― holy kiss ―








 外へ出た途端、空を見て憂鬱になった。
 これは一雨きそうだ。いや、もしかしたらこの厳しい冷えだ、早い初雪になるかもしれない。

「塔矢君!」

 今しがた出てきたばかりの棋院の方から誰かに呼ばれ、僕は振り向いた。

「古瀬村さん?」
「す、すみません!その書類、間違ってました!」
「えっ、そうなんですか。ああ、そんなに慌てられなくても…」
「いや、それが慌てないとマズイというか…今、進藤君から電話があって、あちらと入れ替わっていたらしいんです。あっちは明日の朝一番で必要な書類だから急いでて…」
「進藤と…」

 思わず、固まってしまった。よりにもよって。何故。…進藤ヒカル。

 その時着信した。
 メールだったら後回しにしたが、電話だったので古瀬村さんに断ってから携帯を取り出した。そして僕はその相手に驚いた。

「進藤…」
「えっ、進藤君ですか!?出てください、お願いします!」

 急かされて、僕は電話に出た。

「はい…」
「おう、俺俺。なあ、古瀬村さんに聞いた?書類、とっかえっこしようぜ」
「それは…」
「何?忙しいの?」
「いや、そういう訳では…」
「古瀬村さんだって忙しいんだからさ、お前、帰るとこだったら俺とどっかで会ってよ」
「ん…」
「なーに、歯切れ悪いな。…あ、もしかしたら約束?今日はそうだもんなー、そっかそっかー」

 含みのある言い方に、思わず「大丈夫だ」と答えてしまった。もしかしたら彼にはめられたのかもしれないと思ったが、後の祭りだ。

「じゃあ俺は今、仕事帰りで○○駅にいるから、お前との真ん中は…」
「真ん中?」
「そう、お互いこれから電車に乗ってさ、丁度真ん中で会えば合理的じゃん?」

 そんなことどうでもいい、君が棋院に戻ってくればそこで受け渡しが出来るじゃないかと言いかけたが、「××駅の改札で」という言葉を最後に、電話は切れた。

 さっきと同じことを思う。
 よりにもよって、進藤ヒカル。
 そしてよりにもよって、今日、この日。

 僕は古瀬村さんの視線を避けるように曇天を見上げると、こっそり溜息を漏らした。









「おう、こっちこっち」
「えっ…どうして改札から出てるんだ!」
「改札の中とは言わなかったぜ?早く来いよ」

 …やられた。
 進藤は改札の外、売店の辺りから手招きをしていた。手に握られた書類の封筒が、ヒラヒラと僕を嘲るように揺れていた。

「僕は急いでいる。君こそ、こっちへ来い」
「30分でいいからさ、ちょっとだけ付き合ってよ。今日は寒いじゃんか、どっかであったかいもんでも飲もうぜ?」
「だから時間が…」
「そんなことないだろ、さっき古瀬村さんにきいた。お前、別に予定はないから大丈夫って言ってたって」

 言い返せない。そこまでつかまれているとは。
 それに気にならないでもなかった。この二年、僕を誘ったりなどしなかった進藤がここまで食い下がるのにも。
 やっぱり今日だからだろうかと思いついて、すぐにその考えを否定した。都合のいいように夢想して傷付くのは、自分なのだから。

 渋々といった様子で、僕は改札を出た。すると進藤はスタスタと歩き出した。
 この駅はさほど大きくはないが、近くにいくつか大学があるせいか、人の波は途切れない。
 学生たちとすれ違いながら、進藤が言った。

