― 成人の日 ―
成人式の日。
僕は、N区の式典で新成人の誓いというのを述べることになった。碁界の宣伝にもなると、棋院側が受けてしまったのだ。
元々、式典など出る予定もなく、碁の仕事があれば受けるつもりだった僕だが、棋院側からの依頼では断わりようがなかった。
ようやく役目を終え、壇上から降りようとしたその瞬間、ここにいる筈のない人物の顔を客席に見付け、僕は足を止めた。
・・・進藤?まさか。
しかしそんな場所で立ち止まっては変に思われるし、僕はすぐに彼の視線を無視して歩き出した。
控え室に戻ると、すぐに携帯を調べた。案の定、メールが入っている。
『お前、カッコイイことばっか言いやがって!俺の横に座ってた女なんて、うっとりした目で見てたぜ』
これだけか・・・。全く、一体何なんだ。
僕は溜め息と共に、携帯を閉じたのだった。
式典が終わり会場を出る頃にはホール前は人だかりが出来ていて、皆が大なり小なりの輪を作っては明るくさざめいていた。
ここにいる全部が新成人。誰も彼も、めいっぱいの正装だ。
僕も。そして進藤も。本当にこの中の一人なんだと、改めて思う。
僕らはやっと大人として世間に認められるようになったんだ。・・・碁の世界では早くから大人と同等の戦いに身を投じ、社会人として働いては来たものの。
あの、小さくてやんちゃだった進藤も。
いつしか人目を引く、それなりに逞しい男性になった―――
ふと目をやると、周りから注目されていることに気付く。
嫌だな・・・知り合いがいるとは思えないが、誰かに声を掛けられたら嫌だととっさに思い、僕は進藤の姿を探した。
人を探しているような様子をしていると、それだけで話しかけ辛いのだろう。誰にも引きとめられることなく、僕はほどなく進藤を探し出すことが出来た。
彼は、綺麗な着物を着た女性たちに取り囲まれていた。
しかし、彼自身はとんでもない格好をしている。スーツでもなければ勿論、羽織袴でもない。
革ジャンにジーンズ。それもお気に入りのビンテージとやらで、膝が見事に裂けている。
いつものチェーンが腰から垂れているし、靴だって見慣れたもの。
どこから見ても、思いっきり普段着だ。
―――それなのに、進藤はこれだけ多くの女性を惹き付ける。
僕は、彼の周りに出来た人垣を崩し、彼に群がる女性を一人残らず追い払いたいような衝動に駆られた。
「・・・あっ!塔矢。おせえぞ。」
女性たちに軽く手をあげてから、進藤は人垣の中心から僕の方へと駆け寄って来る。
・・・恥ずかしい。何だか妙に恥ずかしい。
注目を浴びていることもさることながら、進藤が嬉しさを満面に表していることに、心がムズムズするような気恥ずかしさを覚えた。
たった今まで女性たちを蹴散らしたいと思っていたくせに、実際には進藤のこんな開けっ広げな行動にすら恥ずかしさを覚えるくらい、僕はある意味臆病者で、嘘つきでもあるのだ。
だからつい、つっけんどんな態度になってしまったかもしれない。
「何だ、その格好は。せめてスーツくらい着ろ。」
「スーツは仕事だけで十分。俺ら、十五の時からスーツにネクタイだぜ。飽き飽きする。・・・んだよ〜?んな、しかめっ面すんなって!」
片目を瞑って見せる仕草も堂に入っていて、憎たらしかった。
「君、成人式なんて興味ないって言ってたくせに。」
「ん〜、だってさ・・・お前が大勢に注目されんの、頭クルから。」
「訳がわからない。じゃあ何故来た?」
「他のヤツらだけがお前の格好イイとこ見てさ、俺が見逃すものめちゃくちゃ癪に障る。」
何だ、それはと言いながらも、進藤が真剣に口を尖らせたのが可笑しく、僕は笑った。
「ああっ・・・くっそ・・・そういう笑顔をさ、こんな大勢の前で見せるな!さっさと行くぞ!」
「え?」
「真面目な顔でスピーチしてたってイチコロなのに、笑顔なんか・・・ヤバイって、お前。」
腕を強く引かれ、僕は進藤に付いて行くしかない。
洋服の彼とは違い、いくら着慣ているとは言え今日の僕は彼と同じペースとはいかずに、足元をさばくのに懸命だ。
「・・・お前・・・マジで格好イイこと言ってたな。新成人の誓いってやつ?」
「え、そうかなぁ・・・誰でも考え付きそうな、月並みな内容だと思うけど・・・。」
「責任・・・っての。確かに使い古された言葉だろうけど・・・成人になるってことは、自分の全部に責任を持つことだって・・・お前が言うと、やたら重みがあんの。」
俯き加減の彼の顔は、長い前髪で見え難い。
僕は何と返したらいいか戸惑い、彼の言葉を待った。
「俺、ちゃんと自分に責任を持ちたいって思ったよ。今のこの気持ちに・・・。」
「進藤?」
いつの間にか僕らは駅前まで来ていて、碁会所に昇るエレベーターの前にいた。
二階以上に行く人しか足を踏み入れない場所で、通りからは完全な死角になっている。
「こんなとこで言うのもアレだけど・・・今、モーレツに言いたいからっ!言いたくて言いたくて、たまんないから・・・っ・・・俺・・・・・。」
「・・・・・。」
そこで。
進藤は大げさに深呼吸をした。
まるで僕の前髪まで吸い込まれそうだなと変なことを思っていたので、耳に飛び込んで来た彼の言葉に不意打ちを喰らう。
