― RED (2) ―



「さっき、……」
 その時、―――聞き逃しそうに小さく呟かれたその声、それは、ひとりごとのように聞こえて、僕への呼びかけという感じでさえなかった。
 それでも、――自分の弱さに唇を噛みながら――やっぱり僕は、足を止めた。
 すこしだけ振り返ると、彼は、踊り場の壁に凭れて、脱力したまま下を向いて、立っている。そうして僕が立ち止まったのを見ると、こちらを向いて、僕を繋ぎとめるように、切れ切れの言葉を必死に投げかけてきた。
「………オマエが帰ってきて、くれたの、見て、……あかりの前だったし、何気ない、ふり、したけど、ホントは叫びだしたいくらい嬉しかった……」
「……………。」
「……ずっと、オマエと離れてる一週間、……会いたくて会いたくて……身体から火、出そうだった」
 甘い、ずるい嘘だ、どうして騙されるものか、――でも、不意をつかれて、不用意な返答が胸のなかから湧き上がってしまいそうで、僕はあわてて冷たい表情を作り、彼の頼りなげな姿から視線をそらす。

 そうだ、――僕たちが一週間も会わないでいたのはここ何年かの間、これが初めてだった。

「でも、寂しいっていうよりも、またオマエに会える時のこと思って、毎日、どきどきして嬉しくて……」

 僕だってそうだ-――信じてたんだ、――どうかしてるくらい甘いさよならをして、………会えなくてもキミのこと、触れてるみたいに近くに感じて……。

「……それなのに会えた途端気持ちが離れちゃうなんて、イヤだ……。」

 それから彼はおずおずと僕を見て、もうすこし大きな声でまた繰り返した。
「イヤだ!」

 イヤだ――なんて。子供みたいな言いかただ。僕は眉を寄せたまま、少しだけ微笑んでしまう。どうして彼は、こんなふうに、取りつくろわずに思ったままを口にできるのだろう。


 珊瑚の耳飾りをした人、
 その人にもヒカルは、言ったんだろうか。
 イヤだ、行くなって。
 それでもその人はどこかへ、行ってしまったのかな。


 その人のことなら、僕の中でもう整理がついていると思っていたのに、僕の心にはそのとき、嗚咽のようにわけのわからない悲しみがいきなり湧き上がった。それは、僕の心を焼き尽くすように燃え上がって、彼への愛しさと憎しみの両方の色を見せて、一瞬で、消えていった。
 そのあとは自分の中がからっぽで、もう、どうしようもなかった。
 キミから離れて生きていく覚悟なんか、もう僕には微塵もないんだと思った。こんなふうにキミに阿って生きている自分が、どうにもみじめで、許せないとしても。

 あんなふうに頬を打ったくせに、キミに背を向けて行こうとしていたくせに、――結局僕は、キミがムリヤリに抱きとめてくれるのを、抵抗できないほどに繋ぎ止めてくれるのを、ただ、待ってるんだ。

 僕のほうこそ、まるで子供だ。

 僕は振り返ると、追いすがるようなヒカルの目をやり過ごして夜景に目をやった。
 自分のプライドにキリをつけることが、それでもまだできなかった。
 彼の小さな嘘が許せないというよりは、それをはっきりと糾せもせずに彼にすがりついている自分が厭らしくて情けなくて、僕の目は、何度も遠い夜景の灯りをたどって、さまよった。

 それでも僕は、目をそらしたまま、階段をもう一度上り、……ヒカルに触れそうなまで近づいて、一瞬だけ目を合わせて言った。
「ごめん……」

 その一瞬だけでたくさんの刺が、また僕を刺したのを感じた。
 それをはねのけるように彼に身体を寄せ、かたくきつく目を瞑った。

 こんなみじめな思いも、今はただ、全部忘れさせてくれればよかった。無理矢理、選択する間もないほど、キミをもっともっと憎んでしまえるほど我儘に乱暴に愛されて。

 でも、ヒカルは震えながら息を止めて僕の肩をそっと丁寧に抱いた。
 彼が答えを求めて必死に僕の唇を辿っている間、僕はずっと動かないままでいた。それからようやく、尋ね返すように彼の唇をそっと挟んで含み、また離した。
 そうして僕たちはそのまま何分も、交互に、会話のようなキスを繰り返した。
 それから彼が、泣きそうなほど眉を寄せ、唇をゆがめたのをきっかけに、僕たちはもう、――何の答えも求めずに、ただ自分の欲望を打ちつけ毀すようにむちゃくちゃに、舌をからめ、腕を廻し、身体じゅうを擦りつけあった。


「あっ……もう、だめっ……離せ……」
「だめっ……まだ、離れんなっ……もっと……、」
「……きっと誰か…探しにくるっ……もしかしたらもう来て、見られちゃって…るよ……」
「大丈夫、誰も来てねぇよ…………宅急便の箱玄関のまん前に置いてきたから、ドアあけたらぶつかってでかい音するから……」
「……キミ、って、………」
 僕は彼の胸を突いて、身体を離し、睨みつけて言った。
「案外、知能犯だよね……」
 
 彼はぷっと吹き出して、それからまた僕の腰に手をかけて引き寄せようとしたが、僕はするりと逃げ出して階段を駆け下りた。
「ああっなんだよっ待てっ」
 ヒカルのあわてた口ぶりに苦笑して、玄関まで戻ると、ダンボールをはさんで彼と向き合う。
「アキラっ今日……」
 必死に問いかけようとしている彼の目に、うん、とも何とも言わないで、余裕ありげな微笑を見せて、ドアの細くあけた隙間から彼を残して中にすべりこんだ。