「俺たちも大学行ったら、あんな感じなのかな」
「……」
 
 僕は相槌すら打たなかった。どこへ向かっているのかも、訊ねなかった。

「いや、待てよ、お前は大学生も似合うけど、俺はどうだろ?碁打ちになってなかったら、高校だってまともに卒業出来たっけなぁ…」
「そんなことは………っ!」

 言いかけて、息を呑んだ。昔、ここで彼と同じ会話をしたことが、急に蘇ってきた。
 眩暈がする。呼吸が早まる。これは一体、何なんだ…

「思い出した?」
「ああ…」
「お?今度は素直ー。じゃあ、俺たちがこれからどこへ行くのかも…わかった?」
「それは…」

 言葉を探せない僕のことを、進藤ヒカルが少しだけ悲しそうに見ている気がした。









 進藤と僕が別れたのは、二年近く前のことだ。

 十代の半ばから、周囲がひくほどの異常な敵愾心と碁への集中。他が一切、目に入っていないような日々の中、気付いたら僕らは二人だけになっていた。

 二人だけ。世界に、彼と、僕、だけ―――

 特に言葉も約束もなく、自然と僕らは体を重ねるようになった。お互い、抱擁も口付けもセックスも、何もかもこの相手が初めてだった。夢中になった。
 僕らは一日中部屋にこもっては打つ。そして疲れたら抱き合う。ひとしきり体の興奮がおさまったら少しだけ寝て、目が覚めたらまた打った。
 そんな繰り返しに、最初は何の不安も疑問もなかった。
 僕らの間にはアリ1匹、いや、砂粒すらも入りこめないと信じて疑わなかった。

 別れた時も、長期間悩んだとか話し合いを重ねたとか、そんなことはなかった。いわゆる修羅場などもなかった。

 父が倒れて、母も具合が悪くなった。その頃、進藤の方が初めて長いスランプになった。
 僕らのことを怪しむ兄弟子の目も気になったし、二十歳を越えて急に周囲も騒がしくなった。そろそろ結婚を前提にしたお付き合いでもという、あからさまな期待も重い。
 そして僕は進藤から逃げるように中国へ渡り、ひと月ほど経って戻ってきた時には、僕らはもう恋人ではなくなっていた。
 彼は、別れようと言う僕の申し出を承諾した。それが、僕らの終わりだった。









「お前の予想、当たってた?」

 一言も喋らずにここまで歩いた。男の足でも15分はかかったから、駅からは決して近くない。いや、他にもっと近い駅もあるのかもしれない。

「そうだな、当たった」

 認めることはすなわち、僕がその日のことを覚えているということ。
 その建物を、僕はフェンス越しに見上げた。…そう、僅かに見上げる格好になるのは、その建物が高い塔のようなものを備えているからだ。
 光を弾くあの金属は、鐘だろう。音を聞いたことはなかった。

「入ってみよう」
「入れるのか?」
「入れたじゃないか、あん時も」

 進藤の指す方を見ると、通用門のようなところに立て看板があった。

 『挙式をご希望の方は ご自由にご見学ください』

 どうやら、平日の午後は開放されているらしかった。僕は進藤の後を追って、足を踏み入れた。
 古びた教会は、蔦の絡まる壁も、ドアの軋む音も、味のあるステンドグラスも、何もかもが記憶にあるままだ。

「あの時の、まんまだな」
「…っ」

 僕の心をそっくり読んだみたいに、進藤が言った。
 いや、無理もないだろう。進藤とここに並んで立てば、彼も僕も、同じことを思うのは当然だ。彼にとっても、忘れられない想い出に違いない。

 中に入ると、空気がキン…と冷たかった。見学自由とはいっても、さすがに暖房までは入っていないらしい。

「あそこの祭壇んとこで、お前とキスした」

 進藤が遠くを見るような目をして、ゆっくりとそう言った。

 ―――そうだ…僕らはここで、キスをした。
 付き合い始めて間もない、まだ十代の半ばを少し過ぎたくらいの頃だった。
 たまたま通りかかった教会に忍び込んだ僕らは、イタズラが見つかるのではとドキドキしながらも、それを止められない子どもみたいだった。興奮していた。
 そして僕らは高鳴る胸をおさえながら、そっとキスを交わした。
 この世界には泣きたくなるようなキスがあることを、僕はその時、生まれて初めて知ったのだ―――

「あの祭壇の前まで歩いてって、まるで新郎新婦みたいにキスしたな」
「うん、君が無理矢理ね」

 軽く、冗談を言ってみた。

「嘘だー、お前だってスゲエ喜んでたぜ?」
「そうだったかな」
「すかしてやがる!そういうとこは昔っから憎たらしかった」
「君こそ。最近はますます派手だな、女性関係が」
「はあぁ…誰にフラれたからだと思ってる?どの口が言うか」
「フラれた?聞き捨てならないな、君だって何も言わずに別れたじゃないか」

 こんな会話が出来るとは思っていなかった。
 別れてからの二年、僕らは仕事で顔を合わせる以外、個人的な接触はなかった。
 とてもじゃないが、自分たちが恋人同士であったことを明るく話せる日がくるとは、思えなかった。

