― お江戸DEヒカアキ♪ ―







<ご挨拶>
これから始まりますのは管理人の脳内で繰り広げられた、「なんちゃって江戸時代」を舞台にした、ヒカアキパラレルです。

時は江戸時代。
江戸の貧乏道場に浪人の親子が居候してまして、それがアキラさん親子です。
塔矢パパは病に倒れ、アキラさんは道場のお手伝い。
仕官を夢見ている、凛とした美少年剣士です。

一方のヒカルは江戸のかんざし職人。
ヒカルのかんざしをさした女は、想いが通じると評判。
ヒカルは、幼い頃から霊や妖(あやかし)を見る力があるのを隠して、市井に暮らしております。

二人がひょんなことから出会って、不可思議な出来事に悩む人々の手助けをする・・・というお話。
アキラさんには、ヒカルと同じ能力は一切ありません。
しかし、逆を言えば絶対にとり憑かれない、強靭な精神の持ち主(笑)
そこが、ヒカルとのコンビネーション的にグッド。

例えば、以前の日記で「割り箸」に触れ、「人の箸を使えば、その人の魂を飲み込む」という迷信について書いていますが、実際にそのような不思議が起こってしまう。
まあ、何かの霊的事象が働いたんでしょう。
そういういちょいとした、ある意味、当時の闇濃い江戸の町では日常に溶け込んでいるような「不思議」をほどいてやるのですねー。

ちなみに、二人はすっかりデキています。
人もケモノも近づけぬ、怪しい古寺に迷い込んだ時、まるで操られるように や っ ち ゃ っ た ・・・のです、イエイ(*^O^*)
・・・やっぱり導かれたんでしょかー。

しかし頭の固いアキラさんは、口では「お前とまぐわう(?)など、とんでもない!」とか何とか言いながら、バージンを捧げたヒカルに対して、無意識に「まこと」を貫こうとするんですねー。
男同士に関しては、時代的にも余りタブーは濃くないということでしょう。

また、このヒカルが悪くって(笑)っつか、町人らしい逞しさ?
口からでまかせでも何でも言って、アキラさんをちょちょいのちょ〜いと食っちゃう訳です。

この辺は、深窓のおぼっちゃまがワイルドな不良に惹かれる王道パターン。
そして、以前チャットなどでも盛り上がった「身分差萌え」(武士と町人)も、王道パターンとして潜んでいる訳です。

以上が日記に書いたことで、その後に浮かんだのは、江戸と言ったらやっぱり・・・火消し!
ヒカルの幼なじみに火消しの加賀とか三谷とか、葉瀬中の面々がいるというのは、どうでしょう?
火消しさんはで顔がきいたり、情報通だったりしないかな?
オトコギもありそうだし、格好イイよね。

・・・てな具合に妄想したものが、SSになりました。
以上の設定をお読みになって、大丈夫な方はどうぞお楽しみください。

尚、管理人は時代考証をきちんとしている訳ではありませんので、呼び名などは 萌 え 優 先 にしております。ご了承くださいませ。



















(第一話)



ここ数日、おかしい。
妙にいいことが続く。

塔矢の父の具合がすこぶる良く、起き出しては息子であるアキラに碁の相手をせがむ。
道場に新しい弟子が増えた。しかもアキラを名指しで。
あちこちからもらい物をしては、朝夕の膳が賑やかだ。江戸で評判の甘味まで味わえた。

極めつけは、アキラがかねてから望んでいたものの、高値過ぎて指をくわえて眺めているだけだった名刀が手に入ったことだ。
絡まれている町人の娘を助けたところが、それがその刀を所有している道具屋の箱入り娘だったという、出来過ぎな偶然。
さすがのアキラも一度は辞退したが、誘惑には勝てず、分割で支払う、必ず完済するからとの約束で引き取ったという次第である。

しかし、アキラが有頂天になれない理由は、それが三日ほど前から始まっている、ということに由来する。



「これはツキがあるというよりも…何やら…。」

アキラが出稽古の帰りに一人呟いてると、スルリ…と気配が寄って来た。
甘いおしろいの匂いは、熟女のそれだ。

「お武家様…今、お幸せでございますか?」
「…っ!」

色白で、切れ長の目の、三十がらみの女だった。
着ているものも、身につけているものも、こざっぱりはしているものの特筆すべきはなく、町でよくすれ違うような…
無論、顔見知りである訳もない。

「何用だ?」
「まあぁ…そのような恐いお顔もなさるんですねぇ…三日前の晩とは、大違いだこと!」
「なっ…!?」

袂で口元隠し、くっくと頭を揺らす女。
まさに、己が気にしている部分に切り込まれたアキラの驚きは、大きい。

幽霊か、あやかしか。
…いや、それだったらヒカルの領分だ。アキラには見えない筈。見る意思もさらさらない。

「いえね、お幸せだったらいいのですよ。わたくしも嬉しうございます。」
「そなた…何を知っている?」
「ふふ…ここではちょっと、憚られ…。」

含みのある物言いに、アキラは女を促して往来の隅へと場所を移した。

「三日前の晩…○○の廃寺で、あなた様をお見かけいたしましたの。忘我の境地とはあのような様を申しましょうか?さぞ、お気持ちが良かったことでしょう。お声もこれ以上はないというくらい、濡れて、艶めいて…ああぁ、思い出すだけで、何やらわたくしまで………。」

アキラの顔には、さっと朱がのぼる。
目の前の女はくねくねと身を捩り、何やらアキラには恥ずかしい場面を脳裏に描いているようだ。

「まさか…居たのか、あそこに…。」
「あの町人の若者も、お武家様をお慕いしている様子が切のうございましたねぇ。あなた様の体中をねぶり、吸い、まさぐり…。でも、あなた様もあの若者の背なにお爪をたて、奥に飲み込んだものを離すまいと激しくお腰を振られ…。」
「みっ、見て来たように語るなっ!そのような淫らなことをっ!」
「あら?見て来たんですから。」

ほほほ…と、今度こそ女は堪え切れぬ声を漏らす。
アキラの顔には赤味に加え、更にドス黒い影が差そうとしていた。

「落ち着いてくださいまし。あの晩のことは、わたくしのここに秘めておきますゆえ。」

女は胸に手を当てた。

「何が望みだ…。」

最初の驚きがおさまって来ると、アキラの胸には少なからぬ疑問が湧く。

あの不思議な廃寺は、あやかしも何もかも遠ざけるような、異様な空気に満ち満ちていた。
だからこそアキラは抗い難い力に導かれ、ヒカルと夢の如き一夜を過ごす羽目になったのだとも言える。

馬鹿な、どうして、このような…ああぁ…と、アキラが声にならぬ声で混乱を訴えても、ヒカルとて操られるようにアキラに激情を叩き付けるばかり。
男とあられもなく絡み合う自分は、まるで真の自分ではないようであった………



しかし、その場所に居合わせた…いや、居ることが出来たということはすなわち、この女も只者ではないことを示しているのではないか?