 ヒカルが慌ててドアを開けてダンボールにぶつける音を聞き、おかしくて首をすくめてひとりで笑ってしまう。

 こんなことで得意になって、……バカみたいだ、――本当に、
子供みたいだ僕は。













「どうしたの? なんか、あった?」
 5分以上も帰ってこなかった僕たちを不審に思ったのだろう、筒井さんが僕を見て問い掛ける。
「あ、いや、……僕はタバコ吸ってただけなんだけど、彼は、近所の誰かと会って話してたみたい……」
 僕が慣れない嘘にどぎまぎする間もなく、ヒカルが入ってきて、ダンボールをどさっと床の上に置いた。
「えへへ、実家から、送ってきた」
「ク-ル宅急便じゃない、早く冷蔵庫入れちゃいなよ」
「うん」
 ダンボールを開けると、なんだかいろんな冷凍食品がパック詰めになって入っていて、ヒカルはそれをいちいち一個ずつ眺めながら、床に横に並べていった。
「何やってんの電車ごっこじゃあるまいし……」
 藤崎さんが噴き出して言う。
「あっ動かすなよ? 冷凍庫入りきらないから、すぐ食べるのはこっちに並べてんだよ。あっ、このシュウマイは、今みんなで食っちまおう。」
「これ何?」
「焼き魚セット。照り焼きとか味噌漬け焼きとか、いろんな魚が入ってんだ」
「そんなのあるんだ! いいな私も欲し〜い!」
「おまえ実家じゃんか。」
「んん〜、結婚したら。」
「結婚したらちゃんと魚くらい焼けよ?」
「そういうウルサイこと言わない人と結婚するの。おあいにくさま〜」
 なんとなく、藤崎さんもさっきの御機嫌を直したようで、みんなほっとした感じがうかがえる。荻原さんが並んだ食品を見ながら、
「これって誕生日のプレゼントなのかしら?」
「う〜ん? まあ、月イチくらいでいろんなもん送ってくれるんだけど。でも誕生日にもオレには食いものが一番だと思ってんだろうなぁ……」
「優しいお母さんじゃない。」
「栄養とかも、考えてくれてるのよ。ほらごま和えとか煮物とかも入っててさぁ……」
 ははあ、この間やけに美味しいごま和えを食べさせてくれたと思ったのはこれか。
「あ、そうだ! ねえねえ、頼んどいたアレ……」
 藤崎さんが三谷君に話し掛けると、
「うん、……」
 三谷君が、大きな袋の中からごそごそと何かの包みを引っ張り出した。

「コレ、私たちからもプレゼント。筒井さんや荻原さんもみんなで、彼に頼んだの。彼がいちばん、ヒカルっぽいの、わかるんじゃないかと思って」
「あ、ありがと……悪ぃな、こんな日に呼んじゃったから……」
「いいよおみやげがわりだもん。」
「開けてみていい?」
 彼がリボンをほどいて袋を開けると、案外に地味な色のシャツが入っていた。黒地に薄墨色のペイントを振り撒いたような何気ない模様だ。けれどヒカルが胸に当ててみると、とてもよく似合う感じがした。
「ありがと、みんな……」
 ヒカルはシャツを、嬉しそうに丁寧に畳みながら言う。
 僕はちょっと居心地が悪かった。
 僕もプレゼントを買ってきてはいたのだが、ちょっと人前で渡すのは憚られた。旅行用のバッグの中に入れたままになっているそれを、僕はとりあえずないことにして、知らん顔することに決めた。

「ところで塔矢君さ、」
 いきなり筒井さんに言われて、どきっとして視線を上げると、
「慣れてるんだろうけど、とりあえず正座崩したら?」
 そういえばさっき戻ってから、なんとなく正座のまま座ってしまっていた。
「あ、ごめん、もう癖になっちゃってて、うっかり……自分じゃ堅苦しくしてるつもりないんだけど」
 そう言いながら僕はあわてて正座を崩し、あぐらをかいて座りなおす。
「職業病だよな?」
 そういうヒカルはさっきから足を崩して座っている。彼も正座はそうとう慣れてるはずなんだけど。
 突然、くすっと笑って三谷君が言い出した。
「塔矢……ってさ………なんかおかしーのな。」
「何が?……」
 ちょっと眉を上げただけの僕のかわりに、勢い込んでヒカルが聞く。
「え? 何? 何がおかしいの?」
「ん〜、あぐらかいてるのに、正座よりもっとかしこまっちゃってる感じしてさ。――なんかさぁ、…………そう、姿勢よすぎて、ちょっとこれから切腹する、みてーな雰囲気なんだよな。」
「ちょ、ちょっとヤダっ、失礼よもう!」
 藤崎さんは大慌てしたが、荻原さんは慌てて下を向き、こっそりくすっと笑った。
「ええ?」
 僕が心外だという顔で箸と取り皿をテーブルの上に置くと、筒井さんも噴き出してしまって、
「ごめん塔矢君……僕も今、キミが辞世の句、書き終わったみたいに見えた……」
 僕は困った顔をしてため息をついたが、みんなは容赦なく笑い出した。
「ごめん、ホントに何してても頭、動かないんだもの……」
 筒井さんが言い訳し、藤崎さんまでが眉を寄せながらも笑い出している。
 たしかに僕は寛いだ雰囲気に馴染めないでいつも浮いてしまっているかもしれない。真面目に恥ずかしく思っていると、一番大笑いしていたヒカルの目と、ふと視線が合った。

 その目を見ただけで、耳まで赤くなりそうだった。
 どんなに彼が僕を愛し、肯定してくれているか、全部伝わってしまうような眼差しだった。
 彼の慈しみが身体じゅうに注ぎ込まれるようだと思った。

 あわてて背を丸め、組んだ脚のうえに腕をおろして、リラックスしたふうを取り繕い、赤くなった顔を俯けた。
 その時、僕に注がれているもうひとつの特別な眼差しに気づいた。

 藤崎さんの眼だった。

 彼女の目も、ヒカルとは違う、一種独特の慈しみに満ちていて、ああ、この人は、僕とヒカルとのことを知っているのかもしれない、とその時初めて僕は思った。













 それからみんなは、2時間あまりも、昔の思い出話や旧友の消息などについて盛り上がった。僕にはわからない話がほとんどだったが、時々出てくるヒカルの昔の様子を聞くのは面白くて退屈しなかった。
 ヒカルの実家から届いた宅急便は、シュウマイのほかにいくつかの焼き魚、ポテトグラタン、肉まんなどがすっかりなくなってしまい、筒井さんが、
「もう、進藤君の食糧を減らすのはやめよう……きっと、次の宅急便まで栄養失調になっちゃうよ」と言ってストップをかけた。
「あ、もう9時半だ……そろそろ、ケーキも食べちゃわなきゃ……」

 バースデーケーキにろうそくを点すとき、みんな盛り上がって部屋の電気を消し、ろうそくの灯りに見入った。
「キレイだなぁ……」
「うん、ここ、電気消すと、夜景もすごくキレイだね……」
「なんでろうそく6本なの?」
「あるだけ。まさか22本も立てられないでしょ?」
「ええっつまんないなぁ……」
「いいのいいの。じゃ、……ほら、みんな、会うのひさしぶりだから、みんなの分もお祝いしよ? ちょうど6人だから……。」
「そっかそれならいいや。」