 …それほどに深く、深く、愛していたのだ。彼の全てを。

「喜んで別れたんじゃねえよ。当たり前だろうが」

 進藤の声の調子が、明るいトーンから急に変わった。胸がざわめく。

 僕らは椅子に腰掛けた。祭壇まで真っ直ぐに伸びるバージンロードを境にして、右サイドと左サイド。
 そこには歴然たる距離があった。僕らの場合、見た目の距離はそのまま今の関係を表している。

「僕だってそうだ。色々考えた上で、そうした方がお互いのためだと…」
「それで?」

 僕はまだ話の途中だったが、進藤に畳みかけられて振り向いた。鋭い声だった。驚く。
 
「それでどうだったのさ?この二年」
「……」
 
 また、だ。
 また、僕は彼に言い返せない。歯がゆくて歯がゆくて、いっそ叫び出したいくらいなのに、意味のある言葉は何一つ浮かばなかった。

「なあ、塔矢。どうして俺たちは、今日、ここにいるんだろうな」
「それは…偶然だろう。君も僕も、別に狙った訳じゃないんだから」
「だって今日はお前の誕生日だぜ?そしてここは昔、俺たちが幸せイッパイでキスをした教会だぜ?…そんなに軽ーく言っちゃって、本当にいいのかよ…」

 誕生日。
 勿論、彼はわかっているのだと思っていた。いくら別れたとはいえ、それくらいは覚えていると。

「俺は別れるつもりなんてなかった」
「は?」
「お前は俺のところへ戻ってくると思ってた」

 …今日は驚くことばかりだ。今の僕は、随分締まりのない顔をしているだろう。白昼夢でもみているみたいに。

 しかし、これは現実に起こっていることだと気付かせるように、進藤がしっかりとした口調で言った。

「お前の望むようにしてやろうと思ったから、あの時は言いなりになった。お前は中国に一ヶ月くらい行ってる間に、別れてもやっていけるって妙な手応え、感じたんだろうけど。…だけど、どうせ俺たちが別れられないってことも、俺にはわかってた」
「…どうして」
「どうして?だってそうだろ?俺たちが本当に別れられるなんて、どの頭で考えたんだよ。俺が二年前にさ、えらくアッサリ別れを受け入れたって…お前、変だと思わなかったの?」

 …確かに。言われてみればそうだ。
 自分から言い出しておいて、進藤が去って行ったら行ったで、僕はそのことに深く傷付いた。所詮、碁さえあれば最終的には納得出来る程度の関係だったのかと、傷付いたのだ。
 そして手負いとなった僕がどれほど荒れ狂ったか、進藤は知らない。…知らない筈だ。

 けれど。
 進藤だって僕と同じように、いや、それ以上に荒れ狂ったかもしれないなどと、僕は本当の意味で想像していなかった。
 彼が去って行った現実を受け止めるだけで精一杯、あの頃の僕には余裕など、一欠けらもなかった。ただ、若かった。

「じゃあ、君は別れたあの時からずっと、いつか僕がヨリを戻そうと言い出すって…そう思っていたとでも?」
「そうじゃなきゃあんな簡単に別れねえよ。当然だろ」
「自信でもあったのか…」
「自信?…っは!そんなもん、必要ねえ。絶対に戻ってくるしかないんだから。俺たちは、そういうもんなんだから」
「何だかムカムカするな、その言い方…」

 その通りだった。嬉しいというよりも、彼の確信に満ちた言い方がまず、癇に障った。頭にきた。
 それじゃあまるで、僕は彼にいいように踊らされていただけみたいじゃないか―――二年もの間!

「もう失礼する。書類をよこせ」

 言いながら僕は立ち上がり、彼の目の前に自分の持っている方を差し出した。
 彼も立ち上がった。しかし、書類のことは無視して、僕を見返してきた。

「離れていた二年を否定するつもりはない。どんなに苦しかったか、俺もお前もそれぞれ乗り越えてきたってこと、わかってるさ。―――だけど、俺たちの繋がりの強さも、自分たちが一番よく、わかってる。そうだろ?」
「乗り越えた?よくもそんな、お綺麗な言葉が使えるな」
「塔矢」
「乗り越えてなんか、ない…君と別れてからずっと、忘れられない…君に縛られている…到底、乗り越えられるとも思えないこのっ、苦しみを―――っ…いまだに味わってるんだ!…っ…」

