― 大切な人 ―
「冷たいカラダ」(42)
「うわ〜、降って来たよっ!かさ、かさ〜。」
急に降りが酷くなって、俺は慌ててカバンから傘を取り出す。
今日は絶対に降るからと、母さんが出掛けに俺のカバンに押し込んだんだ。
広げた途端に、傘を叩く雨音が大きく響く―――
「あ〜、助かった!こんな降り方だったら家に着くまでびしょ濡れになっちゃうもんな〜。」
(…さすが、ヒカルの母上はよくわかっていますね)
「あっ、ご免ご免!お前も濡れちゃうな、入れよ!…佐為!!」
振り向くと、佐為はいつも通りの静かな微笑みを浮かべていた。
(ありがとう、ヒカル…でも、私はもう濡れたりしないから…)
「あ…。」
(冷たくなったり、熱くなったりもしないから…)
「佐為…。」
何故だかわからないけど、胸が苦しくなった。
思わず声を出して叫ぶ。
「でもっ!やっぱ嫌だよっ!お前は平気でも、俺がなんかやだ…。
雨が降ってるとお前の姿がぼやけてみえる気がするし…。」
(ヒカル?)
「だからっ!入れってば―――傘に…俺にピターッとくっついて入れよっ!!」
(ヒカルゥ…)
そして佐為は俺の背中に張り付いた。…まるでおんぶしてるみてえじゃんか。
「もっと…もっとくっつけ…濡れるぞ………佐為…。」
(はい…ヒカル…)
甘えた声が背中越しに伝わる。
冷たさも熱さも感じない佐為には、勿論体温だってないけど…
背中がジワリと熱くなったと思ったのは、決して俺の錯覚じゃない。
「傘って昔から変わらないって言って驚いてたよな。
なあ、どうしてもっと便利になんねえのかな?
…佐為………佐為?おいっ、いるのか?
いるんだったら答えろ…さ、い………っ―――――………。」
「進藤…進藤?」
「…あ。」
「どうした?寝言を言っていたぞ。具合でも…。」
「いや、そうじゃねえけど…。」
夢から覚めたんだと気付くまで、少し時間が必要だった。
あれは、夢の中でのやり取り―――20歳の今の俺が見た、夢の。
佐為と一緒にいた頃の俺は
佐為が何を考えていたかなんて気にもせず
ただそのまま、雨の日も雪の日も一緒にいる子供だった。
ソファでうたた寝していたらしい俺のことを
心配そうに覗き込んでいる塔矢アキラがそこに立っていた。
見ると、黒髪が濡れている。
「あ、外…雨が…。」
「うん、急に降って来て。でも駅から帰る途中だったからね、走っちゃった。」
「そうか…雨音のせいで…そう、か…。」
目の前の塔矢に腕を伸ばし、抱き締める。
「つめた…。」
「ご免…玄関入ったら君の声が聞こえたから体拭くより先に入って来ちゃった…。」
「いいって。お前、指も…ほっぺも…スゲエ冷たい。」
「離して…君が濡れる…。」
「濡れたら体、冷えちゃうよな…お前はそうなんだなぁ…。」
居心地悪そうにもがく塔矢を、俺は離さない。
力を込め、もっと深く抱き込んだ。
「アイツのことも…こんな風に抱き締めたかった…
もっと、優しくしてやれば良かったって…きっと心の底で思ってたんだ…。」
「進藤…。」
塔矢が優しく頭を撫でてくれ
俺は心が熱くなっていくのを止められなかった。
「何も聞かないのか…。」
「……。」
「夢を見たんだ…昔の…してあげたくて、してあげられなかったこと…
試してみれば良かったんだ…出来なかったとしたって…」
「そう…。」
「聞いてくれるか?」
「うん、聞きたい。君が僕に話したいなら。」
「じゃあ、まずはこの冷たくなった体を温めなくちゃな…。」
俺に温めさせて、と
唇が触れ合うほんの一秒前に囁けば
くすぐったそうな笑い声が、ピッタリと重なった俺の胸を震わせた。
大切な面影は、この胸に―――
愛しい人は、この腕に―――
誰かを温めることは
俺自身が温められることでもあると感じながら
二人で鼓動を重ね、雨音を聞いていた…
「約束のない待ち合わせ」(62)
朝靄を縫って近付くと、先客がいることに驚いて俺は立ち尽くす――
まさかこんなに早く。夜も明け切っていないのに。
誰にも会いたくないから、毎年この時間を選んで来ていた俺だった。
昇り始めた朝日の中で立ち上がり、俺を振り返った塔矢は
とうとう会えた、随分長い間待っていたよ…とでも言っているかの様だった。
場所を空けたアイツに促されて、俺はしゃがみ込んで手を合わせる。
墓前には――綺麗な白い花と、黒石が一つ。
ああぁ…俺も…俺も毎年同じことをする…
熱くなる胸を…込み上げる想いを…必死で抑え
俺はそっとポケットから出した白石を置き、線香を立て、火を点けた。
背後で、塔矢が静かに見守っているのを感じながら…
「どうして…。」
「どうしてって…だって命日じゃないか。お参りに来て何がおかしい?」
「お前、意地悪…そんなのわかってる。そういうことじゃねぇ…。」
「君がそれを言う?僕こそ聞きたいと思わないのか?どうして秀策なんだと。」
僕も毎年来ていたんだ、君がこだわっていることを知った時からずっと…
でも、偶然会えるまでは絶対に言わないつもりだった。
そうか…こんなに朝が早いから、今まで一度も会えなかったんだなぁ…
信じれない塔矢の告白に眩暈がする。眩暈がするほど――嬉しい。
今ここが墓前でなければ、叫び出して抱き付きたいくらい…
その時。朝日が昇り切って、辺りが眩しいくらいの光に包まれた。
思わず瞑った瞼の下。
滲む姿は遠い昔、俺の隣にいてくれたアイツの面影。
…やがて、ゆっくり目を開けると。
俺の人生で一番大切なヤツが、夢みたいに綺麗に微笑んでいた…
――新しい5月5日が始まろうとしている。
話したいこと、聞いて欲しいことが山ほどあって…うぅ、どうしよう…
それは塔矢にとっても俺にとっても、まるで「約束のない待ち合わせ」だった。
そして果たされた瞬間の幸せは――奇跡としか言いようがなかった。
佐為を思い起こさせる二編を集めました。
佐為がいたからこその、ヒカルとアキラでもあると思います。
NOVEL