 10時過ぎになって、筒井さんたちが、「じゃそろそろ……」と言い出した。荻原さんと藤崎さんがその前からちょこちょこと皿を洗ったりしていたが、キッチンはひどいありさまになっており、女性たちは、「ゴミや食べ残しだけ片付けといてあげる」と言って席を立った。
 ところが結局女性たちはキッチンで皿を洗いながら楽しそうに話しこんでしまい、僕たちは所在なく碁についてとか、あたりさわりのない話をした。
 筒井さんがトイレに立ったとき、三谷くんが小さな声で言った。
「進藤後でちょっとだけいいか?」
「……うん……?」
 ヒカルは何か覚悟してたようにそう言って、それまであまり飲まないでいたチュウハイのグラスを、ぐっと傾けて飲みきった。

「ごめんオレやっぱトイレ行くから、先、下おりてて。」
 三谷君が言ったのは、一行の最後から靴をはきかけながらのなにげないタイミングだったが、明らかに見計らってのことだったろう。
「なによ今ごろ……じゃ、1階のロビーにいるよ。」
 藤崎さんたちが言って、エレベーターが来ると、僕もすかさず言った。
「あっごめん先に行ってて。僕も忘れ物……」
 3人だけをエレベーターに乗せて、こっそり部屋の方へ戻る。三谷君の表情にもヒカルの返事にも、なんとなく危機をはらんだような妙な雰囲気があった。もしかすると三谷君は、藤崎さんのことでヒカルにケンカを売ろうとしているのかもしれない。ヒカルがケンカに弱いのは僕が良く知っていた。まあ、一発くらい殴られるのは彼のためになるだろうが、一応鼻っ柱くらいは守ってやらなければならない。
 カギが開いているか閉まっているか……でも閉まっていたとしても僕はカギを、持っている。三谷君は僕が介入するとは夢にも思わないで、僕の前でヒカルに「後で……」などと言ったのだろう。

 カギは、かかっていない。そっとすべりこんだ室内は、意外にシーンとしていて、あれ? と僕は拍子抜けしてドアのすぐ内側に、立ち尽くした。ここから部屋までは何歩かの距離だが、玄関は浴室を挟んで折れ曲がっているので、彼らには僕がここにいることは、わからないはずだ。立ち聞きには絶好の場所だ、と思いながら急にちょっと後ろめたい気もする。
 靴を確かめると三谷君の靴もヒカルの靴もあるから、2人とも室内にいるのだろう。僕が首をかしげた時、ぼそぼそとヒカルの声が聞こえた。

「…………今の恋人とは切れてねえよ……いろいろあってそういつもは会えないし、一緒に暮らしたりとかもできないけど……」
 三谷君の返事は、聞こえない。返事をしたのかしなかったのかもわからない。しばらくしてヒカルがまた、
「……あんなことしちまって、自分でも、まずかったって思ってる、ヘンな気は、なかったんだ。ホントにごめん……でもあの後のあかりの様子見て、アイツはもう、オレのことひきずったりしてないって、……オレは、そう思ったけど……」
 またしばらく沈黙があった。僕はもう、後ろめたい気持ちもすっかり忘れ、息をひそめて話の続きを待った。
 それから初めて三谷君の声が聞こえた。僕が思っていたのと違い、やけに淡々とした、落ち着いた声だった。
「うん、いいよ。……あのな、たとえ今日みたいなことでオレとアイツがこわれちゃっても、それはもうオマエの責任じゃないって、そう言おうと思った。」
「三谷、……」
 ヒカルの声は初めて、かなり慌てた様子になる。
「あかりと上手く、いってねえの? 何かきっかけがあれば、壊れるって感じになってる?」
「あっいや、そういう意味じゃないけど、……」
 三谷君はまたそこで言葉を切ってから、
「オレね、今はアイツにフラレてもしょうがないと思ってるんだ」
「み……」
 ヒカルが何か言おうとするのを三谷君は手で制したようで、ヒカルはそのまま押し黙った。それから三谷君がまた、ぼそぼそと言った。
「おまえに負けないくらい、ひとりでちゃんとやっていけるようになるまではさ、オレもこっちだけを向けって、アイツに言えない」
「……………。」
「アイツと付き合い始めてからも、おまえのことではオレあきらめてるところが最初あった。でももう今はあきらめてない。だから」
「うん」
「おまえに今、誰もいなくて、……アイツがおまえのところに戻ろうとしても今は、……仕方ないけど、でもオレも卒業して、1年か2年したら」
「うん」
「もう、絶対おまえのところに、アイツは、返さないから」
「うん……」
 三谷君の声は低く、ヒカルもずっと小さな声で相槌を打っていたが、僕は部屋の出口でそれをずっと、目を閉じて聞いていた。そして、ヒカルの最後の返事に、泣き出しそうな響きが含まれているのも、確かに聞いた。

僕がロビーでいったん帰るふりをしてみんなと別れると、しばらくして真剣に焦った顔のヒカルが追いかけてきて、僕らは苦笑したりからかいあったりしながらまた彼の部屋まで戻った。
「大丈夫か……疲れてるんじゃねえ?」
「うん、大丈夫……」
 疲れていると言えばやめたのかどうか、ヒカルは僕の言葉を聞くやいなや腕を廻して僕を抱きすくめようとするが、僕は彼の胸を突いて、少し体を離した。
「あっ………まだ、なんか怒ってる……?」
「そうじゃなくて」
「なに?」
「少し、話したい」
 そうするとヒカルは急に凍りついてしまって、肩をこわばらせて僕のほうを見た。
「ななななに? 話したいって? えっとその、こ、こわい話?」
「怖い話って? ……いや、三谷君と藤崎さんのことだけど……」
「な、なんだ……」
「ん?」
「オマエ……怒ってもう別れようとかいうのかと思った」
 僕はそれには答えずにいったん目をそらし、それからまた促すような目でヒカルを見た。
「藤崎さんはいつから彼と、つきあっているの? そしてキミはいつから、それを知ってたの?」


