―  ヒカル誕生日小説部屋 ―
下へ行くほど古いもの、2008〜2005年度作品まで一挙に置いてあります。
2004年度作品は、NOVELの「誰かの望みを」になります。







2008年度作品
四本連作。一番下のものだけ、誕生祭に投稿しました。









「時間」



「…あれ、どしたの?それ、新品?」
「ああ、この時計?」

塔矢の左腕には見慣れない時計がはめられていた。いつものと違う。初めて見るヤツだ。

「昔から持っているものだけど、電池切れでずっと止まっていたんだ。だから見た記憶がないのも無理ないよ」
「止まってたって…いつ頃から?」
「それは…」

塔矢の視線が少しだけ宙をさすらってから、スイ…と俺に戻る。
真っ直ぐ見詰められて、ドキッとした。

「君が手合いに来なくなった、あの春からだ」
「えっ…」
「何でだろうな。あの頃は特に執着もなく、この時計を捨てた。だけどこの前、目に入ったら、使ってみようかなって…」

ちょっと見せてと頼むと、塔矢は躊躇わずにその腕を差し出した。
細く、白い手首。右腕は石を置く方の手だから、よく見る。
でも左腕はマジマジと見たことがなかったからか、俺の目には新鮮に映った。

「動いてる…」
「そうだよ、動くようにしたんだ」
「…止まった時間も、いつかは動き出すんだな」
「進藤?」

その腕を掴んで、そっと下に下ろした。ありがとうと笑い掛ける。

「時間ってさ、止まるんだな。前へ進めない時って、ある…自分でもビックリした。ただ打っていればいつかお前に追いつく、必ずそうしてみせるって、それだけを思ってたから。…それだけだったからさ、あの頃の俺は…」

言いながら、空を見上げる。
秋晴れの高い空は、その向こうにもきっと誰かが生きる世界があると信じられるような、果てしない広がりを感じさせた。

「あの頃、お前、俺の学校まで押しかけて来たよなー、スゲエ怖い顔して!…でも俺の時間は止まってた…何をどうやって、前へ進めばいいのか…いや、進む気にすらならなかった…」

横で、塔矢が静かに聞いている。それが肌を通すようにして伝わって来る。
俺の心も、とても静かだった。

「やっと時間が動き出して――――こんな風に、時計が動き出すみたいにさ。それから俺は歩き始めた」
「そして今、ここにいるんだな」

塔矢が半歩だけ、俺に近付いた。

「今日はどうした?何だか…」
「何だか…変?俺らしくねえこと、言ってるってか?」
「悪い意味で言ってるんじゃないよ、そうじゃなくて…」
「あっは、わかってるって。んー、そうだな…ひとつ年とったからかな?」
「えっ、年って…」
「そうなんだ、誕生日。今日から16」
「誕生日…って、進藤!何でそれを早く言わない!?」
「だから今、言ったじゃん」
「っ、でもっ…僕、何もお祝いを用意していない…」
「いいよ、そんな」
「だって…折角誕生日の日に会っているのに…」
「これから打つんじゃん!十分」
「でも…」

まだウダウダ言いたそうだ。塔矢の顔を見ると、まるで俺の方が悪いみたいに拗ねた顔してやがる。
でもそれが妙に俺の心をくすぐるから、つい、言ってしまった。

「じゃあソレ」
「っは?」
「その時計。動き出したばっかりの時計、俺にくれる?」

塔矢が目を真ん丸くする。
…あは、そういう表情は何だか子どもっぽくて、お前ってば案外可愛いのな。

「こんな…こんな僕の使い古しでいいのか?」
「いいのいいの。…っつか、お前の使い古しだからいいんだって」

すると塔矢はアッサリと腕から時計を外し始めた。…もっと嫌がるかと思ったのに。

俯き加減で時計を外す塔矢は、いつもより大人びて見える。どこがどう…というのは上手く言えないんだけどさ。
微かに揺れる黒髪が、その顔に微妙な影を作るからだろうか…

「本当にこれで良かったら。誕生日、おめでとう」
「おっ…サンキュ」

塔矢の手から、俺の手へ――――

渡された時計の重みに手が震えそうになって、俺は慌てる。

「考えてみたら…」
「…?」
「俺の時間が動く時は、いつもお前がいたなぁ…」
「進藤…」

碁会所での出会い。中学の囲碁大会での三将戦。…もっともっと。
最近では北斗杯でヨンハに負けて泣いていた俺を立ち上がらせてくれたのも、塔矢アキラだった。

「この時計、大事にする。俺、人からもらったもんは大事にしようって決めてるから」
「そうか…」



確かに君は、目に見えるものもそうでないものも、ちゃんと大事にしそうな人だな――――



何気なく言ってくれた塔矢の言葉が、16歳になったばかりの俺には胸にしみるほど嬉しかった。





○●○●○





「逆プレゼント」



「どうして君の誕生日なのに僕がプレゼントされなきゃいけないんだ!」
「怒鳴るなよ〜、お前の声、耳にいってえ…」

進藤はうるさそうに頭を振るが、僕にだって言い分がある。
今日は彼の18歳の誕生日だからお祝いをするよと言ったのに、何故だか僕の方がファッションビルの中で着せ替え人形みたいに洋服を着替えさせられたのだから!



服を見たいと、それだけ告げた進藤にここへ連れて来られた。
「コレもいいなぁ…あ、アレも。あとはコッチかな…」などと選んでいる進藤の横で、こういう場所に慣れなくて居心地悪く感じていた僕だったが、急に手を引かれ「えっ、な、なんで僕…あっ!ちょ、っと…」と慌てているのも完全に無視され、試着室に押し込まれたのだ。

「今日は俺の誕生日なんだからさ〜、俺の代わりにモデルになるくらい、いいだろ?身長もやーっとタメになったし」
「モデル?僕が?それだったら君自身が…」
「いいからいいから!さっさとしねえと、服ひんむいて裸にしちゃうぜ?」

…とんでもない…進藤に脱がされるなんて!

「わ、わかった…」

降参した僕に、進藤は次々と服を渡しては着替えろと命令する。中には着方が不明なものもあって、首を捻りながらも何とか着てみた。

試着室から出る瞬間。これがまた、たまらなかった。進藤が嬉しそうに目を輝かせたり、「違うな…」とか言いながら首を捻ったり。

いたたまれない。どうして僕がこんな目に――――

…もしかしたら、新手の嫌がらせ?彼を怒らせるようなことでもしただろうか?碁に関しては、思い当たることがあり過ぎる…昨日も検討中に険悪になったしな………

そんな僕の心中を知ってか知らずか、進藤は熱心にコーディネートを続けていた。打っている時と負けず劣らずの真剣な目をするなんて全く信じ難い!…などと思ったのは、僕のヒガミだろうか?



僕にとっては苦痛でしかない時間が過ぎ、そしてようやく買い物は決まった。…らしい。

「モデルになるのがこんなに疲れるものだとはね…」
「っははは…お前らしいな。んじゃ、これから仕上げってことで。」
「…え?」

気がついたら、僕の鼻と耳の上には違和感があった。

「なにっ…これ、メガネ…?」
「そう、ダテだけどな。お前、視力はスゲエいいだろ?でもこういうカラーフレーム、いっぺん、かけさせてみたかったんだ」

そのジャケットにも合ってると、いかにも満足げに頷く。
進藤のしたり顔が憎たらしくてメガネを外そうとしたが、手首を掴まれた。振り払おうにも、凄い力だ。

「駄目。今日は一日、その格好だ。明日からは箪笥の中で寝かせちまってもいいさ。それはお前の勝手だ。…でも今日は俺の誕生日なんだから、スタイリスト気分を味あわせろよ」
「そんな!この格好で一日なんて…え?箪笥って――――まさか君のものじゃなくて…僕に!?」
「そう。受け取れよ」
「なっ…ちょっと待て!進藤!」
「ほら、そのやかましい口、閉じろって。…最後はこのクロス」

顔がグッ…と近付いた。息がかかるくらいに。思わず進藤の薄茶色の瞳に吸い込まれそうな錯覚を覚え、僕は声も出せなくなる…
首の後ろに両手を回され、どうやらペンダントのようなものをつけられているらしいとわかった。
こんなに体が密着したことも初めてで、緊張の余り僕は息を止めて固まってしまっていた。

それでも体温は感じる。進藤の体温が、今、すぐそこにある。
僕に着せる為に楽しそうに服を選んでいた彼の、リアルな熱がそこにあった――――

「ふっ…バーカ。…何、緊張してんだ?お前…」
「っ…!」

こんなに近いのに君は平気なのかと言いたくても、口を開けばみっともないくらいに声が震えてしまいそうで。
おとなしくするしかない僕のことを面白がっているのか、進藤はわざとらしいくらいゆっくりと僕から離れたのだった。

…やっと呼吸が出来た。肩が落ちる。
そんな僕を進藤が目を細め、包むような視線で見詰めていた。

「…ん、オッケ。思ったとおりイイ感じ。ほんとはそのクロスを見た時、お前に似合いそうだなって。それに合わせて服、選んだんだ」

ぶっきらぼうにそれだけ言うと、僕の肘を掴んで引っ張る。君の誕生日なのにどうして僕がといくら訴えても、やっぱりうるさそうな顔をされるばかりで埒があかない。

結局、自分の着て来た服を人質にとられた形の僕は彼が選んだ服を脱ぐ訳にもいかず、そのままでいることになった。渋々だ。

「一体、誰の誕生日なんだ…これじゃ、あべこべじゃないか」
「いいじゃーん!お前のそのセンス、どうにかしたかったんだよねー、俺的には大満足。…あ、突っ返すなよ。お前だって一度人にあげたものを返されたりしたら、ヤ〜な気分になるだろ?」

そこで進藤はヒョイ…と、腕を掲げて見せる。
そう…彼の腕には、二年前に僕があげたあの時計がしっかりとはめられていた。

いつもしている。どんな時も、どこでも。
それは知っていた。そのことに僕は特に意味を見出そうとはしなかったが、改めて見せられると胸に言いようのないくすぐったさが湧いた…

「でも、これじゃ君のお祝いは…僕の立場は…」
「あ、それは去年と一緒で打ってメシで十分。ラーメン…って訳にはいかねえな、その服だと。ちょっと奮発してどっか行くか!」
「…わかった」

まるで違う自分になってしまったみたいで、歩いていてもどことなくギクシャクする。その上、自意識過剰なのかもしれないが、人に見られているような気がしてしょうがなかった。

僕の内心を見透かしたように、横を歩く進藤が笑った。

「大丈夫、スゲエ決まってる!俺のセンス、信じろって。見られてんのはお前がイケてるからだってば」
「…っそんなこと、どうでも――――いいか、覚えていろ。僕の誕生日には、君にも着てもらうからな…僕のセレクションを!」

あべこべだろうと何だろうと絶対にそうしてやると言うと、まさか俺にあのトラ縞タイは止してくれと、素っ頓狂な声があがった。



…全く。
人のことを散々振り回しておきながら、そんな幸せそうな顔をして!