アキラの射すくめるような剣士らしい鋭い眼光にさらされ、謎の女はふわりと笑った。

「望みなんてとんでもない。…この数日、お喜びが続きましたでしょう?それは、わたくしからのささやかなお礼にございます。」













「礼だと?」
「ええ…あなた様とあの町人の若者は、わたくしを救ってくださったようなものなのです。」
「わからない…。」
「お若いお武家様―――聞いてくださいますか?」

アキラは応えの代わりに、女の目をじっと見詰めた。
こんなにも澄んでいるというのに、底の全く見えない泉の如き…目だった。



「わたくしは少し前に夫と子ども達を一度に亡くしました。それはもう、言葉にし難い慟哭でございました…。」

…わたくしは何日も嘆き哀しみましたが、周りは早く新しい夫を、子を…と望みます。
私は一族の血を絶やしてはならぬという、使命を背負っている身でした。

しかし、わたくしはどうしてもそういう気になれません。
失くした家族への未練というよりも、わたくしをこのような境涯に落としたものへの恨みつらみが、生きる気力を根こそぎ奪っていたのです。
それでわたくしは決心しました。江戸にいるという、その仇(かたき)を討とうと。

「何と!仇(あだ)討ちをするというのか?」

女の身の上話に、ついつい聞き入っていたアキラだったが、流石にそこで声をあげずにはおれなかった。
女はこくりと頷き、話を続けた。

「けれども口惜しながら、なかなか近付ける相手ではございません。
万がひとつにもあだ討ちなったとして、わたくしも命はないでしょう。…つまり、そのような相手でございます。」
「それではおぬし、刺し違えてもいいとの覚悟で…。」

天晴れな…と言いそうになって、はたと気付く。そこまで言っていいものかと、アキラは口をつぐんだ。



「一族に内緒で江戸に出て機会を伺おっておりましたら…そこであなた様に…いえ、お二人にお会いしたのでございますよ。」
「…ぁ…。」

アキラの脳裏に、三日前のことが蘇る―――先ほど女の言葉でなぞったままの色事が、当事者ならではの生々しさを伴って。

「ほんに、思い出してもお二人のご様子には顔が火照ってしまいますねぇ…ほほほ…。」
「いや、それは…その…。」

何と返したらいいものやら。
あれは私であって私でないようなもので、進んで体を預けたのではなくて…と、言い訳をしても無意味である。

「お二人が口を吸い合うご様子には、相手を愛しい、愛しくて食べてしまいたいとばかりの勢いがありました。
その、ひっきりなしに漏れる水音を聞いているだけで、最初は鬱陶しい、追い出そうかと思っていた筈のわたくしは、いつしか亡き夫のことを思い出しておりました。」
「むぅ…。」
「まあ、そのような紅いお顔をなさいますな。何やらあの晩のお顔にも似て…真白き頬も、お首筋も、お体も、秋の野の夕空のように紅く染まってお美しかった…。」
「すまぬが、わたしのことはもう…聞くに堪えない。これ以上その話が続くのなら、この場限りだ。」

アキラは顔を逸らし、低い声で告げた。
羞恥に消え入りたいというだけでなく、下腹に何やら、御しかねる「うねり」が起こりそうでそれも又、いたたまれない。

「まあっ!こんなにも凛々しいお侍様でいらっしゃるのに、まるで風に揺れる野菊のように震えていらっしゃる…そこがまた、あなた様の魅力なのでしょうねぇ…。」

女はアキラの言葉に頓着せずに、ほうぅ…と、溜め息をつく。
思ってもみないことを言われ、アキラは言葉を失った。

「何度精を吐き出しても、お二人は尽きせぬ愛情に急かされ、また互いをお求めになる…。
あなた様がお辛そうにしていると、あの若者は少しでも楽なようにと、自分の手足が痛むのも構わず、こうだろうかああだろうかと繋がり合う体の向きを変えたり…
或いはあなた様の乱れた黒髪をさわさわと掻き混ぜては、その合間に息を整えさせたりもしておりましたよ?」

覚えておいでですか、とでも言わんばかりに、女の顔がずいと近付く。
アキラはわずかに腰を引くが、今度は目を逸らすことはかなわなかった。
言葉は耳を塞ぎたくなる類でも、女の言っていることの重みがわかって来たのだ。

「その情愛深き仕様は、何と尊きことかと…やがて頑ななわたくしの心も、溶け始めたのでございます…。」

女の声が、泣き濡れたものに変わりつつあった。

…もう、二度と誰かと夫婦となり、子をなすなど考えられかったわたくしが、愛し合うとはかくもよきものであったかと思い出しているうちに、やがてとうとう、お二人は最後の頂をご覧になりました。
互いの名を呼び合い、しかと手を握り合い、放逐の快感に御身を震わせ…
あなた様の目にも、あの町人の若者の目にも、大層美しい雫が宿っておりました…



アキラの全身から力が抜けた。ふらりと、心許なく足が揺れる。
今、暴漢に襲われでもしたら、刀を抜く前に白刃の餌食になるだろう己が情けない。
情けないが、どうしようもなかった。

「わたくしはね、もう一度、あのように互いの名を呼び合いながら果てる悦びを味わいたいと…強く思ったのでございます。それは亡き夫への裏切りではなく、全く別の、新しき道なのだと…。」

…お武家様。
わたくしはもう、仇討ちはいたしませぬ。里へ戻り、もういっぺん生き直そうと決心いたしました。
これで、わたくしの一族も絶える憂き目には遭わずに済みましょう。
お二人のお陰でございます…お礼、申し上げます………

女はそこで、頭を深々と下げた。
アキラもつられる格好で、頭を下げる。

「この数日のことはわたくしに出来る限りのお礼にございますが、何かお手伝い出来ることがございましたら、お呼びになってくださいましね。お二人の為なら喜んで馳せ参じましょう。」

…あのような素晴らしい契りを見せていただくという幸運に廻りあったが故に、命を拾ったのですから。
願わくば、わたくしもお二人のように睦まじい相手を見付けたいものでございます………