 僕とヒカルはそのとき、灯りもつけずに部屋の入口に立っていたが、ヒカルは顔を上げて「うーん」と言うと、そのまま夜景の見える窓のほうに、すっと歩いていった。僕がそのあとを追って、二人で真っ暗な部屋の窓際に立ったまましばらく外を眺めた。それから僕たちはそっと目を見交わし、それを合図に彼がいつになくぼそぼそとした調子で、話し始めた。

「何年か前、――前あかりに好きだって言われたあの後しばらくしてさ――オレ家の近くであかりに会って真っ青な顔で逃げられて、ものすごく悲しかった。きょうだいみたいにいつも一緒に育ってきたのにさ………でもそれから3年ちかくたって、急にあかりから連絡があって、彼氏と一緒に会いたいって言われて………その時昔みたいに笑い合えたのがすごくうれしくて……それから筒井さんたちも誘ってもう一度会って、今度が3回目かな。でも、ホントいうと、アイツが三谷とつきあってたのは、オレ2年くらい前からよく知ってた。」

 僕たちは触れ合わせるようにして窓ガラスの上に手を置き、お互いにガラス越しの夜景へ目をやっては喋り、また聞いていた。

「ずっと三谷に会ってなかったけど、高校入ってからだいぶ、デタラメやってるってのは聞いてた。あかりとは違う高校行ってたけど、それでも、何かにつけて会っては、冗談交じりで口説いてたらしい。冗談交じりっても、アイツそういう冗談言うタイプじゃないし、ホントにあかりのこと好きだったんだろ。途中から、がむしゃらに、夜予備校とか行って頑張って美大行ったのも、あかりのこと好きだったからかもな。……オレはずっと、ほとんどあかりに会ってなかったのに、3年くらい前、あかりが、いまさらって感じで告白してきた。もう諦めてるけど、気持ちにキリつけたい、とか言って………ホントに、おまえと付き合いだして、わりとスグだった……。」
「え? すぐじゃないよ……1年以上、たってからだよ。僕は覚えてる……一緒にいるようになって、2年めの春だった……」
「うん……ホントはね、……あの半年以上前に告られて、もうオレはきちんと断ったんだ……あのとき、――オマエに会わなかったあの時はね、オレ、毎日のように三谷に会ってた」
「……………?」
「たまたま、中学時代の知り合いに会って、あかりがアイツと付き合ってるって聞いて……オレはその時、三谷についてロクでもない噂ばっかり聞いてたから、なんとかして止めたかった。あかりのヤツ、やけになってるんじゃないかって思って……」
「ロクでもない噂って?」
「まあ主に女関係。他の知り合いにも会って聞くと、みんながみんな、だらしなくて誠意がないってめちゃくちゃ言ってた。高校のころは孕ませた女もいるとか、まあそれはホントかどうかわからないけど、でもそのくらい評判悪くてさ」
「ふぅんそんな風には見えなかった……」
「変わったんだよアイツ。オレ、あかりに言うわけにもいかないし、あん時は三谷に食い下がってなぐりあっちゃってさ。見事にやられて顔はれちゃって、それからも4、5日オマエに会えなかったっけ」
「そうだったんだ……なんで、言ってくれなかったの?」
「だってヤバイじゃん、あかりの男んとこ行って、あかりから手を引けとか言ってたんだぜオレ? オマエにバレたらまた殴られるぜ? そんだけ聞いたら、殴ったろ絶対?」
「ん……う〜ん……そうだな殴ったかも……」
「ホラ見ろよ! ……でも三谷のヤツ真剣な顔で、見ててくれとか言うからさ、別にオレ、殴られて敵わないと思ったからじゃないけど、とりあえず手をひくことにした。でも、その後も、何度か、三谷には会ってた。」
「ふうん……」
「でも、あかりに会ったのは、半年くらい前。久しぶりだったな。アイツ、幸せそうで、すごく、すごくほっとした。」
「藤崎さんに、僕とのこと、話したの?」
「えええ?! 話すわけねーじゃん! 話したりしたらまたオマエに殴られ……」
 彼は真剣に脅えた様子で言ったが、途中で言葉を止めて、
「……なんで?」
「……さっき、藤崎さんが僕を見た時、なんだか判った……彼女は僕たちのことをきっと知ってるなって」
「ま、まさかあ!」
「キミが話してないなら、彼女が自分で勘付いたのかもしれない」
「まさか! そんなこと気づいたらきっと、大騒ぎするよアイツ? 冗談じゃねェよ!」
「そんなことない。彼女は、きっと、言わないよ。優しい人だから。」
「はぁ? オマエ、やけにアイツ買いかぶってんじゃん? アイツは優しくもないしカンもよくないし、ぜってー何も気づいたりしてねぇって! ビ、ビビらせんなよぉ! はぁ〜っ」

 口をパクパクしてみせるヒカルを見ながら、僕はそっと、いろいろな事を胸の中で思った。
 彼女の良さにヒカルが気づいていないのは、僕にとってありがたいことかもしれない。きっと、小さいころから一緒にいたこの2人は、本当にいろいろな意味で、似てしまったのだろう。
 ヒカルが彼女の優しさに気づいていないように、彼女も、ヒカルが殴られてまで三谷君に食い下がった優しさを、知らないでいるのだと思う。













 それから冷たい窓ガラスにあてた手をお互いに何度かそっと触れ合わせながら、僕たちはまだ目を見交わさずに話を続けた。

「さっきも部屋出る時に三谷がな……」
「うん、聞いてた」
「聞いてた? いや、聞いてねえだろ、オマエたちが玄関出て後だもの。アイツとオレだけで部屋に残って、話したんだ。」
「うん、でも聞いてた。」
「まさか、……戻ってきて立ち聞きしたんか?」
「うん。」
「オ…オマエ最近なんでもアリなんだな……?」
「そういうわけじゃない! 三谷君が『後でいいか?』なんて言っていたから、君が殴られるんじゃないかと思って。助けてやるつもりで戻ったんだ。」
「ふ〜ん……?」

 彼は照れたような投げやりな相槌を打ったが、それから僕の顔をまっすぐに覗き込んでにこっと笑って、「ありがとな。」とだけ言った。
 恩に着せたつもりだった僕は、しまったと思ってただ知らん顔をし、慌てて話を継ぎ足した。

