差し掛かっていた。



しかし、その時―――

それまで一緒になって明るく会話していた進藤が、ふと頭を沈めた。
気分でも悪いのかなと思ったが、顔色は悪くないようだ。
いや…むしろ頬がほんのりと赤らんでおり
彼も相当酔いが回っているのだろうと思った。



そして声が聞こえた。
囁くような、噛み締めるような、気持ちのこもった声に感じられた。



「俺、今日の結婚式に出席してみて…自分は一生結婚はしないなって…思った。」



間髪入れずに塔矢が答えた。



「…偶然だな。同じことを考えていた。僕も結婚しないだろうって。」

「ふうん…っそ…お前も…本当に?」

「うん…君こそ本当に?」

「ああ…。」



はにかんだように口元を歪めて微笑んだ進藤に対して、深く頷いた塔矢。

たったそれだけの短い会話だったが
二人は目こそ合わせていなかったが

そこには誰にも入り込めない空気が流れていた。






おいおい…アンタらは幸せそうなカップルを目の当たりにしても
他の連中と百八十度違う感慨を持つのか?

何を言ってるんだか…コイツら!

相変わらずだ…
自分達だけしか見えてないのは、昔から変わらない…



その時の僕には驚きよりも、訳のわからない苦々しさの方が勝った。



大体、あんなに女好きのくせに進藤が一生一人身でいるとは思えない。
そのうちどっかの女に捕まるに決まっている。

塔矢だって絶対に周りがほっとかないだろう。
紹介や見合いの話なんか、今でも嫌というほど来ている筈だ。






それ以降はもう二人の会話を耳に入れたくなくて
僕はますます酒を煽った。

次の日も二日酔いで最悪の状態。
進藤と塔矢の会話は暫くの間、僕の記憶の奥底に沈んでいた。



しかし



僕はこの時の二人の会話が現実となることを
何十年もかけて見せられることになる―――









伊角さんが結婚して
和谷が父親になって
僕にも家庭が出来て



それでも



進藤も独身を通した

塔矢も独身を通した



二人は孤高を貫き通したのだ。

死ぬまで一人暮らしのまま。誰の手も借りずに。






あの夜の会話が約束の全てだったかどうかはわからない。

二人にどんな紆余曲折があったのかも
或いは何もなく
それぞれの胸に秘めたものを
それぞれの墓場にまで持って行ったのかも

僕にはわからない―――






…一度だけ。

和谷と伊角さんとそんな話になったこともあったが
所詮あの二人のことは他人には計り知れないという一言で
それ以来誰も話題にしなくなった。

それは暗黙の了解により封印された。



僕らの前には常に碁盤があり
誰もが同業者であり棋戦のライバルであり
そしてそれぞれの生活も忙しかった。

僕は親族経営の会社の役員でありながら、碁打ちとして第一戦にいたし
家族も増え
いつしか孫も六人になっていた。

そのうちの一人が入段した時は、大きな喜びがあった。
僕の碁を継ぐ者がいるという…そういう喜びだ。









進藤と塔矢は半年と間を置かずに逝った。



穏やかな死だったそうだ。









ふと思う…



「死が二人を分かつ」などと言うけれど

進藤と塔矢の場合は

「死が二人を結びつけた」のではないかと―――



現世では孤高を貫き

盤上で戦い続ける生き方を選んだ二人は

死して初めて

寄り添うことを自分達に許したのではないだろうか…






半世紀もの永きに渡って「碁界の竜虎」と並び称された
進藤ヒカルと塔矢アキラ。

彼らが残した無数の棋譜を誰もが「奇跡」と言う。



しかし



彼らがおそらく
互いに触れることを禁じたまま愛し合って来たことを「奇跡」と言える人は
僕以外にはこの世にいないだろうと思うと



あの二人に出会えて

同じ時代に生きて



僕は幸福だったのだと



晩年になって初めて
魂が震えるほどの喜びを感じたのだった―――











NOVEL