少し早足で先を行こうとする進藤の頭上には、今年もやっぱり突き抜けるように青く、澄んだ九月の空が広がっていた。





○●○●○





「おそろい」



見てはいけないものを見てしまった。よりにもよって、進藤ヒカルの20歳の誕生日に。

それは、進藤が僕の家の風呂に入ってる時のことだった。
ここに来るまでに突然の雨に降られた進藤を、無理やり風呂に見送った。誕生日に濡れ鼠、しかも風邪などひかせたら申し訳ない。

急なことだったので、僕も慌てて洗濯して仕舞ってある客用タオルを探し出すと、それを手にして脱衣所へ向かった。
進藤が浴室に入っていることはシャワーの水音でわかったので、僕は安心して脱衣所に足を踏み入れたのだ。

最初に目についたのは、洗面台に置かれた時計だった。

まだ、これを使っている。僕が16歳の誕生日にあげた時計。
タイトルもとったことだし、どんなに高価であろうとも好きな時計を好きなだけ買えるのに。
進藤は16歳の誕生日の日から変わらずこの時計なのだ。周囲もすっかり見慣れてしまっているだろう、彼のスタイルの一部。

そして僕は未だに、彼の行為の意味を突き詰めて考えることを避け続けている。彼がこの時計を何も言わずに黙ってはめ続けているのと同じように。

「…あれ?」

進藤の脱いだ服を洗おうかと探っていたら、シャランと音をたてて何かが床に落ちた。
拾ってみるとそれはクロスのペンダント。…見覚えがある。

「変だな…こんなところに持って来たっけ…あれからずっと引き出しに…」

そこではっとなった。気付いた。
これは確かに僕がもらったものと同じだが、それでもそれは僕のものではない――――

「塔矢?ワリイ、着替え…」
「あっ!」
「…っと、っ…」

突然、浴室に続くドアが開いて進藤が顔を出した。
何の心構えもなく見せられた彼の裸の上半身は、湯気に巻かれていても十分わかるほどにしっかりとしていて逞しい。水の滴る前髪からチラリと覗く驚き顔も、ひどく男臭くて見慣れない。…胸が勝手に跳ねる。

「ご免!ビックリさせた…」
「いや、僕こそ…ここにタオルと着替え、置いとくから」
「ん、サンキュ…」

逃げるようにしてその場を離れた。クロスもその場に置き去って。
早く。早く進藤の傍から離れたい、一人になりたいと、僕は目に見えない何かに急かされるようにして自室へ戻った。



どうして僕にくれたものと、同じものを?
そしてそのことを隠していたのは、どうして?

疑問符が果てしなく頭の中を巡る。
その間も時間は刻々と過ぎ、もうすぐ進藤は風呂からあがって来るだろう。

すぐに自分の持ちものを確かめてみた。間違いなく、僕が二年前に進藤からもらったペンダントはそこにあった。
そして見れば見るほど、彼が持っていたのはこれと全く同じものだとわかる。

何も見なかったことにするのが一番いいのだろうが、それでは真相がわからないままだ。
或いはいっそ軽く問うのもいいかもしれない。それを上回る軽い答が返って来て、大した出来事じゃなくなってしまうかもしれない…



しかし、風呂から上がって来た進藤は意外な行動に出た。僕が貸したシャツのボタンを、上から二つまで開けて着ていたのだ。
それだと彼の胸元にあのペンダントがかかっているのが、よくわかる。動く時にどうしても鎖の一部が見え隠れするからだ。

隠そうともしない。
かと言って、語ろうともしない。

何か深い意図を持ってそうしているのか、どうでもいいことだから見られても平気なのか、僕は彼の真意が全く掴めずに落ち着かなかった。
打っていても。食事をしていても。…会話をしていても。

「…なあ、まだ降ってるからバイクで帰るの面倒だし泊めてくれんだろ?」
「あ、ああ、勿論…」

てっきり帰ると言い出すのかと思ったのに、あっけらかんとした調子で言われ、それにもまた驚かされた。
帰ると言われたらそれはそれで逃げ出されるようで惨めだったかもしれないが、泊まるということになったらなったで、この重苦しさの原因を考え続けろと強制されているような気にもなる。

…どうしようもないな。

一緒にいても、いなくても。
もはや進藤ヒカルは僕にとってある意味重荷で、ある意味欠かせない人になってしまっていた。こんなにも切迫した状況に置かれて初めて、そのことに気付かされた。



「布団、出しておくから。自分で敷いてくれるか」
「ああぁ…やっぱ俺は座敷?」
「え?座敷がどうした…」
「やー、わかってっけど。まさかお前の部屋に仲良く並んでーってことは…ないよな?」
「……」
「別に同じ布団でもいいぜー?…なあんて!」

ははは…と笑いで誤魔化されたが、言ってる内容はもしかしたら相当際どいことかもしれないと気付いた途端、僕の中に爆発的な感情が沸き起こった。
そしてそれは一気に体から噴き出しそうになって、カッとなる。じっとしていられない。

大股で足音高く部屋を出ると、僕は後ろ手で思いっきり襖を閉めた。その音の大きさに自分でも驚いたが、だからといってそのくらいのことは僕を止める何ものでもなかった。

――――どうして。
どうして僕がこんな複雑な気持ちにさせられて、悶々としなくてはならない?
どうして僕ばかりがこんな場所へと追い詰められなければならない?
一体、僕が何をしたんだ?…いや、何かすべきことをして来なかったとでも責めているのか?



「塔矢!」

追って来るかもしれないとか、そしたらどうしようとか、そんなことは何ひとつ考えてはいなかった。考えられなかった。
しかし、彼は来た。僕を追いかけて、僕のところへ来た。

腕を掴まれたが、僕は振り向かなかった。
言いたいことがあれば言えばいい、背中で良ければ聞いてやるさと、僕も僕で意地になっていたのだ。

「ご免!俺、すげえ卑怯だったよな?自分では言い出そうともしないで、お前を試すような…や、お前の出方次第…みたいな………丸投げは卑怯だ」

わかっているじゃないか!
君は自分のことがそこまでちゃんとわかっていながら、どうして僕に――――

そこまで考えて、僕ははっとなった。外で鳴っているあの雷に打たれたみたいに、それは突然降って来た。

同じだ。僕も、彼と同じ。
相手が進藤でなければこんな風に探り合うことも、ちょっとしたことに一喜一憂することもない。

進藤も僕だからこそ簡単に真実を明かせないのだ。
彼も僕と同じように迷い、僕と同じように踏み出す勇気を持てずにいる…

「塔矢…俺、確信犯だったんだ…あのクロスを最初に見つけた時から、どうしても同じものを持っていたかった…」
「じゃあ、あの日は既に?君は二年も前から同じものを…」

独り言のように問うと、背後で進藤が頷く気配がした。

「勝手におそろいを持つなんて、気持ち悪いって思われるに決まってるって…お前、潔癖だし…コソコソしたこと、嫌いだし………だから、い、言えなかった…っ…」

切ない声が、意固地になっていた僕を振り向かせた。そうさせるだけの力があった。
そこでぶつかった進藤の瞳は、もうその色だけで全てを僕に語っていた。
そして先に告白した彼が、今、僕の答を待っている。

「初めて雨になったな…」
「えっ…」
「16の時から君の誕生日は毎年快晴だったのに、今年は雨になった」
「うん…」
「それもただの雨じゃない。嵐になるかも…台風が来ているそうだから」
「塔矢?」
「進藤…同じ部屋に寝よう。僕らは今日から、一緒の布団に…」

息を呑むような音がした。確かにしたと、思った。
その時は僕も既に平静ではなかった。普段の僕ではなかった。

暗がりから、進藤の声がする。全てを覚悟した者の、声が。

「塔矢、怖いの?雨が…一人、が…」
「うん…僕の中にも降り出したみたいだ…このまま一人では、絶対に寝られない…」
「いいのか?塔矢…俺は止まれない。引き返さないよ?例え、お前がやっぱりイヤだって逃げたくなっても…」
「いくらでも降らせてくれ…外の雨に負けないくらい。僕の気持ちもきっと、止むことはないよ」
「そうか…それなら遠慮はしない…好きなだけ降らせてやる…」

二人で一緒にとことん、濡れよう………

掴まれていた方の腕は解放されていたが、今度は両腕に巻かれるようにしてあっという間に引き寄せられた。
僕も胸の中に起こった嵐をそのまま進藤にぶつけるために、両腕を彼の大きく育った背中に深く回すと、そのまま強く抱き込んだ。

…あ。
音がする。時を刻む音が。君の腕の、その時計から。
愛しげに髪を撫でられ、すぐ耳元を行き来する彼の腕からその音は聞こえて来る。

そうか。わかったよ。進藤。
言葉には出来ない想いを、君はこの時計をはめ続けることで伝えようとしていたんだな。
そんなささやかな行為でしか、愛を示せないこともある。それくらい壊れやすく繊細で、そして何ものにも代え難く尊い、これはそういう想いだから。

僕は顔を上げて進藤を見る。静かに唇を寄せると、彼も目を閉じて迎えてくれた。
初めての口付けは最初から深く、激しかった。ほんの数分前まで形の上では友達であり、ライバルであった者同士だとは思えないくらい、僕らは夢中で貪り合った…



その夜。
外を吹き荒れる自然の雨風よりももっと苛烈で容赦のない時間が、僕らの中を駆け抜けて行ったのだった。





○●○●○





「AFTER STORM」



我慢して来た時間が長かったせいか、この幸福の中でどうしていいかわからなくなる時がある。

好きな人は、最初から塔矢アキラ一人だった。誰もアイツの代わりにはなれない。

まだ塔矢と何も始まっていない頃だったけど、ためしに女性と付き合ってみようとしたことがあった。
確かにそれなりに興奮はした。デートも人目を気にしなくていいし、キスも気持ち良かったし、女性の裸を見ても体が機能しないということもないみたいだった。
多分、最後まで行き着くことは出来たと思う。強がりじゃなく、俺は普通の十代の健康な男だからだ。