「ううん……なんだか僕、反省した。パッと見で三谷君のこと、いいかげんで信用できなそうな奴だと思っちゃって……」
「まぁそりゃしょうがねえよ。誰でも思うだろ〜あれじゃあな。」
「うん、……でも先入観持つっていうのは、よくないよね。キミのことも昔、最初見た時、僕はすごくバカにしちゃって、――こんなヤツに碁で負けたと思ったらくやしくて気絶しそうになっちゃったしさ」
「て、てめ〜!! ソコへ来たか!!」
 ヒカルは左手で僕の肩を掴みながら、僕の顎のあたりを右手でぐりぐりと突く。僕は笑いながら彼を逃れて、――それから彼の手が僕をまたすぐに捉えると、二人ともすぐに笑いやめて同時にため息をついて、――僕たちは何かの合図を待っていたかのように引き合ってひとつになった。



 さっきまで冷静に、からかいあったりしながら話をしていた僕たちなのに、もう彼の息は荒ぶって、僕の身体を硬い床に横たえる。
 僕の身体はまるで共鳴するように、彼の身体に沿って横たわって、同じリズムで上下し、暗い海を表現するダンスかなにかのように、揺らめき、うねり、囁いた。
「ああ………ヒカルっ……会いたかった……」
「オレも……」
 抱擁して、身体を擦りつけあっているだけで、もう意識が真っ白になって、芯まで薙ぎ倒されてゆくように陶然となる。お互いを思いあっている熱い部分を、確かめるように服ごしに押し付けあっていると、それだけでどうにかなってしまいそうに思える。
 彼の手が服の上から僕を撫で、ズボンの前を寛げると、僕の身体は彼の手の中におさまろうとしてまた激しく形を変えた。
「ああ、オマエってやらしい、もう、こんな……」
 浅ましい自分の身体の状態を全部知られて、口惜しさと恥ずかしさで耳までが、熱い。さっきから、手と手が触れそうになっただけで煽られて勃ち上がってゆく自分を押さえられないでいて、――今、少しの抱擁だけで、僕のものはもう淫らな期待に弾けそうになっている。
 せめて、乱れる息づかいを聞かせたくなくて必死で顔をそらせた。
 
 自分の身体ばかり触られて、侮られるのが口惜しい。手探りで彼の身体の同じ場所を探し当てて愛撫を始める。彼の手が待ちきれずにジッパーを下げると、僕はすぐに手を差し入れて、彼のものを外側へ導き出した。同じ状態であるのを知って、嬉しさで眩暈がする。
 並んで横たわりながら少しの愛撫をお互いに加えるうちにもう我慢できなくなって、二人とも下着まで全部、蹴りだすように取り払って、お互いのものをしっかり握りしめながら抱き合い、唇を合わせた。
「……ん…っ……」
「ああ………んっ」
 シャツを脱いでる余裕なんか、もうない。
 目にうつるのは、街の遠い小さな灯ばかり、そして、部屋の静寂のなかで響いているのは彼と僕の息づかいと、激しく身体を擦り合わす淫らな音だけになる。
「ああっ、んっ、い……」
「はぁっ、アキラ……」
 二人とも待ちきれなくて、でも、性急にもしたくなくて、ただ、欲望のリズムを同調させるように身体を動かし、唇をついばみあっていると、その音だけが部屋に満ちて、そのリズムで部屋が狂おしく息づき、壁にうつっている何かのぼんやりした灯が、ゆらめいて炎のように踊る。
 彼は、そのリズムに合わせてゆっくりと、焦らすように僕のものに指をからめて上下しつづけた。
「ああっ、……もっ……」
「もっとはやくしてほしいの?」
「……………。」
「ちゃんと、言って?」
 僕は赤面して腰の動きを止める。それでも彼は手の動きを早めない。
「はっ……意地悪っ……もういいっ……あっち、行けっ……」
「やだ」
 それから彼はもう一度僕の顔を覗き込んで、少し長いキスをして、「もっと……」と囁くような声で言った。

「………めちゃくちゃにしたい……」

 激しくなった彼の手の動きに身をまかせて、もう、取り繕うことも何もできないで、快感の波に揉まれて声をあげ、彼の手の中に激しく自分の身体を捻じ入れた。
「はっ……あ、………あああっ、ああっ、………ヒカルっ……」
「気持ち、いい? ああ…目、みせて?」
「ああっ――」
 彼が僕の目を覗き込むと、僕は、僕の瞳のなかの、はてしなく淫らな色を閉じ込めようとして必死になる。彼の肩ごしに、ぐっと唇を噛んで、真っ暗な窓の隅に視線を釘付ける。
 その中をスローモーションのように飛んで横切ってゆく飛行機の赤いランプを、弾けそうな意識の端にしっかりととらえて、目で追った。
「………愛してる……すごく、……オマエ、……だけ、……ずっと、……」
 彼が甘い言葉とキスを交互に僕の胸の上に散らすうち、意識が弾けて、身体の中を熱い歓びが駆け上る。
「は……ぁっ……あああぁっ……」
 僕が達すると、彼は僕の身体を引いてきつく抱きしめ、僕の放ったものは彼の身体を幾筋も伝って床へ流れ落ちた。歓びと、幾分かの哀しさで虚ろになっている僕の目を、彼は覗き込んで、それから瞼と、唇の端に、何度も何度も優しいキスをした。













