― ようこそ ―
ヒカルが意を決して初めて自宅に誘ったというのに、アキラは飄々とした様子で部屋の中を見回している。
「ふうん…もっとゴチャゴチャしているかと思ったけど」
それはお前、片付けたに決まってるだろ?
心で突っ込みを入れつつ、ヒカルはえらそうに「俺は綺麗好きなんだぜ」とちょっぴり胸を張る。
好きな人を初めて家に呼んで二人きりなんだから、そりゃあ、相手が引かないように部屋を掃除したり、マズイものが出て来ないようにするのは当り前というものだ。
ヒカルだってどれだけバッタンバッタン、派手に片付けたか。母の美津子が、どうしたの、ゴキブリでもいたのと呆れて部屋を覗きに来るほどだった。
それでも美津子が掃除をしていた頃は片付いていた方だったが、ヒカルが勝手に入らないで欲しいと頼んでからは散らかり放題。それを全部整理して捨てたりまとめたりしたものだから、騒音もゴミの量も凄まじかったのだ。
「俺、飲み物、取って来るな。お前、テキトーに座ってて」
「ありがとう。でも、おかまいなく」
それを聞いて、思わずヒカルはニヤけてしまう。
…ありがとう、だって。…おかまいなく、だって!
アキラのすました口調が、今日のヒカルにとっては妙に心をくすぐるものに聞えるから不思議だ。昔は何て気取ってるんだ、優等生のお坊ちゃまめと、幾度も悪態をついたというのに。
それが好きだと意識した時から、全てひっくり返った。他の人間にはないアキラ独特の雰囲気が、ヒカルには魅力的に思えてならない。
恋をして世界が変わるとは、まさにこういうことだった―――
ヒカルが足取りも軽く階下へ降りると、玄関の鍵を開ける音がして驚いた。
「ただいま〜」
「…えっ…か、母さん!?」
ちょっと待て、今夜は遅くなるって言ってなかったか?母さんも父さんも、絶対に10時は過ぎるって…だから夕飯も適当に食ってくれって…それなのに…
一瞬にしてヒカルは混乱した。
「―――どうしてっ!?」
「あら、何をそんなに驚いてるのよ。それがね、父さん、急な残業が入って食事も映画もパーになっちゃったのよ。それでデパ地下で買い物だけして帰って来たの。…ヒカル、本当に驚いてるのねぇ…」
「やっ…だって…とー、やが…」
あら、塔矢君が来てるのと母親の呑気な声が耳には届いているものの、ヒカルはそれどころではなかった。今日こそはと思っていたのにこれじゃキスがせいぜいかもしれない、それ以上なんて危険じゃんかと、グルグルしてしまう…
「誰か帰っていらしたのか?」
「あ、うん…母さんがさ。気にすんな」
ヒカルは、二階には上がって来ないようにと母親にきつくきつく言い渡してから、ジュースを持って部屋に戻った。
すかさずアキラが訊ねて来るが、ヒカルは自分がパニックになったことを悟られまいと、精一杯、さり気なさを装う。
「…れ?碁盤、出したんだ?」
「ああ、勝手にすまない。でも、ここへお邪魔したからには打ちたいし…」
「そりゃあそうだけど」
でも、今日はさ…打つだけ、は絶対に嫌だぜ―――
言葉にこそしないが、ヒカルは目で訴える。
熱く、言葉以上に熱く見詰めれば、アキラの方も強張ったような表情でヒカルを見返した。
しかし、いつまでも視線を合わせているのも気詰まりだ。
先に目をそらしたのはアキラの方で、はにかんだような表情で碁盤を見下ろした。
「…この碁盤でいつも打っているんだな、君は」
「うん」
「ひとつしかないのか?」
「足付きはな。折り畳みやマグ碁は持ってるけど」
「そうか…いくつから?」
「これか?中一ん時からだな」
そう言ってしまってから、ヒカルははっとなった。
ヒカルが碁を始めた年齢の遅かったことは有名だが、本当に中一まで碁盤すら持っていなかったことを、改めてアキラに告げるのは初めてだった。
…何か訊かれるかな?
そう思ってヒカルは緊張したが、アキラの方は静かに微笑みを浮かべ、その碁盤の表面をサラリと撫でただけだった。
「な、何…今の…汚れでもあった?」
「っふ…君こそ何をそんなにビクビクしているんだ?たださ、今日、初めて打たせてもらうんだから挨拶、みたいな感じかな?」
「お前…いつもそんなこと、すんの?」
「いいや、しないよ。君の部屋だから…君の碁盤だから…」
君が長い間打ち続けて来た大切な碁盤に敬意を払って…ってとこかな?