だけど――――全く、その気になれなかった。

抱き締めた体の柔らかさの前に、逆に俺は生々しいくらいに塔矢アキラを思い描いていた。
同じ男である塔矢の体は、きっとこんなじゃない。もっと固く、もっとしっかりとして、抱き合えば互いの骨がゴツゴツとあたるような感触だってあるだろう。胸だって平べったくて、だからこそ鼓動が重なり合うくらいに近く近く、なれるだろう。

塔矢とは似ても似つかない他人に触れたからこそ、かえってはっきり塔矢アキラだったら…という仮定をリアルに想像するようになってしまった。こういうのを皮肉な結果っていうんだろうか。

…塔矢しか駄目なんだ。

改めて刻んだ。むしろスッキリした。
もしかしたら俺にだって女性と付き合うことが出来るかもしれないという、それがほんの1パーセントも有り得ない可能性だとしても、完全に捨て去ることが出来た。

ある意味、それだけでも収穫だったのかもしれない。もしもその女性とどうにかなっていたら他人まで俺のエゴに巻き込んでしまったかもしれないんだと、別の意味でも踏み止まれた自分にホッとした。

どちらにしても、俺は塔矢アキラしか愛せないということを思い知った。
その経験は、これからも秘めなくてはならない恋の痛みと、一生愛し続ける人に巡り会えた喜びとを、同時に抱えて生きて行く――――その覚悟を決めさせてくれた。



「――あっ…ん…」
「痛い?」

薄暗闇の中、ぎゅっと目を閉じた塔矢が小さく首を振る。
滑らかな内腿の間から頭を出してその顔を窺うと、どうやら俺の荒い息が股間にかかるらしく、その僅かな刺激だけで塔矢のものはフルフルと小刻みに震えた。

もっと開いて…と囁けば、逆に膝を閉じようとする。股間をさらせと言われても素直に従える筈もない。
両脚の間には俺の目が、舌があって、その恥ずかしい反応を一瞬でも逃すものかとジッと見ているんだから。

「こら、俺の頭を締め付ける気か…」
「っ、でも…それ、僕が苦手なの知ってるくせに…」
「でもじゃねーよ、俺は好きなの、だからここを可愛がるの…」
「あっ………ぅ、ん…っ、っ…」

痛いくらいになっているだろうその場所は避けて、わざと根元やその周辺だけを舐め上げる。広げた舌だけじゃない、鼻にかかった息遣いも、バラバラと動く指も、全部を使って。
力強く勃ち上がっているのは、俺の二本の指がさっきからずっと内部の感じる場所を刺激しているからだ。

その場所を見つけた時は、叫び出したいくらい嬉しかった。
余り刺激し過ぎると快感に苛まれるらしく、俺の指を締め付けながら入り口も中もヒクヒク泣いているみたいになる。だから時々そらしてやるけど、それもまたもどかしいのか、塔矢の腰は俺を責めるように悶えた。

その拍子に塔矢の先端から溢れたものが伝い落ちて、下で待っている俺の唇までも濡らして行くのを感じると、全身が甘く疼く。どうしようもなく熱くなる…

「うん…もう、限界?イきたいの?」
「バ、カ…限界なのは、っ、君だって…」

…あ、バレてる?無理もないか。さっきからどれだけ長い時間かけて全身に触れているんだか。

「スゲエ…ここも汗だく…ポタポタ落ちて来る…」
「えっ、どこ…」

言葉の代わりに、態度で示す。セックスの最中はそれが一番。
俺は名残惜しげに指を回転させながら引き抜く。たまらずに塔矢が切ない声をあげ、両腕が溺れる人みたいに宙をかいたのが見えたけど、俺は自分のしたいようにさせてもらう。

塔矢の左の太ももの下を手の平で支えて持ち上げると、その下に体を滑り込ませた。曲げられた塔矢の左脚がビクビクと暴れ、ふくらはぎが緊張する。爪先が伸びる。

「あっ!や、ぁ…なに…」

左脚は逆に布団に押し付けるようにするから、塔矢の脚はしなやかに割かれて斜めになっていた。何てイイ眺め。腕は痛いけど、こうすると塔矢の股間に息づいている全てが良く見えて、その辺一帯が俺を誘っているようだ。
汚くなんかない。綺麗だ。欲望にまみれた場所ですら、塔矢の体は綺麗で綺麗で見るたびにうっとりする…

俺は掲げた右膝の裏を舐めた。突き出した舌で、窪みを柔らかく押す。しょっぱい。ここに汗がたまって滴り落ちるくらいまでになると、イきたくてイきたくてたまらない証拠だ。
広げた舌で汗を舐め上げてから、キュウッと吸い付いた。

膝裏なんてところにまで愛撫を受けて、塔矢の意識はきっとグチャグチャだ。グチャグチャでいい。もっとグチャグチャになればいい。
余計なことはいらない。ただ、俺の愛し方に全てを染められていけばいいのに…

膝裏から始まって、また塔矢の左脚をくまなく唇と舌で愛撫する。最後にやっと濡れそぼっているものを口に含んでやると、塔矢は呆気なく俺の咽喉奥に突き刺すように怒りを叩き付けた。
そう…イヤんなるほど待たされて焦らされて、恥ずかしいところばかり攻められて、その放出は本当に怒りに近いものだったと思う。

「悔し、っ…」
「何が?口でイかされるの?自分だけ先に射精しちゃうの?」
「ちが…君が、嬉しそうなのが…」
「いいじゃん、マジで嬉しいんだもん」

伸び上がって笑いかけると上半身を起こした塔矢に、髪を引っ張られた。コイツは時々、乱暴なこともしやがる。
でも、それもまたいいんだ。塔矢だって男だ。しかもめちゃくちゃ男らしい。見た目は美人でも、中身はナヨナヨしたところはこれっぽっちもなくて激しい。
だから抱かれていても俺に対して加減のきかない力で向かって来るのは、俺としてもゾクゾクするくらいイイ。煽られる。

髪を掴まれたまま押し倒され、今度は塔矢が上になった。
ズルリ…と、俺のものと塔矢のものを束ねた手が上下し出す。どちらも固い。しかもおとなしくなんかない。だから先端がぶつかり合ったり、括れが擦れ合ったりすると、痛みスレスレの快感が生まれ、それはそこから体の隅々にまで波のように広がっていく…

「凄いな、君の…腹にくっ付きそうなくらい、勃ってる…」
「お前のせいだ。痛くすんなよ…」
「知るか」

一度出してしまったら余裕が出来たらしく、塔矢は不適に唇を歪めると、体を倒して来た。今度は手を添えなくてもお互いの腹の間に挟まれ、潰されようとする二人分のそれは、今にもひとつに混じり合って溶けてしまいそうだ。

理性が飛んでしまったのか、それからの塔矢は俺をひたすら悦ばせてくれた。
こんな風に抱き合えるようになって、溺れるような毎日を送るようになって、もうすぐ二年が経とうとしている。






「えっ…出張って…」
「すまない、緒方さんが急病で。先方が僕ならと仰ったらしい」
「そう、そっか…」
「出るのは昼過ぎだけど、今夜はあちらに泊まりになるから」

それは俺の二十二回目の誕生日の朝だった。
その夜は二人で一晩過ごすことになっていたけど、急な仕事なら仕方ない。俺はその通りに答えた。
塔矢も本当に申し訳なさそうにしていたし、それ以上何も言えないとその時は思った。

言葉に嘘はない。仕事は大事だ。何よりも。
だけど、心は簡単についていかない。納得出来るほど、さめてはいない。いくらでも二人きりでいたい、その時間が胸を焦がすほどに欲しい。
ましてや誕生日…俺の誕生日は、俺たちが初めて気持ちを確かめ合って結ばれた日だった。記念日と言ってもいい。

一旦は電話を切った。
同じ棋院の中にいるのはわかっているのに、直接話すことも出来ない。お互いに仕事があるだけじゃない、俺たちの仲は二年付き合っていてもやっぱり秘密なんだから。

時間が経つにつれ、俺の心にはドス黒いものが広がり始めた…

「進藤?…えっ、あっ、ちょっ…」

やっと捕まえた塔矢を、階段の隅に引っ張って行く。誰かが通り掛ったら不審に思われることはわかっていたけど、止められなかった。

困惑に眉をひそめた塔矢の手首を壁に押し付ける。
唇を唇で追いかけて探し当てると、容赦なく吸い付いた。反射的に開きかけたところを狙って、舌を差し込む。粘膜を撫でるように深く口内を辿り、最後は絡めて吸い上げた。唾液がドッと溢れるのを感じる。

セックスを連想させるようなディープなキス。こんなキスをしていたら、体が燃え上がるのに数秒もいらない。

「嫌、だっ…こんなところ、で…」
「今夜、する筈だったろ?でも、出来ないんだろ?だったらせめて…」
「っあ――っ…もし、も、最初からわかっていたら、昨日の晩から、一緒にいたよ…でも、急なことだったから…」

喋るのを邪魔したくて、パクパクする塔矢の唇を何度も啄ばむ。吸い付いてはすぐに離れるような湿った音を立て続ける。
苦しそうに目を細めつつも必死で俺を睨もうとする塔矢の表情は、最中の艶めいた様子と紙一重にも見えて、俺を止めるには逆効果だった。
逃げようとする細腰を、乱暴に引く。両脚の間に俺の片足を差し込み、膝から下を手前に曲げれば、塔矢の足を掬い上げるような格好になった。

「あっ、もっ…駄目っ…」
「駄目は効かない、許さない」

…俺が、誕生日の俺が満足するまで離すもんかと、耳たぶをあま噛みしながら囁く。
不安定になった塔矢の体はどうしても目の前の俺にしがみ付くしかなくなって、回された腕の力は相当だった。
その痛みすらも塔矢の混乱と、それと同じくらいの渇きを感じさせて、俺はどんなに痛くても満足だった。

もう一度口付けようと、噛み付くように口を開けたその瞬間。すぐ近くで足音がした。誰かが来る。間違いなく、通り掛る。
塔矢の方が先に反応した。いつもこういう危うい時は、塔矢の方が理性を取り戻すのが早い。
押し退けられた俺は早口で告げた。それだけで精一杯だった。

「今夜、お前と一緒にいられないなんて――――どうにかなりそうだ…」

塔矢に聞えたかどうかは、その目も見ずに立ち去った俺にはわからなかった。






そして天罰は下った。誰が何と慰めてくれようとも、それは天罰だとしか俺には思えなかった。

「…事故っ!?」

もう深夜だった。夕方から降り出した雨は次第に雨足を強め、俺は自分の部屋でぼんやりと窓を流れる水滴を見ていた。
電話が鳴って出てみると、病院からだった。塔矢アキラが車をガードレールにぶつけて軽症だが入院することになったと。
軽症と一口に言われても、俺にはわからない。急いで病院に向かうタクシーの中で、体が芯から震え出すのを感じた。

