― 桜風呂 ―
先に入っていい?と、進藤が訊くから、どうぞと答えた。二人で出掛けて帰宅して、部屋に入るなりだった。
浴室に消えていく進藤を見送って、一息つく。
ジャケットを放り投げ、ネクタイを緩め、どかっとソファに身を投げ出した。
進藤が見ていたら、お前らしくねーじゃん?俺にはいっつも皺になるからさっさとハンガーにかけろーって怒るくせに……とか何とか言いそうだ。
……うん、確かに僕らしくない。
更に僕らしくないことに、ワインをあけて先に一杯やり出した。
風呂から上がってきた進藤が、本当に目を剥いて驚きそうだな……なんて思いながら、だらしない格好のままソファに片足を乗せて、グラスを煽った。
二人で、夜桜を見に行った。
僅かだが盛りを過ぎていたのか、思ったよりも美しいと感じられなかった。
もっと、華やかで圧倒的な光景を期待していたのに。
足元に踏みしだかれた無数の花びらの方が目に付いて、物寂しい気分になった。
いつか……
いつか、この花のように盛りを過ぎて、僕らの情熱も散ってしまうのだろうか……
この花びらたちのように、ゴミみたいに誰かに踏みつけられて、薄汚れて、消え去ってしまうのだろうか……
幸せそうに寄り添って、携帯のカメラを自分たちに向けて撮影する恋人たち。
その姿も、僕の心を逆撫でした。
満開でなくても。
ただ寄り添っていられるのなら、堂々とそう出来るのなら、どんな恋人たちだって満足なんだろう。
僕が何杯目かのグラスをあけた時、浴室から僕を呼ぶ声がした。
最初は無視していたが、あんまりしつこく呼ぶのでグラスを持ったまま彼の元へ向かう。
飲んでいることを知ったら、何て言うかな?ははは……
脱衣所に入ると、全裸で待ち受けていた進藤が案の定、お前勝手に飲んでんの!?信じらんねーっ!と叫ぶ。
うるさい、僕の家だ、僕の勝手だろうとふざけた口調で返すと、仕方ねーなぁ、この酔っ払い……と、甘やかすように笑われた。
グラスを奪われて、どこかに置かれた。一緒に入ろうと囁かれ、服を脱がされる。されるがままだ。
全部脱がされ一糸纏わぬ姿になったら、開放感があった。
飲んでるんなら足元、気を付けて、気分悪くなったら言えよ、と、優しいことばかり言われたが。
僕はフワフワと夢の中にいるようで、進藤に手を引かれて浴室に入った。
その途端。
ふわり、と。微かだが花の香りがして、鼻の奥がくすぐったくなった。
決して派手ではないけれど、柔らかくて甘い香りが浴室中に満ち始めている。
これは……
「ほら、見て。湯船の中。」
湯気の向うに。
湯の表面にゆらゆら浮かんでいる、小さなピンク色の欠片たちが見えた。
「もっと一杯拾ってくれば良かったけどさ〜、お前、何となく不機嫌だったし、感激薄そうだったし。こっそりこれだけ集めんのが精一杯だったわ、ちょっと淋しいけど、匂いは悪くねーよな?」
リサイクルみたいだろ〜、だって勿体無いもんな、散った花びらでもまだ凄く綺麗で、生き生きしてるのに……と言う進藤に、抱きついた。
胸が一杯で言葉にならない。
まるで僕の気持ちが伝染したかのように、散った花びらの命を惜しむ進藤の深さに、密かに感動していた……
二人で一緒に、湯につかる。そっと、そっと。
男二人で入れば殆どの湯は流れてしまうから、ゆっくりと入る。
桜の花びらを失わないように手で集めながら。細心の注意を払いながら。
背中から、愛しい人に抱かれ。
体も心も温めてくれる湯の中で、最後の命を放つ花びらと一緒に、僕も幸せな気分で揺れていた―――
「お前さ……どうして不機嫌だったの?綺麗なもの見てんのに、幸せそうな顔じゃなかったぜ。」
僕は答えない。
黙ったまま……両手で湯を掬って、その中に花びらをいくつか泳がせる。
ゆらゆらと揺らして楽しんでいたら、背後の進藤が僕の肩越しに、ふーっと息を吹きかけた。
花びらが、湯と一緒に僕の手の中から零れ落ちる……