再び、女は頭を下げ、それからアキラに背中を向けた。
いい匂いがアキラの鼻をくすぐったが、それが何の匂いか判別はつかない。

「待って…お待ちください。呼ぶと言っても…どうやって…。」

女の名前も出自も知らないのだ。アキラの問いも最もである。

「それはあなた様の想い人の若者に…あの者なら、伝手(つて)がございましょう?―――人ならぬものへの…。」
「っ!…そこまで…。」



いよいよ女の影が薄れそうになった時、何故だかアキラはもうひとつだけ聞きたい衝動に駆られた。

「あのっ…差し支えなければで良いのだが…最後に…そなたの仇は、どこの誰…。」

そこまで言ったアキラの声を制するように、振り返った女の目が妖しく光った。
そしてゆっくり右腕を上げると、袂を左手で押さえ、ある一点を差した。

「…な、に…。」

女の指先は―――江戸城の天守閣を指し示していたのだった。









「だんなーーーっ!!だんな、だんな、塔矢のだんなっ!!」

聞き慣れた声が、アキラを現し世に引き戻した。
振り返ると、喜色満面のヒカルが裾をからげて往来を駆けて来る。



…何て、間抜けな顔(ツラ)だ…
あれで一人前の職人であり、人ならぬものに信頼を得ているのだから………



二人きりになればヒカル、アキラと呼び合う仲だが、それも世間様には秘密である。普段、ヒカルはアキラのことを「塔矢のだんな」と呼ぶ。

「探したぜ〜、だんな!おいらさ、聞いて欲しいことがあるんだって!」
「……。」
「なあなあ、おいら、ここんとこえらくツイちまっててさ!富くじは当たるし、○○町の花魁、静音太夫からかんざしの注文が来て、本人に会っちまうし気に入られちまうしで…もう、どうしましょうって感じでさ〜。」



バッキーーーッ!!…ドッスン…



「は〜れ〜、アキ…ぃや、だ、だんな…な、んか…機嫌が悪い?」
「貴様のツキもこれ限りだということだ。」

アキラにはたかれた頭を擦りながら、ヒカルは首を捻る。
睦み合う姿を一部始終見られ、あまつさえ礼まで言われるとは!…武士たるアキラには、如何ばかりの屈辱。

しかし、命を救ってもらったと涙ながらに感謝されたことを思えば、それも何とか乗り越えられよう。



とは言え。
何も知らず、何も憂えず、ツキだけを享受した恋人のあっけらかんとした顔は、アキラにしてみればどうにも憎たらしく、頭のひとつも叩かねばおさまらなかったのである。



















(第二話)



その夜、酒を酌み交わしながら、二人は取りとめもない話をしていた。…筈だった。

ふとした拍子に、話題はヒカルの作るかんざしの話に及ぶ。
これまで多くの不思議を目撃して来ただけに、アキラはもう、ヒカルの力を疑うことはなかったが、闇雲にそれを賞賛することも、頼ることもなかった。
ヒカルの作るかんざしには念をこめることも出来るし、現代で言えばアンテナのような役割を付加させることも出来る。
つまり、かんざしを差した相手に危険が迫ったりすれば、その恐慌のような思念を受け取ることが出来るのだ。

だがしかし―――その部分は、特にアキラの関心ごとではないようだった。






「お主は、どんなかんざしが作りたいのだ?」
「どんなって…ねえ…。」

アキラが居候をしている森下の道場は、森下が体を壊し、一家総出で湯治へと出掛けていた。ありがたいことに、親友である父も連れて行ってくれた。
アキラは、飯炊きのばあさんと二人で留守を任されている。子ども達の稽古をつけたり、森下の名代で出稽古に向かったり、何かと忙しい。

そんなアキラを景気づけようと、ヒカルは甘いものと酒を手土産に顔を出したのだ。



「俺のは気分だからさ。師匠のように細工に凝ったり、ちょっとした遊び心を意匠に込めたり、そういうのは興味ねえし…。」
「随分、意欲がないな。」
「う〜ん…素材には興味、あるかな。ギヤマンとか綺麗だろ?まるで水ん中に景色を閉じ込めたみたいでさ。いっそ、自分でそこから作ってみたいって思う。」
「ほう…面白そうだな。」
「何?ダンナ、また俺のかんざし、さしてくれる気になった?」

ほんのりと目尻を染めたヒカルが、にじり寄る。まだ、いくらも飲んでいない。
対して、アキラは飲んでも顔に出ないタチらしく、背筋も伸びたままである。

「それとこれとは違う!」

ビシリ。
ヒカルの手の甲を、アキラが鋭くいなした。

「ちぇ〜、すっげえ似合ってたのになぁ…今度は花魁の格好とか…絶対に、静音太夫にも劣らねえと…ああ、思い出しても何か来るもんがあるぜ…。」
「かんざしとは女人(にょにん)がするものだ!」
「じゃあさ、いつか…。」
「…?」
「いや、やっぱ…いいや。」
「何だ、言いかけて止めるとは卑怯な!」
「だって、言っちゃったらそれこそ…なぁ…。」
「それこそ?さっさと言え!気持ち悪いじゃないか。」
「女人って言うから…。」

そこでヒカルは、グイと杯をあける。
酒が通る時、咽喉仏が大きく上下するさまが妙に男臭かった。

「いつか、俺の作ったかんざしを差して欲しいって思う、お人はいる。」
「…え。」
「そのお人に、俺の精魂込めて作ったかんざしを差して、花嫁ごりょうになって欲しいんだ。」

アキラは押し黙った。とても茶化す気になどなれない。



夏の盛りの、暑い晩だった。
風がそよとも吹かない。空気が澱む。

「ほ〜ら、辛気臭くなっちまった!もっと飲もうぜ。や、ダンナは甘いもんの方がいい?」
「……。」

ヒカルの薦める団子を頬張る。酒を飲む。また、団子。酒。

アキラは黙々と食べ、飲み、それはまるで、何かを口にしてしまわないようにと、代わりに何かを口に入れ続けるような痛々しさを滲ませていた。

ヒカルはそんなアキラを見ながら、うちわを手に取る。
ゆるゆると、そのうちわでアキラを扇ぐ。飲み食いする時、人は熱を発する。汗をかく。
愛しい人を少しでも涼しくしてやろうとの、ヒカルの心尽くし。

アキラの目の端に映るヒカルは、立てひざの着物の裾から覗く足も逞しく。
うちわを持つ手は、繊細な職人の手にしては大きく、筋張っていた。

自分はいつもいつも、この男に翻弄される。
ちょっとばかり不思議なかんざしを作るというだけで、ただの町人。
確かに、町娘たちにはもてるだろうと容易に想像出来るが、自分とは身分違いだということも、お天道様が東から昇って西へ沈むのと同じくらい、動かし難い事実―――――