…自分のしたこと信じられない。
どうしてあんな子どもっぽいわがままを言ったのか。
どうして塔矢の気持ちを、それ故にアイツが取るだろう行動を、想像出来なかったのか。

タクシーを転がるように降りると、外は風も加わって横殴りの雨になっていた。

「進藤…」
「あ、ああ、お前っ…怪我、っ…」

興奮の余り、口がまわらない。よろける足でベッド脇に辿り着く。本当に、やっと辿り着いたという感じだった。電話をもらってからここに来るまでの数十分が、永遠にも思えるくらい長かった…

「濡れてるみたいだけど。大丈夫か?」
「それは俺の台詞だ…って、あ、俺の手、冷たいか?」

勢いで塔矢の右手を掴んだが、その手を引っ込めようとして、逆に塔矢に引っ張り返された。

「いや、平気だ」
「っそ…良かった…お前、元気そう…」

確かに塔矢の怪我は左腕だけで、入院は頭を打っているかもしれないので用心のためにするだけだという。
両親は海外なので、一番親しい友人にと俺に連絡が来たのだ。部屋は個室だった。

「お前が事故って聞いた時は、心臓が止まるかと思った」
「ご免、何とか間に合うと思ったんだ」
「まさか仕事先に車で行ったのも、間に合わせるため?泊まりじゃなくて、今夜中に帰れるよう…」

頷こうとして、とっさにそれを止めたようなぎこちなさがあった。
ここで肯定すれば俺のために暴風雨の中、無理に運転したことになり、結果的に俺のせいで事故に遭ったと認めてしまう。
だから何も言えずに塔矢はただ、弱々しく微笑んだのだ。

その瞳は僕がそうしたかったからそうした、君に責任はないとキッパリ告げている。
俺に都合のいいように解釈しているんじゃない、塔矢アキラは俺に対してはいつもそういう風に接するヤツだからだ。
人に言えない恋を選んだのも、俺の情熱に流されたからじゃない。自分の望みだったのだから、それによって起きる全てのことは自分が引き受けると、そういう姿勢だ。最初から変わらない。

…一気に脱力した。俺は塔矢の布団に縋るようにして、足のある膨らみの辺りに上半身を預ける。

「ご免…ほんとにご免な…二度とわがまま言わねえ…」
「やけに素直な…」
「俺、溺れ過ぎだよな。わかってる…お前とこうなってからずっと、俺はまるで嵐の中にいるみたいだ…何年経ってもお前に夢中で、お前しか見えなくて…溺れてる…」
「何だか恥ずかしいな…そんなに愛される資格、僕にあるのかな…」

事故なんか起こしてしまう、軽率な人間なのに、と。自虐的な言い方に、俺ははっと顔を上げた。潤んだ瞳とぶつかる。

きっと僕は自信がないんだ…
何年付き合っても、どんなに抱き合っても、君には僕じゃない、誰か他の女性の方がいいんじゃないかって、不安なんだ…
だからつい、君のためなら非常識なことでも無茶なことでもしてしまおうとする………

言い終わると、その瞳からハラリ…と涙が零れた。
白い頬を滑り落ちた雫は、絞った照明の下でも輝いて見えた。何て綺麗な涙だろうと思った。
そして愛する人の涙は綺麗であればあるほど、俺の胸にギリリと楔を打ち込むような激しい痛みをくれる。

「俺が悪い。好きだから我慢出来ないなんて、ガキの言い訳だ。お前を守る為に、俺はもっと理性を持たなきゃなんない…」
「いいんだ、いいんだって…誕生日じゃないか…僕らにとって大切な日…今日中にどうしても、もう一度会いたかった…君を、愛したかった――――」
「塔矢!」

病室のベッドの上だというのに、力いっぱい抱き締めた。塔矢も不自然な体勢にも関わらず、右手だけで精一杯俺に抱き付いてくれるから、俺も心のままに抱いた。

良かった…この命が消えたりしないで、本当に良かった………

塔矢も俺も、壊れたように泣き続けた。



ようやく身を離し、今度は静かに見詰め合う。
塔矢の頬を、裏返した手の甲と指の背で優しく優しく撫でていたら、俺の手首に視線を流した塔矢が目を見開いた。

「進藤!」
「えっ…」
「今、何時だ?」
「は?何時って…電話が来た時は多分、12時を過ぎて…」

そこで俺もはっとなって、腕の時計を見た。
塔矢が驚いた理由がわかった。時計は止まっていた。16歳の誕生日に塔矢の腕から俺の腕へともらわれて来た想い出深い時計は、その針を12時少し前で止めていた。

「…まだ、君の誕生日の日だ」
「こ、この時計…お前がくれた…コイツ、粋なことしやがる…」

よりにもよって今夜。この時間で。
まるで、俺たちが9月20日のうちにもう一度会えるように計らってくれたみたいじゃないか!

――――目に見えない「大きな力」が俺たちに味方している。
例え人の道に背き、誰に祝福されない関係だとしても、「その力」が俺たちを出会わせ、愛し合う勇気をくれたことは疑いようがなかった。

「16歳の誕生日にお前からもらって、ずっとつけてた…これからもそうするつもりだった…」
「もらったって?っふ…君が欲しがったんだ…動き出したばかりの時計を…」
「うん、そうだったな…ああ、コエえなぁ、この時計、何でもお見通し?たかがモノだなんて、バカに出来ねえ…」

不思議な巡り会わせに胸が熱くなり、俺たちはまた声を殺して尽きない涙を流した




塔矢の怪我が治るまで根気強く待った俺は、誓ったとおり、俺なりに塔矢を大切にしようと思った。
久しぶりに愛し合った時は、以前みたいに追い立てられるような抱き方はせず、俺たちはもっと穏やかに、もっとゆっくり、けれど深く深く、心と体の快感へと沈み込んで行った。

ひとつの転機を超えて、俺たちの愛し合い方も変わったのかもしれない。
ただ、熱い素肌を重ねて呼吸を繰り返すだけの抱擁でも、その夜の俺は十分満たされていたのだから…















2007年度作品
「come on a my house」



 





「えっ、明日?う〜ん、ワリイ、明日はコイツんちで打つ約束なんだ。久しぶりに一日休みの日が重なるからさ〜、朝から晩まで一日碁ってやつ?……な、塔矢。」
「塔矢?へえ……もしかしたら塔矢、お前も知ってたのか。」
「……は?」

棋院の控え室。
テレビには韓国の棋戦の様子が映っていて、その辺に陣取っていた若手でワイワイと観戦していた。
珍しく塔矢もいる。
その塔矢に向かって和谷が投げ掛けた言葉に、俺はキョトンとした。

「明日。お前の誕生日だろ?だから人集めて騒ごうかと思ってたんだけどさ。」
「誕生日…………あーーーっ!!そうだっ、今日って19日……じゃあ明日は……。」
「はあぁ?何だよ、お前、忘れてたの?自分の誕生日。」
「いや、だってここんとこ滅茶苦茶忙しくて……。」
「お前、海外へも行ってたし、殺人的スケジュールこなしてたもんなぁ。ホント言うと俺さ、田舎のばあさんがお前と一緒だって知ってから、なーんか忘れられなくってさ〜。」

話し続ける和谷。
すっかり忘れてた自分の誕生日を思い出して、驚く俺。
そして。

そしてそこで俺は初めて、塔矢アキラを振り返った。俺たちが話している、少し後ろに座っていた筈だった。



―――ガタンッ!!

椅子を引く、大きな音が響く。
周りの連中が、不審そうにこちらを見る。

塔矢は慌てて「先に失礼する。」とだけ言い残して背を向けた。



「あっ、待てよっ!」

追い掛けようと走り出した俺に向かって、和谷がかったるそうに言う。

「じゃあ一日早いけど、21歳の誕生日おめっとさん、進藤!ま〜た飲みに行こうぜ〜。」









「塔矢!何でさっさと帰るんだよ。」
「いや、そろそろと思っていただけで……。」
「あ……。」

棋院の薄暗い廊下の隅。
改めて見ると、塔矢の顔は紅い。形のいい耳の下辺りまで、うっすらとピンク色に見える。

―――お、俺の目の錯覚?

「お前、どしたの?もしかしたら、明日が俺の誕生日だって聞いて……。」
「ご免、進藤。僕といるよりも、和谷君たちにお祝いしてもらった方が良ければ……。」
「はぁ?何言ってんだよ、お前、謝るようなことじゃねえだろ?だってお前だって俺の誕生日なんて知らなかった―――」

そこまで言うと塔矢はますます固まって、目を見開いたのがわかった。
う、あぁ……コイツ、実は黒目が大きくて、キッラキラしてねえか?

「え?」

まさか。

「塔矢?」

まさか、お前……知ってたのか?
知ってて、明日の俺を誘ってくれた?

そういや、夕飯は近所に美味しい店を見つけたから、連れて行くよとか言ってたな。いいお酒も手に入ったから、泊まって行ってもいいよとかも言ってた……

ガシと腕を掴むと、塔矢の黒髪がサラサラと綺麗に揺れた。そこからいい匂いがする。
……いつもこんな匂いがしてたっけ?