 胸が詰まって、それ以上、何も言えなくなった。
 僕は手にしていた封筒を叩き付けると、身を翻してドアへと向かった。
 しかし、すぐに腕をつかまれた。強く引かれる。
 抵抗したが、その力をうまく利用するようにして彼の両腕が僕に巻きついた。

「はなっ、せ!」
「嫌だ!帰さない!」
「しんどっ…やっ…っく…」
「お前は言った、乗り越えられないって…俺の、いや、俺たちのこと、忘れられないって!」
「そんなことっ、言ってな…っ…」

 僕らは本気でもみ合った。捕まえられるとますます逃れたくなる。
 だがその時、進藤の叫びが僕の耳を叩いた。

「離すもんか、二度と!もう二度と―――――アキラッ!」

 名前を呼ばれて、動けなくなった。
 二年ぶりに僕の名前を呼ぶ彼の声は、今だからこそ威力を持っていた。

 ガクリと力の抜けた僕の全身を、進藤が…ヒカルが、支えた。

「わかってるだろう!お前も!お前の誕生日にこの駅で会うことになったのは、誰がはかったのでもない、偶然としか思えない。…だけど、そうなのか?本当に偶然なのか!答えろっ…アキラ!」

 彼の腕の中で、僕は身も心も麻痺させていた。何を訊かれても答えられないし、まともな思考は出来ない。
 一旦、この腕に抱かれてしまったらもう、どこへも逃げられないと知っていた。
 …いや、逃げる気にもなれないのだ、僕は―――

 やがて進藤の右手が僕の顎を掬い上げるようにして、上向かせた。目と目が合う。

「お願いだ…考えてみてくれ。この二年の間、お前は幸せだったか?お前が望んだ通りに、家族や周囲の人間を幸せに出来たか?…お前と別れた俺が、幸せそうに見えたか―――」

 それは究極の問い掛けだった。止まっていた僕の思考も、少しずつ動き出す。

「お前が迷っているなら、何年かかっても待つつもりだった。お前が俺のところへ戻ってくるまで。それがいつ、どんな形でなんかわからないし、ただ、俺は信じるしかなかった。…でもお前ってば頑固でさ、もうどんだけ待たせるんだよ…」
「待たせるなんて…そんなっ…君こそ、冷たかった…僕のことなんか…もう、どうでもよくなったのかって…」
「じゃあ、今は納得してる?二年間、いっぱい考えたか?もう、これ以上は考えられないってくらい、考え抜いたか?―――そして結論は出せたのか…」

 大きな茶色の瞳は、怖いくらい真剣な色を湛えている。この目に見詰められて嘘の言える人間など、どこにもいないだろう。
 
「結論なんて…そんなもの…ただ、別れたその日から、僕の地獄が始まった―――それだけだ」
「アキラ…ああぁっ、そんな顔で…そんな、目、して…お前っ…」

 不思議なことに、僕は笑っていた。ふふ…と力のない音が、だらしなく開いた口から零れ落ちた。

 この二年のことは、思い出すだけで胸が切り刻まれるようだ。
 進藤が女性と一緒にいるところを見ただけでも、眠れなくて朝まで悶々としたことも一度や二度じゃなかった。
 夢の中で進藤に抱きついた日は、目が覚めて一層深い闇に堕ちた気がした。
 
 …静かに、涙が流れた。
 心の底から次々に湧き出す雫は、頬を滑り落ちる間に進藤の指先にすっかり拭われていく…

「なあ、アキラ…キス、したい…」

 切ない声が、耳をくすぐる。

「あの日、まるで誓いのキスみたいだって俺が言ったら、お前は笑った…凄く、綺麗に笑った…そん時、俺、神様、ありがとうって思った…ここが教会で、すぐに天にありがとうが伝わる気がして…スゲエ嬉しかったんだ」
「ヒカル…」
「そう、ヒカルだ。お前はいつも、俺をヒカルって呼んでた。あの日もキス、して、お互いの名前、呆れるくらい何回も呼んで…誰かが来るまで、俺たちはずっとここにいた…神様の凄く近くに、二人だけで…」

 涙を止められない僕の肩を抱いて、半ば引き摺るようにして彼が導いたのは祭壇の前だった。
 控えめな十字架が、かえって静謐で美しい。
 そしてその前で僕らは向かい合った。崩れ落ちそうになっていた僕も、不思議と背筋が伸びた。
 