「…っ、げほっ、ごっふ…。」
「あ〜あ、急いでかっこむから。団子と酒なんて、俺には信じらんねえけど、ダンナは食っても身になんないもんなぁ…。」

まだうちわで仰ぎながら、片手はアキラの背中を擦る。
むせて涙目になったアキラは、恨めしそうにヒカルを見上げた。

「誰に…。」
「…はぁ?」
「……。」
「ダンナ?………いや、アキラ…。」

ヒカルの手がアキラの髪に差し込まれ、黒髪を愛しげにすいた。幾度も、幾度も。

「俺の女のことだとでも思ったのかい?」
「っふ…。」

そうじゃないとばかりに、アキラが頭を左右に振る。
しかしヒカルの方も手を引っ込める様子もなく、その頭を支えた。

「そうなんだろ?嘘つくな。嘘、下手くそなくせに…。」



…俺が、自分の嫁さんの為にかんざしこさえるんだと、そう思ったんだろ?



内容はともかく、甘い甘い…団子よりも胸焼けを起させるような甘い声が、耳朶を掠める。

アキラは頑固に首を振った。黒髪が、さっきよりも激しく揺れる。

「全く…そうじゃないって言えば言うほど、そうだって認めてるんだって。ちくしょうっ…今夜はどうもいけねえ、口が滑る。」

ヒカルは吐き捨てるように言うと、アキラに向き直った。

「―――アキラの奥方にだよ。アキラの奥方になるお人に、俺のかんざしを贈りたい。もう、ずっとそう思って来たんだ…。」
「…な、に?」
「塔矢の家を継ぐんだろ?武家の長男にとって、これ以上に大事なお勤めはねえ。いつか嫁さん貰って、子をなして、塔矢の家を絶やさぬよう…。」
「ヒカルッ!」

恐ろしい速さだった。
ヒカルを押しのけ、立ち上がったアキラは、手の届くところにあれば抜刀していたのではと思うほど、一瞬にして殺気を走らせた。

尻餅をついて転がったヒカルは、呆気にとられてアキラを仰ぎ見る。
怒りとも哀しみともつかぬ色を湛えた瞳が、爛々と光を放っており、何て美しいのだろう…と、ヒカルはひどく胸をつかれたのだった。













ヒカルを押し倒し馬乗りなったアキラは、肩をいからせ、目を吊り上げ、全身で何かを訴えようとしていた。

元々、武士は無駄口を叩くものではないと、黙って、凛とした横顔を見せていることが多い。
そのせいか、喋ることこそ人生の楽しみのひとつであると考えている町人のヒカルに比べ、自らの想いを語ることも得意ではなかった。



「アキラ?…怒ってる、の?」
「わからぬっ、わからぬわからぬ!…だが、お主はいつも私の…私の心を乱すこと、ばかりっ…!」
「俺が、先のことを言っちまったから?考えたくなかったのかい?」
「黙れ…。」

幼き頃から、目に見える世間とは異なる世界に片足を突っ込んで生きて来たヒカルである。
普段は年齢相応の暮らしぶりだが、真実は何ものにも動じない心と、それと同じくらいの重さで感じやすい心も持ち合わせている。

そんなヒカルだから、今も落ち着いて振舞っていられた。口元には、うっすらと笑いすらが浮かべて。
それは、アキラの激情を美しいものとして感じ入っているからなのだが、アキラにしてみれば小馬鹿にされているような感じもある。

「アキラはお侍とは言え、やっぱりおぼっちゃまだから、さ…いや、というよりも初心(うぶ)なのかもしんねえなぁ…。」

とうとう、アキラは切れた。
言葉で何かを伝えることは諦めたのか、アキラはいきなりヒカルの帯を解きにかかる。
着物の前を開き、ためらいもなく下帯にまで手をかけた。

「へっ…んあ?アキラ?まさか、体で仕返し?そんなに怒り狂ってんの?」

切られるかもしれないと身構えていただけに、ヒカルは呆気にとられ、されるがままになる。
いつの間にか、すっかり脱がされてしまっていた。

「違う…お主はわかっていない…私がこんなことをするのは…。」
「アキラ?」

切なげに細められてはいるが、変わらず強い光を放つその目でヒカルを射る。言葉よりも遥かに多くを語る、その目で―――――






ついにアキラは、意を決したように己の帯も解き始めた。
ヒカルに覆い被さったまま脱ぐのは至難に見えるが、途中からヒカルの手も加わり、せわしない動きで二人は重なり合う。
はあはあはあと荒ぶる息にも構わず、激しく口を吸い合った。

「ヒカルは…私がいつか妻を娶り、家を継ぐと…そう、言うが…だったらどうする、つもりだ。」
「暑いな…今夜はどうしようもねえ。こんな暑い夜は、頭も溶け出しちまう…。」
「ヒカルッ!…誤魔化す、なっ…。」
「だって、暑いんだもん。」

確かに、風鈴すらも黙りこむような無風状態の夜。
今、二人にはうちわで風を送る人もないのだから、暑さはいかばかりだろう。



ぽた…ぽた…ぽたり…ぽた………



頭上のアキラから降って来るものは、汗か。…涙か。
行灯の灯りでは、影になったアキラの表情ははっきり見て取れない。

「アキラ…泣いてるの?」
「ちが…っ…団子が咽喉につかえてる、だけだ…。」

強がりもここまで来ると、愛しいとしか思えないから不思議なものである。
ヒカルはその愛しさに後押しされるようにして、語り出した。

「…アキラに嫁さんが来ても、俺は変わらないよ。俺はずっと江戸の町でかんざし作って、俺の力を頼って来る人があれば出来る限りのことをして…芝居観たり、酒飲んだり、祭りに行ったり、今まで通りに生きるさ。」
「じゃあ、お主もいずれ…所帯を―――」

押し殺した声が、暗がりに響く。
ヒカルは溜め息をついてから、答えた。

「何て言えば満足するんだい?俺が所帯を持つと言えば安心かよ?それとも、俺は一生誰とも添わない、アキラ一筋だと言えば―――それはそれで悩ましいんじゃねえの?」

アキラの顔が、さっと赤く染まる。…いや、首筋までも。
何故だろう。それだけはヒカルにもよく見えたのだ。

「すまなかった…意地悪を言いたい訳じゃねえんだよ。ただ………。」

ヒカルは軽く眉根を寄せ、泣き笑いのような顔を向けた。
本当に、アキラに対して悪いことを言ってしまったと後悔している。そんな誠実さを感じさせる、素直な声音でもあった。