「何だ―――お前、知ってたの?」

とうとう、塔矢は顔を逸らしちまった。体のどこかが痛んでいるみたいに目を細めて、少しだけ眉間に皺を寄せている。

でも俺は、掴んだ腕を解かない。―――解くもんか。

「塔矢、わかってる?お前、すっげえ紅いよ、顔。」
「こっ、れは……その……。」
「初めて見たなぁ……塔矢アキラのそんな顔。碁で負けても絶対にそんなになんないし、怒ったって恥ずかしくたって、お前、顔色変えたりしねえのに。」
「僕をいたぶって、何が面白いんだ……。」
「いたぶる〜?俺、意地悪なこと言ってるつもりはないぜ?」
「だって……。」
「俺の誕生日、祝ってくれるんだろ?だから誘ってくれたんだろ?今更偶然なんて通用しないぜ。」

その顔が、今まで見せたこともないような顔が、何よりの証拠じゃん―――



語尾が震えて、自分で自分がちょっと情けない。
とても大事なことが始まろうとしているのはわかるけど、いざとなるとどうしたらいいのか……こんな風にさ、目の前の塔矢を居心地悪くさせることしか出来ないなんて。



「じゃあ、改めて訊く。君はいいのか?大事な誕生日に一日僕と一緒にいても……それでも―――」

塔矢が顔を上げ、キッ……と睨み付けるように俺を見詰めて来た。
強い、とても強い光を奥に揺らめかせた瞳は、俺の心に真っ直ぐに届ける―――その瞳の持ち主の意志を。



その時。
人声がして、誰かがこっちへ来る気配がした。俺はまだ塔矢の腕を掴んでいたことに気付いて、慌ててその腕を放す。

「続きは明日、な。時間はいっぱいあるから、いっぱい話をしようぜ。」
「進藤!じゃあ、いいんだな。明日、僕は待っていても……。」
「塔矢。」
「……。」
「嬉しい、すっげえすっげえ嬉しいよっ!お前が俺の誕生日覚えててくれて……じゃあ明日!」

これだけ言うのが精一杯だった。

ウズウズしてじっとしていられない気分って、こういうことだな。碁のこと以外でそんな気分になったのは、いつ以来だろう。もう思い出せないよ。

ともかく、何でもいいから意味のないことを叫びたくて、たまらなくて、俺はそれを堪えるの必死だった。









「来たぜ。」
「うん、いらっしゃい。」

そして次の日。

玄関先で俺を迎えてくれた塔矢は、はにかんだように「お誕生日、おめでとう」と付け加えた。

俺はというと、その顔が俺だけにしか見せない、俺だけが与えられる好意の証なのだと思うだけで、また胸がいっぱいになっちゃって……

思わず靴をデタラメに脱ぎ捨てると、上がりこんでそのまま塔矢に抱きついた。抵抗されても構うもんかと、決死の覚悟で抱き締める。
すると昨日と同じ、いい匂いが……塔矢の匂いが立ち昇って、眩暈がしそうになった……

本当は、昨日したかった。抱き締めたかった。
こんな風に、顔を紅くして俺の誕生日をこっそり祝おうとしていた塔矢に、思いっきり幸せだって気持ちをぶつけたかったんだ。

それでも俺は、一日だけ待った。
誕生日のその日を、待った。

「し、進藤……あの、これは……。」
「言ったろ、嬉しいって。一晩考えたけど、やっぱそういうことだろ?俺、間違ってないよな?」
「あ、あ、あの……。」
「お前にとって、俺だけは特別―――なんだろ?」
「うん……でも、急過ぎないか?君は、そういうつもり、なかったんじゃ……。」

まだ戸惑っている塔矢の顎を掴んで俺の方を向けさせる。ちょっと乱暴だったかなって思ったけど、もう構わず唇を重ねた。

うわ……柔らかい……
すっげえ柔らかい感触に、一気に血が騒ぎ出す。
夢中で吸って、夢中で舌を突っ込んだ。

「はぁ……は、ぁ……。」

唇が離れると、止めていた息が塊になって二人の間に零れた。ドキドキは相変わらずだ。
初めて聞く塔矢の喘ぎも色っぽくて、ボーッとした目元が凄く可愛らしい。
思わず、今まで俺の唇とくっついていた塔矢の唇を指の腹でなぞりながら、俺は言った。

「確かに考える時間は一晩だけだったけど、俺たちにはそれまでがあるから。だってさ、やっぱ21にもなって彼女もいなくて、暇があればお前の顔見たくなるって、それはもうこういうことしかねえだろ?」
「進藤……。」
「そういう訳だから、誕生日プレゼントはお前っつーことで……。」
「は?」
「だ〜から!今日は打つよりも先にすることあるから、覚悟しとけって。」
「進藤。まだ、真昼間だぞ。」
「カーテン閉めれば問題ないない。さ、行くぞ。」

呆気にとられている……というか、呆れている?塔矢の手を握って、そのまま部屋へと向かった。

まだブツブツ言ってるあの口を、これから塞いでもっと深く、じっくり、味わうことを想像するだけで、体の奥に火が熾る。
思わず手に力が入るけど、それを上回る強さで握り返されて、俺はもう塔矢の目を見ないでも全てがわかる気がしたんだった。














2006年度作品
「記念日」







9月20日に食事に行こうかと誘って来たのは、珍しくアキラの方からだった。

「何?俺が可哀想になったのかよ〜。」
「それもあるかな。フラレたばかりで誕生日に一人…というのはね。和谷君も出張らしいし、どうせ一人だろう?」
「ああぁ〜、それ言われるとキツイわ…。」

その通りだった。
ヒカルは数日前、お付き合いしていた彼女にさよならを告げられたばかりだ。
悔しそうに頭をかくヒカルを、アキラは棋譜でも検討するかのように静かに見詰めていた。



ヒカルがなかなかの男前に成長したというのに、女性とお付き合いしても続いたためしがないというのは、仲間内では有名な話であり、また、不思議に思われていることでもあった。
当のヒカルも開けっ広げで、付き合っていることもフラレたことも全く隠さない。平気でデートの話や、或いはフラレて腐っている話もする。

そしてそういうヒカルを、アキラも当然知っているのだった。






「…れ?お前は飲まないの?」
「僕はまだ19だからね。」
「ええ〜、家では時々ビールとか飲んでんじゃん!」
「黙れ。家と外では違うだろう。顔を知っている人に会うかもしれないし。」
「カタイな〜、お前…カタ過ぎるよっ!そんくらい平気だって!」
「煩い。家に帰ったら付き合ってもいいよ。それまでは発言に気を付けろ。」
「だったら最初から家でも良かったんじゃ…。」
「それじゃあ、折角の誕生祝いにならないだろう?」

お誕生日おめでとう、とにっこりと微笑むアキラは、男らしさ満点の口調とはかけ離れた華やかさをたたえ、酷く人目を引いた。

ヒカルもだが、ここ数年でアキラも雰囲気のある若者に成長した。
街中を歩く時も、こうして店でテーブルについている時も、視線が集まる主な原因はアキラなのだとヒカルにはわかっている。

アキラがヒカルを連れて行ったのは、西麻布にある隠れ家風のイタリアン。店内の造りは居酒屋のような気さくな雰囲気だが、料理は本格的だ。

二人ともまだまだ食べ盛りで、かなり食べた。
ヒカルに至っては、いいじゃん、もう二十歳なんだからと、法律的にも飲酒解禁に気を良くし、結局アキラを差し置いてワインまで頼んだのだった。



「それで…この一年でもう3人にお別れを言われたことになるのかな?」
「――――っぐ…。」
「いい加減、どうしてそういうことになるのか自分でも理由はわかっているんだろう。」
「理由だって?何が言いたいんだよ…お前、俺の傷口に塩を塗り込みたいの…。」
「そうじゃない。もっと前向きな話だ。君にとっても…僕にとっても…。」
「前向き…なんじゃ、そりゃあ…。」

ヒカルはグイグイあける。
それはワインの飲み方じゃないだろうと、アキラが嗜めた。

「全く…あんまり酔っ払われては話にならないな。」
「な〜んかさ、お前、俺の誕生日を祝うっつーよりも…自分が喋りたいことでもあんの?」
「そろそろ出ようか…。」
「あ?ああ…いいけど…。」

丁度ヒカルがボトルを一本あけ終わったところで、アキラが促した。
まるでタイミングをはかっていたかのようでもあった。






「ああぁ…今夜も月が綺麗だぜ。目にし〜みる〜…。」
「確かに、君の誕生日の頃は澄んだ美しい月が見られる…いい季節に生まれたな。」
「いい季節も何も…フラレてばっかじゃな〜、月にまで小バカにされてるみてえだぜ。」
「何を下らないことを…。」
「ふんっ!お前になんかにわかる訳ないや。どうせ女と付き合ったことなんかねえくせに。」
「どうしてわかるんだ?」
「…え、だって…いねえだろ、彼女なんて。お前の暮らしぶり見てたらわかるよ。」
「そうだね。――――君とは一緒に暮らしているんだから、僕に彼女がいるのかいないのかわかるだろう。でも…。」
「でも?」
「だからと言って僕に好きな人がいないとは限らないだろう。」
「…好きな…って――――いるのか、まさか、お前…。」
「いるよ。当たり前じゃないか。僕だって人を好きになることくらいある。」

堂々と言い放たれて、ヒカルはたじろいだ。ここまでキッパリ宣言されるとは思ってもみなかったからだ。

ヒカルが彼女自慢をしたり悩みをぶちまけたりすることもあっても、アキラがそういう方面を臭わせることは一切なかったというのに。

突然、どうしたというのだろう………



今夜二人は、マンションの少し手前でタクシーを降りた。
小さな川沿いに緑道が続き、そこを歩くのが気持ちがいいからと、どちらからともなくそうしたのだ。

それはブラブラと歩きながら、話している最中。ヒカルの方が足取りが軽く、数歩先を歩いていた。

急に話が核心に近付いて、ヒカルは慌てた。
酔った頭でも、わかることはわかる――――これが大事な話なんだということくらいは。

「いるの…好きな子…。」

ゴクッ…と。咽喉が鳴った気がした。
聞かれたかもしれないと思うと、更に咽喉が大きく鳴りそうで強張る。

「ねえ、進藤。…そろそろ本音で話さないか?」

アキラの一言に、ヒカルはかたまった。酔いが一気にさめる。
何が始めるのだろうと畏れおののく気持ちと、とうとうこの時が来たのかと観念する気持ちと――――
複雑な胸のうちを隠して、アキラを振り返った。



「どういうことだ…塔矢。」

それには答えず、アキラは薄笑いを浮かべてヒカルを見返した。

「ねえ、君、覚えているか、今日が何の日か。」
「今日って…。」
「君の誕生日なのは間違いないよね。それだけじゃない。まさかたった一年前のことを忘れた訳じゃないだろう?」
「塔矢…。」

一年前の今日。
それが何の日だったか、勿論ヒカルは覚えていた。忘れられる筈もない。






昨年の誕生日の、二週間ほど前のことだった。
お祝いは何がいい?と、軽い調子で尋ねて来たアキラに、やっぱり軽い調子で「家賃半分!」と言ってアキラの首を傾げさせたのは、ヒカルだ。

「だからさ、俺、今物件探してんだけど一人用っていいとこねーんだよ。でも2LDKになればぐっと広くなるし。家賃半分だったら狭いワンルームより少〜し安くなるんだぜ。」