 しばらくは、自分の心臓の音以外に、何も聞こえない。

 彼は微笑んで、すがりついている僕の手からそっと逃れ、自由になる。
 それからすっと起き上がって僕の上に屈みこみ、肌蹴た襟元のあたりに唇を押し当ててくる姿は、何かしなやかな獣を想像させた。
 そうして、うずくまるようにしながら揺らす彼の身体のリズムが、僕の大きく鳴る心臓のリズムにぴったりと合って、しばらく、僕は彼の肩を抱いて放心したままその動きを眺める。けれど、彼が顔を上向けて、狂おしげな目を僕にむけたときはじめて、はっとした。
「待って、………」
 自分だけ満足してしまって、とあわてて彼の肩から手を離し、同じ高さにうずくまろうとする。
「いいっ」
 彼はもう一度僕の腕を抱きすくめて、僕の顎の下に顔を埋め、喉元に熱い息とともに、キスをした。
「このままが、いい……」
「でも……僕も、したい……口で、……もっと良くしてあげたい……」
 僕が言うと、彼は、
「それだとオマエの顔が見えないからイヤ」
「でも、……」
「お願い……」
 そのまま熱くなる彼の息に、喉を包まれて、ぼうっとなっている間に、彼の身体の動きがますます激しくなる。その獣のようなリズムに、生命まで吸い取られてしまいそうに感じる。
 まるで、心臓の音とともに、僕の喉から真っ赤な血が溢れ出して、彼がそれで必死に喉を潤しているようだ。
「アキラ……」
「ん……」
「愛してる……」
 喉元から注がれるような言葉に、痺れるようになりながら僕は、窓ガラスに写る、重なり合った僕たちの姿を目の端にぼんやりと留める。僕はただ身体を投げ出して、彼はその上で踊るようにしながら自分の身体を鎮めている。
 急に胸が痛くなった。
 いつから彼は僕を求めなくなったのだろう。
 最初のころ彼は、僕に自分を受け入れさせようとして必死だった。飛び掛られて、力づくで押さえこまれて、ベッドから蹴り落とすまで戦ったこともある。まるでプロレスみたいだった、と後々笑い話にしてしまったのも彼を傷つけたのかもしれない。泣き落としとか、冗談まじりとか、それでも可笑しくなるくらいに、彼はそのことに真剣だった。
 それでも僕は彼に屈服することをせず、ただ彼をはねのけて、……そんなことが何年も続くうちに彼もあきらめてしまったのだろう。何も望んでこなくなった。
「オマエを女の子の代わりにするつもりはないから」と彼が言ったこともある。あたりまえだと僕は思ったが、あのときの彼は相当に無理して格好をつけてそう言ったのだろう、と最近になって思った。
「あっ、アキラっ……!」
 いきなり彼の身体が大きく反ると、彼は片手で僕の頬を乱暴に引き寄せ、たぐるように唇を寄せてキスをする。そうしてもうひとつの手が、その中に支えていた彼のものを僕の腿の間に捻じ込んだ。それは、僕の身体の芯にまで届くほど大きくて熱くて、――それがびくんと跳ねて僕の間へ熱い液体を滴らせると、僕の胸は愛しさで苦しいほどになって、それを身体中で浴びようと彼の身体の下へ潜り込んだ。
「ぁ……」
 身体じゅうで飲み尽くすように彼の熱いものを受け止め、身体じゅうで味わうように彼の滴りに身を浸す。
「ああ……ヒカルっ―――」
「あ、あ、………愛し、てるっ、アキラっ…」
 彼が息を継ぎながら苦しそうに、泣きそうな声で叫ぶと、僕も泣きそうになる気持ちを抑えて、彼の身体を抱きしめる。
 そうして、彼の額に口付けながら僕は思わず、「ごめんね、ヒカル……」と、聞こえないほどの声で囁いていた。


 幸福そうな顔を上げて、僕の髪を撫でようとしていたヒカルが、ふと眉を曇らせて僕の顔を見る。
「どうしてそんな顔してんの?」
「そんな顔、って……?」
「哀しそうだ、とても」
「悲しくなんかない……キミのことを想って、切なくなっただけ」
「?……さっきどうしてごめんねなんて言ったんだ……?」

 聞こえてたんだ。
 でも僕には答えがみつからない。自分でもなぜあんなことを言ったのかわからない。
 ただ、僕でない人が、キミに与えられるかもしれない幸せについていろいろと思った。
 キミは僕といて本当に幸せなんだろうか。
 そう思ってしまったら、ただキミが愛しくて、自分のことが悲しくて、どうしたらよいのか判らなくなった。

「どうしてなんだよ? オマエ、アレ、どういう意味なんだよ、もしかしたらオマエ……」
 ヒカルは執拗に僕に、囁きの意味を尋ねる。その声は不安げで、震えている。僕は彼をそんな気持ちにさせたこともまた悲しくなって、ちょっと投げやりに答えた。
「あははは、何でもない。ただ、キミも運が、悪かったなと思って…」
「ん?」
「僕に会っちゃったりしたから……」
「ええ?」
「僕があのとき、雪の日に、……君に、言うべきじゃ、なかったこと……」
 知らないうちに僕の声は震えた。
「……………。」
 彼はいつになく思慮深そうな目で、僕をじっと、観察するように見る。そうして見つめられるうちに、自分の言っていることがどんなに馬鹿げた、詮無いことであるかに気づくと、僕は、ますます激してしまって、自分の言い出した言葉を止められなくなった。
「あんなに綺麗な女の子がキミを好きだって言ってるのに……」
「黙れ」
 その時彼の目にさっと怒りの色が浮かんだのが、暗闇の中でもはっきり見えた。僕がすくんでしまうほどに恐ろしく激しい目の色だった。でも僕がたじろぐと同時に、彼は僕を抱きしめて、唇を合わせ、舌を絡め、吸い上げるようにして、……僕が何も考えられなくなってしまうほどに激しい、キスをする。息ができなくて暴れて、そうして離されてやっとついた息は、悲しい嗚咽のように響いて、また僕の胸を震わせた。
 それから彼が言った。

「何も」
「もう何もいらないから」
「これ以上もう何も必要じゃないから、」
「ただ、ずっとこのままでいて。どこへも、行かないで。」
 

 広くもない浴室に2人で入るのは本当に好きでないのだが、今日は彼が「離れたくない」とか言って妙に甘えるので、仕方なく一緒にシャワーを浴びた。浴室の電気は妙に明るくて、彼が目をくるくるさせて僕を眺め回すので小突いて向こうを向かせる。
「なんで?」
「イヤらしいんだよ目つきが。」
「だって久しぶりなんだもん……」
「たった1週間じゃないか!」
「だって…」
 熱帯の雨のように明るい音をたてて散らかるシャワーの中で、彼は笑いながらまた僕の身体を抱いた。
「ばかっ……あっ……」
 抱き合った一瞬にまた彼のものが僕を撫でるようにして勃ちあがり、僕の下腹のあたりに押し付けられる。
「このスケベ野郎何するっ」
「だってコレすぐにオマエのこと好きだって言うんだ」
「口で言えよ」
「じゃあ、好き」
 彼が言うともうそれ以上僕は何といっていいかわからなくなって、また、「バカ……」といいかけるが、それも、シャワーの音と彼の熱っぽい息づかいと、それから、僕のなかの、何もかも麻痺させられてしまうあの幸福な狂気に、語尾を奪われて消えていった。