アキラは何も答えず、静かに、ヒカルの胸に顔を埋めた。
うなじ、胸の頂とぎこちない唇が流れ、ヒカルの感じる場所を吸い上げる。手も、ヒカルの肩や二の腕を丸く撫でていた。

「ん、んぁ、アキラ…っ…いいぜ…。」

普段は押されるばかりのアキラが、ここまで積極的になるのは初めてだった。
ヒカルはその真意をはかりかねながらも、汗ばんだ両手でアキラの黒髪を乱し、悦びを訴える。

それも届かなくなったと思ったら、何と。アキラは上半身を起こし、ヒカルが用意している油の小壷を探り当て、使い始めたのである。

滑りのよくなった手で、ヒカルのものをすり上げる。
あっという間に天井を向いたそれを片手で握り、もう片方の手は少しだけ斜め後ろのヒカルのふとももにつく。
すると按配良く、二人のものがアキラの手の中でぬるり…と絡まり合うのだった。

「すっげえ眺めだ…こんなアキラ、拝めるなんて…有り難てえ…手を合わせてえくらいだぁ…。」

行灯の薄明かりの元。
光と影を持ってあらわされるアキラの肢体は、剣の稽古でほどよく筋肉のついた腹も、反らした滑らかな胸も、全てに細かい汗をかいて―――大層、美しかった。ヒカルの感嘆も無理からぬ。

手を上下させるのと同時に腰も揺らすものだから、行灯に映る具合によっては、沈んだり浮かび上がったりするアキラの痴態そのものが、触られる以上にヒカルを刺激し、忘我へと誘う。

「っはっ…あ、ぅ…ん、ん、ん…。」
「だめ、もう、だめだっ…アキラ、出るぅ…ぶちまけたい、一滴残らず…。」

ヒカルが根を上げるのを待って、アキラは噴出す汗をしたたらせながら、今度は前屈みになった。
とうとう己の秘所に、猛り狂っているヒカルを呑み込もうとする。
根本を支えながら、殊更ゆっくりと腰を落としていくのは、痛みを逃れたいからではない。ヒカルを、もっともっと追い込みたい一心からだ。

しかしアキラは息を詰め、下腹に力を入れ、吸い込むようにしてヒカルの欲望を引き入れただけでは済まさなかった。

一瞬。
全てをおさめた後、アキラはヒカルの目を見た。



「ヒカルでなければ、私はこのようなこと―――死んでもしない。」



…ああ、そうか、これがアキラの気持ちなんだな…嘘偽りのない、精一杯の…仕返しなんて言って悪かった…十分だぜ、今はもう、これで………

この世のものならぬを見るよりも難しいのは、好いたお人の心を知ること。
だが今こそ、全身でぶつかって来るアキラの全てが、ヒカルには手に取るように感じられたのだった。



やがてアキラは、内部に食んだヒカルを押し出すように腰を浮かせたかと思うと、次にはヒカルの肌に打ち付けた。

「ああぁっ!」
「ひっ…ぃ…。」

意識が飛びそうな悦楽が、二人を同時に襲う。
それだけで、ヒカルの方も箍が外れた。

膝まづいたアキラの足を膝小僧からずい…と撫で上げると、自分の足も屈曲させて、アキラの引き締まった双丘を引き寄せた。
そのまま逞しい腕で捧げ持つようにして、アキラの腰を自在に動かす。
真っ直ぐではなく斜めに捻じるように、或いは、小刻みに上げたり下げたり。

アキラの口から切ない喘ぎだけでなく、飲み込み切れない甘い液体も零れる。
ヒカルはそれを味わいたいと願いながらも、汗で油で滑ってしまいそうになる手を動かし続けた。

ヒカルを気持ち良くさせたいが故の行為だったのに、今やそれはアキラの感じる奥も入り口も、あらゆる襞をいいように嬲る為の形となり果てたのだった。






「…アキラ…後孔だけでイくかい?それとも…俺にして、欲しい?」

ヒカルの指が、先走りを溢れされているアキラの先端を掠める。じれったい接触。
あっ!…と、咽喉を剥き出しにして仰のいたアキラの口端から、ヒカルの望んだ甘い雫が伝い落ちて来た。

既にアキラは、喋ることなど出来そうにもないようだった。ヒカルとて、限界だ。
苦しそうにぎゅっ…と目を閉じたアキラを満足げに見てから、ヒカルは囁いた。

「そうか。余計なことは考えられなくなるくらい、可愛がってやるな。」



そしてそれが俺の応えだと言わんばかりに、ヒカルはアキラを愛し続けたのだった。一番鶏が鳴くまで―――――



















(第三話)


早朝、暗いうちに起き出して剣術の稽古に励むのが、アキラの日課である。

今日も一汗かいて、清々しい気分で井戸端へと向かった。
冷たい水で顔を荒い、シャキッと背筋を伸ばす。そろそろ、父上の朝餉の仕度もせねば。
いつもの一日が始まる。

「あ…。」

ふと目をやると、厨の入り口付近に置いた朝顔の鉢に、花が咲いていた。

「美しいものだな。」

それは、ヒカルと二人で出掛けた「朝顔市」で求めたものだ。



ヒカルは何かとアキラを誘い出すのだが、どこそこの団子が旨いだの、誰それに赤ん坊が生まれただの、ごく日常的なこともあれば、祭りや縁日、花見や芝居見物などなど、少しばかり賑やかしいこともある。

この朝顔も、二人であれでもない、これでもないと長い時間をかけて選んだ。
そういう時間こそが何にも代え難い宝だと、アキラも言葉にこそしないがわかっている。



アキラは腰を屈め、顔を寄せた。
瑞々しい花には朝露が宿り、アキラを幸せな気持ちにさせてくれる。

「…一句、浮かんだ。」

弾かれたように顔を上げたアキラは、慌てて厨に飛び込み、発句帳を持ち出す。句は、アキラの趣味のひとつであった。

書き付け終わって、ほうっ…と溜め息をついた時、背後から声がした。

「おお〜いっ、だんな、 お っ は よ う っ ! 」
「ヒカル?」

見ると、ヒカルがいつものように裾をからげて駆けて来る。
そしてその腕には―――朝顔の鉢が、大事そうに抱えられているではないか!