…どう?お前もそろそろ家を出てもいいんじゃねえ?
俺と住んだら打ち放題、検討し放題だぜ――――



確かに、体調を崩した父が日本に戻って暫く治療に専念することになり、アキラの半一人暮らし生活は大幅に予定が狂ってしまっていた。
試しにと連れて行かれた物件廻りで、たまたまいい部屋に出会った。ヒカルもアキラも気に入り、話はとんとん拍子に進んだのだった。

そして二人が同居する部屋に引越して来たのが、丁度9月20日――ヒカルの19歳の誕生日。

その頃のヒカルにはお付き合いを始めたばかりの女性がいたが、引越しのドタバタの中で大切な一日は呆気なく過ぎ去ってしまった。






「そっか…考えてみたら、去年の誕生日も引越しで大変でさ…お前と二人だったんだ。」
「君のお母さんも手伝ってくれたけど、夜は二人でダンボールに囲まれて…缶ビールで乾杯したっけ。」
「うん…。」

懐かしい…あれから一年が経ったなんて嘘みたいだと、ヒカルの心に甘酸っぱいものが湧く…

「君は今にして思えば、凄い申し出をしたんだね。何気なく誘う素振りを見せていたけど、君の心中は穏やかではなかったんじゃないか?賭け…みたいなものだったんじゃ…ないのかって…。」
「塔矢…。」

アキラは立ち止まった。
少しだけ川が蛇行し、そこだけ道幅が広い。街灯と、水のみ場と、ベンチがある。
無機物にも負けないくらい真っ直ぐに立つアキラの姿は、月明かりにとても映えていた。

「あれから一年…僕も考えた。考えるには、十分な一年だった――――」

ヒカルも立ち止まる。
それは道の分岐点というだけでなく、人生の分岐点でもあるというのに、ヒカルの心はそこからフォーカスを外そうとしている。
ただ、塔矢アキラは何て綺麗なんだろうと、ぼんやり感じていた。



「君は僕の後にお風呂に入りたがらないな。」
「………え?」
「他人と同じお湯が苦手なのかと思ったけど、別に銭湯だって平気だし、シャワーの方が好きなのかと最初は思った。」

一体、何を言い出すのだろう…
唐突としか思えない言葉に、ヒカルは戸惑いを隠せずに立ち尽くす。

「それから。」
「………。」
「君は僕に洗濯物とか触られるのが嫌いだし、僕に来る電話とか郵便物とか気にしてるし。…ああ、そうだ!僕の後にトイレに入るのも避けてるよね?」
「塔矢っ!――――な、何言ってるんだよっ、てめえ…。」

ヒカルの顔が赤く染まる。ドス黒いほどに…
その理由が羞恥なのか怒りなのか、ヒカル本人にもわからない。

「この一年の観察の結果だよ。いや、観察しようと思ってそうしたんじゃない。自然とそうなのかなぁって…気が付いただけだ…。」

何か言おうと口を開きかけては、ただ虚しくパクパクするだけのヒカルを、アキラはさも面白そうに一瞥した。

「そして僕はこの前、見てしまった。君は、僕がメールを開いたままリビングに置きっぱなしにした携帯電話を覗きたくてたまらなかっただろう?」
「な、に…お前…まさかアレって――――わざと?」
「よく我慢したよね。君は何度も見ようかと躊躇っては、結局見ずに立ち去った。でも本当に辛そうだった…表情までは見えなかったけれどね。」

今度こそ、怒りが勝ったようだ。
ヒカルはアキラに大股で数歩踏み出した。間合いが一気に詰まる。空気が揺れる。

しかし、アキラは一歩も引かなかった。
むしろヒカルが自分の届く範囲内に来たことを歓迎するかのように紅い唇を歪め、口角を引き上げた。

ヒカルもきつく唇を噛み締めては、アキラを見る。

睨み合う格好になった二人。

重たい沈黙。



…先に口を開いたのはアキラだった。

「ようやくわかったんだ。思い返してみれば僕も相当鈍いけど…。普通、彼女が欲しいなら無理をしてでも一人暮らしをするもんじゃないか?どうして同居人を置く?それこそ不自然だ。」

ぐうの音も出ない。アキラのいうことはいちいち最もだ。今まで指摘されなったのが不思議なくらい。

押し黙ったままのヒカルを少しだけ寂しそうに見てから、アキラは続けた。

「だから思ったんだ。君は僕との同居を円満に続ける為に、彼女が必要なんじゃないかって。」

「君は僕を監視したかったんだろう?僕に女性の影がないか知りたかった…いや、むしろ僕に女性を近付けたくなくて、同居という形を望んだ。――――違うか?」

「その理由は、多分一つだ…それしか、考えられない………。」



「待てっ!それ以上は言うなっ!俺の…俺の話も聞けよ。」

ここまで来てようやくヒカルが語る番が来たらしいと知り、アキラの顔にも安堵に近い色が浮かんだ――――



「…お前、さっき俺の行動を散々な言い方したがったけど…もっとあるだろう?もっと、他には気付かなかったのかよ?」
「他に?」
「覚えてるだろ。同居する時の条件で、俺らはお互いの生活に干渉しないことになってた。食事も掃除も洗濯も全部それぞれでやろうって。」
「確かに…。」
「それでも、たま〜にお前が手料理食わせてくれるの、俺はめちゃくちゃ嬉しかったんだぜ。どんな苦手な料理も、どれだけ腹いっぱいでも、お前が出してくれたものは全部食った。…食いたかった。」
「進藤…。」
「お前が打ちたいって言った時は、俺、何よりも優先させた。デートなんてどうでも良かった。お前が泊まり仕事でいない夜も、絶対に女を泊めなかった。お前と俺の…二人だけの場所には誰も入れたくなかった。…まあ、そういういい加減な態度じゃ絶対にフラレるな。相手にも悪かったって、本当は思ってるんだ。」
「都合のいい言い草だな。」
「わかってる。わかってるさっ!んなこと言われなくたって…でも俺にとってはさ、彼女がいるってことが歯止めだったんだ。」

間違っても、お前を押し倒したりしねえ為の、たった一つの――――



心情を語るうち、ヒカルは次第に幼い顔付きになっていくようだった。
それは泣くのを必死で堪えている、健気な顔だ。

アキラは、吸い込まれるようにヒカルの瞳に見入っていた………



「…俺、駄目なんだ…女といても、例えどんな気持ちのいいことしてても…女と近くなればなるほど、俺はどんどんさめてって…むしろさ、濃い付き合いしない方が長続きするっていう矛盾があった…。」
「いいよ、進藤。もう、それ以上…。」
「待って!塔矢。聞きたくないのもわかる。これでお前が俺に愛想つかして部屋を出てっても…俺のこと気味悪いって思っても…全部、聞いてもらわなきゃ…俺…。」
「そうじゃないよ、僕のことじゃない。君がとても痛そうに語るから…君を苦しめたくてこんな話を持ち出したんじゃない。」

アキラの言葉を聞いたヒカルは一瞬明るい表情になり、手を伸ばしかけ、それからまたそっと腕を下ろした。

その間、アキラもヒカルの様子を静かに見守っていた。



「塔矢。もうわかってるんだろうけど…俺、お前が好きなんだ。多分…お前しか俺は好きになれない。――――愛せない。」



その瞬間のヒカルは、喜びに満ちた愛の告白をする人というよりも、まるで死刑宣告を待つ人のようだった。

声は震え、瞳は暗い。
拳を握り締め、肩をいからせ、音を出さないまま全身で泣き叫んでいる。



そんなヒカルを黙って見ていたアキラだったが、やがて手を伸ばした。片手ではない。両手を伸ばし、ヒカルの体をくるむように…

抱き締められたのだとわかるまで、ヒカルの頭は数秒もの間、真っ白になった。



「…な、に?」

ヒカルの独り言みたいな問いに、アキラの返答はない。
ただ、回した腕に力をこめ、ヒカルの強張った肩にちょん…と頭を乗せた。

熱い。
アキラに触れられたどこもかしこも布越しであるというのに熱いと、ヒカルは夢見心地に思う…



…そのうち、深い溜め息のような声がヒカルの胸に直接響いた。

「僕も…。」
「――――!?」
「僕も、好きみたいだ…君が…。」
「え、ええっ…マ、ジ?塔矢?」

ヒカルのひっくり返った声は妙におかしく、同時に妙に落ち着かせてもくれるとアキラは思った。

「一緒に住むまで君の女性関係なんて、ただ不快なだけだった。でも段々不快なんてもんじゃなくて…憎たらしいんだ。君を…僕の知らない君を知っている彼女たちが、憎くて腹立たしくて………消えちゃえばいいって何度も思った。」

…本当にね、君の部屋に乗り込んで女が入った形跡が少しでも見つかったら、部屋をめちゃくちゃにしてやろうかと、最低なことを考えたりしたんだよ?



クスクスと笑うアキラの声が、やっぱりヒカルの身も心も震わせる。信じられない気持ちに、喚き出したい衝動を覚える。

とうとうヒカルもアキラの背に腕を回し、二人はしっかりと抱き締め合った。



…ヒカルの脳裏を、この一年の日々が過ぎる。

アキラに想いを寄せながら決してそれを悟られてはならないと、嘘で塗り固め、人を欺き、己の心を痛めつけた日々。
そのくせ、アキラから離れることも怖くて怖くてどうしても出来ない。自分からこの部屋を出て行くことは出来ない。

よじれた想いに絶望を味わったことも、一度きりではなかった。



今、そのアキラが腕の中にいる。
そして自分も、アキラの腕の中に………

二人は溢れる想いに溺れそうになりながら――――初めてのキスを交わした。



それからは飽くことなく抱き合い口付けていたが、人声がして身を離した。

しかしヒカルはもう間違わない。無駄な足掻きも回りくどいことも、しない。

ヒカルはアキラの手を引くと、子供みたいに強く握ったままで駆け出した。二人の住む部屋へと帰る為に。






それは幸せな一夜になった。

20歳を迎えたばかりのヒカルは、アキラが垣間見て想像していた以上に逞しく成長しており、アキラはいく度もその弾けそうな筋肉と汗ばんだ肌に包まれ、嘆息を漏らさずにはおれなかった。
こんな体をみすみす他人に明け渡していたのかと思うと嫉妬に狂いそうになり、それもまたアキラを深く、強く感じさせ、知られざる官能を引き出した。

一方のヒカルも、アキラの肢体が想像を遥かに超えて自分の欲情をそそることに舞い上がっていた。
手も、唇も、あらゆる手段でアキラの全身を辿り、そこに女性とは違う魅力を既に見出しては甘い声を抑え切れずに乱れ、アキラの全部を貪った。