わざわざ1つのバスタオルにくるまっていこうと言うヒカルを結構だと追い払ってから、彼のパジャマを着て、二人でテーブルの横にフトンを敷いた。もう1時を回っている。朝、韓国のホテルを出てきてからひどく忙しかったので、疲れが急に出てきた感じがする。すぐ横になると、彼がじゃれつくように肩に抱きついてきて、二人で猫のようにくっつきあってまるまって、フトンをかぶって転がった。
「あ〜あ〜あしたオレも休みだったらなあ〜」
「なんだ休みじゃないの? じゃ早く寝なきゃ……」
「うんでも朝は早くないから……」
 そう言って彼はまたくすくす笑った。僕は安心して目をつぶってから、はっとしてまた起き上がった。
「あっそうだ忘れてた!」
「えっ何?」
 僕は彼の胸を突いて離れて、側のバッグの中から包みを取り出しながら、
「僕も買ったんだ韓国で……あの、誕生日の、……プレゼント……」
「おっありがと……」
 それからすこし照れた調子で彼は言った。
「やっぱり、忘れないでてくれたのな。……電気つけていい? 見たいから……あっ何だよ?」
「いいんだよ明日見れば。別にわざわざ今、電気つけてみるようなものじゃないよ。」
「はあ? 何言ってんの? 一生懸命選んでくれたとかそういうんじゃないわけ?」
「一生懸命選んだよ! でも、その、……」
 僕は赤くなる。
「何?」
「あまり気の利いたものじゃないんだ……去年と同じだし。」
「あ、ネクタイだっけ。……いいよ別に何でも」
「いろいろ、考えたんだけど、あまり、普段キミが着てるようなものって、よく、……わからないし、ヘンな物買って、ムリに着てもらっちゃったりするのもとても悪いし」
「うん。」
 言いながらヒカルがくすっと笑うので、自分で言い出したことなのに僕はちょっと、むっとする。昔、僕が必死で考えて買ったシャツを彼はあまり気にいらなかったようで、それでも何度かは着てくれたのだけれど如何にも彼に似合わなくて、今でもなんとなく僕の負い目になっている。
「どうせならちゃんと役にたつものを選ばなくちゃと思って……。」
「ネクタイは要るものだしさ、すごく、ちゃんと役にたつよ。」
「ただ、去年どんな柄のを贈ったか忘れちゃって、また同じような柄って気も、するんだけど……。」
 またくくっと噴き出しながらヒカルが言う。
「いいよいいよ。じゃあ毎年、それで。」
「ちゃんと、時計とか靴とかの流行も調べたんだけど、……。」
「わかってる、オマエ、自分の服だってろくに選んだことないんだからさ、いいんだよそんなもの調べないで。オレ、これが一番うれしい。仕事のとき、いつもオマエと一緒にいられる気がするもん。」
「……………。」
「ありがと。明日、コレしてく。」
 彼は僕を抱いて、僕たちはなにもかも満ち足りた想いの中で抱擁を交わした。
「それにさ、」
「何?」
「……きょうはどうしたってオマエに会えないって思ってたのに、こうやって会えたろ? それがもう、オレにとってはめちゃくちゃ最高のプレゼントだと思う……」
「……………。」
「いっや〜さすがにそこまで言うと照れるな〜」
 彼は子供のようにきゃははと笑って言うと、また僕の胸に顔を埋め、僕はくすぐったくて笑いながら彼の頭をかきまわしてくしゃくしゃにした。



「ああっそういえば、オレも忘れてた! きょう、一番話したかったこと!」
 言いながらヒカルはまた、くすくす笑い始めていて、僕の肩のあたりで、茶色の髪を何度も小さく揺らしている。
「なに?」
「オマエきょう、テレビ出た時さ、アレ、やったろ?」
 あっあのことか。彼とするくだらない冗談。片方がテレビに出たり、壇上にいたりするときに、相手を忘れてないって伝えるメッセージサイン。僕は下からいたずらっぽい目で顔を覗き込まれて、ちょっと照れて顔をそらす。
「わははははわざとらしかったぜ〜オマエ、あれじゃ絶対バレるって。耳さわるって言ったって、こう、髪の毛撫でるみたいにしてさっと触りゃいいのにさ、なんかこんなにして耳朶つかんじゃって」
 そう言いながら彼は僕のマネをしてOKサインのような手の形をし、それから調子にのってそれで僕の鼻先をつまむ。
「やめろよ」
 僕は手をはらいのけながらもちょっとどぎまぎして、
「そうかなぁちょっとわざとらしすぎたかな?」
「うんうんアレはね〜、やったことあるヤツいたら、気づくぜ〜? 緒方さんあたりヤバいな。今度会ったら言われるかもよ、女にサイン送るなって」
「どうしよう?」
「別にいいじゃん、バレちゃいました〜?って言っとけば。オマエに女いないのもいいかげん不思議がられてるしさ〜、そのくらい言っとけよ。いくら緒方さんでもまさか相手がオレとは思うめぇ〜」
 それから彼は暢気にまたけらけらと笑い出し、僕はまだどぎまぎしながら彼の方へ少し頭を傾げて、沈黙した。彼は屈託なく、笑いながら頬ずりするように頭を揺らして、僕の胸に顔を埋めている。――なんだか、今ならなにげなく訊けるような気がする。
「なに?」
「……………。」
「どうしたの?」
「あのさ、……。」
「何〜?」
 リラックスしきって、半ば眠りかけながら僕の胸で問い掛けるヒカルに、いきなり肘を打ち下ろすような唐突さで僕は言った。
「珊瑚の耳飾りをしてた人って、本当は誰なの?」