「ねえねえ、見てくれよ、見事に咲いただろ?ほら、いっぺんに五つも!」
「ああ、確かに…。」
「あ、だんなの朝顔も咲いてら!綺麗な紫色だぁ。」
「しかし、何もわざわざ抱えてまで…。」
「だってさ〜、すぐに見せたかったんだよぉ、だんなに!…ね、俺、一句浮かんだんだ。だんなには負けると思うけど、ちょいと聞いておくんなせえよ。」

余りの展開にアキラがぽかんと口を開けていると、ヒカルが得意げに声を張り上げた。

「朝顔や〜 だんなに見せるまで 萎むなよ〜 …っての。どう?なあなあ、俺の句、どうよ?」
「〜〜〜。」

嬉しそうに笑いかけるヒカルに、己も笑顔で精一杯の気持ちを返しながら…
そっと発句帳を懐に隠す、アキラ。

そこには、こう綴られていたのである。



――― 朝顔や 咲き続けてよ 彼(か)の声す ―――



ヒカルの声が聞こえるまで、どうか咲いていて欲しいという願いは、ヒカルの願いと同じだという偶然。
人はそれを愛情と呼ぶのだと、朝日に輝くいくつもの朝顔が教えてくれているようだった。



















(第四話)


早朝稽古の後は必ず井戸水で顔を洗い、上半身を濡れ手ぬぐいで清めるのが日課である。
今朝も、素振りでいい汗を流したアキラは、井戸の淵で片肌を脱いで汗を拭っているところだった。

不意に視線を感じ、アキラは振り向く。

「誰だ。」
「おぉっと…もう見つかっちまった。おはよう、ダンナ!」
「おぬしか、ヒカル…そのように背後から盗み見るのは止せ。」
「だってダンナのさ、汗に光る背中を見るの、好きなんだも〜ん。」
「っ!う、うるさい。」

朝の爽やかな空気の中だというのに、いきなり艶っぽいことを匂わされてアキラは戸惑う。

「綺麗なのに綺麗だってことを自覚してねえのは、ある意味、罪だよなぁ…。」
「また訳のわからぬことを…。おぬし、最近よく顔を出すが商いの方はどうなんだ?」
「あ、痛いところを突かれちまった。」

本当に胸を抑える仕草をして、ヒカルはアキラの方へとよろめく。
支えを求めるようにむき出しの肩に手を触れると、指先でつーっと二の腕まで下ろす。
そしてアキラの耳元で囁くのだ。

「ホクロひとつない、シミひとつない背中ってさ、昼間に見ても………っふんがっ…!?」

そこまで言いかけて、ヒカルはいきなり口を塞がれた。アキラの手によって。

「おはようございます、塔矢の若様。朝餉の支度、整いましてございます。…あら?」
「お知恵どのっ…その…かたじけない。」
「さっ、ダンナ、着物を着て〜。今朝は俺も、お相伴に預かっちまおうっと♪」

あんぐりと口を開けるお知恵と呼ばれる女を尻目に、ヒカルはさっさとアキラの背を押すのだった。






このところ、飯炊きのばあさんがぎっくり腰だということで、代わりにお知恵という親戚の女が厨(くりや)の手伝いに来ていた。

このお知恵、なかなかに色っぽい。さほど整った造作ではないが、厚ぼったい唇やつぶらな瞳が、男には魅力に映る。
しかも、お知恵は碁が打てるのだ。

アキラと対局しているのを見たが、前屈みになって盤を覗き込む様子がヒカルのカンに触った。
胸を寄せ、着物の合わせから谷間を見せつける。

この女(あま)ぁ…わざとだな?

アキラの気を引こうとしているのが見え見えではあるが、当のアキラは全くの朴念仁で気付かないのが、ヒカルには幸いだ。
しかしそれに気付いてからのヒカルは、ちょこちょこ仕事の合間にもアキラを訪れ、お知恵を牽制していたのだった。

―――そうだ。いっそ、あの女にかんざしを贈ろうか?
そしてそれをさしたあの女は、アキラに近付くと頭(つむり)が締め付けられるように痛む…という念をこめてはどうだろう………



「ヒカル。」
「へっ…あ、ダンナ?」

ヒカルの暗い物思いを破ったのは、アキラの鋭い声だった。

「何やらおかしなことを考えてはいなかったか?」
「おかしなって…。」

ヒカルの心臓は、口から飛び出さんばかりに大きく跳ねた。
顔色が変わっていくのも、自分でわかった。

アキラはずいと顔を寄せ、その澄んだ湖面のような瞳をヒカルに注いだ。

「ヒカル…おぬしの力は、人の役にたてるために授かったのではないか。邪(よこしま)なことは許されぬぞ。天は何でもお見通しだ。」

そして、この私も―――

まるでそう釘をさしているかのような、雄弁で、影響力のある瞳であった。

普段は鈍いくらいなのに、どうしてこんな時ばっかり、と。
恨めしくもあるが、確かに、色に迷って己の力の使い道を間違ってはならないと、ヒカルも思い直す。
そもそも、この力がアキラには把握されている以上、身近で下手なことなど出来ないのだ。冷静になればわかること。

「全く…アキラには何でもお見通しって訳か。」
「なに?それでは矢張り、ろくでもないことを考えておったのだな!」
「え、え、何だよ、それ、今更〜。」

アキラに睨まれて、ぎゅっと小さくなるヒカル。
機嫌を直してもらおうと、今度は商いの―――真面目な話に戻すのだった。



「そうだ!あのさ、俺、今度大奥に品物を納めに行くんだぜ!」
「おおおくぅ?」

ヒカルが嬉々として話すのを、アキラは胡乱げな様子で聞いていた。
幼馴染みが大奥に奉公に上がっている縁で、ヒカルの親方のところに話が舞い込んだらしい。
気の張ることではあるが、名誉であることも間違いない。

「あかりって言ってさ、ちっとばかり生意気だけど、気働きだけはガキの頃から一人前で。大奥でも、首尾よくやってるみたいなんだ。」

得意げに鼻をすん…と鳴らすヒカルを、アキラはまだ、じーっと見ていた。
そして、ぽつりと漏らしたのだ。

「ふうん…幼馴染み?おぬしのいい人なのでは?」
「ばっ、馬鹿言うなよっ!ただの幼馴染みって…って、アキラ?妬いてるのかい?」

それには答えず、黒髪をぶん…とひるがえしてそっぽを向くアキラが、ヒカルにはたまらなく可愛く、また愛しく思えるのだった。






真実はと言えば。
あかりは大奥に上がる前に、ヒカルに告白をして来たのだ。ヒカルにその気があるのなら、奉公は何とか断ると。
しかし、ヒカルはあかりの気持ちを受け入れることは出来なかった。