「やり直そう。俺たちは何年かかっても、またここに戻ってくることになっていた。あの日、キスしただけでこの胸がぶっ壊れそうになった、あんな想いは一生消せない」

 ああ…そうだ…確かにそうだ…
 唇を触れ合わせるだけで電気に打たれたように全身が震え、心までも震え、感動の余り君と抱き合って泣いたあの日…
 あの、誓いのキス―――

「なあ、もう十分だろう?二年で十分だ、十分過ぎるって。これ以上、待てねえよ。…だってお前、こんなに痩せちまって…遠くから見て、思ってた通り…抱いてみてわかった」

 僕は言葉にならなくて、ただ、コクコクと頷くことしか出来ない。そんな自分が情けない。
 けれど進藤も、いつしか泣いていた。彼の涙は、ステンドグラスから差し込む柔らかい光に輝いていた。

 そうか…こんなにも愚かな僕を彼の優しい視線が包んでくれるように、僕もまた彼の全てを、この胸の痛みごと抱き締めればいいのだと思った。
 
「運命だったのかな…今日、ここに来ることは…」

 搾り出すように言ってしまうと、急に気持ちが楽になった。

「この二年を無駄にしてしまう、キスになる」

 微笑みながら言うと、ヒカルも目を赤くしたまま、笑った。

「でも、この先死ぬまでの時間を、無駄にしないためのキスでもあるさ」
「そうか…失ったものも、二人でなら取り戻せるかな…」

 互いの頬を濡らす涙の道を、震える指先でなぞりながら、少しずつ、少しずつ、僕らは顔を寄せる。
 唇が重なる寸前に睫毛を伏せ、僕らは触れ合うだけのキスを交わした。

 昔、まだうんと若くて、僕らを取り巻く現実などちっとも怖くなかった頃。
 それよりも、互いの心に嘘をつくことこそが、怖かった頃。

 あの頃と変わらぬ気持ちを持ち続けられたら、僕らは回り道をしなくて済んだのだろうか。
 いや、回り道をしたからこそ、手の中に真実を掴むことが出来た。
 そう、信じたい。信じよう…



 教会の鐘の音が鳴っているような気がしたが、キスに没頭して夢うつつの僕らには、見るもの聞くもの全てが天からの祝福でしかなく、ますます離れられないと気持ちは昂ぶるばかりだった。











○●○●○










 教会の並びには、大きなホテルがあった。それこそ休日には結婚式が立て込むような、立派なホテルだ。
 そんなところに男二人で、ただ、愛し合うためだけに部屋を取るのは相応しくないかもしれないが、二人っきりになるにはそこが一番近い場所だった。

「久しぶりだけど…優しくなんか、出来ないかも…ご免、アキラ…先に謝っとく…」
「そんなことっ…ぅ…っあ…」

 部屋に入るなり抱き合った。口付けを繰り返しながら、脱ぎ散らかしていく。
 二年ぶりの深い口付けは激しく、頭の芯まで溶け出してしまいそうだった。体がグラグラと揺れる。

 素肌を重ねた瞬間、身震いが起きた。
 それを閉じ込めるように、進藤が強く抱き締めてくる。痛いくらいにそうされて、歓喜に涙がまた零れた。どこか壊れてしまったみたいだ。

「僕は、変わったか?どうだ…昔と、違うか?」

 思わず訊ねていた。勇気が必要だった。
 進藤が僕の全身をその手で温めるかのように撫で擦り、唇と舌で労わっていくのが、その時の僕にはいたたまれなかったのだ。

「お前、マジで痩せた…抱くのが怖いくらい…何だよ、この腰…胸…っ…俺と別れている間、ちゃんと食ってたのかよ…馬鹿野郎…」

 進藤の心底悔しそうな声が、胸に痛い。そしてその痛みは、彼を求める気持ちを一気に加速させた。

「ヒカル…もう…っも…すぐに…お願いだっ…」
「うんうん、ご免、ゆっくり出来ない、けど、っ…いい…?」

 いいんだ、僕もこれ以上一秒だって待てないと、体で訴える。手を伸ばして触れた彼のものは既に猛っていて、僕の指を弾くように暴れた。
 
「あっ!…アキラ…イイ…それっ、イ…」

 進藤の好きだったやり方を思い出しながら、彼のものを可愛がってやると、トロトロと溢れたものが幹を伝い、僕の指を濡らした。

「ヒカル…口で、したい…」
「俺だってお前の、したい…」
「先にさせろ」

 ベッドの上。下になっている僕が体をズリ下げていくと、進藤は僕がしやすいようにと背中を丸め、四つん這いになる。
 僕の顔に触れるくらいまで腰を下げてくれたところで彼のものを両手で包み込み、温かい息を吹きかけた。
 たったそれだけの刺激で太ももまで突っ張って悶える彼の様子に、僕も感じる。