「塔矢。俺と付き合ってください。」
「・・・は?」
「俺、ずっとお前のことが好きだった。男同士なんて有り得ない、望みなんてこれっぽっちもないって何度も諦めようと思ったけど―――やっぱ無理。出来ない。だから玉砕覚悟で言うよ。・・・俺と付き合って。」
進藤の顔は真っ赤だった。目元が特に赤い。
僕は、さっき会場に飾られていた鮮やかな南天の実を思い出す。
皆が着飾った成人式に、一人堂々と普段着で出席するような度胸とふてぶてしさがありながら、僕に好きだと告白するとなるとこんなにも真っ赤になり、声を震わせる。
・・・そんな彼を僕もたまらなく愛しいと感じ、今にも切ない気持ちが溢れ出しそうになっていた。
「でも君、彼女がいただろう。」
「うん、そういう時期もあった。悪あがきしてみた。お前から気持ち逸らそうと思って。」
だけど全然続かなかった。
本当に好きな相手じゃないと、肩を抱いても体はあったかくならないし、喧嘩しても死ぬ気で追いかけたり出来ないって、よーくわかった・・・・・
ほとんど泣きそうに目を潤ませて訴える彼を、今すぐにでもこの腕に抱きたいと思う。
思う、が。
僕はもう少しだけ、踏ん張ってみた。
「どうして今日なんだ?僕の気持ちに自信でもあるのか。」
「ち、違うって!やっぱ大勢の女どもが・・・碁のことなんか知りもしないヤツらがお前のことポーッと見るのがスゲエ嫌だったってのもあるけど・・・。
だからお前、言ったじゃん!責任持つって。それが大人だって。俺、馬鹿かもしれないけど、お前のスピーチを聞いてたらさ、まるで俺に向かって言ってるような気がしたんだって―――」
そこで、手を掴まれた。
誰か来るかもしれないとチラと過ぎったが、僕にその手を・・・熱い進藤の手を振り払える筈もない。
彼の顔が一層近付き、息がかかる距離まで詰められる。
「責任って、相手がどう出るか以前の問題だろ?お前の答えなんかわっかんねーよ。
でも俺はもう自分の気持ちにウソをつけない。これでお前との仲がグチャグチャになったとしても・・・・・ケジメ、ちゃんとつけたいんだ―――」
痛い。
僕の腕を握る進藤の手に、痛いくらいに力が込められた。無意識なんだろう。
人は人生の大事な場面に直面した時、こんな風に切羽詰った目をして、全身から必死のオーラを発するのだと―――半ば感動を覚えながら、僕は進藤を見ていた。
「・・・塔矢。何か言って。・・・お、お願い。」
僕が口を開きかけた時、エレベーターの機械音が響いた。はっと飛び退るようにして、僕らは離れる。
開いたドアから出て来た人は、僕らを一瞥すると去って行った。
「行こう。上に。」
「塔矢?」
やがて閉まったエレベーターの中。
二人きりで過ごす、三十秒だけの密室。
そこで僕が進藤にどんな答えを返したのかは、その後僕らが市河さんや常連さんへの挨拶もそこそこに、碁も打たずに、そそくさと奥の部屋に消えてしまったことでわかるだろう。
大事な検討をするから申し訳ないけど・・・と内側から鍵をかけ、僕らは出会ってから初めて交わす抱擁と、そして口付けに、どこまでも夢中になった。
軽く合わせていたのはほんの少しの間で、すぐに深く入り込んで来た舌は、熱く熱く、獰猛なくらいに僕の口内をさぐった。
合間の息継ぎも、次々生まれる唾液の処し方もままならない僕は、指を食い込ませるほどに進藤の体にしがみ付く。
さっき走らされた時も思ったが、羽織袴の僕の方が今日はどうしたって不利だ。
無我夢中の手にまさぐられ、着物って空いたとこがいっぱいあって、手を入れ易く出来てんだ・・・お前が今日、スーツじゃなくて良かった・・・などと、とんでもないことを言う進藤を殴りたくなった。
唇が首筋を撫で降りてゆき、鼻先で襟をグイと乱された時は、手を使わずにそんなことをされたその乱暴さだけで感じてしまい、ああぁ・・・と、抑えた声を漏らしていた。
その声、スゲエイイ、もっと、聞きたい・・・と、温かい息と一緒に肌の上に零され、あちこちから彼の手が僕の肌にじかに触ろうと侵入を試みていることに気が付かないくらい、我を忘れた。
「どうしよ・・・・・溢れる・・・・・このまま、ここで・・・・・ヤッちゃいたいくらい・・・・・。」
「・・・!・・・・・馬鹿・・・・・すぐそこに、皆がいる・・・・・っ・・・・・ん・・・・・。」
「わかってる。そんなこと出来ないって。でも、嬉しい。嬉しいんだって。今日、あんなにたくさん同い年の連中がお前のこと、見てたのに・・・・・こうやってキスして触ってもいいのは・・・・・この世で俺だけ―――なんだな?」
「うん・・・・・そして君も、僕だけのものだ―――」
再び相手の目を見詰め、一瞬の間に心を見せ合って。
僕らは唇を合わせながら、一つの塊となり、悦びに震えたのだった。
・・・もう、心を偽らなくてもいい。
これからは嫌と言うほど彼を愛してるという目で見詰めていいのだと、無上の幸福感が僕を包んでいた。
その日が、進藤にとっても僕にとっても忘れられない成人の日になったことは、言うまでもない。
二人とも今はN区に住んでるという強引設定で。