アキラと出会う前のことであったが、妖や霊をみるこの力を持って生まれついた以上、己の人生に他人を巻き込むことは避けようと、いつの頃からか思い決めていたヒカルだ。

ただ、憎からず思っていた大切な幼馴染みへのはなむけにと、かんざしを贈ることは忘れなかった。あかりをどんな困難からも守ってくれるようにと、格別の念をこめて。
そしてそれをさして、あかりは大奥へと奉公に上がったのだった。



ヒカルのそんな追憶を知ってか知らずか、やがてアキラが不機嫌そうに言った。

「ヒカル、だったらここで油を売ってる暇はなかろう。さっさと親方のところへ行き、仕事に励め。」
「へいへ〜い。あ〜あ、大奥でも俺のかんざしが評判になって、引っ張りだこになっちまったらどうしよう?ちょいと歩けば、つけ文(恋文)が袂にずっしり…なんてさ。」
「…っ!評判になるのはおぬしの職人としての腕とかんざしで、本人ではないだろう!自惚れるのもいい加減にしろ!」

咲き誇るたくさんの朝顔も揺らすアキラの怒声に、ヒカルへの想いの丈が潜んでいる気がして、ヒカルは朝日の中で嬉しそうに笑った。



嫉妬しつつ。されつつ。

そんな関係がどこまで続くかはわからないが、取り合えず二人は今、この江戸の町で太平楽…というか、まあ、幸せ―――なのであった。






 ヒカルは今、自分の置かれている状況がひどく幸せで、意識が保てそうになかった。

 いつもはキッチリとまとめた黒髪が解け、それが己が体の上を這い回っている。毛先が、上質の毛筆の如き感触でくすぐっていく。
 それがまた、ゾクゾクと腹の底から競り上がって来る快楽へと呆気なく生まれ変わるのだから、たまらない。

「アキラ…っ…イイ、すっげえ…魂、抜かれそう…はああぁ…っ!」

 立てた膝の間に埋もれた、愛しい人の頭に触れたいと右手を伸ばすが、それは叶わなかった。思い通りに動かないことにはっと気付いて、利き手ではない左手を上げるが、それすらままならない。

 しかしそれは右手の事情とは違い、ただ、過ぎた快感の余り全身が痺れているからであった。

「そうか、良かった…お前が悦いなら、何よりだ…。」

 股間から切れ切れの照れ臭そうな声が聞こえ、そこに潜むそこはかとない色気にも感じる。

 ヒカルの細い声が尾を引いたと同時に、行灯の火が作り出す陰影もまた、妖しく揺れた。



















 (第五話)



それは、数日前に遡る。
ヒカルはこのところアキラの様子がおかしいと気付いていた。
自分と話していても気もそぞろ。甘党のアキラの為に江戸でも評判の甘味を持参しても、アキラの喜び方はおざなりだ。

「ダンナ…甘いもんよりも、心奪われるもんでも見つけたのかい?妬けるねぇ…。」
「はあっ?何を根拠にそのような…。」

―――あ?あれあれ…軽い気持ちで粉かけたのに、まさか本当に何かに心を…いや、誰かに、だったら俺の立場は…

ヒカルは、目の前で顔を赤らめるアキラのうなじに噛み付きたくなった。



悪いと思いはするが、次の日、アキラの様子を陰からこそりと窺ってみた。
道場の者に聞いたところによれば、アキラは僅かな暇を見つけては出掛けて行くという。しかも日が暮れるまで帰らない。
誰ぞいい人が出来て通っているなどということは、アキラに限ってないと信じているが、それでもアキラの心を占めているものが何か知りたいというのも、人情だ。

ところが―――辿り着いた場所は、賑やかな場所から遠く離れた一軒の古道具屋。

「まあまあ、お武家様、今日もおこし下さいましたか。」
「ご主人、すまない。どうしてもあれを見たく…宜しいだろうか。」

アキラに向かって頷いたのは、人気役者もかくやというくらいの色男であった。年の頃は、自分達とさほど違わない。
しかしその姿を見た途端、ヒカルの背筋を寒気が駆け上った。今まで感じた中でも、最大級の。
間違いなかった。あの若旦那は人ならぬものだ。…或いは、人ならぬものに憑依されたものだ―――

アキラの目の前に差し出されたのは、刀であった。
そしてその輝きはとんでもない妖気を帯びていたが、アキラがそれに気付いていないのは明白だった。

「そのようにお気に召しましたのなら、お貸しいたしましょうか?一晩、お預かり下さいませ。お好きになさって下さい。」
「いや!とんでもない、私はまだこの刀に見合うような腕では…。」
「それでしたら、尚更お試し下さい。ほれ、この辺りは人波から遠く離れておりますでしょう?野犬も狐狸も出ますし、夜目は厳しゅうございますからねぇ…。何かと見間違えて刀を抜かれましても、誰も咎めはいたしますまい。」

ヒカルは飛び出したいのを、すんでのところで堪えた。
そのうち、アキラは面を輝かせ、普段であったら決してそうしない場面で頷いてしまっていた。

町外れに来ると、アキラは何かに魅入られた如くフラフラと刀を抜いた。その刃が光を集めたかと思うと、一瞬にして空を切る。

剣を手にした時、アキラはその涼しげな面差しが一変する。アキラ自身が、抜き身の刀そのものになるのだ。幾度か見たことのあるその姿は、ヒカルの脳裏に鮮烈に焼き付いている。

そして今。ヒカルは見た。アキラの目が、アキラのものではなくなりつつある様子を。
 最初は空を真っ二つにしていたアキラは、息一つ乱さぬまま、刀を振り続けた。…というよりも、刀に振り回されているのだ。
そこに、まるで仕組まれたかのようにあの主人の言葉通り、子狐が現れた。アキラの動きが止まる。

…マズイ!あの刀は命あるものを切ったが最後、とんでもない災いをもたらす…

ヒカルは直感した。それは、経験上疑いようがない。
息を詰めて機会をうかがっていたのは、アキラの自尊心を損なわずにあの刀を諦めさせるにはどうすべきか、迷っていたからだ。

だがしかし、こうなってはもう躊躇ってなどいられない。
アキラがジリ…と、子狐の方に爪先を向けた。
狐が、見えない糸に引っぱられるように顔をあげ、前足を胸の前で組むような仕草でアキラを見る。