 下から、進藤を見上げる。二年前よりもうんと逞しく、男らしくなった、その肢体を。
 僕は彼の体が作る影の下、唇と舌で彼の全てを辿った。幹も根元も、先端の丸みも、小さな穴も、そして濡れそぼった茂みも、柔らかい膨らみも、強張っている腹も、何もかも…
 
「駄目だ…お前の口ん中に、出したくなる…はな、せ…」
「いいのに…二年ぶりの君の…僕は、平気…」
「俺が嫌なの…ちゃんとお前の顔、見て、イきたい…抱かせて…」
 
 最後に、彼のものを咽喉奥で強く締め付けてあげると、すぐにも達するのでは思うくらい彼の腰はビクビクと跳ね、ああぁ…と、甘い喘ぎが降ってきた。

「こら…お前、よ過ぎ…俺と別れてからも、練習なんかしてねえよな」
「下らない。誰が僕にこんなことを教えた?僕のやり方は、世界でただ一人を悦ばせるためだけに、覚えたんだ」
「アキラ…」

 …そう、十代で初めて覚えた愛し方だ。
 互いしか目に入ってなかった僕らは、男同士だからセックスは出来ない、しないなどという発想が全くなかった。
 体が暴走しやすい時期だということもあったかもしれないが、手探りでがむしゃらに突き進んでは、耐え難い痛みや恥ずかしい失敗もものともせず、愛し合った。
 いつしか僕が受け入れる側に落ち着いたけれど、気持ちの上では決して受身ではなかった。
 アキラ、アキラと僕の名前を呼びながら、我を忘れるほど感じている進藤の姿を見ると、それは僕がそうさせているのだという充足感があった。
 彼は僕の体にもやり方にも夢中になり、それが僕にとってもかえ難い幸せだったのだ。

「今度は俺の番…気を失うなよ」

 体をうつ伏せに返され、背中をまんべんなく手と口で愛された。
 背筋を舌でじっくりとくすぐられながら、前に回された指が胸の突起を抓り上げる。痛みスレスレの快感に、口の中に甘い唾液が湧いた。

「お前、ここの感度がスゲエ良かった。外でもこっそり、乳首だけはよく触ってやったよな?」

 蘇る記憶。
 人目につかない場所に連れて行かれて服の上から舐められたり、布地をひどく濡らされたりしたこともあった。はだけたシャツの中に忍び込んだ指先に、いつまでも弄られたことも。
 恥ずかしくも甘い記憶は、ダイレクトに体にきた。

「いいから、も、そこはっ…」
「待てないの?ん、わかった…ここは、後でいっぱい可愛がってやるな。ここがどんなに気持ち良かったか、思い出させてやるから…」
「はや、っく!」

 急かせるように腰を揺らせば、そこを高く持ち上げられた。膝も肘も更に深く沈み、髪がシーツに落ちた。

「もっと尻、突き出して。それとも昔より体、固くなった?」
「ちがっ…は、恥ずかし…ぃ…」
「そんなこと言って…すぐに思い出す…馴れるって…ほら、背中を反らせて…そう、そんな風に…」

 久しぶりに見るアキラのここ、変わってない、などと羞恥に顔が燃えるようなことを囁かれた。 
 身を捩って逃げようとすると、駄目だと強い声で制された。片手で前を握られる。逃がすものかと、激しく擦られた。達してしまいそうになる波を、背筋を緊張させては逃した。

「ああ―――ぁぁっ…っ、っ、っ…」
「うっ…お前のそんな声も…二年ぶり…聞いてるだけでイきそうになる…」

 耳朶を彼の熱い唇に含まれながら、ほとんど息だけで囁かれる。僕の方こそ進藤の色気のある声に、下腹部が膨れ上がるような快感を覚えた。

「だか、らっ…もう、ヒカル…」

 無理な体勢だが、必死で上半身を捩って彼へと顔を向ける。
 斜めになった僕の片足を彼は腕に引っ掛けると、股間を割り開くようにしながら口付けもしてくれた。
 大きく、はしたなく開かれた足の間で、今にも弾けそうな僕自身が揺れているのが目の端に映る。見せ付けるように彼がもっと開こうとするのにも、ひどく感じた。