 彼はぎくっとして身を硬くし、すっかり眠気もさめてしまったようだった。
「な、なんだよオマエ疑ってんの?」
「うん。」
 僕が悪気なさそうに言ってのけると、彼は一瞬逡巡した。いかにも、このまま嘘がつきとおせるものか測っているといったふうだ。
「わ、わぁったよ! 珊瑚の耳飾りはねえ、母親じゃないよたしかに。でもさぁ、別に好きだった女だとか、そういうんじゃないんだ。まぁ、親友みたいなヤツだったんだけどさ、ソイツ、死んじゃったんだ。それで」
「でも女の子なんだね。」
「違う違う、男だって。」
「このヤロウっ」
 僕は彼の脇腹あたりを膝で蹴り上げる。
「いててててっ!!!」
「見え透いた嘘はやめろ! いくら僕でも、珊瑚の耳飾りを男がするなんて、おかしいってくらい…」
「わっわっ! 殴るのはやめ! ホントなんだってば! かなり変わったヤツだったからさ、もうオレとか三谷とかなんてメじゃないくらいヘンなカッコしてたんだって!! ホントホント!!」
「死んじゃったって」
 今度ばかりは嘘なのかどうか判じかねて、僕は質問を変えた。
「どうして死んじゃったの? 年は、いくつだったんだ?」
「どうして死んじゃったか? 年? いくつだったか? って……?」
 彼は鸚鵡返しに言うと、少し考えて、
「どうして死んじゃったかっていうと、まあ、その、自殺だな。年は、オレより、――今のオレよりもうちょっと上だろ。案外にずっと上だったのかな。まあ、考えてみると、オレもアイツが本当にどんなヤツだったかってのは、最初からよく、わかってなかったな……。」
 ひどく考え込んだような彼の調子に、僕は口をはさめなくて、訊ねてしまったことを後悔して黙り込んだ。自殺という言葉も、彼はなにげなく言い捨てたのだが、そこにはひどく張り詰めた響きがあった。そしてそれは本当なのだと僕には判った。

 そのまま二人ともしばらく口をきかないでいると、彼がそうっと言った。
「オマエ、また勘違いしてるかもしれないから言うけど、ソイツのことはオレ、大切だったんだけど、オマエのことみたいに好きだったんじゃ、全然ないんだ。すごく年上だったしな。ソイツの言ったこともソイツと歩いた道もものすごくよく覚えてるんだけど、でもソイツの声とかいつも着てた服の模様とかはもう全然覚えてないしな。」
 僕が黙っていると彼はもう一度そうっと、あらためて言った。
「ソイツが珊瑚の耳飾りしてたことも、ソイツが死んでから何年もオレ1回も思い出さなかった。あかりのあのピアス見て、きょう初めて思い出したんだ。」
 ぽつぽつと、言葉を切りながら彼は続けた。
「もう、8年になるよ。」

 やっぱり、あの時だったのだろう。僕はそう思ったがなにも口を挟まなかった。今まで彼から聞き出したこと、そうして組み立てていたいろいろな仮定とずいぶん違う気がしたが、今日彼が言っていることは、口調からして、割合真実に近いのではないかという気がした。
「でもキミにとってその人は、ものすごく、――8年たった今でも、大切な人なんだよね。もしかして僕よりも」
「そうかもな。」
 即答した彼に、意外にもさほどの嫉妬や怒りを覚えなくて、僕はそんな自分に少し安心して満足して、言った。
「じゃあもう、いいや。何も聞かない……」

「一つだけ……」
「何?」
「一つだけ言っていい?」
「その人のこと?」
「うん……っていうか耳飾りのことかな。」
「……なに?」
「ソイツとよく一緒にいた何年かの間もさ、」
「……うん。……」
「オレはソイツが耳飾りをしてることさえ全然気がつかなかったんだよ。なんつーか強烈なヤツではあったんだけど、影のうすいとこもあってさ。そこに居るようで居ないという感じでもあったし。」
「ふうん?」
「それが初めて気になるようになったのはね、ソイツが死んじゃう前に、オレたちケンカしてさ」
「………。」
「あっイヤまさかそれが原因でアイツ死んじゃったとかそういうんじゃないんだ。アイツにとってオレはそんなにたいした存在じゃなかったろうしな。アイツはいろいろ人生経験豊富だったわけだし、まあ事情というか、いろいろオレの知らないことがあったんだろうな。…今じゃそれもわかんねえ。」
「………。」
「………ケンカして、ソイツがいなくなる前は、オレはよくソイツの横顔を見るようになってた。オレの方を見もしないで、よく別のことを考えてるみたいだったな。オレはあのときなんとなくヤケクソでまあいいかって思って、ソイツの赤い耳飾りをなんとなく見ながら、自分も心を、そむけてたんだ……」
「そう……。」
 少し哀しくなって、僕は答えて、それから思いついて言葉を継いだ。
「今日の僕たちみたいだよねそれ。」
「うん。」
 彼はとっくにわかってたというように言うと、僕の胸にもう一度身体を寄せて、
「だからな。」
と言った。
「オマエにうざったく思われても、それでオマエがオレのことイヤだと思ったりしても、オレはオマエの気持ちが見えないのはイヤなんだ。オマエがオレの方を向いてくれないで、横顔でタバコを吸っているのは嫌い。」
「……なあにソコへ来るの?」
「うん。オレどうしてオマエのタバコがこんなにイヤなのか自分でもわからなかったけど、今わかった。オマエがタバコを吸ってる時は、なんだかオマエいつも、横顔なんだ。そんで、タバコの火が赤くついてると、本当にアイツの耳飾りみたいにぽつんと、寂しいんだ。」
「……そんな上手いことを言っても、僕はタバコ、止めないよ?」
「……うん。でも、オレの前では、あんまり、吸わないで。」
「……うん……」
「いい?」
「さあね? まあ、でも、それじゃあ、……なるべくそうするよ……。」

 僕はいかにも眠そうな、気のなさそうな声でそういい、それから彼も黙って僕たちは抱き合いながら眠りについたが、この日以来、僕がタバコを吸うことは、もうなかった。


 それから何年かのあいだ、僕たちは始終ケンカしてはいても、すぐに耳を引っ張り合ったり、横を向いている頬をつかんでこちらへ引き寄せては、仲直りをした。
 珊瑚の耳飾りのことも、彼の遠い目をした沈黙にも、僕は慣れて、胸を焦がすような思いをすることがなくなった。


  ――僕がキミの手を離してしまっても、どんな闇夜でも、
  キミは必ず僕の手を捜して、また傍らへ引き寄せてくれなければならない――

 先に寝息をたてはじめた彼の顔を見てそう思った。
 僕たちが出会ってから10年が過ぎようとしていた、彼の22歳の誕生日の夜だった。









(終わり)













mさん、素晴らしいリク小説をありがとうございました!

私がお願いしたリク内容は・・・
1、ヒカルの誕生日
2、佐為の想い出
3、ヒカアキ以外のカプ登場(男女カプ希望)
そして激ラブシーンを是非!という、大変贅沢で我侭なものでした(^_^;

その全てをクリアされ、更にRedというタイトルに相応しく
全編を通して「赤」が効果的に散りばめられて・・・

閉鎖されたのは本当に残念ですが、この小説をここに飾らせていただけて幸せです。
最後に重ねてお礼申し上げます。ありがとうございました。







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