そう言った後、すぐにアキラは笑顔を深くした。
「恥ずかしいな、こんなことを口に出して言うなんて。…さ!打たないか」
「ちょっと待って!」
碁笥を開けようとしたアキラを制したヒカルが、その手首を引いた。
「しんどっ…?…」
「ご免。俺、そういうこと言われると駄目みたい………スゲエ、弱い…」
「えっ…」
アキラがどれだけ自分のことを大切に思ってくれているか―――それが伝わって来るようなことをされては、ヒカルも我慢が出来なくなった。
それに、この部屋で二人きりになった時から気持ちは既に走り出している。途中、母の帰宅や碁盤の話で道がそれそうになったものの、ヒカルの気持ちは真っ直ぐにアキラ自身へと向かっているのだ。
「打つよりも先にしたい………させて?」
「…ッ―――…」
ヒカルがアキラを追い詰めるようにして、座っていたアキラの背をベッドに押し付けた。投げ出されてしまったアキラの両脚を跨いで、馬乗りになる。全体重をかけてはアキラが痛いだろうからと、ヒカルは膝で自重を支え、中腰の状態でアキラの肩を抱いた。
そのままベッドの縁に押し付けながら、唇を重ねた。床に置かれたベッドが、ソファで言うなら丁度背もたれの部分に相当してアキラの上半身を支えていた。
ヒカルは無理な体勢に下半身がプルプルするのも構わず、アキラの唇を貪った。
アキラも反射的にヒカルの背に手を回し、しがみ付くようにして口付けを受けた。
最初から夢中で舌を吸い合っていた二人だったが、冷静になれば階下から物音が聞えなくもない。
同じ家に誰かがいる―――
それは秘密の恋をしている二人には身の縮むようなことでもあったが、少しでも相手の欲望を感じ合えば我慢などきかない。
若いのだ。熱は、いくらでも潜んでいる。一旦解放されてしまったその熱は、発散されるべき場所を探して蠢き、膨らみ続けるばかりだ…
次第に息が上がり、少しだけ唇を離すが、またすぐに追いかけて塞ぐ。必死で抱き締め、体をこすりつければ、どんどん髪も衣服も、そして息遣いまでも乱れていった。
「今日は…も、我慢出来ないと思うんだ…」
「えっ…」
「いい?塔矢…お、俺、キスだけじゃ、ヤだ…」
「でもっ…駄目だ、下には…ご家族、が…」
乱されたシャツの胸元から滑り込んだヒカルの手は、アキラの冷たい肌を温めるように撫であげた後、流れて首筋に辿り着いた。その手付きは、階下の家族に遠慮する気などないというヒカルの意志をはっきりと表していた。
「平気だって。ちゃんと鍵、かかるし」
「でもっ…気配で…なにか変だと思われたら…」
「大声出さなきゃいいんだろ?お前が出したくなったら、こうするから…」
そして突き出したヒカルの舌先が、アキラの唇を舐めてはそのまま中に入り込んで来る。
喘ぎ声をキスで塞ぐなんて高度なことをしようとは生意気なと思いながらも、アキラもヒカルの大人びたキスにすっかり翻弄され、腰の辺りがだるくなって来た。膝もカクカクと揺れ始める。
そのうち、座ったままではいられなくなったヒカルはアキラを床に押し倒した。ベッドがすぐ傍にあるにも関わらず、ゆとりなどないらしい。
「しんど…や、だ…ここ、はっ…ッタ…」
「あっ!ご免!痛いよな、背中」
そうは言ったものの、ただ泣きそうな顔で見下ろすだけのヒカルに焦れて、アキラはとてもその単語を口になど出来そうにないから態度で訴えた。
「あそこ…っ、しんど…」
アキラの潤んだ黒い瞳が示したのは、ベッド。
理解した後のヒカルは素早かった。アキラの体を抱き起こし、ベッドに乗せる。
乱れた服をもっと乱す行為が、すぐに始まる。
…言葉が消えていた。
愛撫の唇と手を休めることなく黙々とアキラを脱がせたヒカルは、矢張り無言のまま自分も上半身、裸になる。
こういう時、ヒカルはもっと冗舌になるのかと思っていたが、予想に反してヒカルは余計なことは口にしなかった。それが妙に男らしく感じられ、アキラは直接的な体への刺激以上に、ヒカルの態度にも素直にときめく。
自分は女じゃないから受身になってしまうのはもっと耐え難いことかと思っていたのに、ヒカルから情熱のままに求められるのは、ちっとも嫌ではなかった。ただ、幸せなだけだった。
「好き…」
思わず言いたくなる。
「好きだ…君が…」
ようやく裸の胸と胸が重なり、素肌で触れ合う感触に身震いが起きた。そこにアキラがこの言葉をくれるものだから、ヒカルも返さずにはいられない。
「俺も大好き…好きで、好きで…どうしよう、好き…」
「ぁ、ん…ああぁっ…」
薄い茂みが縺れ合うほどに密着した場所で、二つの芯が初めて捏ね合わされる。どちらの腰も本能的に揺れ始める。
気持ちのいいやり方を探そうとすればするほど、自然と漏れる甘い喘ぎも、「とぅやっ…」「しんどっ…」と相手の名を呼び合う切羽詰った声も、ベッドが軋む音も、全てが絡まり合って部屋を埋め尽くした。
