少しずつ 少しずつ
降り積もった想いが 理性や常識の器から溢れ出す瞬間がある
それがいつなのか 誰にもわからない

僕のことなのに 僕自身にもわからなかった……





― 向こう岸に渡る ―









進藤と仕事で一緒になった。
すれ違いが続いていたから、久しぶりに会えて嬉しかった。
僕は、いつになくはしゃいでいたかもしれない。
進藤も明るかった。

終わって一緒に食事をして、終電近くになってから駅に向かった。

進藤は下り。僕は上り。

それぞれ反対側のホームに立つ。
余り大きな駅ではない。各駅しか停まらない。
上りホームの僕の方は、人もまばらだった。



向こう岸に、進藤がいた。
真正面ではなく、少し斜めに。

僕を見て、笑った。
片頬が盛り上がって、まるで下手なウィンクをしているような、彼独特の笑い。

子供っぽいと思った傍から、そうではないと否定する気持ちが湧く。



―――子供ではない。
もう子供ではないから、そんな顔をするんだな、君は……

僕の前では、決して大人の男の顔を見せない。見せないようにしている。
きっと彼は、僕のしらないところで大人になっていたのに、それを僕には見せないようにと注意を払っていたのだ。

その証拠に。
彼の脇をすり抜けた酔っ払いがよろけ、素早く支えた彼は逞しい男性そのものだった。
無駄のない、しなやかな動き。背中を庇って人の輪に戻す、さり気なさ。
一連の行動が、僕の目を釘付けにした。



再び、僕と目が合った。
あ、今の見てた?……と言わんばかりに、今度こそ本当に照れ臭そうに笑った。

その瞬間。
胸の中の何かが、決壊した。溢れ出す。奔流が生まれる。
僕の全身をのた打ち回るように駆け巡ったそれは、もう否定しようのない想いだった―――



僕の方の電車が、先に来た。
風が起きて、人々の視線が一斉に近付いて来る電車へと流れる。

しかし―――
僕は進藤を見ていた。
彼以外の何も、目に映したくはなかった。



電車が滑り込んで、彼と僕とを分ける。

やがて発車のベルが鳴る。

再び、電車はホームを旅立って行く……



もう一度、そこにいる筈のない僕の姿を認めた進藤が、驚いた顔をした。

そう……
僕は乗らなかった。
来た電車に乗らずに、まだ彼を見ていたのだ。

「おいっ!塔矢、どしたっ!?何で乗らなかったのっ!?」

大声で叫ぶ彼を、人々が振り返る。
彼は気まずそうに肩をすくめて、それから携帯を取り出した。
すぐに、僕の胸ポケットから着信音が聞こえた。

『おい……どしたんだよ』
『君の電車が来るまでいるよ、ここに』
『はぁ〜?何言ってんの?俺に気〜遣ってるの?』
『違うよ。そうしたいだけだ』
『どういうこと……塔矢』
『君を、見ていたい』
『は……』
『君が電車に乗るまで、君を見ていたいと思ったんだ』
『……な、何、アホくせえこと言ってんの?お前、可笑しくなっちゃった?俺の電車が来るまでって、あと何分もないじゃんかっ!』
『それでもいい。君を見ていられる時間は、僕には一本早い電車で帰ることよりも、遥かに大事なんだ』

息を飲む音が、はっきりと聞こえた。
携帯越しにも、そして目の前の彼の様子からも。

僕らは、線路を挟んで見詰め合ったまま携帯で会話していたが、そこで沈黙になった。
しかし、どちらも通話を切らない。
携帯を手にしたまま、視線を結んでいた。

いきなり迫って来た決断の時間を、どう受け止めていいのか戸惑い、迷っている顔だ。

そして僕は、その顔すら見ていたかった。

だって、嘘ではないんだ、進藤……
君といられる時間は、一秒だって無駄にしたくない。
この気持ちが、すなわち僕の真実だから。



今度は、進藤の乗る電車がやって来た。
僅か数分が果てしなく長い時間に感じられたのは、僕だけではなかっただろう。

クソッ!……と。投げやりな声が聞こえて、それが最後だった。
携帯は切れた。僕も、ゆっくりとそれを仕舞う。
そして電車は去って行き、僕は取り残された。












……取り残されたと、思っていた。

「塔矢っ!」

その声に弾かれて見ると、ホームに続く階段の踊り場でこちらを見上げている進藤がいた。
今度は、彼が僕を驚かせる番だった。

立ちすくむ僕に向かって、彼はダイナミックに駆け上がって来る。
駅の階段で三段跳びなんて、初めて見たよ……

彼は息を切らせ、肩を上下させていた。
しかし、その瞳は湖面のように静かで、深い色を湛えている―――



進藤が僕の手を引く。言葉もないまま。
その手に導かれて、僕は彼と一緒に階段を駆け降りた。
走る必要など、もうどこにもないのに、僕らは何かに急かされるように駆け降りた。

改札をくぐると、目の前に夜の街が広がっている……

「終電、出るよ。」
「馬鹿、今更何言ってんだ。」
「どこに行くんだ。」
「どこでも……二人きりになれるところなら。」

そうか……そうなんだな……
おそらく、電車で行き着けるところではないんだな、僕らが目指す場所は。

そう言うと、進藤が少しだけ淋しそうに、でも、とても綺麗に微笑んだ。

それは、僕が初めて見ることを許された―――愛しい者の大人の笑顔だった。











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