子狐が走り出す。
アキラも刃を煌めかせる。

そこへ飛び出したのがヒカルだったという訳だ。






ヒカルの傷は大したことはなかったが、利き腕を切られた為、自由が利かない。生活くらいは左腕でどうにかなっても、かんざしなどの細かい細工は駄目だ。つまり、仕事にならない。

ヒカルの腕から流れる鮮血を見た途端、我に返ったアキラは、どれだけ詫びたかわからない。そして武士の矜持も何もかもかなぐり捨て、ヒカルの長屋へと通った。
 
出来る限りの世話を焼いていると、長屋の連中からはまるで世話女房のようだと軽口が飛んで来る。
しかし、少しだけムッとした顔はするものの、自分のせいで怪我を負わせたと思えば、アキラはその不機嫌な表情を引っ込め、再びヒカルに尽くすのだった。

そんなことが三日ばかり続いた頃、ヒカルは耐えかねてアキラに触れた。
アキラに甲斐甲斐しくされて嬉しいのは無論、慣れないことに時折り見せるアキラの困ったような表情が愛しくもあり、ヒカルの中で何かが形をなしていく。

しかしアキラに、こら、まだそんなことをするのは危険だと窘められると、最初はオズオズとだったヒカルも、かえって煽られた。

「こんな手じゃアキラを悦くしてやれないからってさ、俺なりに我慢してたんだぜ…。」
「でも…。」
「じゃあ、口だけでも吸わせて…ね、それだけ…。」

ヒカルに懇願されると、アキラは目元を赤らめつつ、そっと唇を寄せた。
何度か重ねては離れ、離れてはまだ足りないと重ね、次第に深くなっていく。やがてヒカルはアキラの着物の合わせを鼻先で乱し、鎖骨やうなじを舐め上げていった。

そこまで来るともう体は止められなくて、お前ばかりにさせる訳にはと、アキラも意を決してヒカルに奉仕し始めた。請われるがままにヒカルの下帯を解き、指に絡めたそれを育てていく。
ヒカルがああ…と声を漏らすのを聞けば、アキラもカッと体を熱くする。口に含んだのは急かされたからではなく、アキラの方からそうしたのだった。

「あっ!…アキラ…い、いいの?そんなこと、まで…。」

されて嬉しいものの、ヒカルとてアキラの意にそまぬことをさせたいのではないから、思わず訊ねてしまう。
アキラは少しだけ口を離して、欲情に濡れた瞳で見上げて来た。ひどく、扇情的であった。

「…これが、何だというのだ…お前の傷に障ることならどんなに頼まれても断るが、これは悦いのだろう?…そうだろう?」

うんうんと首を縦に振るヒカルを見て、アキラはだったら私には何の異存もないと、ヒカルが一層舞い上がるようなことを、その清らかな口で淡々と語るのだった。
チュプチュプとしゃぶる音が再び聞こえ、ヒカルは忘我の境地だ。

しばらくするとまた、アキラのくぐもった声が聞こえた。

「私こそ、訊きたい…お前は、切られるかもしれないのに、どうして私の前に飛び出した…。」
「え…それは決まってらぁ…アキラに、あの刀で殺生させる訳にはいかねえ。あれは、いけない…あれは人を惑わす…。」

―――ヒカルの言葉を裏付けるように、あの後、刀は探したがどこにも見当たらなかった。更に、あの古道具屋も荒れ屋になっており、それも昨日今日のことではないとわかった。
つまり、あの出来事は最初からアキラ自身を狙った妖魔の仕業だったとも、推測出来るのだ。

「私を救ってくれたのだろう?では、私に出来る礼は一体どれだけあるのだ…ヒカルの命に見合うほどの、重いものが私に返せるのか―――」

そう言うと、極限まで潤み切ったアキラの瞳からツルリと雫が零れる。それがヒカルの緊張した内腿に落ち、ヒカルは体を震わせた。

「お返しなんてどうでもいいんだって。アキラの命を守りたいだけ…だから、もう…。」

俺にもさせてくれと、アキラの頭を叩く。

渋々伸び上がって来たアキラの唇を強く吸うと、左腕だけでアキラを抱き締めた。アキラも嬌声をあげて、ヒカルの首裏に縋る。

「私とて同じだっ…お前の命は、私にとって…どれだ、け…。」

最後まで言うことが出来なかったのは、涙が溢れに溢れ、口元まで濡らすから。それを掬い取るように、ヒカルの舌が這う。
二人は深く口付けながら、そのままアキラがヒカルの上になった。






ヒカルには、まだアキラには言えずにいることがあった。それは、今回のことに限らず、アキラの周囲に起こる怪異についてだ。

アキラは江戸に出て来るまで、国元では一切の不思議を体験したことはなかったと聞く。それは本当だろう。

ところが。ヒカルと出会ってからというもの、やたらとそういう目に遭う。それがヒカルといるからなのか、アキラ自身が引き寄せているのか…

…或いは、俺と出会ったことによって、アキラの中の何かが目覚めた…俺のせいで、アキラが変わった―――

確信はまだ、ない。しかし、暗雲はいつの間にかヒカルの心を覆いつつある。
小ものが寄って来るうちはまだいい。あの主人にしろ、妖刀にしろ、あの程度の怪異、ヒカルが体を張るのであれば防げる。

しかし、もっともっと大きな事件が起きたら、どうすればいい?どうやって、アキラを守る………



「ヒカル?どうした…私は…そのぉ…下手なのだろうか…悦くないか?」

今、ヒカルはアキラの中にいる。その体内の、最も温かい襞に包まれて、深く愛されている。
アキラがこっちを向け、自分以外のことを考えるなとばかりにもどかし気に腰を揺すると、ヒカルもアキラを見た。
下から見上げるアキラは妖艶で、頬に張り付いた髪の一筋までも愛しい。
ヒカルは包帯の巻かれていない左手でアキラ自身を掴み取ると、己の腰をアキラの腰に打ち付ける速さと合わせるようにして、激しく動かし始めた。
うっ…と息を詰め、ヒカルの胸に両手をつくアキラ。
苦しげに細めた目から、また涙が零れる時、それはヒカルにとって舶来のギヤマンよりも何よりも、尊く、美しいと思えた。

…そうだ。真相はどうあれ、俺はただ、アキラを守る。アキラの傍にいて、アキラを愛する。それだけだ―――



迷いを胸に仕舞い、ヒカルはアキラとともに駆け上り始めた。
狭い部屋いっぱいに響き渡る二人の切ない声と、荒い息遣い。

壁越しに聞いていた長屋の人々は、ヒカルの快癒が近いことを知って、若い二人に苦笑しながらも安堵したのだった。










NOVEL