それまでは生活するだけの、碁を打つだけの、互いに無関心を装う為の空間だったのに。

一夜を境に、そこは二人だけの甘い城へと変わったのだった。






二人は明け方まで抱き合い、すっかり疲れ果てていた。
眠たそうな目を合わせながら、それでも勿体無くてなかなかどちらも目を閉じないまま至福の中にまどろむ…

不意にヒカルが思い付いて、アキラに尋ねる。
誕生日に行動を起そうとしたのには何か理由でもあったのか、と。

「…ほら、よく誕生日にプロポーズするとか誕生日に入籍するとか聞くじゃないか。芦原さんもそうだったんだ。誕生日と記念日を重ねると絶対に忘れないし、喜びが重なるって。」
「なるほど…そういうこと、か…。まあ、お前は確信があったんだもんな、俺の気持ちに。でなきゃ俺からはこんな日に告白なんて…死んでも出来ねよ。自分の誕生日が失恋記念日になるかもしれないなんて、んなリスク恐ろし過ぎてしょえねえや。」

唇を尖らせたヒカルを見れば、アキラもチクリ…と痛まないでもない。

「じゃあ、9月20日は君の誕生日に同居記念日に…更に告白記念日…ってとこかな?」
「もうそれだけじゃねえだろう?ファーストキスに初エッチに…どうすんの?俺ら、こんなに盛り上がっちまって…。」
「変な言い方するな、全く…ムードのカケラもないんだから…。」

口では批判しながらも、アキラも嬉しそうに笑っていた。
ヒカルも満たされた顔で、見詰め返す。

さっきまでは一生触れることもないと思っていたアキラの滑らかな胸が上下し、そこに乗せられたヒカルの手を小さく揺すった。

「でも勿体無いよなぁ。全部の記念日が重なっちゃうっつーのも。」
「忙しい僕らには面倒がなくて、丁度いいと思うけど。」
「かーーーっ!お前こそムードってもんがねえんだよ。一年かけてさ、季節ごとに記念日もじゅんぐ〜り廻って来るのがいいんじゃんか!」
「はいはい。じゃあこれからたくさん記念日を作ればいいじゃないか。」



う〜ん、イマイチ心がこもってねえけど、ま、いっか…
そうだな〜、一気にココまで来たから、この先はどんな記念日を作ればいいんだ?



ブツブツ言うヒカルが無性に愛しく思えたアキラは、その髪に唇を寄せて囁いた。



…何でもいいんだ。

君が一緒なら、どんな些細な出来事も僕には思い出…

毎日が記念日でもいいんだって、そのくらい僕は君を………



聞こえたのか聞こえなかったのか、ヒカルはくすぐったそうに肩をすくめるとコロコロと笑った。

ヒカルの、20歳を迎えた青年とは思えないほど無邪気な笑顔と、昨夜の激しい愛し方とのギャップが一層アキラを虜にしたことを、ヒカルはまだ知らなかった。














2005年度作品
「インな男」






「な〜、塔矢ぁ、お前そのクセ止めろよ〜。」

「うるさい。僕の勝手だ。」

この暑いのに、進藤がまとわりついて鬱陶しいったらない。
僕の背後に回りこんで手を伸ばすと、ウエストからシャツを引っ張り出そうとまでする。

「こらっ!止せっ!み、みっともないだろうっ!」

「だあってぇ……今時、ズボンの中にシャツの裾入れるヤツなんて見たこたねー。ダッセーから止めろって。そっちがよっぽど若者としてみっともねーってば。」

「これはこれでいいんだ。僕のポリシーだ。」

「ポリシーって……何か理由でもあんの?シャツインの訳……。」

いつになくしつこく食い下がるから、僕も仕方なく答える。

「だって、君、小さい頃に教えられなかったか?シャツの裾はちゃんとズボンの中に入れましょうって。僕は幼稚園でそれを教えられた。そうしていなかったら、みんなに笑われた。だからそれ以来、僕はそうしている。」

「それって……未だに守るべきことか?小さい頃は小さい頃で、もう時効じゃんか〜!?」

「時効なんてない。それは僕が先生と約束したことだ。一生守ると。」

「い、一生っ!?マジで言ってんの?お前。どうしてそうなるの??」

ここまで言うつもりはなかったのにと、苦々しい想いを噛み締めながら。
更に僕は説明した。

「幼稚園の時の先生がご結婚で遠くに行かれることになったんだ。もう一生逢えないと、その時の僕は思った。それで先生が、一つだけ自分と約束したことの中から何か守ってくれると嬉しいと言った時に、とっさに決めた。」

「一つだけ?それが……シャツインの誓い……。」

「子供だったんだ。他の子が好き嫌いをしないとか、我侭を言わないとか約束していても、当時の僕にはそういう欠点がなかったからな。せいぜい、先生にシャツはおズボンの中に綺麗に入れましょうと言われた、そのくらいしか思い付かなかった。」

話すうちに、進藤が顔を歪めて腹を抱えて笑い出すのが見えたが、僕は堂々と言い放った。

「笑うな、進藤。もう一生逢えないと思った人との、お別れの時の約束だぞ?……そんな大事な約束を破れるかっ!」



そこで―――
進藤はふと笑い止めて、僕を見た。

まっすぐに僕を見て、逸らさない。



不思議な色の瞳だと思った。

光が揺れて、乱反射して。

遠くの見えない筈の景色まで映しているような。



「……お別れの時に、一生の約束が出来たって……そりゃあ、いいお別れだったな……塔矢。」

「進藤?」



彼はもう僕を見ていなくて、自分が引っ張り出した僕のシャツの裾を、整え始めた。
自分でするからと、身をよじる僕の肩に頭を押し付けて、動き辛いようにされた。

そして、小さな呟きが聞こえた。



「お前ってさ、色んな意味で俺にとってはインな男だな……。」



―――その意味はわからなかったが。

どうやら当分は、僕のシャツの着方に難癖をつけるのは止めてくれるらしいということだけは、よくわかった。






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時々、信じられないくらいの「ストライクゾーン」を突いてくる。
元から直球ド真ん中なヤツではあるけど。

幼稚園の時の?先生との約束?マ、マジかよ〜〜〜っ!?
そうやって。
俺を思いっきり笑わせておいて、トドメがこれだ。



     もう一生逢えないと思った人との、お別れの時の約束だから。



胸の中にミットを構えていたとしたら。

仰け反ってしまいそうな勢いで、轟音を響かせて入ってきた。
ミットにおさまったボールからは、きっと白い煙が上がったに違いねえ……。



     そんな大事な約束を破れるか―――



ズシン……と。
胸のミットにおさまった言葉の重みは、そのまんま塔矢への想いに繋がる。



かなわねえ……
もうどうやったって、コイツから逃げられねえ……

ふざけて引っ張り出したシャツの裾を、もう一度入れてやりながら。
俺はコイツの匂いを、胸いっぱいに嗅いだ。

う〜ん……イイ匂い……
汗と体臭とが交じり合って、懐かしいような、ほのかに甘いような……
そんな匂い……



何か……



俺……



勃っちゃいそう……ははは…………



なあ、塔矢。
お前が女だったら簡単なのに、さ。
このまんま回した腕に力をこめて、好きだよって囁いて、押し倒してキスして胸に触って服の下から手を入れて……



や。別に男でもそれは全部出来ることじゃねーか?






男でも、いつかやちゃいそうだ……






いつかきっと、やっちゃうんだろう…………






もうすぐ俺の誕生日だ。
何か欲しいものはあるかと、コイツは俺に訊いてくるだろう。

「シャツの裾出した格好してみろ。」って。

そんなこと言ったらアイツどうするかな?
どんな昔のささやかな約束でも、やっぱり約束は約束だって突っぱねられそうだよな。

それもまた、塔矢らしくていいや……



コイツの放るもの全てが俺の胸のド真ん中におさまっていくんだから、どうにもこうにもしょうがねえと、俺は諦め気分で自分の気持ちを認めるしかなかった。






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「何だって?シャツの裾〜?」
「そう、出してみ?それが俺への誕生日プレゼントでいいぜ。」

ニヤニヤしている。
目の前の誕生日を迎えた人物は、僕を小バカにしたような顔をして薄笑いを浮かべている。

「なんだったらさ、俺、今から買い物に付き合ってやるよ?どうせ長い丈のシャツしか持ってねーんだろ?短めカットソーとか選んでやるよ、俺のセンスで。」

「き、君に服を選んでもらう必要などないっ!!」

「んなこと言って、お前ホントは恥ずかしいんだろ?ずーーーっとシャツインで生きてきたんだもんなぁ、もう十何年も。今更新しいカッコなんて出来ねーよな?」

「そういう問題じゃないっ!大体、今日は君の誕生日だろうっ!どうして僕の方が君に何かをして貰わなきゃならないんだ?間違ってる。おとなしく誕生日を祝われてろ。」

「ちぇ〜、そういう態度がもう既に誕生日を祝う姿勢じゃねーじゃんか。……っふん!」

「ふんだとーっ!?誕生日だからって親切にプレゼントでも……と思って、僕が……僕が思い切って何が欲しいかって……この僕が……君に訊ねるの…………どんなに…………。」

「あ、ごめ。……や、そんなつもりじゃなかったんだけど。ただ、モノを貰うよりも、お前からはもっと他に欲しいものがある気がしてさ……。」

「モノじゃ、ないのか?」

「うん。お前から欲しいのは……何かそういう目に見えるとか、形のあるものとか……んなんじゃねーかなって。へへ……俺、何言ってんだろ?」

喧嘩ごしだったのが、嘘のようだ。
段々、僕らの間に流れる空気の色が変わる。

それは進藤の目の色が変わったからだと、やがて気が付く。



進藤の目。……あの瞳。
そうだ。この前、シャツの裾から始まって、僕の昔の約束のことまで話してしまった、あの日と同じ。

さまざまな色彩が混じり合う色水のような、一瞬たりとも同じ状態を留めない、動きのある瞳だった。



どうして。
どうしてわかってしまうんだろう?

彼がこんな目を向けるのは、僕に対してだけ。僕だからこそ。

それが、自然に伝わってしまう……






他人の思い通りになんてなりたくない。進藤ヒカル相手では、尚更だ。

でも。
時々現れる、そんなちっぽけな意地なんかどうでもいいと思える瞬間。
ある種の解放感に包まれることがある。

人はこういう時の自分を、「素直になれた」……とでも表現するのだろうか?