「意地悪め。」
「どっちが?無視しやがって。……いいけど。答えたくないなら。」
小さく鼻を鳴らして、進藤の手がいたずらを始める。
湯の中で、僕のあちこちを撫でさすり、敏感な部分をわざと避けるようにして動いた。
進藤の手の動きに合わせて、波が起きた。
その波に翻弄されて、花びらが躍る。
僕の体に寄せては離れるピンク色の花びらを見ていると、少し朦朧としてくるようだった……
「俺は幸せだったよ。お前と一緒に世の中の綺麗なもんを見られるのって―――俺には凄く幸せ。大切な時間だぜ。」
うなじの上で、囁かれた。息が熱い……
進藤……と囁き返すのが、やっとだった。彼がもっと深く抱きこんでくる。
進藤の頬と、僕の頬がピタリと重なった。どちらも熱を帯びている。
最初は甘えるように、徐々に強く擦り付けられる……
「俺だってお前とほっぺたこーんなにくっ付けて、桜と一緒に写真撮りたかったよ……。」
「痛いよ……進藤……。」
―――なんだ。知ってるんじゃないか。
それならどうして訊いたりするんだと、進藤が憎たらしくなった。
片手を伸ばして進藤の頭を引き寄せる。首を斜め後ろに仰け反らせ、彼の唇を僕のそれでとらえた―――これは罰だ。
浴室の中に、濡れた水音が響く。
喉が苦しくなって唇を離すと、駄目……と言われ、追い掛けて塞がれた。また深く探られる。探られると、僕もじっとはしていられない。
指を進藤の濡れた頭に差し入れて、舌と指を同じリズムで動かすことで彼を味わい、自らを悦ばせた。
熱い。全身が熱くて、息苦しい……
湯の中で、進藤のものも僕のもの反応し出しているのがわかった。
やがて。掠れた声が、遠ざかりそうになる意識を引き戻した。
「このまんまここで、する?」
それには首を振った。
「恥ずかしいよ。花びらが見てる……。」
「今更。」
くくく……と笑う進藤に、軽く肘鉄を食らわした。
その夜は。
ベッドの上でも、互いの体に張り付いたままの花びらを見つけ出しては、夢中になってその場所に口付けて、吸った。
お前、こんなところにもくっ付けてる……あ、ここにも……ちゅ。
君こそ間抜けだ……ほら、二つも……ふふ……
ん、くすぐってぇ……塔矢、遠慮がちにキスすんの、止めて?
かえってくすぐったいからさ、もっと強く吸ってよ、歯、立ててもいいからさ……こんな風に。
あっ!……っは……ふ……ん……止せ……そこは……痕が残ったら、困る……
だったらここは?……うん、いいんだな、この辺……
何だかこいつら、かくれんぼしてるみてえ……俺らの体のあっちこっちに張り付いてさ、ちょっと可愛いじゃん……
いい加減に拭いてすぐにベッドに入るから、だ……あ、君、まるで鳥みたい……っ……口を尖らせて、花びらをついばんでる……
んじゃ、もっと食っちゃおう……お前の肌、美味いんだもん……ああ、お前、誘ってんの?こんなやーらしいとこにまで……ほら、この裏側……舐めて欲しいんだな、俺に……
……んー……っ……あ、あ、あ……しんど…………
喉、渇かない?お前、声が声が枯れてる……そういうのも色っぽくて好きだけどさ……
進藤が裸のまま、さっき僕があけたワインのビンを片手で掴んで、豪快にラッパのみしているのが見えた。野性的で、男くさい仕草だ。
……それだけでも、十分感じたのに。
それから彼は、僕にも口移しで飲ませてくれた。
甘い液体が、口中を、喉を、そして全身を、じわじわと潤していくかのようだ。
それを余すところなく吸い上げて、全てを味わった。
僕も何か仕掛けたくて、進藤の耳の後ろに隠れていた花びらを舌先に乗せると、彼の口内に差し入れた。
母鳥がヒナに餌を与えるように、優しく、愛しげに……
進藤……君と愛し合うと僕は、胸の奥に咲き乱れる満開の桜を抱えるんだ。
君が見せてくれる、幻だろうか…………
その芳しい香りに包まれて、僕はその夜、深く、果てしない幸せを感じていた―――いつまでも。