 捩れた体は軋みながらも、激しく貪られれば彼の求めに応じようと燃え上がる。
 そのうちにまた前から抱かれ、腰を抱え上げられた。そのまま、彼の膝に乗せられる格好で向かい合う。彼の固いものが、ピタピタと僕の足の付け根を押した。

「挿れたい…ほんとはもっとちゃんと、馴らさないといけないのはわかってる、けど…きっともう、閉じちゃってるよな…お前の…」
「いいからっ…何度も言った…いいんだ…痛みなんて、どうでも…」

 地獄のようだった二年間を、体の痛みで上書き出来るものならば、有難いくらいだと思う。
 僕は自ら進藤のものを受け入れようと、腰を浮かせた。もう一度「ご免」と短く言うと、彼は下から捩じ込むように僕を貫き始めた。

「はっ!…っ、う…ん、ん…遠慮、するな…」
「あ、あ…挿る…挿るよ、お前ん中…あっ!そんなに締めるなっ…俺の方が、ッタ…ふぅ…」

 重力に任せて僕が腰を落としていくのと、彼が突き上げるのと、シンクロするかのように動きが激しくなる。
 二年もの間忘れ去られていた場所は、質量のある熱を受け入れ、感じるところを強く刺激され、僕は悦びに嬌声をあげて溺れた。

「アキラ…こっち、見て…」

 誘われる声に打ち振っていた頭を上げ、彼の肩に両手を預けた。目と目を合わせれば、潤んだ瞳に僕が映っていた。

「ヒカル…気持ち、いいか…」

 それが今一番、目の前の彼に訊ねてみたいことだった。

「ん…スゲエ、息が止まりそうなくらいイイ。…だからマジで意識、飛んじゃう前にさ…」
「なに?」
「誕生日、おめでとう」
「あっ…っは、そうか、そうだったな…ふふふ…」

 力なく笑いながら、啄ばむようなキスをする。こんな誕生日を迎えられるなんて、ついさっきまで想像もしていなかった。
 嬉しい。どうしよう。嬉しくて溢れる…何もかもが…

「もう、離さない」
「…っ」

 とろけるような表情を浮かべていた進藤が、不意に真面目な顔になった。決意に満ちた声がする。

「二度も別れるなんて言い出したら、許さない。今度そんなことを考えやがったら、どこまでも追いかけてやる。付き纏ってやる」
「そして思い出させるのか?こんなに愛し合ってるのにって…体にも、心にも」
「そうだ、昔とは違う。離れて生きる地獄を見たって、お前も言っただろう?だったら、一緒に渡ろう…どんなに血だらけになったって、こうやって二人、手を繋いで…果てしない地獄ってやつを、渡って行こうぜ…」

 内容は凄まじいのに、それを語る彼は、全てが穏やかだった。

「ヒカル…愛してる…」
「俺も…」

 そして僕らは両手の指と指を絡ませ、しっかりと握った。そうやって互いの体を支え合いながら、口付けを交わす。
 水音を高く響かせ舌を絡ませれば、繋がったままの体も自然とリズムを刻み出した。
 昔を思い出すというよりも、初めての夜に戻っていくかのように心も体も形を変え、進藤の全てに馴染み始める…

「っあ…どうしよっ…我慢出来ない…こ、壊しそうだ…お前のこと、ぶっ壊す…」
「いいって言った…壊されたい…壊せ…全部、粉々にしてみろ…」
「アキラ…どうされたい?どんな風に、壊されたいの?言ってみろよ…」
「もっと…もっと……………突いてぇっ…」

 堪え切れずに全身で強請る僕に、その夜の進藤はどこまでも応えてくれた。



 本当に気を失うのではないかと思うほど激しく愛し合った後、僕らは再び誓った―――どんな試練が待ち受けていようとも、ともに、生きる。
 今度こそ本当に、教会の鐘の音を遠くに聞いたと思った時、この誓いは破られないだろうという確信を、彼も僕も、得たのだ。












NOVEL