「……ふぅ……いいよ。買いに行こう。君のお見立てで、洋服を。勿論お金を払うのは僕だけど。僕の服なんだから。」

「え?マジ?いいの、俺がお前の服、選んでも。」

「いいさ、僕だってそこまで言われて逃げるのは本意じゃない。あ、でも折角だから君にも誕生日プレゼントとして洋服、贈るよ。ただし―――そっちは僕の見立てだ。文句言わずに着ろ。」

「げえぇ〜っ!お前のセンスで選ぶのっ!?それだけはカンベンしてくれっ!」

「そんなに照れるな、進藤。ははは……君はいっそシャツインなコーディネートにしてやろう。安心して任せろ。トラッドなんかもいいなっ!」

「オマイガーーーッ!!」



大袈裟に顔をしかめて頭をかきむしる進藤。
おかしいったらない。
……いやいや、失礼なヤツだ。人のセンスを疑うなんて!

そう言って背中を叩いたら、進藤がガクリとこけた。……っぶ!!
今度こそ本当に我慢が出来なくて、僕は吹き出した。



二人分の笑い声は、9月の高い空に吸込まれていった。






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あのさ。塔矢。本当にいいの?
ずっと守り通してきたこと変えるのって、気持ちワリイよな?それっくらい、いい加減な俺だってわかるよ。
お前が先生との約束を守りたいなら、俺、別に……

いいんだ。勿論、これからもシャツはズボンに入れる。だって僕はその方が好きだから。いつの間にか約束云々は、既に僕の好みにすり替わっていたのかもしれない。
……でもね。

でも?

仮に約束を守らないと気持ち悪いと感じても、僕にとって君はもう、先生よりも大きな存在だから。

君の願いをきく方が、今の僕には大事だよ―――






……そういうの、殺し文句って言うんだぜ。

え?何か言ったか?

……や、聞こえなかったら、それでいいよ。大したことじゃねえ……
大したことじゃ……お前にとっては、な…………

訳がわからず、ちょっと困ったような微笑を浮かべる塔矢。



来年も。再来年も。
もしもお前と俺の誕生日を過ごせるんだったら、ずっと訊いてくれるだろうか?
進藤、今年はプレゼント、何がいい?……って。



少しずつ、大胆な望みに変えていったら、コイツはどうするかな?

それでも、俺が大事な存在だからと、許し続けてくれるだろうか?

一体………………どこまで?






「進藤?どうした。行くぞ。買い物に行くんだろうっ!さっさとしろっ!」

あ〜あ。腰に手を当てて待ってるよ、アイツ。何様だろ、全く……

塔矢本人からフォーカスを外すと、澄んだ青空がパノラマみたいに遠く広く、俺たちを取り囲んでいることを知る。
先のことを考えるのは馬鹿らしいと思えるほどに、世界は美しい。満たされている。



やがて俺たちは並んで歩き出した。風を切って、颯爽と。



今はまだ。
今はまだ、これでいい……

隣にシャツインの塔矢アキラの姿がある。
ただ、それだけで―――



俺の19歳の誕生日は、将来への波乱をちょっぴり滲ませながら、それでも上天気で過ぎていこうとしていた。













月が美しい季節になった。もうすぐ満月。
進藤ヒカルの誕生日がやって来る―――



思い起こせば去年のこの日。
そう……僕のシャツの着方に文句を付けられ、更には洋服を選ばせろと言われ、その願いをきいてあげたんだった。

全くあれは訳がわからなかった。
どうして進藤が僕の服装にケチをつける?気にする?

一体君はどうして……
誕生日のプレゼントに、ものではなくて僕に対してしたいこと、僕と一緒にしたいことをリクエストするんだ―――

不可解に思いながらも、今年もその時期が近付いて、僕は何だか落ち着かない気分だった。
今年は……何を言い出すんだろう…………



進藤も、様子が変だった。
何がいい?と訊ねても、のらりくらりとかわされる。んー、またな……とか。今、考え中、とか。






そして誕生日の当日。
仕事がたまたま休みだった僕らは、朝も早いうちから一緒にいた。
それでも進藤は何を欲しいとも何をしたいとも、はっきりと言わない。

ただブラブラと街を歩き、碁を打って、行きつけの店で食事をして、他愛もないことを喋って、また碁を打って。

僕は何度も何度も進藤に訊ねた。
今年は何がしたいんだ?何か欲しいものはないのか?……と。

それでも彼ははっきり言わないままだから、僕は9月20日が終わりに近付くにつれ、段々不機嫌になっていった。
刻々と過ぎる時間。ただ、一緒にいるだけでプレゼントを要求しない進藤。
……言葉に表しがたい苛立ちだけが募る。



とうとう我慢出来なくなった僕は、爆発した。

「進藤。もうすぐ日が変わる。本当に欲しいものは、ないんだな?」

「うん。いいんだ。別に欲しいものなんてないから。」

「後から言ったって遅いぞ。」

「うっせーなっ!いいって言ってるんだからいいんだよっ!」

「うるさい?人が誕生日を祝ってやろうっていうのに。何だ、その態度は。」

「こえー……まだ20日だぜ。誕生日ボーイには優しくしろよ。」

「……あ。もうすぐ12時になるぞ。いいんだな。」

「うん。もう十分。起きてる時間、ずーっとお前といられたし。もういいよ。」

「僕といられたって……君って欲がないんだなぁ。去年もヘンなこと言い出すし。全くわからないよ、君って人間が。今日だっていつもとドコが違うんだ?」

「いいんだって。今日は……今日だけは普通にしてたかったの。いつもと一緒でいいんだって。」

「今日は?誕生日なんだから、普通じゃない方がいいんじゃ?」

やっぱり、よくわからない。何が言いたいんだろう……

「おっと!やっと12時まわった。んじゃ、そろそろ帰らないとヤバイよな。明日はお前、朝から仕事だし。」

「僕の予定、知ってるんだ。いつも。」

「そりゃ、ね。あ……ちょっとコッチ来て。」

手を引かれ連れて行かれたのは、公園の片隅。
空には十五夜を少しばかり過ぎた綺麗な月が、高くかかっていた。



「今から俺がすること、気持ち悪かったら……正直に言って?お前がヤだったら、止めるから。いい?」

訳がわからぬまま手を握られた。
包み込むようにされて、進藤の温もりが伝わってくる……

「何だ?何かのまじないでも?」

「おまっ!やっぱ天然だなぁ……。」

苦笑する進藤。
でも馬鹿にされたという感じではなく、それは照れ笑いのようでもあったから、僕も反論せずに黙った。



次に彼がしてきたことには、流石の僕も驚いた。
いい?と、言葉はないが首を傾げ、訊ねるような仕草をされた後に、進藤の腕が僕の背に回された。
いつも元気が有り余っている彼とも思えぬ、壊れ物を扱うような、とても繊細な抱擁だった。

「進藤?僕に甘えたい、とか?……いや、何か哀しいことでも……。」

「ちょっと黙って。今されていること、ヤじゃないか……しっかり感じて―――確かめて……。」



―――嫌じゃない。うん、ちっとも不快じゃない。
進藤と触れ合うことは想像の範疇を超えていたが、現実になってみると決して嫌悪すべきことではなかった。
そして、そのことに自分自身で驚いていた。



互いの鼓動だけに神経を集中させる、静かな時間が過ぎて―――



「良かったぁ……お前、大丈夫なんだな。俺と抱き合っても。」

「進藤……本当はこれが……誕生日にして欲しかったことじゃないのか?どうして日付が変わってから……。」

「誕生日だったからだよっ!昨日こんなことしたらお前、俺の誕生日だからって我慢したかもしんねーだろ?それはヤだったのっ!そういうことになったらヤだから、ちゃんと過ぎてからって、決めてた……。」

驚いた。正直言って、彼がそんな風な考え方をする人間だとは思っていなかったら、本当に驚いた。

「君……意外と複雑なこと、考えられるんだね?でもやっぱりふに落ちないよ。どうしてこんなこと……。」

「ま、まだわかんねーのっ!?お前、それって男としてどうよ?鈍過ぎだろっ!」

これもまた、見下されている訳でもないらしいとわかる。
だって、僕のことを鈍いなんて叫びながらも進藤の声ははっきりとわかるほどに震えていて、おどおどした印象だったから。

むしろ、僕の反応にビクついているらしいとわかってきた。
くすぐったいような、笑い出したいような、密かな幸福感が胸に満ち始める……



「これが誕生日プレゼントでも良かったのに?だって凄く安上がりなのに……気持ちだけはうんと込められるよね?」

ほら、こんな風に……

今度は僕が、ほぼ同じ高さの進藤の腰に腕を回した。
もっと密着する体。どちらのものかわからない息遣いが、すぐ耳元で聞こえる。

ぎゅうっ……と、腕に力を入れると、進藤の肩がビクリと揺れて、それから弾かれたように上半身が仰け反る。

わずかに出来た空間。とても近い距離で、僕らは顔を見合わせる格好になった。

「塔矢?えっと……本当にマジで俺とこんなことして、いいの?キショー……とか、ねえ?」

僕は小さく、でもはっきりと首を振る。
それを見て、進藤が嬉しそうに目を細めた。まあるくて大きな茶色の瞳には、ちゃんと僕の顔が映っていた……



「塔矢。俺、お前が好き。ずっと好きだった。……俺と付き合ってください。」



考えるよりも先に、体が動いた。
どうしても。
どうしても彼に、一日遅れの誕生日の贈り物をしたい―――



泣き出しそうに揺れている進藤の瞳は、見ているこっちまで恥ずかしい気分にさせるから、それを片手で塞いで目隠しした。
それから、彼のポカンと半開きになった唇に、そっと僕のそれで触れた。

僕からの答えを受け取った進藤は、塔矢っ!と僕の名前を叫んで僕の体を抱き締め直すと、嬉しい、夢みたい、マジで?……と、馬鹿みたいに繰り返す。

僕らは、青くぎこちなく、でも泣きたくなるくらい幸せな抱擁とキスに、すぐに夢中になった……



こうして―――
一年前の進藤の誕生日に始まった、彼といると身の置き所がなかったり、落ち着かなかったりするという自分自身の不可解な反応の真相が今、解明されて、僕はとてもスッキリしたのだった。






……ねえ、進藤。
確かに僕は、多少は鈍くて、天然かもしれないけど。
でも、僕にも今夜、ちゃんとわかったよ。

好きな人と過ごす誕生日。
モノではなくて、時間が欲しい―――二人で作る、想い出の時間が。



そりゃ、どっかのCMで聞いたようなセリフだと進藤が笑うのは、少し先の話だ。














2004年度作品は、NOVELにある「誰かの望みを」です。

NOVEL