―――その時。
「ヒッカルーーーッ!お菓子、食べない?」
「ッ!?」「ひっ!」
階下から響く母の声に、二人は固まった。
「さっきね、デパ地下ですご〜い行列見つけちゃって。限定販売のドラ焼きでね、中身が色々変わってるのよ〜、これだったら若い子でも好きそうよ〜、ちょっと味見してご覧なさいよ〜」
返答もないのに喋り続ける母の声が、まるで悪魔の呪いのようにも聞える。母さんめ…と、ヒカルは小さく呻くが、アキラの方はどうしたらいいかわからない。
「ねえっ、手が離せないならお母さんが持って行こうか?」
「っ、ええっ!?」
驚きの声を上げたのはアキラの方で、ヒカルはというとアキラの上で丸めた背中をまるで怒りを堪え切れないかのようにブルンッ!…と大きく震わせ…
「うっるせえ…」
吐き捨てるように呟くと、上半身をガバッ!…と起こした。そして大きく息を吸う。
「今、対局中!集中してんだからほっといてくれよっ!打ち終わるまで声も掛けないでっ!いい!?」
「しんどっ…」
ヒカルの突然の大声に身をすくませたアキラも、声にならない声を発した。目には驚きと抗議の色が浮かぶ。
「あっら〜、それはそれはご免なさ〜い」
遠くから聞こえて来るヒカルの母のすまなさそうな声に、アキラの方がすまない気持ちになる。
「対局って…君…」
「ごめ…だってこうでも言わないと、母さん、マジで上がって来る…」
「あ、うん、わかってる。…わかる、から…」
「えっ…ほんとに?お前、怒ってない?碁を言い訳にするな、とか何とか…」
ヒカルは半信半疑で聞き返す。
するとアキラの手が下から震えながら伸びて来て、ヒカルの頬に優しく触れた。黒髪の頭が、小さく左右に揺れる。
「怒ってない…だって僕でも…同じこと、言ったかも…誰にも邪魔されたくなかったら、打ってるからって…」
「塔矢…ほんとに?」
「うん…君と打つよりしたいことが出来るなんて…僕も、驚いてる……………っ、あっ!」
こういうことと碁を一緒くたにすることが、何よりも塔矢アキラという人の逆鱗に触れるのでは想像していた。碁を冒涜していると、叱られるかと思っていた。
それだけに、アキラが思ったよりも柔軟であるのを知り、ヒカルは安心する。
自分と一緒なのだ。アキラだって恋をしている。碁も大事だが、アキラだってこうして体を重ね愛し合いたいと、熱に浮かされたようになることもあるのだ。
そう思っただけで、ヒカルの脳は一気に沸騰した。
すると急にまた萎えかけていた欲望が頭をもたげ、今度はアキラを引き起こすと、自分の太ももの上に乗せるようにした。
高さが揃わないが、二つの塊をぶつけるように、束ねるように、ヒカルの両手が包むと、アキラは「ああっ!」と切なげな声を上げ、ヒカルの首に取り縋った。
「と、やっ…俺の肩に、噛み付いていいからっ…」
「そんなっ…ん、ん、んーっ…」
―――キスの次は、噛んでもいいなんて!
声を殺したければ自分の肌に歯を立ててもいいと、そんなことまでとっさに言えてしまうヒカル自身にアキラは感じてしまう。
同時に、自分たちのしていることにも酔ってしまいそうだ…
下では好きな人の家族がいるのに、今、自分たちは裸で抱き合おうとしている―――イケナイことと感じれば感じるほど燃え上がるような気がするのは、自分が罪深い人間だからだろうか。
アキラの考えていることがまるで肌を通して伝わったかのように、ヒカルが優しくその頬に、髪に、口付ける。
「大丈夫…大丈夫だから…塔矢…きっと、大丈夫…俺たちは…」
「進藤…うん、っ…ん…うん…」
ヒカルはアキラの、アキラはヒカルの目の中に自分が映り込むほど近くにいられることを、今、誰に咎められても怖くはないと噛み締めながら、二人はタイミングを合わせ始めた………
全ての波が引いた後、ヒカルはアキラをぎゅっと抱き締めながら言った。まだ、少しも離したくない気分だった。
「…また来てくれよな?今日のことに懲りて、二度と来ないなんて言わないよな?…そんであの碁盤で、俺といっぱい打ってよ…」
これからもずっと…ずっと………
ヒカルの言葉にアキラも甘えるように体を寄せたまま、しっかりと頷いた。指と指を交互に絡ませ合った手にも、力をこめた。
階下から夕飯のいい匂いが漂って来る、至福の時の中で―――
サイト1555を踏んでくださったS・A様に――
リク内容は「10代後半くらいの二人の、ヒカルの家でデートな話」というものでした。
可愛く〜、青い〜感じに仕上がっていればいいのですが♪
S・A様、素敵なリクをありがとうございました!
絵が浮かんで、とても楽しく書かせていただきました(^^)
2009・4・28 紫里
NOVEL